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7月3日 選挙へぜひ! - 2005年06月23日(木)
都議会議員選挙は明日告示で7月3日が投票日です。 不在者投票も簡単になりました。どうか、棄権しないでください。
私は議会ごとに都政の様子をお知らせしてきましたが チェック機能を失い、知事や行政のいいなりになることが与党の役目とおもっている議会に、どのような存在価値があるのか不思議です。 これでは税金の無駄使いの山です。
今、介護、防災、環境、就労支援の政策はどの候補者も言います。
では介護を充実させるために何をしたのか、財政難を理由に補助金カットを認めたのはなぜか、一方、首都高速道路公団のずさんな企画運営で赤字になったものに、知事肝いりで都民の税金を投入をするのか。
市民が主権者で、議員は委託されている以上、市民にたいしての説明責任は回避し、美しい政策をならべ、スローガンを掲げる、これは誠意ある態度 とはいえません。
東京都も財政難はまだまた続きます。石原銀行や首都高速道路公団に数億を出しても、福祉や教育費を削る、弱い立場の人たちを支援するところはカットを続けます。この悪循環は、国の新税案も含め、弱い立場にある人たち、さらに、若い人たちを直撃しています。
政治は何もしてくれない、だから投票にゆかない、そう考えている方々に ぜひお願いします。 皆さんの1票でしか、議員を変えることはできません。
投票にいらしてください。
皆さん、ありがとう これから 一緒に東京をかえましょう
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若い世代から - 2005年06月21日(火)
私の活動を若いひとたちはどう見ているのかなと思っていました。 「応援メッセージになるでしょうか」と物静かなNさんが 『なぜ福士なのか』を書いてくれました。
☆ ☆ ☆ 私は現在大学院で介護保険などの社会保障政策について学んでいます。
福士さんは「認知症の義母の介護経験から、軽度の段階で、人の手をかけたケアが重要だと思っています。(義母は10年かかって回復しました) 区議のときに『若年性痴呆(今は認知症というが)』の支援制度をつくりました。けれど、23区の事業は都の補助金(地方税の多くの部分を都が握っている)頼みで、区でやりたいと思ってもできないこともあって、だったら都のお金の流れを見てやろう、と思って都議会を目指したんです」と話してくれました。 福祉の現場へ使うお金が減っている税金の使われ方について、「予算が多くあった頃に造った建物(都庁舎しかり)の維持費用が、緊縮財政という今でも続いて出ていってしまう」というのが特に印象的でした。
今の政治が決めていることは、私たち世代の将来にまで影響を及ぼしていくもの。 大事なのは、「この政策を実施したら今後どうなるのか?」ということを、資料を調べ、経験にもとづいて判断し、その経緯を有権者に説明できるような人を議員に選んでいくことではないかと思います。 党の方針や政治的な利害関係から賛否を決めてしまう人ではなく。
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「市民の側でもの言える」東京新聞17日夕刊 - 2005年06月17日(金)
「福士さん、カラー写真で新聞出てましたね」 「あぁ、そうですかぁ?」 「見てないの?だって、お名前も、おっしゃってることもちゃんと でてますよ! 記事3段よ」 事務所にお電話とその後ファックスいただきました。
火曜14日、荻窪の青梅街道沿いで街頭報告の場に記者さんが来ました。 取材の趣旨は「自民vs民主」というムードの中、 少なくなってる無所属にこだわる理由は何かということでした。 私はまず「二大政党制って、マスコミが言うからよ」と。 「それで政治が良くなるんだったらとっくに良くなってる、 議案に与党だから○する、議案の調査もなおざりで、 まして市民にとって利益か、不利益かも考えないのが問題・・・」 新聞記事で制約も多い中 「市民の側でもの言える」という私の言葉が そのまま大きな活字に取り上げられています。 http://www.tokyo-np.co.jp/05togi/news/news05061703.html
選挙のためには、政党に乗っかっていれば、とか、党派間取引こそ 「政治」と考えて元気を出す、 そういう議員を選んでいいのか・・・少しは記者さんに分かってもらえたのでしょうか。
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「置き去り」 サハリン残留日本女性たちの60年 - 2005年06月12日(日)
