暴かれた真光日本語版
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最終更新日:2001年8月13日
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ローガン夫妻に寄せられた体験談のうちの一つです。ロサンゼルスで真光隊員が道場の窓から飛び降りて自殺を遂げたことなども書かれています。
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ニューヨーク小道場 元真光隊員 K.D.氏の体験談
初めまして、グリーンウッドさん。
あなたが世間に重大な情報をもたらして下さったことに感謝しています。僕自身は6年間、組み手でした。 私は真光隊隊長として全身全霊で御神業に打ち込んで来ましたし、主座で行われた真光隊国際修練会にも参加したことがあります。私は"VERY SUNAO"といわれるような、献身的、模範組み手だったと思います。入信して以来、真光にのめり込んでいましたし、集中して御教えなども研鑽してきました。鸚鵡(オウム)のように御教えをそらで言えるほどでしたし、どの幹部と談話するときもそんな感じでした。組み手になって最初の一年間は教えに対して疑問も感じていましたが、僕はただそれらすべてが真理であればと刹那に望む日々でした。 神から与えられた壮大な御経綸のために、自分は神から選ばれたんだと思うことで期待に満ちていましたし、特別に思えたのです。だから疑問からは目をそらしていました。
僕は心の中にある疑念は、自分の霊的な曇りのせいだと機械的に考えて、押さえつけてきました。特に僕の場合は何年もの間、霊動がでていましたからね!!その一方で、自分は読書家でもあったし、生活への探求心を持ち続けていました。だから奉仕活動に明け暮れる日々も、自分や身の回りにに起こった出来事に対する即席の霊的解釈にも嫌気がさしてくることもありました。 他の精神世界や、哲学の本を読んで、真光以外のそれらの情報が御教えと矛盾がないかどうか、思いめぐらすことに時間を割いたりしました。
こんなことで自分を納得させて、再び真光に没頭して行くことになるのですが、結局それは、自分が本で読んだことを、いつも御教に結びつけて考えるようになっていたからであって、加えて、もちろん曇り消しのための真光の業や、人救いなどの名目があったこともあります。こういうことの繰り返しで私は他の組み手や幹部からは献身的な組み手のように見られていたようです。 ところが、あることがきっかけで私は真光の業について疑念を強く持つようになりました。
私の妻はやはり組み手でした。彼女は妊娠したのですが、お互い真光隊であったこともあり、当時はとても熱心な組み手でした。妊娠中は妻はお浄めは毎日めいっぱい受けていましたし、御奉仕も多くこなしていました。出産の際には、他の組み手さんに立ち会って貰ってお浄めしてもらったりもしました。しかし、妻は大変な苦痛を伴った長時間の難産をすることになり、その後も痛みがしばらく抜けなかったのです。彼女や、赤ん坊にとっては非常にトラウマの残る体験だったと思います。私も、あれほど御奉仕して、手かざししてきたことが、意味がなかったことにすっかり打ちひしがれてしまいました。しかし結局は、大難が小難になったという御教えで、頭の中ですぐに正当化してしまいました。 普通であれば、ひょっとしたら命を落としていたことかもしれない、などと考えてしまったんですね。振り返ってみると、如何に自分の心が、御教えに忠実に教え込まれていたか、如何に"地上代行者、OSHIENUSHISAMA(真光隊信条でさんざん唱えさせられた)に献身的な奴隷であったかがよくわかります。その後、3年間ぐらいは真光について疑念を抱き続ける一方で、強烈な洗脳を受けていたため、只々それが真実で本当の天国行きの切符であってほしいと願い続けていました。
そして僕の疑念はまだつづくことになります。ある事件がきっかけで疑惑が強くなったのです。ロサンゼルスのある熱心な真光隊員が、道場の3階(4階?)の窓から飛び降り自殺を遂げたのです。彼はその時期、精神的に参っていて、(幹部はそのことも知っていましたが)、天変地異のおりに危険にさらしてはいけないと先祖の位牌まで彼は持ち歩いていたほどでした。
教団からの我々真光隊に対する公式な釈明は、自殺した隊員は、幹部のことを悪く中傷していたから、霊障にやられていたのであり、 そしてこれは北アメリカ地区のすべての隊員達が、目を覚まさなければならない戒告である、というものでした。この説明には僕は全然納得行きませんでしたし、どうして良いものか考え始めました。 もしこの教えがそれほど絶対であり、御光が強いのであれば、なぜ隊員の命を救うことができなかったのか、そして何故浮霊して自殺してしまわなければならなかったのか? 彼の命をとったという憑依霊が、真光の業や我々隊員に与えられた御守護よりも強かったというのはどういうことなのか、悩み始めてしまいました。他の隊員への戒告だなんていう説明はどう考えてもおかしい!!そう思いながらも、事件の後でさえも僕は教団にとどまり、真光隊にも参加していました。頭の中で御教えを繰り返しては奉仕活動に打ち込むという堂々巡りの考え方が頭に染みついてしまい、それに自分自身が縛り付けられていたのです。 僕は日本の主座で2000年に行われる御光閲に参加することを目指して必死でした。本当に参加したかった・・・というのは最後に参加した主座での修練会では、2000年の御光閲に参加が許されたものが、次期文明の種人であると、言われていましたから・・・その機会を逃してはいけない、と思っていたんです。
