綿霧岩
DiaryINDEX|past|will
母は時々花輪のようなものをつくります。 なるべく無頓着に、配置とか考えずに偶然に置いたそのままが好きだという母です。 ああしてこうしてああやってこうやってって考えて考えてこねくりまわしたものにはあまりいいものが無い、と言う母です。 それがいい時もあるけどでもほとんどはダメだそうです。 作る人の、「こう見せたい。」という考えがしんどいと言う母です。 そういう母に、自分の舞台を褒められると、格別に嬉しいのです。
びびっとくる、びびび婚などという言葉が昔飛んでいたこともあるが、 痺れる言葉、というものが私にとっては間違いなくあって それは他の人がどう思うかは別のおはなしで、とにかく私には目にしたときから決して忘れられない、自身の肉体に入り込んでくるかのような、言わば呪文だ。
また私は物忘れが激しく、一回聞いたくらいではほとんどの話を覚えていることができない。一見賢い感じに見られるので、多くのひとは、私が全てを理解しその先の考えも充実したストックを溜め込んでいるはずだ、と言わんばかりの態度で接せられるが、とんだお門違いというものである。
そんな私をして、一度で忘れることができないほどの衝撃を持つことばとはいったい何なのか。気になる。 感情を越えて刺さってくる言葉たちは、どこから生まれたんだろう。
|