妻に先立たれた78歳の幸造は一人暮らしをしていたが、同じ大阪市内に住む長男知之の妻、雅美はそんな義父が痴呆症では、、、と秘かに案じていた。 色々 思い当たる兆候があったゆえに、夫や知之の姉らと相談して病院へ連れて行った時には ”レビー小体型認知症” と診断された。
以前、この著者の『廃用身』という物語を読んだことがある。 超高齢化社会と言われる社会の現実を書いておられるが、高齢者の仲間入りをした我が身としては何とも重い、重い、辛い物語だった。
それでも幸造は息子や嫁に見捨てられることなく、息子の家で静かに逝った。 痴呆の症状が出たと言っても、いわゆるまだらボケのときもあったから、そんな時は壊れゆく自分自身が辛くて、子供や孫に迷惑をかけたくないという意識の中で苦しんだ。
最早、他人事ではない。 主人が、私がボケたときにどうすればいいのか。
暴言と言われてもいいが私の希望は死にたい高齢者は死なせてほしい。 出来たら、病院の一室に 個室の看取りの病室 なるものを作ってほしい。 要は安楽死である。 今の日本にそれを希望、まして実現できるはずもないことは十分、自覚しているが死にたい高齢者は沢山いるはずだ。 それが これから迎える空恐ろしい高齢化社会の一つの解決策だと思うのだが。。。。。
2017年01月10日(火) |
LONESOME隼人 獄中からの手紙/郷 隼人 |
著者は鹿児島県出身、若くして渡米したが1985年、殺人および殺人未遂の2件の罪で有罪の宣告を受け収監された終身服役囚。 現在はソルダッド・プリズンに在監中。
無期囚としてカリフォルニアで収監されて28年余り。人生の大半を米国の獄に繋がれた歌人が、刑務所内の生々しい生活、父母への思慕、故郷への憧憬を、短歌を交えて綴る。
1冊目の 『 LONESOME 隼人 』は手元に持っている。 朝日歌壇でこの人の短歌を初めて見たときに、何か突き動かされるものがあってネットで即 購入した。 それからも折に触れて この人のことを思わずにはいられない。 望郷の念、母への思い、無期懲役の身で後悔とか無念とかどうして心の均衡を保っていくのだろうかと。
囚われて母の死に目に会えもせで 歌詠むなどと我は愚か者 十年の歳月を経て初めての 母の便りに胸がつまりぬ 短歌という形のポエムがありてこそ 両親の死も乗り越えられし 「母さんへ」と最後の手紙読むこともなく 母は天国に召されてゆきぬ 鹿児島は今頃きっと梅雨ならむ あの鬱陶しさがいまは恋しき さみしきはもう書くことのできぬこと 母を偲びぬ獄窓の秋 我を待ち八十四年の人生に 三十六年待ち逝きましぬ母
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