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こちらでは、龍先生から届く便りを掲載致しております。

2007年02月24日(土) 思い通りにならない状況の解決方法

「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がございます。これは仏様の教えの一つで、「人生における一切の物事は、皆すべて苦しみである」という意味があります。
それでは、「嬉しい事や楽しい事は無いのか・・・。仏様の教えはなんだか寂しい気がします。」と、感じた方もいるかもしれませんが、仏教の中の「苦」とは思い通りにならない状況をさします。

まずは生まれる事。皆様がこの世に生まれる事に関して、選択の余地はありません。それは老いる事も同じで、誰でも若くいたいものですが、その気持ちによって苦が生じます。病む事もしかり。好きで病気になる人はいません。最後に死ぬ事。生があれば死があり、これも避ける事はできません。
これを「生老病死(しょうろうびょうし)」と言い、思い通りにならず避けられない四つの事を「四苦」と言います。

上記の四つにプラスして、どんなに大切で愛している人でも、別離が訪れる事を「愛別離苦(あいべつりく)」、怨みや憎しみを持った嫌いな人と出会わなければならない事を「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない苦しみを「求不得苦(ぐふとくく)」、人として生きていくにあたり、肉体・精神的に執着する事の苦しみを「五陰盛苦(ごおんじょうく)」と言い、上記に四苦に加える事で「八苦」と言います。

とても苦しい状況を表す際、「四苦八苦」という言葉を使いますが、その言われに由来するものがございます。

このように、人は生まれた時から、思い通りにならない状況の中に身を置く事となりますが、それを何とかしようと考えたり行動を起こし、避けられない事を避けようとする事によって、自分で苦しみを作り出してしまいます。

ではどうすればよいのか・・・。例えば、目の前にとても大きな岩があったとします。それを持ち上げようとすれば、思い通りに動かない事に苦しみや大変さを感じてしまいますが、誰もが岩を持ち上げられない事を理解し、明らめ、それを受け入れている事によって、そこには苦しみが生じない状態がございます。
それと同じように、毎日を生活される中においても、「人生とは思い通りにならないものである」と受け入れる事によって、はじめて苦しみから解放される状況があるのです。

前回の便り、「諦めると明らめる」に通じる部分もございますが、「思い通りにならない事ばかりだ!」と、人生を悲観的に諦めてしまうのではなく、「思い通りにならない事があるけれど皆そうだし、世の中とはそういうものなんだ・・・」と明らかにされ、前を向いて受け入れる。その余裕を持てた時から、物事が前に進んでいく流れがございます。

物事に執着してしまわず、また、何度も繰り返しとなりますが、改めまして思い通りにならない事を受け入れ、皆様にとっての本当の自由を手にして頂ければ幸いです。


2007年02月17日(土) 「諦める」と「明らめる」

「この恋はもう諦めた方がよいのでしょうか? 彼・彼女の事は諦めるしかないのでしょうか・・・」
恋愛のお話を頂く中で、とても多く聞かれるこの言葉。また恋愛に限らず、「諦める・・・」という事については、沢山のご相談を頂く状況がございます。

「諦める」と言えば、一般的に物事を断念する意味がございますが、私がお返事を送らせて頂く際、題名の「明らめる」という言葉をお伝えする事がございます。そこには、事情や理由を明らかにする。気持ちを晴れやかにするという意味が込められているのですが・・・。

例えば、物事を諦める時というのは、なかなか思い通りに行かない状況や、頑張っても成果が見えてこない時に努力を止めてしまったり、投げ出してしまう部分があるかと思います。

恋愛においても相手に恋人がいる、連絡が来なかったり、会えない、前に進まない状況が長い間続く事で気持ちが折れたり、弱気になってしまう。しかし「だから諦めよう」ではなく、今の時点では恋人がいる、連絡がとれない・会えない・前に進まないという事情を受け止め、自分の心の中で明らかにし、現時点でどうする事がベストなのか考える。
何が自分に足りなくてそのような状況があるのか、「相手の事を追いかけたり、求め過ぎていないか。焦りや執着の気持ちは無いか、力不足・・・」など、広い視野を持って臨み、物事の事情を明らかにされる事によって、その苦しみや辛さから自由になれる面がございます。

分かりやすく、恋愛の例えでお伝えさせて頂きましたが、起こる物事に対して「あきらめる」と書いて、「諦める」のではなく「明らめる」。
皆様によくお伝えさせて頂く、白か黒かハッキリさせず、グレーで置いておける心の余裕とゆとりに繋がる部分がございますが、今回の便りもまた、心に伝わる物があれば嬉しく思います。


