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こちらでは、龍先生から届く便りを掲載致しております。

2006年11月25日(土) 塞翁が馬 (さいおうがうま)

中国の故事成語、昔からの言い伝えや教訓のお話に塞翁が馬、というものがございます。有名な話なので、聞いた事がある方がいるかもしれませんが・・・。


中国の北の方、国境の塞(とりで)の近くに、占いの得意な翁(おきな=おじいさん)が住んでいました。ある時その翁の馬が、どうした事か北の地へ逃げてしまいました。人々は気の毒に思ってなぐさめに行くと、翁は「この事が幸福になるかもしれない」と言いました。

すると数ヵ月後、逃げた馬が他の良い馬を連れて帰ってきました。人々はお祝いの言葉を翁に言うと「いや、この事が不幸になるかもしれない・・・」と言いました。

その後、家にはどんどんと名馬が増え、翁の息子も乗馬が好きになりましたが、ある時に落馬し足を骨折してしまいました。かわいそうに思った人々がお見舞いに行くと、「いや、これが幸福になるかもしれない」と言いました。

それから1年後。国境近くの塞に敵が攻めてきて、村の若者は皆戦いに出て、10人中9人が死んでしまうような、悲しい争いとなりました。しかし、落馬をし足が不自由であった翁の息子は、戦いに出る事はなく無事だったというお話です。


ご相談を頂く中でも、「彼女とケンカして、おまけに風邪までひいて寝込んでしまいました。最悪です」とメールを頂いた数時間後に、「会社を休んだ自分の事が心配になり、彼女が看病に来てくれて仲直り出来ました」。
「元彼と別れた時は、本当にその人しか見えずに苦しかったけど、今の彼に出会える事が出来て、本当に幸せです」といった状況は、数え切れない程にございます。

塞翁が馬のお話の通り、物事が起こった際にそれが幸か不幸かはその時には分からず、その都度必要以上に喜んだり、または落ち込んで気持ちの上下が起こってしまわないよう、気を付けて頂きたい面がございます。

いつどんな時でも冷静に、物事に動じない心をお持ち頂ければ幸いに思います。


2006年11月18日(土) すっぱいブドウ

ある一匹のお腹を空かせたキツネが、大きく実のなった美味しそうなブドウを見つけた。キツネはそれを食べようとするが、ブドウはとても高い所にある為にとる事が出来ない。
キツネは仕方なく諦めるが、その際「あのブドウはまだすっぱいから、食べられなくてもイイんだ!」と言い、その場を立ち去る。

上記の話は、イソップ童話に出てくる物語ですが、毎日を生きている中では、誰もが自分の思い通りにならず、不満を感じる状況があります。その事に対して、自分の力が及ばなかったりすると、人はいかにも正しく聞こえ、周りも自分も納得できるような理由や理屈を付けて、物事の合理化をはかろうとします。

例えばここに、ダイエットに励んでいる女性がいます。頑張って痩せようとジム通いを始めましたが、中々上手く行かない為に足が遠のいてしまい、理想とする結果が得られませんでした。
しかし彼女は、「ジムに行くのはお金もかかるし、何より仕事と両立する事は難しい。もっと別の方法があるはずだっ!」と、いかにも正当性のある理由を付けて、自分を納得させてしまいました。

また、ある男性は女性をお茶に誘いました。とても楽しい時間を過ごす事が出来ましたが、また次の機会に誘った所返事は来ず、その後のやり取りも軽くあしらわれてしまいました。
男性はその事に対して、「まぁ、お茶する位がちょうどイイ女だった…。」などと言い、納得できるような理屈を付けて、自分に原因がある事に気付けないままになってしまいました。

どちらの例も、本当はダイエットをしたいし、女性と付き合いたかったのに、それが叶わなかった事にもっともらしい理由をつけて、合理化をはかった状況がございます・・・。
しかし上記でも触れたように、結果として自分に原因がある事に気付けないまま、乗り越えるべき問題や障害を先送りにし、とても非合理的な結論を導いてしまいました。

ここで大切になって来る事は、物事が思い通りに行かなかった際に自分を振り返るという事です。上記の事は、自分が必要以上に傷つかないよう、また気持ちを切り替えて次に進む・・・という事では良い面もございますが、いつもそればかりを繰り返してしまえば、それは「逃げ」に近い面もございます。

