ラヴ*パスポート



葉月アキラ、自由に生きてきた。色んな恋を、した。
やっと腹を括ったその先は、長男の、嫁。
騙したり騙されたりの日々から抜け出したワタシだけれど、果たして頑張れるのか?

結婚5年目に入った2013年12月、不妊治療の末、娘を授かりました。

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2014年02月16日(日)  ©  私のおっぱい事情。


出産して半月過ぎ辺りが来た頃、右のおっぱいにトラブル発生!
白斑なる白いデキモノが出来た。
今思えば、毎日毎日ハーゲンダッツを1個、多い時には2個食べてたからだと思われる。
痛くて、涙が出る程痛くて、授乳が地獄の毎日
今も治ってなくて痛い、が涙が出る程ではなくなった。

私は、完全母乳育児に拘りがなくて
寧ろ、私の母親に数時間預けた時や
ドラちゃんのお母さんが私がミルクあげていいなら
お世話するから出掛けておいで、と申し出てくれた時等
私がその場にいない時に、お腹すいたとグズった時にミルクをあげて貰えるので
母乳だけで行けるよ、と言われてはいたが、本当に足りてるのか不安だったし、おっぱいは痛いし
母乳は消化が良すぎて30分〜1時間経たずに飲ませなきゃいけなくて
全く休めず、体が辛すぎる事もあり
また哺乳瓶に鳴らす為もあり1日1、2回位、哺乳瓶でミルクを飲ませて、いた。

が、おっぱいトラブルで
助産院でマッサージをして貰う為、通院。
母乳育児推奨の院な事もあり、更にそこでも母乳だけでいけると太鼓判を押され
何故か、全く拘っていないのに完全母乳で育てる事になった。

でも、保健師さんも辛いね、と認める程の超頻回授乳だったのに
助産院に通い始めた日から
母乳の出が良くなり、授乳間隔が2時間〜3時間空くようになった。

凄い!凄いよ、おっぱいマッサージ!

しかもマッサージが痛くないの、まぁ右はデキモノあるからちょっと痛いけど
多分、普通の人なら全く痛くないはず!だって左は全くの無痛だもん。

いやぁ・・・高いけど行ってみるものだね
てか、もっと早く行けば良かった。
今まで足りてないのでは?と不安だったけど
・・・うん、足りてると思う。痛さは相変わらずだけれど。

特にマッサージに行った日は、凄くて
授乳前に、ちょっと搾ってからあげるんだけど


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これだ!これのせいだ!

凄いビックリした・・・
て言うか、かなり焦った。

お義母さんにミルクをあげて貰う事が出来なくなって少し申し訳ないけど
母乳だけで頑張ってみようと、思う。しんどいけど。

で、助産院に行くきっかけになった、肝心のデキモノなんだけど

ま だ ま だ 治 ら な い ら し い よ 。

痛みとの戦いは、当分続くらしい。
そして、助産院への通院は
お財布の中身がメラメラ減って行く事への恐怖との戦いでも、ある。

色んな意味で地獄だ!



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2014年02月06日(木)  ©  出産後の入院生活。


私の出産した病院は、完全個室で部屋数は10室程度、母子同室の病院だった
母子同室と言っても、しんどければ預かって貰えるので無理は無い。
お見舞いに来てくれた方にいつでも赤ちゃんを見て貰える、抱いて貰えるのがいいな、と思っていた。
通常産んでから3泊4日で退院だが、帝王切開は産んでから6泊7日で退院予定
しかし私は、前乗りしているので、8泊9日の入院生活だった。
夕飯は、ドラちゃんの分もお願いしていたので、彼は仕事が終わってお風呂に入り、病院に来ていた。

帝王切開だった為、出産後2日は痛みも強いし
点滴、尿管がついている事もあり、ほぼ動けないので
私が入院した日から、仕事を休む事にしてくれた母が身の回りの世話に来てくれていた。
一般のお見舞のお客さんは午後1時から午後8時までの面会時間だが
家族は、その時間に縛られなくていいみたいなので、朝から来て貰ったりもした。

母は家の事もしなくちゃいけないし、愛犬(15歳)が体調を崩した事もあり
病院へ連れて行ったり、介護したりしている間に、お見舞いの人も続々やって来てくれた。

それはもう、迷惑な程。

思っていたよりも見舞い客が、後を絶たず
午前中は、診察、沐浴指導、エステ(入院中1度)、入浴(術後4日目より)
調乳指導、退院後の指導など、予定がいっぱいで忙しいのに
お昼からは、ひっきりなしに色んな人がお見舞いに来てくれた。

ドラちゃんの両親は勿論、義妹
お義父さんの同僚(ドラちゃんも勿論よく知ってる)は、一家で。
・・・えっと、おじさんは会った事あるから知ってるけど、奥さんもお孫さんも一緒に来てくれて・・・しかもドラちゃんのいない時に!笑
お願いだから事前に連絡下さい。有難いけどビックリしちゃうから。私。
私の友人、伯父、叔母、更に別日に、もう1回伯父、といとこ達
他は・・・誰が来てくれたっけ・・・解らない。汗


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みんなからお祝いして頂き
ホント、有難い事です。はい。




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2014年02月04日(火)  ©  娘、誕生話 【後半】


