読書記録

2020年01月18日(土) つみびと / 山田 詠美


 2010年夏、大阪市西区のマンションで、1歳と3歳の姉弟が餓死しているのが見つかった。究極の育児放棄(ネグレクト)事件として当時、大きく報道された。殺人の罪に問われた元風俗店店員の母親は、懲役30年の刑が確定している。
 この事件を題材にして書かれた物語。

 幼い桃太と萌音を放置して死に至らしめたのが、「鬼母」と呼ばれるようになったのが蓮音で、その母親(子どもたちにとっての祖母)が琴音だ。小説は母・琴音と娘・蓮音、そして桃太の想いである小さき者たちと視点を移しながら、書き進められてゆく。

 琴音は、取材に来た記者から「あなたも、娘を捨てて出て行ったんじゃないですか?」「虐待は親から子に連鎖すると言いますからね」と詰め寄られて動揺する。
 琴音の実父は、琴音ら子どもたちの見ている前で、妻に殴る蹴るの暴行を加える男だった。継父は琴音に、性的な虐待を繰り返した。琴音の母は、そのどちらも止められず、逃げることもしなかった。琴音は精神を病み、リストカットをするようになった。
 やがて琴音は健全そうな男、隆史と出会って結婚し、子どもを3人もうける。しかし、過去の記憶が膿み、琴音を蝕んでいく。どうしようもなくなって、家庭を捨てて逃げる。
 琴音が姿を消した後、蓮音は弟と妹の世話をするはめに陥る。そんな蓮音は何を考えながら育ち、やがてどんな家庭を築こうとしたのか。一度は愛し合ったはずの音吉と、うまくいかなくなったのはなぜか。どうして子どもを死なせるところまでいってしまったのか。
 逃げた琴音と逃げなかった蓮音。蓮音はすべてを抱え込んでしまった。それが「子どもの死」という最悪の結末につながったのか。
 蓮音にしても、琴音にしても、幸せになりたくてもがいていたのは同じだ。蓮音と琴音の2人が罪深いのは間違いないが、“つみびと”は2人だけではない。例えば父親たちなど、周囲にいた他の大人たちの責任も重いはずだ。
 
 桃太の視点で書かれる〈小さき者たち〉を読むのがつらかった。母親のことが大好きだった桃太。この章は泣きながら読んだ。
 無力な子どもの絶望の深さが、読み終えた後も、胸におりのように沈んで、消えない。
本当に幼い子供を何故、救えなかったのだろうかと。。。




2020年01月05日(日) あしたしんでもいい暮らしかた / ごんおばちゃま


 人生、いつ何があるかわからない。
あしたじゃなくても、思ってもみなかった「もしも」や「まさか」があるかもしれない。
散らかった部屋、人に見られたくないモノ、整理してないモノ、大事な書類の保管場所。
できれば最後は、これらをきちっと身辺整理してから、有終の美でもって人生の幕を閉じたい。

至極ごもっとも。

モノに執着しないで、スッキリ生きる。
モノから解き放たれて自由になる。
モノをしまうことではなく、不要なモノを減らし、家具さえも減らして身軽になる。

そこでモノを抜くという作業。

①、譲る。
②、売る。
③、支援物資。
④、捨てる。
このいずれかの方法で不用品を家の中から外に出すこと。

大層に考えないで一日、30分。
毎日、こまめに抜く作業を続ける。

まだ何とか身体が動くときにやっておかないといけない。



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