働き始めて5年くらいは、心の底から働くのがイヤだった僕ですが、
この頃はそんな風に思わなくなりました。自然と。
生きがいって程でもないけど、働きながら色んなことを学べるのって、結構
楽しいもの。
社会の仕組みの一部が分かると、他のこともおぼろげながら見えてきたりして、
少なくとも、学生の頃の頭でっかちなだけの坊やからは卒業できたんじゃないかと思う。
仕事って、ほんとすごいダイレクトな感触があって、
「社会の中で生きてる自分」
をすごく感じることができるツールのような気がする。
自分が社会と関わることで、自分を社会の方から眺めることができるようになって、
それで自分が相対化できるっていうか、
「自分って絶対的な存在じゃないんだなあ」
って自然に思えるようになって……
これが大人になるってやつですか。
それで、そんな考え方を持つようになったときに思ったことは、
「芸術で食べている人ってすごいな」
っていうこと。
例えば、小説家や画家のような人たち。
そういう人たちって、結局、実体がないものを作ることで生活してるわけでしょ。
自分の仕事がダイレクトに社会の何かに反映されるわけじゃなくて、
あまりにも間接的っていうか、直接何かの役に立つものを提供しているわけじゃないから、
自分の存在を強く主張できるようなタイプでない僕のような人間から見れば、
よくそんなので自分を保っていられるなあ
って思う。
別に社会に必要でないっていう意味じゃなくて、むしろ人間には絶対に必要だとも思うけど、
でもやっぱり基本的には人生の余白を埋めるためのものだから、なくても生きていけるわけで、
なくても生きていけるってことは、それだけ社会との結びつきが弱いものだってことで、
そんなものを作っている人もまた、社会との結びつきは弱いわけで。
というか、「結びついてる!」って思っても、実感がないわけで。
しかも競争が激しくて明日の身も知れないときた。
そりゃみんな自殺するわ。
芸術家の皆さん、これからもがんばってください。
2008年09月07日(日) |
体育会系が嫌い、という話。 |
僕は
体育会系が嫌い
です。
何でこんな話になるかっていうと。
例の、相撲部屋の大麻事件のせいです。
あれを見るたび、僕の中では
「相撲部屋」=「体育会系」
に脳内変換されて
「これだから体育会系は……」
ってため息がでます。
以下、かなり激しい体育会系への憎しみの言葉が続きます。
体育会系って基本的に自己中心的で迷惑です。
なんていうか、理性で判断しないから、無茶苦茶なことを平気で言うし、
言うだけならまだしも、奴らは実際にやるからヒドイ。
それから、人の気持ちを考えないことにかけては他の追随をゆるさない。
そのくせ、
おれって優しいのよ
と本気で思っているから手に負えない。
僕は(けっこうマジに)
日本をダメにしてる大きな原因はこいつらにある
と思ってますから。
体育会系の奴らは、普段「おれはすごいんだぞ!」と威張ってますが、
いざ責任問題となったときには、真っ先に裏でコソコソやり出します。
ホント、せこい。
保身のことになると急に必死になる。
だから、こういうタイプばっかがお偉いさんにいる組織は、自浄能力がない。
相撲部屋なんてもう典型的。
精神的に未熟な人が多いのも特徴。
すぐにキレる。
大声を出す。
話を聞かない。
手を出す。
現代っ子かお前らは。
……ハア。
ああ、たくさん悪口を言ってしまったなあ……。
何で、こんなに体育会が嫌いかって?
まあ、いろいろあったんですよ。
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