夜
恋人と電話で話した。
仕事が立て込んでいる状況や お父さんのセカンド・オピニオンを探していることなどを 静かな、しっかりとした口調で話す彼。
どんなにか疲れて気も張っていることだろうに。 そう思うと相槌を打つだけで精一杯で しっかりしなくてはと思うほどに 胸が詰まって言葉にならない。
そんな中で恋人が ぽつり 逢いたいなぁ と言った。
逢いたいねぇ とわたしも言った。
抑えていたものが溢れてあとからあとから零れ落ちた。
しばらくして
恋人が こんな時にだけど いや こんなときだから かもしれないけど 両親に会って貰うことはできるだろうか と。
耳を疑った。 お父さんを安心させる為にはわたしではダメだろうと 思っていたから。 わたしが実は何よりも恐れていたのは 例えば長く逢えなくなるかもしれないことではなくて その為に別れを切り出されることだったから。
彼は 「正直今までいつかとは思っていたけれど ぬるま湯に浸かってその心地よさに甘えていたんだと思う」 と 話した。
今いちばんの望みは
「側にいて欲しい」
「気力が萎えそうになった時 支えていて欲しい」
「これからも一緒に生きて 一緒に死んで欲しい」と
他に何もいらないから・・・と。
わたしは
「もうひとりになるのは嫌なの」
と 言って泣いた。
わたしも彼も寂しがり屋で臆病でそのくせ人見知りで 心の弱い人間なのだ。 美しくも特別でもない どこにでもいるありふれた中年のオジサンとオバサン。
それでもそこにはたったひとつの 世界が 物語が ある。
恋しいだけで突き進めるほどにもう若くはなくなってしまった。
だけどだからこそ 大切にしていきたい想いが ある。
「これからも一緒に生きて 一緒に死んでいく」
その言葉でわたしはまた今日を踏ん張っていける そう思った。
ありがとう といって
切れた電話を胸に抱いた。
わたしは夫を癌で亡くした。 癌告知はしたが余命告知はしなかった。
恋人のお父さんは余命告知を受けたそうだ。
癌告知については治療上、本人がわかっていないと 治療が難しい場合もあるし、今は癌といっても 決して不治の病ではないから病名告知自体は されることが多いと思う。
ただ余命告知となると 少なくとも命の期限を知らされるわけだから 一概には言えない問題だろう。
どちらがいいのかはわからない。 心は見えないし、どんなふうに動き作用してくのかは 実際に目の前に突きつけられてみないと 誰にもわかるまい。
患者は勿論のこと、家族や周りで支えるものには 根気強い気力が必要になる。
息切れして潰れてはなにもならない、力の入れ加減の難しさ。
恋人からのメールに 「体力的に疲れるだけならいいけれども もし 気力が萎えそうになってしまったらと思うと怖い」 と あった。
痛いほど 痛いほど 気持ちがわかった。
わかっていても でも どれほど わかっていても だから尚更 わたしにはかける言葉が見つからない。
何を言おうとどれだけ思おうと そこに今立っている人間しかわからない現実がある。 共に荷を分かち合いたいといくら望んでも わたしは彼の家族ではない。
もし もしもわたしがもっと若くて心身共に健康で 子供らを抱える母でなかったら もっとせめてもっと近くに住んでいれば もう少しでも彼の為に何かができたろうか。
少なくとも彼の両親に紹介できて安心してもらえるような 我が身であったら。
そんな やくたいもないことを考える。
昨夜から食事が喉を通らなくなった。 口が開かない。 飲み物だけかろうじて薬と一緒に流し込む。 自分の脆弱ぶりに反吐がでそうになる。
もっとしぶといはずだった。 強くはなくとも綱渡りのようにでも もっと踏ん張れるはずだったのに。
昨日最後の彼からのメールは 愛してる という言葉で 結ばれていた。
一番苦しいのは彼だ。 その彼が何とか自身を建て直し乗り切ろうと頑張っている。
今 わたしにできることは 彼を信じ、見守り、此処で待っていることだ。
わかっているのに
わたしたちはこれからさきどうなっていくんだろう
わたしの眩暈は治まらない。 耳鳴りは絶え間なく響き 足元が頼りなく揺れる。
わたしは自分の輪郭が滲んでいくのを 耐え難く見つめながら
こぼれ落ちようとするものたちを 空をかく手で それでも抱きとめようとしている。
明日は自分の病院。 持病の数値はどうだろうか。 半月ほどにもなるなかなか止まらない咳も 気になるので主治医に話してみようと思うが。
今はどれだけ親しい誰とも話したくない。 口を開きたくない。 両親とも友人達とも。 ごめんなさい。 電話もメールの返事もできそうにありません。
何もみたくない。 聞きたくない。
崩壊しそうな自我を 必死で抑えているだけで精一杯で。
息子らが事情を知りわたしを心配している。 情けない母だと思います。ごめん。
質問も答えも鼓舞も叱咤激励も いらない。
此処にこうして書いているのは 運命という名のカミサマに たとえ届かなくとも
叫ばずにはいられなくなったから かもしれません。
恋人から電話があったのは あと数日で二ヶ月ぶりに逢えるという数日前。 「落ち着いて聞いてね」 という言葉と共に告げられたのは 彼のお父さんが癌だと告知されたということだった。
前から少し体調が良くないなと感じていて 念のためにと病院にいって検査してわかったらしい。
用意が整い次第、検査入院を2週間して 癌の状態を調べるということで 勿論のこと逢う予定など言っている場合ではない。
「逢いに行くのが少し延びてしまうけれど必ず逢いに行くから」 という恋人の言葉に
「わたしのことは心配しないで。大変だと思うけど とにかくKちゃん自身も体調を崩さないように気をつけて。 お父さんを労わってあげてね。なにもできないけど いつも側についているから」
と返すのが精一杯だった。
恋人は自営業の長男。家族経営でご両親と妹さんが一人。 仕事面でもお父さんが中心となってやってきた。
わたしより8つ年下の彼、お父さんは当然、まだ働き盛り。 ご本人もまだまだ現役と思っていただろうから この突然の奇禍で 息子としてと同時に仕事面での重圧が彼の肩にのしかかってきた。
「とにかく一日一日を頑張るしかない」 そういう彼にわたしができることはメールで励ますことだけ。 電話は彼の方からくれる以外はしないようにした。 必死で頑張ってる時に必要以上の干渉は むしろ負担になると思ったから。
それでも彼からは合間を縫って状況を知らせる 電話やメールがあった。 わたしの体調や不安になっている精神状態を思い遣って くれたのだろう。
そして昨日、検査結果が出たので午後から病院に話を聞きに行ってくる、 と メールがあった。
夜になっても連絡がなく、不安で胸が潰れそうな気持ちでいた時 電話がかかってきた。
検査結果は 末期癌。 余命半年との宣告をうけたそうだ。 手術はできないので入院と通院をしながら抗癌剤治療をして いくということ。
電話の向こうで彼は搾り出すようにそういうと 泣いた。
わたしにできることは ただ 電話を指が白くなるほど握り締めながら その声を聞いていることだけだった。
ただ 触れて ただ 何も言わずに抱きしめて
近くにいれば簡単にできるばずのことが 余計な言葉などよりもよほど必要なそんなことすら
今のわたしには できない。
この指先をいくら伸ばしてもあのひとのいる街には届かない。
何度となく自嘲してきた言葉を 胸の中でまた 繰り返した。
人とはこんなにも無力な生きものなのか。
涙が 溢れた。
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