銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2005年02月28日(月) ぐにゃぐにゃした日

朝、目が覚めて、真っ先に思ったのは、やはり東京出向に対する返事をどうするかということだった。

昨日、方針を決めたのに、いざ期限当日になると、また「本当にそれでいいのか」という思いがよみがえってしまう。

単純にYESといったときの将来の自分を思い描いてみる。

東京での新生活。新しい仕事。新しい発見。新しい様々な出会い。
楽しいことが次々と思い浮かぶ。

しかし、次の瞬間には、新しい環境に適応するのに苦労していたり、難しい仕事と残業で苦しんでいる自分の姿を想像してしまう。

二つのイメージを行ったり来たり。
どうにも定まらない。

朝一番で部長室に入ろうと思ったのに、結局、ずるずると二時間くらいためらっていた。

いざ決心して部長に報告すると、部長はわりとあっさりと「まあわかった」と了解してくれた。

昨日決めたとおりに話したわけだが、どうにも最後まで自分の返事の正しさに自信が持てなかった。

部長室を出た後も、「これでよかったのか」という思いは離れなかった。

たぶん、自分は人生で重要な決定をしたのだ。
そんな実感はなかったけれど、多分そうなのだ。

部長が何やらおれとは別の課の課長に話をして、その後その課長が「名簿から外してうんぬん」ということを電話で誰かと話していたのをおれは聞いた。おれは東京出向の候補から外されたのだ。

この日は一日中、頭の中がぐにゃぐにゃと波打っているような感覚に襲われ続け、胃も痛くなり、仕事が手につかなかった。



2005年02月27日(日) 風任せに

東京出向の話が出てから、ずっとそればかり考えている。
今日も一日、何も手につかなかった。

でもさすがに丸二日間考えていると、どうすべきかおぼろげながら見えてくる。
結局、結論としては、人事の判断にゆだねる、ことにした。

つまり、おれの返事は「話が来れば断らないが、他に希望者がいるならそちらを優先してほしい」というものだ。

自分から「行きます」と答えると「一生懸命やらなきゃ」とプレッシャーになるし、かといって「絶対に行きません」と答えるのもどうかと思う。

そこで、行けというなら行きますが期待に答えるような働きができるかわかりませんよ、というメッセージを伝えるような返事を選んだわけだ。

そして、それが一番自分らしい答えのような気もした。
運命を風任せにする、というのがこれまでの自分の人生だった。
言い方を変えれば、おれは自分で人生を決められないでこれまでやって来た、ということだ。

決断力のない男。
恐れてなかなか一歩が踏み出せない男。
絶好のタイミングを逃す男。

自分はそういう人間だと思う。
それが自分の器だとも感じている。

今さら、背伸びして「できるサラリーマン」を気取っても仕方がない。

それにおれが断っても誰かが行くことになるだけで、それほど迷惑でもないだろう。たぶん、その誰かはおれより優秀だ。


結局、おれはどうすべきか悩んでいたときに、彼女のことはあまり考えなかった。彼女がいるから東京行きをやめよう、とは思わなかった。
東京へ行って、それで関係が終わるならばそれまで、と思っていた。
人との縁も風任せ。
やっぱりおれは冷たい奴なんだろうか、と心が痛んだか、そういう人間なんだから仕方がない、と諦めている。





2005年02月26日(土) 決められない

今日は職場の先輩の結婚式の二次会だったが、おれの頭の中は、昨日部長から言われた東京の出向の件でいっぱいだった。

いろいろ考えたが、なかなか決まらない。

もちろん、単純に断れるもんならそれが一番いい。

だけど、おれにはそれが出来ない。

断ったからってクビになるわけじゃないし、他にたくさんの人間が断ったからおれのところに話が回ってきたのだから、おれが特別なじられることもない。

だけど、やっぱり単純に決められない。

おれも一人の労働者だ。将来のことはどうなるかわからない。おれには特別なスキルがないし、地元を離れた人間だから、人生の基盤がない。

だから、なるべく強みがほしいという気持ちがある。東京に行ってきた、ということはその強みの一つにはなるだろう。いわゆる「ハクが付く」というやつだ。

それに、人生で東京で暮らせるチャンスは、そう多くはない。
これが人生で最後のチャンスかもしれない。

おれは演劇が好きだから、良質の劇が身近になるという点で、東京は魅力的だ。

でも、もし東京に行くとなったら、周りのすべての環境が変わってしまう。

アパートはどうすればいいだろう?荷物は?みんなと会えなくなるが、おれは忘れられてしまうんじゃないか?そして彼女との関係はどうなる?
それにおれは東京での暮らしに耐えられるだろうか?

