綿霧岩
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この私という乗り物はここのところ、高速で走っているように思える。 体感では五年位過ぎた気がするのに、時計の時間では一ヶ月程しか過ぎていない。 だから会う人も、皆すごく久しぶりだと思うのだが、誰も彼もたいして久しぶりではなく、年もとっていない。奇妙な感じがする。
舞台の上で見た時と、普段の姿と、全然違いますねと結構な頻度で言われ、今にはじまったことではないけれど、それはいいことなのだろうか、と考える。
地上178mの展望台に行きました。 そこに居合わせた見知らぬ人たちみんなが、日が沈むのを、沈みそうになるのを、沈みきるまで、大事に見ていました。 今日そのときまで、それぞれどんなことをして、それぞれどんなことを思って、そこに皆さんはいたのか、わかりません。 別々の時を生きているその人たち皆が、誰に教えられたわけでもなく当然のように、太陽が沈む姿を、見ていました。 そのことは私をとても幸福な気持にしてくれました。 日が沈む、ただそれだけで、人は我を忘れるのでした。 日が沈む、それは圧倒的な、なんだかわからないけどすごいことなのだと、人は知っている、そう思ったら嬉しい気持になりました。 きっと明日もあさっても、これから先も、何度も何度も、太陽は昇って沈んでいくのでしょう。 そして人はまた、時には太陽のことなど忘れ去り、いつかきっと思い出し、何度でも、何度でも、その姿をただ見るのでしょう。
日が沈んで、暗くなって、そこから見えた夜の中の無数の光は、想像以上に、きれいでした。 それは、光の下にいる全ての人たちが共同で作り上げた舞台のように見えました。 誰もがその舞台の出演者でありました。 もう長い間住んでいるのになかなか好きになれなかったその街を、宝物のように美しいと思いました。 そこに住み、生きている、その舞台の出演者である皆の人たちに、ありがとうと思いました。
雨が降る。 雨が降るとひとりでいても、安心のような心地がする。 晴れている日とはまったくちがう、別の世界のような気さえする。 一人でいても、一人のような気がしないのである。 すぐそこに、どこかに、私とは違う、でも柔らかくて信用できそうな場所がある気がするのである。
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