いよいよ3月も終わり。
子供達が春休みでいいのは 学校のことを考えなくていいこと。
学校との関わり 先生との関わり 一時的なものでもこれが無いだけで随分違う。
改めて、いかにこの事が重く心に圧し掛かっていたのかを 再認識した次第。
子供のことじゃなければね あとはもう、ぶっちゃけ 人からどう思われるかとか どーでもいいの。
そーいうのに一喜一憂する気力とかもう無いし。 メンドイしシンドイ。 自分が大切だと思ってる人達以外どうなろうと知ったこっちゃないし 願うことはひとつ。
”触るな!頼む、ほっといて!”
いい加減、解放してくれ。もうウンザリなんだ。
昔のわたしは良くも悪くも イイヒトでいようとしてた気がする。
でもイイヒトっていうよりも バカがつくオヒトヨシに過ぎなかったと思う。
図太く自己主張して できなかったこととか失敗も周りのせいにして そんなヒトタチ、いーっぱい見てきた。
で そんなヒトタチが報いを受けたかっていうと そーじゃない。 アノヒトもソノヒトも全然平気。 ツラの皮の厚いことに今更ながら驚かされる。
ワガママも身勝手も 言ったもん勝ち、やったもん勝ち。 ドラマとか御伽噺の苦労した方が報われるとかは 所詮、キレイゴト。
恨みも辛みも きっとできてるうちがまだいいんだろうなぁ とか。 もうとにかく近寄りたくない拒否反応の方が強いもの。
憎むとか怒るとかいうのはまだ感情が残ってる証拠でしょ。 羨ましいよ。
この 変に醒めた、白けた、冷ややかな視線でしか見れないジブン。 なんかやりきれない。
狼になりたいけど 狼にも なれない。
空中分解したまま
途方にくれる。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
「THE REAL FOLK BLUES」
愛してたと嘆くには あまりにも時は過ぎてしまった まだ心のほころびを 癒せぬまま 風が吹いてる
ひとつの目で明日(あす)をみて ひとつの目で昨日を見つめてる 君の愛のゆりかごで もう一度 安らかに眠れたら
乾いた瞳で誰か泣いてくれ
THE REAL FOLK BLUES 本当の悲しみが知りたいだけ 泥の河に浸かった人生も悪くはない 一度きりで終わるなら
希望に満ちた絶望と 罠が仕掛けられてるこのチャンス 何がよくて悪いのか コインの表と裏みたいだ
どれだけ生きれば 癒されるのだろう
THE REAL FOLK BLUES 本当の歓びが知りたいだけ 光るものの全てが黄金とは限らない
THE REAL FOLK BLUES 本当の悲しみが知りたいだけ 泥の河に浸かった人生も悪くはない 一度きりで 終わるなら
2009年03月27日(金) |
生きていくということ |
やっと子供らが春休みに入った。 春休み直前はまた色々あって 胃のキリキリするような日々だったけど 雨降って地固まる というか 子供達は子供達なりに、それぞれが成長しているのだな と。 単純なのかもしれないが それを感じた時、心に圧し掛かっていたものが 少し軽くなったような気がした。 親なんてものは この繰り返しなのかもしれないなぁ なんて。 それでも親として悟りの境地に達するには まだまだまだまだ全然なのだけども。 子供らと一緒にわたしも七転八倒しながらやってくしかない。 縁あって、親になれたのだから。 この、めんどくさく厄介で それでも たまらなくイトオシイかけがえの無い 三人の息子達と。 実は昨日から今日にかけて、久しぶりの徹夜。 新しく仕事が入って暫くは集中してやらなくては。 このところは心身の状態や子供達のこともあって 新規の仕事はお断りして細々内職がクモの糸内職。 本当に首の皮一枚でかろうじて繋がってる状態だった。 今もそれはあまり変わりないといえばそうなのだけど それでもこうして仕事をいただけるということは しみじみと有難い。 それも春休みの今という時期、最良のタイミングだと思う。 とはいえ、不安感も強いのだ。 とても矛盾しているけど 勢いつけないとPCの前に座れない。 薬の種類は増えた。今までの食後に常用する分に加えて 不安が強く過呼吸発作起こしそうな時用の頓服を 新たに出して貰った。 今のクリニックの先生はきちんと状態把握もして 細やかに薬の調整してくれるので、信頼できる。 糖尿の方の数値も頑張って抑えられている。 鬱病にしても、まだ完治のメドは立たないし 糖尿病に至っては、数値が落ち着こうと これからもずっと食事制限を続け、定期検診に通い続けないといけない。 若い頃、自分がこんなふうになるとは、まさか思ってなかった。 退屈なくらい平凡に生きていくんだろうと。 そしてそれで充分だと思ってた のに ね。 それでも先の見えないこの日々にも 四季は巡り、緩やかにでも変化は訪れる。 良いことも 悪いことも そればかり続かない。どれだけ小さくても上りと下り。 何処までいけるのかなんて 今だって わかりはしない。 何度となく、全てを放り出して逃げ出したいと思う。 ヘタレは相変わらず。 裸足で道無き道を往く。 この身には大きすぎる荷を背負いながら ひたすらに歩き続ける。 生きていくということ。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