それでもまだ真光に縛り付けられていたわけですが、自問自答はつづきました。真光隊の修練会などでは、人知の理屈だから読むだけ時間の無駄である、読まないようにといわれていた他の精神世界の本や、哲学書なども読み続けていました。人間本来の心の力について書かれた本も読むようになり、妻もたまたま同じような内容の書籍を見つけてきたのですが、心が如何に作用して自己が強くなりうるか、または信仰や思想の犠牲になりうるかということなどが書かれていました。
しばらくして彼女はまた妊娠したのですが、この機会に僕たち夫婦は、この"心の力の理論"をためしてみることにしました。今度の妊娠期間中は彼女はお浄めはあまり受けませんでした。特に妊娠に関わる体部にはほとんどずっと受けませんでした。それは彼女にとっては不安なことでもあり、神向きを制限することになる冒険だったとも思います。その一方で、彼女はそれらの不安が、"罪えが深い"等のネガティブな御教えからくるものだということを悟り始めていました。そして最初の出産の時には自分の想念がそのまま現実になってそれを体験してしまったということに気づいたのです。どうせ自分は罪えが深い、そう自分自身を責め続けて、出産をめぐる不安や御教えに心を奪われてしまったわけです。
助産婦の付き添いで、第1子同様、自宅で彼女は二人目の子供を出産しました。しかしながらこのときは僕も妻も御み霊を掛けないようにしていましたし、他の組み手を呼んでお浄めをさせるようなことはしませんでした。 これは究極の実験だったと思います。出産は非常にスムースに早く終わり、次男を産んだ妻のよろこびようは大変なものでした。出産の時には、妻の精神状態は非常に穏やかで、この出産自体がその平静さを反映していたと思います。 最初の時は彼女は罪穢やら、霊障やらで恐怖にとりつかれていました。御み霊やら、手かざしに頼らずに、前向きで勇気づけられる体験をしたこと、生きていくことができるということを知り、大変な開放感を感じました。 そのときに、真光への信仰、御教えが最高の真理であるという考え方が自分の中で崩れて行くのが認識できました。そして真光との関わりを断つ努力をはじめたのです。"御教え"に挑戦するようなことをたくさんはじめてみました。
テストとして、私は自分の想念に植え付けられた一部の御教えに意識的に逆らうように心がけ御奉仕の量も減らしました。 私がそうする一方で、私と妻は真光の指導に従わずに、家族への生活面での役割をおろそかにしないようにしました。 真光への関わりを断てば断つほど、生活面での責任や役割が大きくとれるようになっていき、家族の生活も改善されていきました。不安がどんどん解消され、自分たちの生活をとりもどしたように感じ始めていました。
しかしその一方で、"やっぱりこれは恨みの御霊によって仕組まれているのではないか?"などという疑いや後ろめたさを感じてしまうことも少なくありませんでした。それから僕は真光隊隊長としての御役を降り、しばらくして隊からも完全に足を洗いました。道場では自分の名前が"卒隊者"という名目で掲示板に貼り出されました(これは組織を良く見せるための操作であり嘘です。)
ある日、僕は道場に来たとき、素晴らしい開放感を実感しました。"自分はもう道場の一員ではない、もう辞めるべき時がきた"と思えたことはとても気持ちが安らぐ想いでした。その瞬間から、心の中で"真光"を整理して、自分がもはや組み手ではないことをさとることができました。しかし、頭の中に引っかかっていた鈎のようなものが邪魔をして、まだ組み手を辞めることはできませんでした。
ある時、私はインターネットで真光を検索してみました、そしてあなたのサイトで今まで知らなかった歴史を見つけたのです。 私を支えてくれた妻や親友、あなたや、いろいろなしがらみから解放されたとネットで語ってくださった元組み手さんたちに本当に感謝しています。これらの情報を伝えてくださって本当に有り難うございました。妻と僕、それから親友二人と一緒に御み霊を返して、自由の身であることを宣言してきました。僕は真光に関わっている人たちが自らの心と気持ちに従って自分を尊び、我々夫婦が今経験している喜びと開放感を実感できるようにと願っています。自身の喜びを実感させていただき本当に有り難うございました。
Sincerely, K.D.
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