6月2日に吉武輝子さんが持ってきてくださった著書です。 今年は戦後60年です。私も釜山から、当初父が行方不明のまま、祖父母を残し母と子供たちだけヤミ船で引き揚げてきました。しかし、引き揚げることもできなかった人たちがいます。 サハリンに残されて、歴史から消され、その存在すら認められなかった日本人女性たち、まさに戦争が終わった後に、自国、日本国家によってとうてい言い尽くせない悲惨を舐めさせられたのです。 しかもこの事実は60年経なければ、そして丹念な調査をした吉武さんがいなければ、全く知られぬままに終わっていました。 「彼女たちの魂によって導かれて、 60年後の今書き上げられたような気がする」 そして 「戦争を始めるのはいとも簡単だが、その後始末を国家は決してしない。」 4年前の都議選後、サハリンへ発たれた吉武さんから、私の議会レポート「あんてな」に調査中のサハリン残留女性のことを書いた原稿をいただきましたが、本当に長年かけられた大作です。 ぜひ、多くの方々に手にとって読んでいただきたいと思います。
吉武輝子著「置き去り」海竜社 http://www.kairyusha.co.jp/
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テレビ取材 - 2005年06月06日(月)
テレビに出ていたときの私をなんと写真に撮ってくださった方があり、画像を事務所に送ってくださいました。 床屋さんみたいな斜め線が入っているのは、なんか懐かしい。 番組は全国放送だったようで、長野県の存じ上げなかった方からもわざわざ励ましのお手紙をいただきました。 先日また、議会のあり方について取材を受けましたが、夕方の放映とか聞いていますので私はみられるかどうか。 強いリーダーシップがもてはやされていましたが、この機会に首長のあり方を再度、冷静に現実的に考える必要はあるのではないでしょうか。 テレビに取材を受けて言うのも何ですが、虚像を作ったのは紛れもなくテレビを筆頭とするマスコミです。 私たちの心のうちに潜む偶像崇拝へ流される傾向はなかなか消えません。
議会もまた強さに迎合し、すり寄るだけで、今回も副知事任命の責任には口をぬぐっています。 ジャーナリストの方々も議員たちも、もっとしっかり現実を見てほしいと思います。
昨日議会報告を配っていましたら、配布先のお宅のお向かいから、 「あ、ナマ、ナマだ!」 「? !」私の方が引いてしまいました。
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井戸端トークコンサート (6月2日夜久我山会館) - 2005年06月03日(金)
昨夜は雨でした。にもかかわわらず、たくさんの方々が見えてくださり、ほんとうにありがとうございました。 2日の議会終了時間がいわゆる浜渦副知事偽証問題のため遅くなることが前日わかりました。 当日は開演直前の18時8分にスタッフの携帯に議会から「今から出ます!」。 皆さまをお待たせして、と気がもめながら駆けつけたのですが、会は、吉武輝子さんのお話、たーちゃん(ポスター出演の吉武さんの猫)への感謝状、「勝手連」(多くのあちこちにいらっしゃる私を支持してくださる方々が独自に連絡会を作ってくださっています)の柳田さん、若い方々の応援グループを代表して須黒さんと、次々と続き、すでに満員の会場は和やかに盛り上がっているところでした。 控え室に飛び込むと、待っていてくださった吉武さんが開口一番、「今日の国会中継みていて小泉首相のひどいこと」と。吉武さんは敗戦時サハリンに取り残された残留日本人女性を実証的に丁寧に追った著書(6月2日上梓)をたずさえてきてくださっていました。軍隊は市民を守らない、国家は弱いものを見捨てる、それが戦争、私は吉武さんのお話を伺えなかったのですが、皆さんにたぶんあのゆったりした、しかし人をひきつける語り口でお話されたのでしょう。 すぐに小室さんが控え室に、そして時間通りに小室さんと舞台へ。トークコンサートとなりました。 小室さんは、連日のテレビ取材や議会など疲れ気味の私の話を、糸を解くように整理しながら、上手にリードしてくださいました。 私は小室さんの方を向きっぱなしで話しがちになるのですが、小室さんは話の節目節目に会場にいちいち顔をむけて、会場の皆さんとの橋渡し役を務めてくださいました。 百人を超える方がいらしてくださっていたそうです。 懐かしいお顔の間に若いかたの姿も見えて、輪が広がっていっている、と、とても勇気付けられました。 小室等さんのあたたかな唄を聴いて、和やかに語り合いながら、静かに家路へつかれる参加の方々、ここではシュプレヒコールも万歳もありませんが、皆さんのもう少し世の中をよくしなくてはとの強い意志と私への励ましのお気持ちを強く感じました。 参加の方も手伝ってあっという間に片付けは終わり。 入院検査をこの日のために延ばして、体を庇いながら娘さんに付き添われて来てくださった区議選1回目からずーっと手伝ってくださっている古い友人のことが気になりながら、私も最後まで残ったスタッフたちと9時前には久我山会館を出ました。 雨はまだ降り続いていました。一昨年の20周年記念の井戸端トークコンサートも大雨でした。誰が雨おんな?雨おとこ?。
吉武さん会場に残ってトークコンサートをみていて下さったのですね
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