どんなに苦しくとも季節は巡る
今年もまた 逢えたね 桜
去年のきみとは違う 去年のわたしとも違う それでも 生きて 此処にいる
さくら さくら 何度 散ろうとも
わたしたちは咲き続けよう
儚くなどない。
命ある限り精いっぱいに
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
2009年03月19日(木) |
歯車はギシギシ音をたてながら |
必死で回しているつもりの歯車は ギシギシと軋んで重く今にも止まりそうだ。
学校も先生も其処に在るものは”ニンゲン”だから それゆえの難しさや矛盾を常に抱えながら でも現場は現場なりに一生懸命なのだということ。 それは多分、むしろ他よりも少なからず理解しているつもりでいる。
だから尚更、タテマエの間から透けてみえてしまうモノや わたしたちなりに今まで話してきたこと、伝えようとしてきたことが 見当違いにズレてしか把握されていない現状を思い知らされた時 失望もまた、深い。
今は時代そのものが、ゆとりというタテマエを掲げながら その実、回り道やゆっくりと立ち止まって考えるということを 許してくれない。
収まりをつけなければいけない事情はわかる。 でもむりやり急いで強引に形にはめることに拘ったとしても その歪みは結局、先で出てきてしまうのではないか。
放置や放任と見守ることは違うと思う。 強引に納得させないまま、形だけ整えようとしても 結果、もっと遠回りになるということを わたしは身をもって学んだ。
良い教師であろうとすればしただけ 個人や家庭生活は犠牲になる。 これは例えば何をしてもいえることだろう。 ニンゲンはそんなに器用にできてはいない。 そして、実際にその実例を目の前で見ているから尚更 それを求める酷さを考えてしまう。
無条件に責めれたらもっとラクなのかもしれないとも思う。 何かの、誰かの、せいにしてしまえたら 考えることを このロクに回りもしない頭で考えることなど 放棄してしまえたら・・・
ニンゲンは怖い。 ニンゲンは嫌い。
ニンゲンに絶望しながら でも そんなわたし自身が ニンゲンだから。
実家の親からの電話で
昔の もう十数年会っていない学生時代の友人から電話があったらしい。 その頃の恩師と友人が街でバッタリたまたま出会って わたしの話題がでたらしく。 音信不通になっているけれどもどうしているだろうかと。
二人とも亡夫もわたしのことも知っていて 結婚式にも出席してもらっていたから。 夫が数年前に亡くなったことを告げると驚いていたそうで。 自分の連絡先を伝えてよければ連絡を・・と言付けがあったとのこと。
覚えていてくれたことは有難いと思う。 でも わたしは連絡をしないだろう。 親にも、もしもまた電話があったら 申し訳ないけど色々あって人と会える状態にないので と伝言してもらうように頼んでおいた。
昔の知人友人と接触すれば 夫の死の前後の事情にも 触れないといけなくなる。
今の暮らしの中で振り絞るように 歯車を動かしているわたしの精神は その負荷に耐えられそうにない。
だから・・・ごめんなさい。
悲しむことも 憎むことさえ 力がいるのだな と 最近つくづく思う。
疲れきってしまうと それすら億劫になる。
今は歯車を止めないことだけで精一杯。
沢山のモノを振り捨ててでも
この命の歯車を回し続ける。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
きっかけは ほんの小さな事からなのかもしれない。
あの日 春一番に乗って 空高く舞った後 川へと飛ばされた 帽子
ひさしぶりのお天気 ひさしぶりの穏やかな空気 ひさしぶりに聴く笑い声 見交わす 笑顔 笑顔。
立ち尽くした後 それでもやっぱり 今度はデニムの帽子を買った
それが雲の切れ間から 一筋の日が射すようなものだとしても しみわたるように嬉しくて 嬉しくて。
同じものなんて無い 同じであるはずも無い 失くしたものは ひとつ 戻らないものも ひとつ
小さなきっかけを こうして積み上げていくことで。
だけどまた帽子を被る これからも飛ばしてしまうかもしれないけど
わたしたちは いつか 家族という名の絆を 結びなおせるのかもしれない。
それでも帽子を被ろう
失くしたものを忘れてしまうんじゃなくて
きっと もう一度
想いだす ために。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
相変わらず何やら色々あって。
言葉にできなくても 日記や詩という形で文字にすることは わたしがわたしを保つ為の最終手段のはずだったのに それさえもこの所ままならず。 吐き出す以前に疲れきってしまって気力が無い。