頭がわれそうなくらい、多くのことを考えないといけない。

まあ、迷うくらいならやめてしまった方がいいのかもしれない。

心の準備が出来てない奴が、出向したところで何もできないだろう……。






2005年02月25日(金) 人生の転機?

「ちょっといいか?」

突然部長に呼ばれ、深く考えずに部長室へ入った。

何か仕事で問題でも出てきたかな、と思っていると、部長が一瞬戸惑ったような表情を見せた後、思いがけないことを口にした。

「今、人事の方から連絡があって、来年東京に出向してもらうメンバーの名簿に、君の名前が挙がっているらしい。決定ではないが、もし決定したら行くかどうか、それを伝えないといけないんだが、どうだ行くかね?」

東京に出向する人がいる、ということを聞いたことはあったけれど、まさか自分がそうなるとは夢にも思わなかっただけに、全く寝耳に水だった。

おれが優秀だから選ばれた、ということならうれしいもんだが、そうでないことをおれは知っているだけに、どう受け止めていいかわからなかった。

東京に出向するのは、要するに、慣例でそうなっているだけなのだ。

一年間、代わる代わる誰かが東京に行く。途切れると出向先との関係が薄くなってしまうから、途切れさせるわけにはいかない。

だけどみんな行きたがらない。地元出身者ならなおさらだ。

そこで、独身で若くて、しかも違う環境に適応できそうな奴
(おれは出身地A県からI県に出て就職したという経緯がある)
ということでおれに白羽の矢がたった、ということなのだ。

東京には興味があったので、少し迷ったが、体が弱く、心も病んでいて、仕事があんまりできないおれが出向するということは、どう考えてもマイナスなので、「自信がないので遠慮します」と断ることにした。

しかし部長も「あ、そう」では引かない。
おれが候補になるくらいだから、よほど他に行きたい奴がいないのだ。
おれに断られては困ってしまうのだろう。

「土日でまた考えて」

と返事を先延ばしにされた。

あんまり考えたくないのに、考えなければならないことが一つ増えてしまった。しかも、かなり頭の痛い問題だ。
まったくどうしたらいいのかわからない。



2005年02月24日(木) 慌てる係長

今日は、ある仕事の締切日だった。
正確には昨日なのだが、締切後にしなければならない作業が始まるのが今日の午前10時頃なので、それが事実上の締切となっている。

業務担当者は複数いて、それぞれ自分の担当する分を、まとめ作業をやる担当者に渡さなければならない。

おれは朝一番に提出していたので、他の仕事をしていたのだが、係長が午前10時を過ぎても提出していなかったらしく、まとめ作業の担当者Aさんに激しくせきたてられていた。
係長は慌てて仕事を終わらせようとしていたが、「慌てる時期が違うような気がする」と思わずにはいられなかった。

