綿霧岩
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大きな木々の、葉っぱのもこもこ茂っているのが、人の肺の肺胞に見える。 それが風でぶわあと揺れると、呼吸を内部から見ている気持ちになった。 だれかの体の中に我々はいるのではないかという気がしてくる。
ふとよぎった絵本の、火山の噴火口の絵が、肛門に見える。 ということは、そこから立ちのぼる煙はおならだろうか、そうだ、実際においも同じにおいがするじゃないか!と私は私の中だけで盛り上がり、見た目はなんでもないふりをして道を歩いた。
この誰かの体はいったいどんな形なのだろう。
2009年04月15日(水) |
innocent green |
まず、色がいい。 きみどり、漢字にすると黄+緑であるが、それは同質なものの足し算ではなくて、その色は光+緑だ。 この季節のぎりぎりやわらかな太陽光が木の緑に映っている。 また、触感がいい。 触っていないが、いいに決まっていると思う。触れば指に吸い付くようにみずみずしく、ぷるぷると重みがありつつもむこう側が透けてみえるくらい薄く軽く、表面はなめらかな産毛が生え、つめたいようなあたたかいような幼子の肌の如し、である(はずだ)。
匂いは今はいい。 想像するにすぐ近くまで行けば、あおと土の生の匂いが充満しているのだろうが、匂いについては、今の、芽吹いたばかりのこの地を謳歌し、湿り気を帯びたそれよりも、真夏の香ばしく干からびた陽の匂いと混ざり合い、水分はどんどん蒸発していくそのときの上昇の匂い、そっちの方が好きである。
とは言うものの、やはり今の季節の木の葉の緑が、私は大好きなのである。
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