綿霧岩
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2010年06月30日(水) メモ

今私が何に気をつけたいかっていうと、
できるだけかっこつけないようにする
ってことだ。

おしゃれをするのはいい。
自分が心地良い格好をするのはいい。
そうではなくて、
見栄を張らないってことだ。

なんでそう思うかというと、
「かっこつける」は人にもすぐ伝染するし、
そうなると自分でもなかなか止められないし
ほんとのところ無理してるわけなので苦しいに決まってるからだ。
それと、私が一緒にいたいと思える人って、かっこつけてない人だ。
だから自分もそうだといいなあと思うわけだ。
かっこつけない人はかっこいいと思う。

だからできるだけかっこつけないようにしようと思っている。
でもこれ、
だからといっていい大人がむき出しで開き直ればいいという風にも思わないので
だから、
できるだけってことにしておこう。


2010年06月16日(水) 頭の編み物

編み物をしたのは、
小学生のとき手芸クラブでマフラーを編んだ以来やったこともなく、
セーターを編んだことなど無いわけだが、
小説を読むっていうのは、
読み手は、
読みながら同時進行で頭の中にセーターを編んでいくようなもんだと思ったのだ。
(セーターじゃなくてもいいんだけどさ)

どんどん読める小説っていうのは、
頭の中に編んでいくその編み目がそろっている。
途中で一息ついたときなんかに、
編み上がったその編み目をそっと撫でれば、
目のそろい具合が気持ちよい。
読むことも編むことも根を詰める作業であるがそれは心地良い疲れとして満足感がある。

読みにくい小説っていうのは、
頭の中に編んだ編み目がそろっていない。
こっちはそんな風に編みたかないのに、
完成図と違う目を頭の中に編まされる感じがあって、
それが読みにくいってことな気がする。
だからなんか気持ちよくない。

そうなんだけど、
全部読み終わったあと、
編み上がったセーターを見てみたらば、
しんどかったそこのところは、
ダイナミックな模様編みに仕上がっていた、
ということもある気がして、
それって読後の感想は面白かったってことで、
頭の中のセーターもすごいもんができたってことになる。

だったらそれはいいけれども、
しんどいところをわけもわからず付き合えるか、
ついていけるかどうかが問題で、
それはなんでしょう、
もう人間と同じで出会いのタイミングとか相性、
かしらん。


2010年06月14日(月) いい演技

ひとが話すのを聞いていて、すんなりと話が聞こえてくるときと、まったく意味が届いてこなくて、聞いているこちらがものすごく努力しないと言っていることが理解できないときとある。
と言っても、あまりものすごく努力しないので、たいていは単に馬の耳に念仏になるだけである。


聞こえるか聞こえないかの原因は明らかで、話すひとが、実感を伴って言葉を発しているか否かである。
どんなに何気ない一言でも、息のようなものであっても、人が本当にそう思って自然に発した音であれば、それは言葉として意味が伝わると思うのだが、そうではない喋り方をする人もいる。
同じ人でも、言っていることが聞こえるときと聞こえないときと、両方ある人もいる。
それはその人の「本心」モードのときと「本心以外」モードのときとの違いなのだろう。
それは時には「プライヴェート」と「社会」モードの違いであるのかもしれない。


それからまた、演技の上手い人というのもいて、言葉は本心と違うけれど、まるで本心を言っているようにすんなり聞こえる喋り方をする人もいる。
その場ではすんなりとだまされるわけであるが、本心と違う言葉は、聞いたこちらの体のどこかに違和感が残るもので、ずいぶん後になってから遅い頭が気付くこともある。



演技が上手い、で思い出したが、最近思う。俳優におけるいい演技とは仮面をつけることではなくて仮面をはがすことではないかな、と。


カタギリミワコ |MAIL