Aさんが怒るのももっともで、その仕事は遅れると取り返しがつかない種類のものだった。

提出が遅れた、ということは、あんまり仕事のできないおれもさずがにしたことがない。

だから、係長がしたことはよっぽどのことだ。

どうも、最近係長の様子がおかしい気がする。

ミスが多いし、話したことを覚えていない。おれから見ても仕事が遅くなっていて、焦りやすく、判断にも狂いが生じているようだ。

もしかしたら、うつ状態なのではないか、と疑っている。

今年は町内会長をしているらしいので、その辺でもストレスをためているのかもしれない。

係長を見ていると、少し休んだらどうですか、と声をかけたくなる。
実際、声をかけたこともあるが、大丈夫大丈夫、と返されて終わってしまった。

ある日急に、係長の姿をみなくなった、なんてことがないように祈るばかりだ。






2005年02月23日(水) 消しゴム二つ

仕事の最中、ふと気が付くと机の上に消しゴムが二つある。

誰か消しゴムをおれの机に忘れたのだろうと思って周囲に聞くも、なぜか持ち主が出てこない。

そうこうしているうちに、二つの消しゴムはよく似ているので、どっちがおれのかもわからなくなった。

仕方なく、引き出しの中に一つをしまった。

おれの引き出しには、そういう風にして増えた鉛筆やホッチキスなんかがいくつもある。
一体誰がおいていくのか検討もつかない。

まあ、置いていく人も人だが、どっちがおれのかわからなくなったおれもおれだ、と思う。

仕事場で使う文具は、なぜか愛着がわかない。普段使っているペンのかたちが思い出せないことなんかしょっちゅうで、学生だったころとは大違いだ。

学生時代は自分の鉛筆1本1本が判別できたのに、と思う。

やっぱり、自分で買うかどうかが重要なんだろう。
自分の小遣いで買った中学校時代の筆箱を、おれはいまだに使っている。

とはいえ、消しゴムを置いていった人の気持ち、というか状況というのもわからなくもない。

おれの経験上、消しゴムというものは、あるときに突然消えてしまうものなのだ。

おれは人生で消しゴムを一回も使い切ったことがない。
あるところまで使い続けていると、いつの間にかなくなってしまう。

きっとおれも、おれの机に消しゴムを置いていった人と同じように、気づかぬまま、消しゴムをどこかに置き忘れたか落としたかしてしまっていたのだろう。



2005年02月22日(火) 1寝坊1000円

どうも疲れているらしく、寝坊してしまったので普段乗るバスの便に乗れなかった。

次はもう遅刻確定の便しかないので、バスはあきらめて自家用車で職場に向かった。
職場の駐車場は使用できないことになっているので、近くの有料駐車場にとめたのだが、30分100円と、これが結構高い。
定時になった途端に職場を抜け出して車を取りに行ったとしても、一日1700円かかってしまう。
バスを利用するのと比べると、1000円くらい高い。

ほんの5分遅刻したせいで、1000円損をしてしまったわけだ。

しかも今回が初めてではないので、損をした分を合計したらかなりの金額になるだろう。

もったいない話だけれど、深く考えると落ち込んでしまうので、気にしないことにした。

それに、無理をして早起きする方が結果的に損をすることだってある。

大体、起きられないというときは、体だけでなく精神的にも疲れていて、羽目を外したいというか、楽をしたいという無意識的な強い思いがあるときが多い。
そういうときに無理をすると体を壊してしまう。
実際、そういうときにがんばりすぎて、これまで何度も風邪をひいたりしている。

だから、1000円は体への投資だと思って、納得するようにしている。

とはいえ、絶対遅刻しないちゃんとした人なら、そんな投資は必要ないんだろうなあ、と思うとちょっとくやしい。

まあ、くやしいも何も、自分がだらしないのでそうなっているだけなんだけども。

今になってやっと、皆勤賞のすごさを知った気がする。
学生時代、遅刻欠席当たり前で、皆勤賞をバカにしていた自分がはずかしい。

毎日出勤することのなんと難しいことか……。













2005年02月21日(月) O−T<H−T?