2007年02月10日(土) バレンタインデー

2月14日は、皆様もご存知の通りバレンタインデーですね。ご相談を頂く内容も、「チョコレートやプレゼントをあげても大丈夫?どうやって誘ったり、渡せばよいでしょうか?」など、沢山のご相談を頂いております。
そんな言葉やお気持ちからも、一年に一回のこのチャンスに、皆様がヤキモキしてしまう思いは、私もとてもよくわかりますが、本来はどんな意味合いを持った日なのでしょうか。

バレンタインデーを英語で書くと、「Saint Valentine's Day(セント バレンタインデー)」となります。この「Saint」とは、日本語で、聖人・聖者という意味を持ち、バレンタインとは人の名前となります。

その昔、ローマ帝国の皇帝は、愛する人が故郷にいると戦いに対する兵士の意気込みが下がる・・・という理由で、兵士が結婚する事を禁止しました。
しかしバレンタイン司教は人々の幸せを願い、この禁令に背いて秘密に結婚式を執り行った為、処刑されてしまった。言わば、禁断の愛を認めた事で命を奪われてしまいました。上記のような出来事を背景とし、バレンタインデーの祭日は、いつしか恋人達の日とされました。

この日は一般的に、女性から男性にチョコレートを渡し気持ちを伝えますが、チョコをあげるという習慣は、商業的な意味を持って日本で始まった事はとても有名なお話です。
そして欧米では日本と違い、「女性から男性に・・・」とは限らず、バレンタインカード・花やケーキなどを贈られ、お互いの気持ちを伝える習慣がございます。

バレンタインデーのいわれは他にも複数あり、ごくごくを簡潔にお伝えさせて頂きましたが、ハロウィーンやクリスマスなど、キリスト教において深い意味を持つ出来事も、あまりなじみの無い日本人にとっては、イベントとしてとらえられがちな面が多々ございます。

そんな中で皆様にお伝えしている便りは、宗教や人種という垣根を超え、今回のバレンタイン司教のように、人の為・皆の為に尽くされた多くの方々、聖人・聖者の教えをお伝えしている内容も多くございます。
また、その便りを読まれた皆様から、「心に響くもの、気付きがありました。ハッとさせられました」とお言葉を頂く事を、私もとても嬉しく感じております。私もまた、一人でも多くの方の笑顔や幸せに繋がる事を心から願っております・・・。


2007年02月03日(土) 節分

今日は節分です。前回も「恵方巻(えほうまき)」という、関わりのある便りをお送りさせて頂きましたが、その言葉は知っていても、節分とは一体何を意味しているのでしょうか。

まず「季節を分ける」と書くように、それぞれの季節の始まり、二十四節季における、立春・立夏・立秋・立冬の前日を節分と言います。では、どうして一年に四回ある節分のうち、立春の前、2月3・4日前後だけ、豆を撒いたり、各地で大きな行事やイベントが催されるのか・・・。

それは、旧暦における立春が元旦前後にあった事。わかりやすく簡潔に例えるならば、立春が元旦、その前日にある節分は大晦日にあたり、年の区切りとして捉えられていたからです。
大晦日といえば、年越し蕎麦や除夜の鐘など、様々な行事やイベントが行われるように、一年の最後に邪気を祓う「追儺」という行事が、宮中で行われていました。その一つとして、豆撒きが一般に広まったと言われています。

また風水などにおける占術・占いにおいては、節分までを前年とし、立春を区切りとして年が変わるとしているものも多くあります。

そして、鬼を追い払うのにどうして豆を撒くのか・・・。

ここで、五行思想という自然の道理を「木・火・土・金・水」で表すものがあるのですが、鬼が持っている金棒は非常に硬く「金」にあたり、また大豆もとても硬いという事で「金」に見立てられます。
「金」は「火」によって溶かされる、という五行思想からも、本来は火で炒めた豆を撒く事によって、鬼や邪気を追い払ったり、また人間がそれを食べてしまう事で、退治する意味が込められています。

改めまして節分、立春は大きな区切りや新たなスタートとしての意味合いがございますが、前回の便りでもお伝えしたように、良い流れの中にいらっしゃる方はさらなる飛躍を誓い、いまいちの波に乗れていない・・・と感じる方は、気持ちを新たに切り替えて。
これからも精進と努力を重ねられ、皆様の幸せ、ご自身の成長へと繋げて頂ければ幸いです。



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