糖尿は薬が減って、一応落ち着いているが 当たり前だけど次に悪くなると後がないので 気は緩められない。 食事制限はこの後、生きている限り続けないといけない。 以前のようにストレス発散の為に過食するというのは もう命取りだからできないし、その方がいいんだろうけど 少なくともそれでほんの少しでも 発散できていた道の一つが塞がれてしまった。
加えて季節柄か目が痒く熱を持ったようになって 元々アレルギーの薬は常用しているが、 目薬を出して貰った。 鼻の粘膜も敏感になっているのか、薬が切れると クシャミと鼻水でキモチワルイ。
欝の薬は増えた。 ただ むやみやたらと増えているわけではなくて その時の状態を少しでも改善できるように (というか持ち堪える力の足しになるように) 微調整して貰っている。
欝病に関しては薬でできることは最善を尽くして貰っていると思う。 状況のままならない事、こればかりはどうしようもないのだから。
今 諸事情からわたしに自分の時間はほとんど無い。 元々、外交的な方では無かったし そういう意味では別にかまわないのだけど 例えば 好きな本を読んだり 例えば PCの前に向かって日記や詩を書くとか 精神的に解放される時間すら ろくに持てなくなったことは辛い。
それと、ささやかなる内職仕事さえも とうとう、半分休業することを決断せざるを得なくなった。 最後の細い細い蜘蛛の糸のようなものは かろうじて残しているけれど。 果たして元のような状態まで戻れるのかどうか わたし自身の年齢と心身の状態を考えると甚だ心もとない。
正直、これはとてつもない不安と恐怖だ。 これから先のことを考え出すと頭を掻き毟りたくなる。
子供達のこと。 自分の無力さ不甲斐なさが身に沁みる。 迷いだらけで ずっと自問自答している。
彼らもそれぞれ 迷ったり悩んだりしていることがわかるだけに。
今 こんなわたしにでもできることはそれでも どれだけ情けない姿でも此処に居続ける事。 そう自身に言い聞かせながら。
本当に情けないのだけど 子供の担任の先生に対して拒否反応が出てしまっている。 この前も電話で話していて、息ができなくなって パニック発作が出そうになった。 何とかその場は気づかれないように誤魔化せたけど 電話の後、自分の状態を認識した時は 少なからずショックだった。
担任の先生は一見、明るく人当たりも良い。 実際、普通に接する分には それで済むのだと思う。 ただ うちの場合は、子供の不登校問題などがあって そこで 先生の本質が透けてみえてしまった感がある。 その本質が 良い悪いというよりも わたしや子供には合わなかった。
わかってますといわんばかりの見当違いの明るさも 実際、話してみてどんどん強くなるズレ感も。 耐え難くなっていて。 でも それを悟られるわけにもいかず。
ニンゲンギライは増すばかりで 一日は途轍もなく長く息苦しくて 先行きを思えば叫びだしてしまいたくなって。
生きる理由はあるのか?と問われて 明確な答えを返せない自分がいる。
でも 理由はわからなくても 生きるべきだと やっぱり 思う。
此処まできても まだ そう思う。
この支離滅裂な文章をそうと知りつつ それでも 綴り続けているように。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
辛抱の時が続いている。 ただ耐えることだけがいいとは思わないが その字の通りに 辛さを抱えながらでも 留まり 見守り 其処に居続けるということが 必要な時もある気がする。 時間は動き続けている。 たとえば 幸せの中 止まって欲しいと願う時も 苦しみで 早送りにしてしまいたいと祈る時も 止まらない 確かに過ぎていく たった今、この瞬間も。 辛抱が報われるとは限らないだろう。 でも明日に何が待っているのかなんて 誰にもわからない。 良いことも悪いことも 喜びも悲しみも いつも流れ続けている。 とはいえ そんなに人生を悟れるはずもないから 脂汗流しながら 足掻く。 辛さを放りだしそうになりながら それでも抱えるのは 辛さが悪態をつきながら 泣きだしそうな顔をして わたしにしがみつくから だ。 それをみると 小刻みに震えている指先を感じると やっぱり放り出せないなぁ と思う。 いつか いつか 抱えているものが ゆっくりと安らかに眠れるようになれるように もう一度 ぎゅうっと わたしはそれを抱きしめる -------------------------------------------------- ゆうなぎ
「くちなし」
人魚姫が 声を失くすかわりに 一途の想いを託し 願い続けたように
その花も また しん と佇みながら 噤(つぐ)んだ言葉のかわりに ずっと祈り続けている
一縷(いちる)の希望を
今も。
--------------------------------------------------
ゆうなぎ
|