深夜に高校時代の友人Oと電話で長話をした。

Oは今東京に住んでいる。東京の会社に就職したので引っ越したわけだが、一人暮らしではなく祖母と同居している。

Oは小学校時代におれの地元I県に引越してきたが、もともとは東京の人間なので、親族は東京の方が多いのだろう。

東京に行きたいと前から言っていたので、念願叶ってハッピーにしているかと思えば、そうでもないらしい。

祖母と同居、となると、やはりいろんな問題があるようだ。

「ばあちゃんがこんなに頑固だとは思わなかった」とOは言う。

Oの言うことは詳しく聞かなくてもよくわかる。

ばあちゃんという人種は、案外と口やかましいものなのだ。

人間、年をとると、だんだん考え方が固まってくる。
あれはいい、これはだめ、と完全に自分の中で決まってしまっているから、
他人のやることへの許容範囲が狭くなる。

いかに自分の孫といえど、気に入らないものは気に入らない。

そういうふうになぜかなっていくものだ。

会話の最中、今は演劇をやっている共通の高校時代の友人Tのことが話題に上った。Tも東京に住んでいるが、Oはそのことを知らなかった。

「Tはどこに住んでいるの?」というOの問いかけに、どこそこらへん、とおれが答えると、Oから意外な話が

「え?それおれんちから自転車で10分くらいのとこだよ」

自転車で10分。なぜか、OとTとの家の距離は、高校時代のときより近くなっている。


二人でそのことを笑ったが、そんなに家が近いTとOは高校卒業以来会っておらず、逆におれとTは(東京都とI県という距離を考えれば)よく会うようになっていたという事実には、何だか言いようのない不思議さを感じた。













2005年02月20日(日) STYX

久しぶりに蕁麻疹が出た。

前日、午前3時まで起きていたのがよくなかったらしい。

薬を飲むと、急激に眠くなった。
副作用と、疲れもあったのだろう。
布団の上に横になると、頭の中がぽかぽかとあったかくなるような感じがしてきて、何年ぶりかというほどの、気持ちいい昼寝をした。

起きた後、体の調子がよく、頭もさえていた。

せっかくなんで本当なら、小説でも書くとか、趣味に打ち込みたいところだった。
でもあいにくと、毎月の定期的な仕事の〆日が近くなっていたので、今日は仕事をすることにした。

休日出勤なんで、MDを聴きながらデスクに向かう。

STYX(スティクス)の「Mr.ROBOTO」という曲を繰り返し聴いた。

「ドモアリガットミスターロボット、ドモアリガットミスターロボット……」外国のグループなのに、なぜか日本語のフレーズが多く入っているこの曲は、聴き始めると病みつきになる。

STYXはかなり古いグループらしい。
でも。おれの頭の中が古いせいが、あんまり古臭い感じはしなくて違和感なく聴ける。

おれはぜんぜん音楽に詳しくない。
「Tommy february」をついこの間まで全くしらなかったほどだ。
だから、STYXがどの程度名のあるグループなのか知らない。

もしかしたらすごい奴らなのかもしれない。
でも、すごい奴らだということをしらないで聴いているのもまた乙かな、と思って、STYXのことは調べないでいる。



2005年02月19日(土) Nのお祝い会

友人Nの結婚式のお祝い会(二次会のようなもの)に出席するために、少し離れた会場へ向かった。

道中、ついでに返却期限が来ていたCDを返そうと思って、レンタルビデオ店に行くと、店の駐車場がなぜか異常に込んでいて、なかなか中に入れない。
結局、15分くらい時間を無駄にする。

なぜか、その時間帯は、道全体も込んでいた。
さらに突然の大雨。
車のスピードを上げるわけにもいかず、「遅れてしまう……」とあせる。

急に前の車が遅さや、赤信号が気になってきて、イライラがつのった。

「急げ」と思いつつしばらく走行した後、時計を見ると、明らかに遅刻が確定していることに気づく。

やばい、と一瞬思ったけど、こうなると人間不思議なもので、もう仕方ないや、と投げやりな気持ちになった後、イライラしなくなった。

まあ、そもそも、飲み会とかに早めに着くのは苦手なので、少し遅れた方がおれにとっては都合がいい。勝手だけど。

どうも、おれは待ち時間というのが性分に合わないらしい。
途中参加の方がテンションを上げやすい。待っている時間は、どうにも落ち着かない。

会場に遅れて着くと、やっぱりおれが一番最後だった。
とりあえず、笑ってごまかす。


飲みの途中、Nのハネムーンの話を聞いた。
Nはアラスカにオーロラを見に行ったらしい。

そこでは一年のうち250日以上オーロラが出るらしく、Nも4日観測して2日見ることができたらしい。

写真もばっちりで、きれいなオーロラのカーテンが写っていた。

すごく感動したんだろうな、というおれの思いとは裏腹に、案外Nの話は淡白だった。
Nの話し方のせいかもしれないけれど、実際見てみると 「あー、すごいなあ」で終わってしまうものなのかもしれない。
現地の人にとっては月と同じぐらいのものであるわけだし。

