誰もが一度は思う疑問。
「学校の勉強って何の役に立つの?」
いや、一度じゃないか。
学生の頃は、
「教養は必要だ」
と思ったり
「いい大学行くためのものだよな」
と思ったり、時期によって変わっていた。
今、30になってあらためて考えてみると、意外にもあっさりと(自分なりの)答えが見つかった。
細かいとこはさて置き、ようするに、準備体操なんだろうと思う。
学校の勉強が大人になって直接役に立つなんてことは、研究職とか、
学校が何らかの専門学校でないと、普通ありえない。
読み書きや簡単な計算はともかく、それ以外のことは、それ自身役に立たないことばかりだ。
でも、勉強は意味がある。
学校の勉強は、この世の中でうまく生きていくための様々な問題に比べれば、遥かに簡単だ。
何せ、答えがあるんだから。
簡単な問題が解けない人が、難しい問題を解けるわけはない。
学校の勉強は基礎の基礎。問題を解くための「過程」を学ぶためのもの。
問題の内容なんて、あんまり関係がない。
「勉強なんかできなくても人生やっていける」
そりゃそうだ。
人の才能は様々。
才能と環境がマッチすれば、成功することは可能だ。
でも、そんな人は稀だ。
その言葉は真実でも、勉強しないことの言い訳にするのはよくない。
自分を特別な存在だと思わない方がいい。
基礎ができてない人が、「浮き世」なんていう応用問題を解けると思ったら大間違いだ。
勉強が大事。
なんじゃない。
自分がどれだけ考えて問題を解いたか、その「過程」を知ることが大事。
間違ってしまったその「過程」も大事。
過程を理解できれば、応用問題が解けるようになる。
点と点が繋がり線になる。
暗記するだけだと思っていた問題の広がりが見えてくる。
見えてきたら、あなたの勝ち。
あなたは十分実社会でやっていける。
……昔の自分に伝えたいなあ……。
2008年11月16日(日) |
つまり、今月は赤字ということです。 |
先週は、なぜか体に疲労が溜まり、つらい一週間だった。
ので、土日に何か癒しになることをやろうと思ったのだが、疲れすぎていて
ボーっとしていたら日曜の夕方になってしまった。
家の食料庫が尽きてきていたので、先延ばしにしていた買い物に仕方なく出かける。
行った先のスーパーは、どうやら特売日だったらしく、果物が6個で300円と
べらぼうな値段だったので、喜んで買った。
そしてその後、鮮魚コーナーに行くと、特別コーナーに鮮やかな色の切り身が
ミッシリと並べられていた。
本まぐろだ。
中トロと大トロがサーロインステーキのように大きな切り身で売られていた。
中トロが1200円。
大トロが1500円。
安い。
切り身は200g近くありそうだ。
小さく短冊に切られる前の大トロを目にするのは初めてだ。
細かく入ったサシが透き通っていて、最高級の和牛よりも美しい。
beautiful
買わないという選択肢は、最早なかった。
問題は、どちらを買うか、ということだ。
若干、中トロの方が量は多いように見える。
無理せず中トロか?
否。
それは負け組の発想。
後で
「こんなに中トロが美味しいなら、大トロはどんなに美味しかったのだろう!」
と悶々と考えるに違いない。
で、買って食べました。
大トロを。ペロリと。
「本当に美味いのは中トロ。大トロは油が多すぎる」
なんてのは嘘。
誰だ、そんなこと言い出したのは?
