夜遅くまで仕事をして、帰った後も仕事の勉強。 そんな生活を続けていると、日記を書く暇すら確保するのは困難だ。
今週は本当に体がきつくて、日中デスクの上で居眠りしそうになることが何度もあった。
上司からやるように言われたある仕事がなかなか思うように進まず、精神的にもかなり追い詰められていた気がする。
肉体的にも精神的にも疲労がピークで、昨日は12時間くらい寝続けた後、昼寝をした。
それだけ休んだのにもかかわらず、どうにも体がだるくて気持ちが落ち着かないのは、上司から言われた仕事が終わっていないことが原因のようだ。
前の職場でもそうだったが、仕事が終わらないと精神的に不安になり、いてもたってもいられなくなる。 焦りが強くなり、余計に仕事が遅れてしまう。
そして、仕事が遅くなると、なぜか、頭の中をいろんな劣等感が渦巻いてくる。 「おれは人並みでない。」 「給料泥棒。」 「人間関係を築くのが下手。」 「そのうち仕事を続けられなくなる」 ……。
この劣等感に支配されている間は、何かをする気力も起きず、ほとんど引きこもりみたいになってしまう。 早い話がうつ状態だ。
だからうつ状態を脱するためには、仕事を終わらせるしかない。 でも、うつ状態になっているときに仕事をするというのは本当につらい。
今は肉体的に若いから、何とか皮一枚のところでしのいでいるけれど、そのうち仕事を続けられなくなる日が来るだろう。
そのとき、自分にはどんな選択肢があるだろうか?
アルバイトをしながら安いアパートに住んで、好きな趣味に没頭する。 そんな生活を続けられるだけ続けてみたい。 給料は安くていいから、平穏な日々を送りたい。心からそう思う。
友人Tが所属している劇団の公演を見に行った。
劇場はこじんまりとしていて200人も入らないところだったが、その分出演者との距離が近く、座った席が前から6列目だったこともあって、臨場感にあふれていた。
劇は映画よりもエネルギーに満ちている気がする。 そして、見ている間にいつの間にかそのエネルギーをもらっている。 観劇はストレスの解消や、落ち込んだ気分の回復には最適な方法かもしれない。
それにしても、学生時代に比べると映画や劇に対する自分の見方はかなり変わった。
苦労知らずの坊ちゃん学生のときは、自分で振り返っても恥ずかしいが、批評家気取りで、この作品が伝えたかったことはこういうことだとか、この表現方法がすばらしかったとか、そんなことばかりを考えながら見ていた。
今考えれば、何て小賢しい思い上がったことをしていたんだろうと思う。
今は、作品そのものについてどうとかはあまり考えず、むしろそこに出演している人や、作品が出来上がるまでの経緯のような、作品の背景を考えるようになった。
この人たちは普段どんな練習をしているんだろう。どんな夢を持っているんだろう。このセットを作るのは難しかったんじゃないか。 そんなことをあれこれと想像するようになった。
そうすると不思議なもので、批判めいた気持ちは全く湧いてこない。むしろ応援したい気持ちや、共感が生まれきて、それが楽しさにつながる。
観劇の後、一緒にいた友人Oと、その日の公演を終えたTとを交えて食事をしたが、楽しく会話することが出来た。
もしこれが学生時代だったら、ついあれこれと劇のことを語ったりして、Tに不快な思いをさせてしまったかもしれない。
そう思うと、見方を変えることができたのはラッキーだった気がする。
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