たまに見て、すごく感動するのと、毎日見て少しずつ感動するのは、どっちが得なんだろう、とふと思った。

帰り際、渡しそこねていた結婚のお祝いの品を、Nにようやく渡すことができてほっとする。
本当はNの結婚式前に送るはずだったのに、時期を逸してしまって今日まで来てしまった品だった。
N夫妻が喜んでくれたので、いっそのこと自分で使ってしまえ、と早まらなくてよかったと心底思った。



2005年02月18日(金) ヤでもそうなる

仕事で、今日は元某暴力団の組員の人と話をした。

その人は組で言えば、かなり「上の」地位にいた人だから、そこいらのチンピラとは違って、話し方がとても丁寧でカタギに手を出すようなことは絶対にしない人だ。

「最近はヤクザというのもやりにくくなりまして、どちらかというとビジネスになりましたなあ」と、寂しそうに言っていた。
伝統的なヤクザの考え方は失われ、組がお金を吸い上げる集金装置になっているのだという。


最初その人を見たときは、やたらと体格のいい人おじいちゃんだなと思ったが、ここ一年ですごく小さくなってしまった気がした。

持病の悪化と、それに伴って、気持ちが弱くなってしまったことが原因なんだろうと思った。めずらしく組のことを口にしたのもその現われかもしれない。


病気になったり高齢になったりすれば、イレズミ者だろうが何だろうが、他の人と同じように病院で治療を受け、手術をし、福祉に頼らざるを得ないんだなあ、と思うと、もちろんそれは当たり前なことなのに、なんだか悲しい。
今までつっぱって生きてきたんだから、最後までつっぱって生きてよ、って思わなくもない。







2005年02月17日(木) 慌てるおばあちゃん

通勤バスがいつもの停留所に止まったので、窓側に座っていたおれは通路側に座っている人に 「すいません、降ります」 と声をかけた。


乗り口が始発の停留所に近いので、おれが乗るときは車内は空いている。
だから、おれはいつも窓側に座ることになる。

すると、そうやって毎朝隣の人に言わねばならない。
どうってことはないが、結構面倒だ。

空いているときはいいが、雨や雪で車内が込んでいると、どく方も大変だ。

どいてもらって悪いなあ、と思っていると朝から疲れてしまうので、最近は気にしないことにしている。
どうせ、気にしているかどうかなんて、声をかけられた相手にわかることじゃない。


今日、おれの隣に座った人は、通勤とかではなく、たまたま何かの用事でこのバスに乗った、という感じのおばあちゃんだった。

おばあちゃんはおれに声をかけられた途端、なぜかとても慌てた様子を見せて立ち上がると、あたふたと急ぎ足でバスを降りてしまった。

そして降りた後、あたりを見回しては右往左往している。

たぶん、降りたところを間違えたのだろう。
早く降りてしまったのか、遅く降りてしまったのかはわからない。

おれが声をかけたことで、なぜか慌てて降りてしまった、とも考えられるし、おれに声をかけられて行き過ぎてしまったことに気づいた、とも考えられる。

悪いことをしたかな、と一瞬思ったが、気にしないことにした。

どっちしろ、おれが出来ることは何もないのだし。





2005年02月16日(水) 黄色い蛇

朝、蛇が出る夢を見た。

細かいストーリーは忘れてしまい、50センチくらいの長さの白い蛇と黄色い蛇に追いかけられるという内容しか思い出せない。

まあ、ともかく蛇というのは縁起がいいので、昼休みにナンバーズでも買おう、と思っていたのに、すっかり忘れてしまった。


数年前、今回の夢とは比べ物にならないくらいの数の蛇が出てきた夢を見たことがあった。
そのとき、不思議と目が覚めた瞬間に数字が頭に浮かんで、それまでやったことのないナンバーズを買ってみたら、わずかに違っていた、ということがあった。
(確かそのときのあたり数字は084で、買った数字は094だった)


