なか杉こうの日記
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2006年08月29日(火) 最近思うこと。

最近事件があるごとに驚くべき早さで被害にあった人の
プロフィールが語られる。ほんとうにすごい早さだ。
近所の人の話。友人の話。決まって「明るい、やさしいよい人だった・・・」
というような。

まるで待ってました、といわんばかりだ。なにかひっかかるものを
感じるのは自分だけだろうか。被害にあった人をもっと尊重できないものか。

明るくてよい人だった・・・という話はもうすこし時が経ったほうがよいのではないか。そんなこと・・・と言いたくなる。明るくてやさしい人でなかったら、どうなるのだろう。

つまり、何がいいたいかというと、そういうお決まりのパターンにすることは人の多様性を侵していないだろうか、ということである。すごく偽善的なものを感じる。もっと中性的に客観的に述べることだってできると思う。明るくてやさしく思い遣りのない人だって被害にあうことは苦しいことなのだ。


2006年08月28日(月) 仕事のはなしその10

わたしのやっている仕事は正当に評価されていない!と思う。
そもそも評価とは何なのか。きっと「何かやってるだろ」ぐらいにしか
思われていないのだろう。
企業と違って「ヤツはできる。なにかゲットする」という感覚がない。
いわばOld Boys Networkが幅を効かす。そしてそのOld Boys' Networkを
盛り立てる女性たち・・・。
その枠組みに入らない者は排除されることはそりゃないが、いつまでもきっと
うだつが上がらない。
いはば、スターを求めているような気がする。なにか「よっし、まかせとけ」と
言ってくれる輩。
そんな中にいることが非常に疲れる。今は何とかもっているけれども。

*****

今日は列車の中からいかにも日本の漁村らしい景色を見た。山が海に、狭い土地を
耕しいろいろなものを育てて人々は暮らしていた。坂を登ったところに小さい社がある。
家々は田畑を耕し、昔は農家であった様子が見て取れる。海を見下ろし森を背にして墓地がある。
・・・これが日本だ、と思った。いくら都会がまるでアメリカのごとく豊かできらびやかでも、しょせん資源がないのである。


2006年08月27日(日) 【詩】蜘蛛・最近思うこと

蜘蛛

蜘蛛って
好きゃないけど
夏のおわりに
壁のクロスに
脚のほそーい
影のうすい
灰色のちいさなのが
張り付いていたりすると
ほんのり
かわいそうになる
影ばかり長くて
ふっと吹けば飛びそうで
いつまでいるんだろ
蜘蛛の子よ

*******

最近思うこと。
冥王星が太陽系の惑星ではなくなった。これは天文学的には大事件らしいがなんと言おうとあの星はとおくのとおくのはるかかなたで沈黙を守ったまま廻っているというのは事実だ。まだ月ぐらいならばああだこうだ言っても月の表情が変わるような気がしないでもないが、あの星はいくらごみのように小さな人間がなんと言っても黙って変わらずに廻っている、というのがなんとなくおかしい。

最近見てぎくりとするのが子供。とくに小学低学年の。ランドセル姿で。最近の事件と結びついて、コドモがこわいのである。

それとこわいのがシュレッダー。うちにもアイリスオーヤマのごくごくちいさいのがあるが、あんなの子供でも手をはさみそうもないやつだが、それを見るとぎくり、とする。

以上でした。


2006年08月26日(土) 仕事のはなし・その8

翻訳の仕事というのはそれこそいろいろあって
そう、一筋縄では行かないようである。ビジネスとか
コンピューター、医学、金融、あるいは特許。このあたりなら
需要が多いらしいが、どれも自分はまったくしろうとである。
このごろ、すこし自分のいる分野ならばとつとつと訳せるように
なったが、それでどこでも通用するかとなると、とんでもない。
 なにを隠そう、勤め人の仕事がうんざりしているのである。
つまり、人の管理、人との調整、といった仕事が不得手なもので。
夜遅くまで大部屋でひとりぽつねんと残っている。
ばかみたい、と思う。誰が認めてくれるわけでもない。
自分自身が心配でやっているのだ。
自分のいる職場はしょせん人となあなあでうまくやっていくことが
できること、つまり仲間仕事なのである。
それで、つらつらインターネットを見ていたがやはり世間で
翻訳で食べていくのは大変なようである。

* * *
今すっごくうれしかったことは、「○○対策本部」って
Task Forceでもいいんじゃないかなーと思って和英を引いたら
あったんです!いやーうれしいな。


2006年08月24日(木) それだけ

ますますつよくなったというべきか。
かぶとで
やさしさも
こわさも
はじきかえす。
これはなんだろうと思うが
じぶんのなかの
カキのようなやわらかさを
人目にさらしたくないのである
かといって
きょうだいなどには
けっこう鈍感なのかもしれない
ふとむかし
デパートの
晴れた空に浮かぶ
あどばるーんなんかを
思いだしたりして
なみだ。
でかいのがひとつ
それだけ


