綿霧岩
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もう、言うまでもなく暑いのだった。気がつけば小学生たちは夏休みに入っておるわけで、どうも最近昼間っから駅や電車の中で子供をたくさん見かけるはずであった。昼間暑いのは暑いで、まだそれは百歩譲れても、私が嫌なのは、夜になっても気温が下がらないってことで、そんなコンクリートジャングルの片隅のアパートにもかかわらずクーラーが無い私の部屋は、ほんとにどうかしていると我ながら思うのであった。 人はどこまでの暑さに耐えて生活できるのか、という実験をしているわけではもちろん無いが、ふと、私はそんな実験でもしているのだろうかと思わない時がないでもない。 さてそんな熱中症には気をつけろ!との助言を自分にかけてやりたい私であるが、これでもこの頃健康に気を使っており、玄米を食べている。玄米は良い、気がするこの頃。 それはともかく、キャベツをどうしようかねえ、と今日は考えたあと、きゅうりと一緒に浅漬けにしよう、と決めて、切ってビニール袋の中に塩と昆布だしの素と一緒に入れて揉んでいたら、子供の頃に見たカブト虫などの餌を思い出し、四つ下の弟が夏休み、朝の三時に起きて父と山へクワガタ取りに行くというのについて行ったことを思い出した。私はクワガタがそれほど欲しいわけでもなかったが、午前三時起床、というイベントに興奮して結局一睡もできなかった。 あの、夏のまだ暗い早朝の山の、しんとして、冷たくて、どきどきした感じを今でもよく覚えている。
舞台が終わり、何の仕事も無く、いつものことであるが、はてこれからどうしたものか、という今である。けれど今回はなぜか、何かが無くなってしまった、という喪失感のようなものが非常に薄い。舞台上にいた私は今ここにいる私とつながっている感覚がある。それは心穏やかな感覚だ。 初日は散々だったが、本番一回やるのは、稽古の何日分もの効果があると肌身に沁みた。お客さんてすごいと何度も思う。舞台を作っているのは私達ではなくお客さんなのではないだろうかとさえ思う。
なにせ盛沢山なのです。やることが。そしてそれらがうまくいくのかどうか、非常にあやうくてともすると絶望的にもなりそうになります。ですがどこかで私はとても楽しいと思っています。 やることが盛沢山とはしかしなんと幸せなことでしょうか。
私はかれこれ一年以上、眉毛を整えていない。ぼさぼさの生やしっぱなしである。 ちなみに私は男性ではない。 そんなにたいしたことではない気もするが、一年以上前までの私には考えられないことであった。 なんというのか、整えるのが嫌になってしまった、というそれだけのことであるが、私にとっては「何か」なような気もする。 単なるおばさん化か。 しかしそういう私も、脇毛は日々処理している。特に暑くなってきた今日この頃、周囲の方々に脇毛を披露することは、私の羞恥心が許さないのである。本当は脇毛だってそのまま生えるにまかせてしまいたいのはやまやま、だがしかしそこは社会通念に完敗している。 まあいいや。なんのことやら。
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