今日買っていたら、もしかしたら当たったかもしれない。
でも当たったら当たったで、うれしい反面ちょっと怖い気はする。



2005年02月15日(火) 一周忌

午前中に、一本の電話が入った。
仕事で関わりのあった人が亡くなったという知らせだった。

福祉関係の仕事をするようになってから、訃報に接する機会が多くなったような気がする。
たぶん、福祉が高齢者や病気の人と密接な関係があるからだろう。

その人はまだ50代だったから、意外な感じがした。
まったく、あっけないもんだと思った。

おれは親族の葬式にも出たことがないので、訃報というものに対して免疫がなく、仕事を始めた当初、ずいぶんと苦労した。
「ご愁傷さまです」
と自然に言えるようになったのは、つい最近のことだ。


今日はKの一周忌だけど、特別何もしなかった。

今おれが住んでいるところは、Kの家がある(おれの実家もある)土地とかなり離れているから、ふらっと墓参りというわけにはいかない。

まあ、あらためてKをしのぶなんてことは、おれにとっては、する必要もないか、と自分で納得する。

日曜日にKの実家で一周忌が催され、おれも招かれたが、体調が悪いということで丁重に断りを入れた。

正直、Kの父親に対して、おれは不信感を抱いているので、会いたくないという気持ちがあった。

それに、Kの父親に招かれたKの友人Y(そいつはおれの友人でもある)にも、会いづらい気持ちがあった。

Kの父親は、「Kの生前のことをよく知る友人」と思って、Yとよく会って話をしている。Yもまたそのように振舞っている。
Kの父親は、世の親がたいていそうであるように、生前のわが子が普段どんなことを考え、どんなことをしていたか知らなかったので、その死後、急にそれが知りたくなったらしい。

おれは、KがYのことをどういうふうに見ていたか、言っていたかをよく知っているので、何だかKの父親とYとの関係があほらしく見えてしまう。


それにしても、その二人は、一周忌に来なかったおれをどう思っただろうか?










2005年02月14日(月) どうしようもないこと

明日は、友人のKの命日。

Kの父親は、Kが心臓発作で死んだと言っていた。
でもおれは未だに信じ切れないでいる。

Kの葬儀は密葬だった。ひっそり、本当にひっそりとした葬儀だった。

棺に入ったKの死に顔を見せてもらったけれど、いい顔だったのかどうかはわからない。たくさんの人の死に顔を見た人には、それがわかるらしい。

正直、親友が鼻やら口やらに綿をつっこんで寝ている姿は、冗談にしか見えなかった。現実感が乏しかった。

本当は、自殺だったんじゃないかと、今でも時々思う。

はっきりとした根拠はないけれど、思い当たるふしはたくさんある。

Kは、その頃、大学の論文でかなり苦労をしていた。
Kは何年も浪人していたので、これ以上の浪人はできないとかなりあせっていた様子だったし、「うつ病」を数年前からわずらっていた。

うつの人にありがちなように、Kもまた、薬を集めるのが趣味だった。
集めた中に、毒物があるのを、おれは知っていた。

そして、葬儀が密葬だったこと。
なんとなく、Kの父親はあせっているように見えた。
あるいは、勘繰りすぎかもしれないけれど、自殺だとまずい理由があるのかもしれなかった。

今となっては、調べようもないし、父親にあえて聞くこともできない。

でもそれよりも、一年前のこの日にかかってきた、Kからの電話の方が、おれにとっては重要だ。

おれはエゴイストだから、その方が重要だ。

おれが取れなかった電話。
すぐにかけなおさなかった電話。

おれが違った対応をしていたら、Kの死はなかったんじゃないか?

自殺でも、心臓発作でも、どちらにせよ、そんな運命はなかったんじゃないか?

おれは口では友達だと言うくせに、いざってときは心配もせず電話もかけない、他人を利用しているだけの人間じゃないのか。

今もKのことを考えているのは、きっと、Kのことを悲しんでいるんじゃなくて、「お前のせいじゃない」って納得したいだけじゃないのか。



結局どれだけ考えたとしても、誰もうんともすんとも言ってくれないから、忘れようとしているだけなんだ。



2005年02月13日(日) 他人に言えないプレッシャー

午前11時30分ころ、突然仕事先の同期の友人Nから電話が。

「2時からHさん(同期)が出る演劇があるんだけど、来る?おれは嫁さんと行く」
という内容。

何気ない電話に、何気ない誘い。
そんな電話すら、おれには普通の対応ができない。

(一緒に見ようぜ、って言わなかったってことは、二人の邪魔しちゃ悪いんだろうか?)
(おれの方から『一緒に見よう』っていうべきか?)