2006年08月22日(火) 仕事のはなしその9

まったく、うっかりしていて「してやられた」ということか。
今まで何十回となく「ずうずうしい、調子いい」と思ったがまた、やられた。
うまく生きている人というのはいるのだ。
そのくせ「枕をなみだでぬらす夜というのもあるのよ」などと
大声でのたまう。
これが、仕事です。給料のうちか、ははは。


2006年08月19日(土) 【詩】会ったはずなのに

会ったはずなのに
顔もおぼえていないよ
あれは夢だったのか
そもそもカオというのが
覚えられなくて
あったのに
明かりも
長い髪も覚えているのに
その下の
ちょっと翳りのあるような
明るい笑顔ばかりで

会ったはずなのに
覚えていないよ
ほんとに
会ったのかしら
影ぐらい
踏んだはずだ
信号が
チンチン鳴っていた


2006年08月12日(土) 「上を向いて歩こう」・信頼にたうる

「上を向いて歩こう」はほんとうにあの情緒というか、なんとも言われない。
それはわたしが幼稚園の頃初めてあの歌を聞いたときもそうだったし、今でもそうだ。
さっき氷川きよしくんがそれを歌っていた。予想よりはるかにうまい。しかしながら彼が歌えないのはあの歌のひびき。心から突き上げてくるもの。つまり、ひとりっきりのさびしさプラス充実である。そんなものを坂本九は歌い上げていたのだ。

たとえばむかしの夜の小路。木の柱の電柱が一本、塀の前に立っている。夏なので電灯の周りをじいじいと蛾が飛び回っている。そんな夜道を歩いている。時おり空を見上げながら。なみだが出てくるのはなぜだかわからない。しかし星を見ながらそれにひとりで耐えている。こんな時間が人間には必要なのだ・・・。

* * *

ええっと・・・。
部下を守ってやらないときっと部下の心のなかに暗雲たちこめ
なんだ、この人は、と思うであろう。
上司におもねる人は部下からの信頼を勝ち取ることができないであろう。
なにを隠そうわたしこそ日和見で部下になにもしてやらない。
人間関係とはなんであろうか。じぶんのなかにひと筋何かあることである。
それは事務作業やら仕事ができるなどのこととは別に
equally important なことである。
この部分がじぶんには欠落しているのでどうしても部下からいや
人からの信頼を受けることができない。
たとえば美容院に行ったって、受付の一言で、「あ、この人信頼にたうる人だな」とピンと思うではないか。はたして、その人はシャンプーもうまいし、カットも安心して任せられる。
ここんところが・・・、あー、ここんところが・・・。


2006年08月10日(木) 直感なんて。

さっきテレビで直感が大事、という話を「プロフェッショナル」という
番組でしていたけれど
いくら考えても考えても自分には直感が働いた記憶がない。
働かそうとしても一体直感てどこにあるのだろう、という感じ。
感覚はあるのである。しかし、直感ってなに?
たとえば「どうしてもこの道を曲がりたくなった」とかね。
なんだろう・・・。
たとえば今、何がしたい?
眠い・・・それだけかな。


2006年08月07日(月) 仕事のはなしその8

今日は暑かった。
いちど思い直して
急に途中でやめたって、あと○年、ほそーくながーく生きれば
それで他のやりたいこともできるではないか・・・と
思ったのだが
やはり実際にいやなことに
ちらりちらりと出会うと
その、あと○年細ーく長ーくもすぐにふっとんでしまう。
interpersonal relations
というのがまったくもって不得手だ
もろもろの人との関係で生ずるやりとり。
あいさつ
会話
交渉
説明
言い訳などなど
すべて疲れて益なし。
「人とふれあうのが好きだからこの仕事を選びました」
なあんて言うひとがよくいて
わかる気はするのだが
いざじぶんの段となると
ちょっとした会話でも
ぐったり疲れてしまう
疲れるように見えないらしいが・・・。


2006年08月06日(日) 仕事のはなし・その7

今日もほぼ一日うちで仕事をしている。いくら正確にやっても
(もし適当にやったとしても)誰も認めないし気がつかないだろう。
安定した職場、かな。安定した仕事、かな。
ずいぶん合わないな。


2006年08月01日(火) 幻想のなか

少し落ち着いている。○×△で毎日を記すならまあ、○の日である。
いつもじぶんの頭のなかでのみ考えている。それで納得させている。

これが幾十年も続いたじぶんのすがたであるから、その反対に常に
人に開かれ、人との感情のやり取りのなかでずうっと生きている人は
いったいどうなのだろう、と思う。つまりその部分が自分には
欠如しているということだ。

つまり年がら年中、幻想のなかで生きているのがわたしである。
じぶんの感触に囲まれ、それでふんわり納得させている。
これだから、こう。これだから、こう・・・と。
ひとりで歌を歌っていると言ってもいいかもしれない。

こんなふう。


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