母は、19日の午前3時からずっと付き添ってくれていた。
分娩室から、個室に移った私はひたすら耐える。
勿論眠れる訳も無い、そして痛がる度に私の腰をさする母も眠れる訳が無い。
朝になっても、昼になっても子宮口が3センチより広がる気配は、無い。

今日、産まれないかも・・・。

そんな予感すらして来た。
そして予感は的中する。いやぁぁあああぁぁぁあ。

またもや、大して眠れないまま20日になり
助産師さんが言った
『今日、どんな方法をとってでも産むからね、今日は眠れるからもう少し頑張ってね。』

そして、少し破水している事を確認
先生が来て、促進剤を入れる事になった、この時9時。

陣痛の無い人でも、お昼には陣痛がつくから、葉月さんの場合もう陣痛は来てるからもっと早く産めるはずだから。
そう助産師さんは言った。

『痛みは、今以上に強くなるんですか?』と聞くと
『痛さはもう変わらないけど、間隔が短くなるから。』と言われる。

えー、これ以上強くならないって・・・じゃぁ、私はMAXの陣痛に何時間耐えたんですか?

もうお腹が痛いのか、肛門が割れそうなのか解らない陣痛が来ていた。

そして、陣痛の間隔は、5分だったり3分だったりとその時は近づいて来た感じの時、若干の衝撃と温かいものが流れた。
完全破水だった。

強烈な陣痛が来る度、看護士さんが様子を見に来てくれていたが
突然、バタバタと助産師さんや看護士さんが部屋に来て、点滴を変えたり指示が飛び交った。
この時、かなり緊迫していたらしい、私は朦朧としていた為、よく覚えていないが、母はかなり焦ったらしい。
そして分娩室に移った、この時多分午後1時位かなぁ。

分娩室に入って言われた
強い陣痛が来る度、赤ちゃんの心拍が落ちてる。
だからもう促進剤は使えない。
子宮口はまだ5センチ。

そして先生は言った

夕方までこのまま様子を見て、その時吸引で手伝うか、帝王切開にするか考えよう。

マジですか?
まだ耐えろと?てゆうか赤ちゃんは大丈夫なの?
泣けた。
まだ苦しさに耐えろと言うのかと言う辛さ
しかも耐えても普通に産めない可能性も高いと言う苦しさ
赤ちゃんがどうにかなりそうな不安
こんな訳の解らない感情で泣いたのは、初めてだった。
てゆうか、泣きたかったわけじゃなく、涙が勝手に溢れた。

ずっと隣で見てきた母は、涙を流す私を見て、痛いほど気持ちが解り泣けて仕方なかったらしい。


仕方ない、耐えるしか無い
そう思った時、先生が戻って来て言った
『今から帝王切開しよう、赤ちゃんの心拍も心配だし何よりお母さんが限界だ。』

私は・・・
通常分娩で産めなかった事
私の弱さのせいで帝王切開になって仕舞ったんじゃないか?と言う悔しさ。
色んな事を、思った。
そんな私を見て、母は言った。
『十分頑張ったんだし、吸引になるよりは帝王切開でいいと思うよ。』

そうして私は、緊急帝王切開をする事になった。
20日、48,5センチ、3022グラムの元気な女の子を産んだ。

・・・結局切るなら、早い段階で切って欲しかったかも
MAXの陣痛も味わい、帝王切開後の痛みも味わう羽目になった。




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でも、赤ちゃんのお世話ってホント、想像より遥かにしんどい
徹夜続きだよ・・・。



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2014年02月03日(月)  ©  娘、誕生話 【前半】


2013年の12月16日の予定日をするりと通り過ぎた
18日には、1番の友人と旦那さんが、出産の激励に遠方から来てくれた。

その日の夜
8時頃から、お腹が痛くなった
間隔を計るも、30分だったり15分だったり10分だったりとはっきりしない
10時になっても、11時になってもまだ痛い・・・きっとこれが前駆陣痛なんだろうな。
そう、思っていた
0時を回り、間隔は10分だったり、5分だったり、さっきより短くはなっているが、安定しない
そしてなんだか凄く痛い。

あまりの痛さに、横になっていられないので、トイレに行ってみる
鮮血が出てた。
えー、おしるしって水っぽい赤色って聞いてましたけど?
鮮血ってどうなの?

まぁ、私に解るはずないので、旦那を起こし
病院に電話すると、取り敢えず今から入院の荷物を持って来てください。という事だった。

まぁ・・・今から行っても、一旦帰されるだろう。
そう思って、いた。

分娩室に案内され、機械で陣痛の波を計ったり、浣腸されたり・・・
まるで分娩の準備のようだが、子宮口は開いていない。

やっぱり帰るのか?そう思ったら

『思ったより出血してるし、今帰っても結局動けないだろうから、このまま入院しましょう。』
確かに、このまま帰っても、家でのた打ち回るだけだし、今度はいつのタイミングで病院に行けばいいのか解らない。

時間は19日の午前2時
私は、入院する事になり、4時半には起きて会社に行かなくてはいけない旦那
3時になった時点で、私の母と入れ替わりで帰って貰った。



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