もうね。
段違い。
別物。
比べられないから。
大トロ>>>>>(超えられない壁)>>>中トロ
じゃないですか。どう考えても。
寿司屋に行けば一皿700円(つまり二切れ)の大トロを、これでもかと食べましたよ。
だって、いっぱいあったもん。
もう大満足。
和牛ステーキ食べたときよりも幸せ。
いやー、今年食べた美味しいものベスト3には入るわ。
贅沢し過ぎたかなあ。
でも、自分、食べる以外の金かかる趣味ないし。
許されるはず。
ああー、うまかったあ。
↓参考。こんなのが15、6切れくらい分あった。 http://rv1.estay.jp/kamenoi/img/img06.jpg
2008年11月06日(木) |
麻雀は難しいという話 |
夏頃から、ずっとネット麻雀にハマっている。
ネット麻雀といっても、無料の「東風荘」とかではなく、有料の「maru-jan」というもの。
有料なので、みんな真剣。
「どうせネット麻雀だし」
とか思ってやってる人は殆どいない。
だって、金払ってやってるから(半荘150円!)。
ということは前に日記に書いた気がする。
それはさておき。
最近、伸び悩んでます。
マジで。
勝てない……というか、勝つ確率が頭打ちになっちゃった。
ある程度までの腕前にはなった、と思う。
最初はホントに勝てなかった。
初めて1位になるまでに、半荘を20回近くもやった。
その後、これじゃダメだと発奮して、研究して、反省して、何とかコンスタントに
勝てるようになった。
今では、1位になる確率は大体30%程度。
2位になる確率が30%弱なので、
連対率(1位と2位になる確率の合計)は、58%くらい
になった。(おおよそ、1000位/40000人中くらい)
ちなみに、ラスを引く確率は18%弱。
押し時、引き時の見極め。
手役の組み立て。
冷静さ。
そういうものは、そこそこ身に付いたと思う。
でも、まだまだ何か足りない。
強いとは到底言えない。
だって、42%も負けてる(3位か4位)もの。
本当に強い人との間には、間違いなく厚い壁がある。
トップ500位以内との人とは、絶望的な差があるのを感じる。
でも、なぜ差があるのかが分からない。
悔しい……。
きっと、運ではないのですよ。
技術の差。
でも、何がいけないのか分からないという……。
本屋に行って見たけど、いい本は見つからなかった。
麻雀の本って、意外と少ない。多分、売れないからだと思う。
それに、初心者向けの本は多いけど、本当に強くなりたい人向けのはあんまりない。
何でだろう?
みんな教えたくないのか?
ケチ。
というわけで、現在進行形で深く悩み続けているという。
僕より若い(25歳くらい)職場の同僚Aと、他の同僚の人物評をおもしろおかしくしていたとき、
じゃあ自分はどうか、という話になった。
Aは
「おれは何でも偏りなく、バランスを大事にしているつもりです」
と話していた。
要するに、明る過ぎず暗過ぎず、真面目過ぎずふざけ過ぎず、
何でもそこそこな自分でいるようにしている、ということらしい。
それを聞いて僕は、10代の頃を自分を思い出した。
僕も、かなり長い間、「バランスの取れた」人間を目指していた時期があった。
そして、それは、バランスを取ろうとして取れず、苦しんだ時期でもあった。
今思えば、バランスを取ろうなど、笑止なことだったのだ。
(Aが言う「バランス」と僕の考えていた「バランス」は、別のものだろうと思うから、Aが間違いだ とは思わないし、Aをバカにするつもりはない)
そもそも、バランスって何ぞや?
僕の考えていたバランスとは、結局
「何でもそこそこできる」
「何でもそこそこ分かる」
ということだった。
何という傲慢さ。
人間一人の能力など高が知れているのにに、何でもできるなど……。
若さ故の過ちか。
今思い返してみれば、僕はただ、
「何かの立場に立つ」
ということを恐れていただけだったのだ。
バランスを取る、などと格好いいことを抜かしながら、本当は、
自分という人間が何を考えているか、を明確にする勇気がなかっただけ。
早い話が、自分に自信がなかったのだ。
僕は自分に自信がないことを(自分自身からさえも)隠して、他人の考えにケチを付け、
軽蔑することで自分を保っていた。
イタイ。
壮絶にイタイ奴だ。
そりゃ友達少なくなるわ。
今は、そんな思いからは全く解放されて、幾分かはマシな人間になったと思う。
人間は偏ってて当たり前。
そう思えるようになったら、他人も自分も受け入れられるようになった。
少しは、大人になれたようです。
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