そんな考えが真っ先に頭を駆け巡る。

とりあえず「今蕁麻疹が体に出てるので体調を見ていけそうなら行く」みたいな曖昧な返事をして電話を切った。

しばらく、へこむ。

普通の人なら 「おお、じゃあ行くわ。2時ちょっと前に入り口前くらいで待ってるわ」 くらいで、終わるんだろう。

なのに、おれはなぜか余計な気を使ってしまう。
そして、対応が変になってしまう。

しばらく迷ったあげく、引きこもってはいけないとありったけの勇気を振り絞って出かけることにした。
こんなことにすら勇気がいるおれは、間違いなくバカだと思う。

会場に着いたおれは、迷いつつも「会場についてホールにいる」という内容のメールを送った。
(ああ、もし向こうはおれと一緒に見るつもりがないなら、おれは何て勘違い野郎なんだろう)と思いながら。

その途端、偶然ばったりとN夫妻と出会って、流れのままに一緒に鑑賞する。
その間にも、(おれは邪魔してるんじゃないか)という考えが離れなかった。

劇が終わった帰り際、おれはなかなか 「じゃあ、これでおれは帰るわ」 という言葉を言い出せなかった。

そのために、なんとなく、おれの中では、おれ自身がふらふらとあやしい感じでN夫妻に付きまとったような気がした。
N夫妻と別れた後、(おれは変なやつだとNに思われたんじゃないか)と数時間苦しむことになった……。





2005年02月12日(土) 謎のジンマシン。日記の題名変更。

一昨日から蕁麻疹に悩まされてる。

三年くらい前に初めて蕁麻疹になったときは、治療が遅れてひどい目にあった。馬鹿らしい話だけれど、ちょうど夏だったんで、蚊にさされたとばっかり思って、ムヒを塗り続け、悪化させてしまった。
体がかゆいと仕事にも集中できない。

今回はその反省を生かしてすぐに医者に行った。

でも蕁麻疹は効く薬を探すまでが大変で、前回もらった薬は結局あまり効果がなく、目のまわりが腫れてなんだが気持ち悪かった。

今日は薬を変えてもらったけれど、果たして効くのだろうか…。

医者に行ってから彼女と会ったけれど、うまく話すことができない。
思った以上に気持ちが落ち込んでしまっていた。

やりたいことが思いつかなくて、思いつかない自分自身にいらだってしまって、そのイライラを彼女にぶつけるという悪循環。

何をやってんだおれは。

わかっちゃいるけれど冷静になれない。
このイライラも鬱のせいだろうか?
かといって「今イライラしているから会わない」っていうのも人間としてどうかと思うし。どうしたらいいのやら……。

日記二日目にして早くも日記のタイトルを変える。
かっこつけても仕方ないし、この方が今の自分の気持ちを代弁してる気がする。
気がするだけだけど。



2005年02月11日(金) 初めての日記

原因不明の頭痛とぐるぐると回り続けるマイナス思考に悩み、ある日心療内科に通院すると、付いた診断名は「中程度の鬱」。

まあ、いろんなことがあったし、そうなってもおかしくないな、と自分で思う。

「おれうつ病で困ってんだけどさあ」って友人に相談できればいいけど、なかなか現実はそうもいかない。
同じうつ病患者で、何でも相談できる友人のKは、去年心臓発作で死んだしね。

今まで日記なんて書いたこともなかったのに、突然日記を書き始めているおれがいる。
これも病気のせいなんだろうか?

まあ、何でもいいや。

もうすぐKの一周忌。
棺桶に入ったKの顔は今でも鮮明に焼きついてる。

Kが死ぬ前日におれの携帯にかけた電話。
それにおれが気がついていれば、すぐに次の日に電話をKにかけてやれば、Kは死ななかったんじゃないか?
おれがKの死を後押ししたんじゃないか?
今でもずっとその思いが頭から離れない。








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