皆様がご自身の状況と当てはめた中で、キツネのように、いつも「あのブドウはすっぱいんだ!」と言ってしまう事に、思い当たる部分はございませんでしょうか。それがクセや習慣になってしまう事の無いよう、いつも自分を見つめ直すという気持ちを心に、是非お気をつけ頂ければ幸いです。


2006年11月11日(土) 「こうあるべき」という縛り

自分はこうあるべきだっ!、という縛りがあると、そうでない自分を認める事が出来ず、そんな状況に強いストレスを感じてしまう部分がございます。

そして、「こうあるべき、こうでなければ」という決め付けを自分に持っている方は、相手に対しても決め付けてしまう部分を多く持っている。例えば、「自分がこうしてるんだから、相手もこうするべきだ・・・」と、気持ちを押し付けてしまったり、それが叶わない事に不満を覚える。

また、自分はこうしなければ相手に好かれない。これが出来ないと相手に嫌われてしまう。という不安から、自分にはこのような欠点があるから好かれないと考え、だからこそ「こうあるべき」という決め付け・縛りにとらわれてしまう。
もっと綺麗でないと、オシャレじゃないと、痩せてないと男性からモテない。話し上手で面白くないと、ルックスが良くないと女性から好かれない・・・。

しかし、上記のような決め付けよりも、その事によって生じる劣等感、自信の無さの方が原因で、人間・恋愛関係などにおける問題へと繋がって行く。一つ言える事は、たとえ欠点や弱点があったとしても、周りの方は貴方を好きになってくれるという事です。

今、皆様自身が持っている「こうあるべき」という事。その「べき」という縛りが無くなった事を想像した場合、心にとても余裕やゆとりを持つ事が出来、苦しみやストレスから開放されるのではないでしょうか。
そして、自分の中にある「こうあるべき」が無くなったとしても、周りは貴方の事を嫌いになったりせず、むしろ本来持っている力を発揮した自然な姿を、今以上に好きになって下さる事でしょう。

是非、肩の力を抜いて、一つ深呼吸をして前に進んで頂ければ幸いです。


2006年11月04日(土) 諦める事に慣れてしまう怖さ

人が生きていく上で、物事に慣れるという事はとても大切であるのと同時に、気を付けなければいけない点もございます。

例えば仕事や学校、住む場所など、新しい状況の変化が起こった場合、その事に適応し慣れていく事は、緊張が取れてリラックス出来、段々と本来の自分を出せるようになって参ります。
その一方で、慣れ過ぎてあまりにも緊張感を無くしてしまうと、痛い目にあったり、失敗に繋がってしまう・・・という事もございます。「初心忘るべからず」という言葉があるように、適度な緊張感を持つ事が大切です。

さて、今まで沢山の方々とお会いしてきた中で、特に怖いと感じてしまう慣れは、諦める事に慣れてしまうという状況です。

ダイエットをして痩せたい、筋肉をつけたい、もっと○○が上手だったなら・・・。自分の心にある思いを、多くの方からお伝え頂く事がございますが、それを解決する努力や頑張りよりも、欲求不満を抱えたままという選択をしてしまう。
上記のような意志がありながら、「○○したいけど出来そうにない、自分にはどうせ無理だから・・・」と、現状や自分にストレスを感じながらも、それを何とかしようと努力をするより、納得できない毎日を選び、ご自身の成長や前に進まれる事を止めてしまう出来事があります。

その一方で、自分が感じている不満を何とかしてくれないかと、誰かが今の状況を変えてくれる、良くしてくれる事を待っている。自分の力で充分乗り越えて行けるのに、頼る事においても慣れてしまっている・・・、といった一面もございます。

確かに、今を変えないという選択は楽であり、そのままにしてしまう状況はとてもよくわかりますが、もう一度ご自身を見つめ直された際、もし不満を抱えているとして、それがずっと続いてしまう事をどう思われるのか。
皆様自身においても、一歩踏み出す大切さは充分にご理解されているかと伺えますが、行動される前から諦めてしまったり、そのような状況に慣れてしまう事の無いよう、自分の人生における目標に向かい、また、不満・困難や障害の打開の為に、努力と精進を重ねて頂ければ幸いです。



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