ときには 強気にいかねばならぬのだ。 たとえ人を傷つけていることが明らかだったとしても。 おのれのしっぽを切り離すのだ。 そりゃあ痛みは伴う、血も出る。けれど。 わたしだって、 命を削って生きている。 命を削って生きてゆく。
子供の頃は、 きちんとしなさい、 と言われる機会が多かったように思う。 きちんとって具体的にどういうことなのかって結構難しかった覚えがある。 夏休みの目標に、図画工作をきちんとやる、とか書くと、もっと具体的に書きなさい、と叱られたような覚えもある。
しかし大人になった現在。 きちんと、っていうのは 漠然とはしていてもかなり重要なことのように思う。
社会人としてきちんとしていない人がわたしは嫌いです。 それは何も難しいことでも金銭的なことでもなく、 例えば挨拶をするとか、時間を守るとか、約束を破らないとか、 要するに周囲に対する礼儀とでも言いましょうか、 そういったことが大人になってもできないひとに、 (そういう人種は得てして自己に対して何の根拠も無い自信があることが多いように思うのですが、そして自己に対する根拠や模索の無い自信のある人がわたしは世の中でもっとも苦手なのですが) 一昔前、そう、数ヶ月前の自分なら憤りすら感じていたと思うのですが、 そういったことが大人になってもできないということは、 要するに一生できないということなので、 まあ、近づかないようにするわけです、最善の策として。 せめて自分はきちんといよう、とひそかに心に誓いながら。
今日は あなた を 五つの言葉で言い表そうと試みました。 しかし五つというのがどうしても無理でした。 だってあなたは。
弱いそして強い 大人そして子供 繊細そして凶暴 複雑そして単純 優しいそして優しい
やさしい あなたはやさしい
言葉にしようとして初めて あなたの中にも相反性を見いだしてわたしは驚きました。
あなたにまつわる全て 裏と表 陰と陽 を孕んでいて それでもあなたのやさしさの裏側を陰を私は見つけることができなくて。 そのことにわたしはすこしあんしんしました。
ねたばらし。 昨日 友人に教わったのです。 他己紹介は即ち自己紹介であると。 わたしはつまり自分の相反性で以ってあなたを感じ取っているらしいのです。 やっぱりね・・・ そうじゃないかと薄々感づいてはいたのだけれど。
2005年08月20日(土) |
はなうた(きもちはファンク) |
信じる ことや 誓う ことや 約束や 決心や 覚悟や
それらが 何を引き換えにすることも無く ごく自然に自分の中に生まれてきたことに 安堵する と 同時に これまで歩んできた道がまんざら間違いでもなかったと知り 近頃のわたしは 鼻歌 など 歌ったりしている毎日
まあ、 そんなに甘いことばかりでもないことも明らかであるが。
いろんなことが起こっております。
恋人と暮らそうと思うということを親に告げて絶縁状態になったり、 問題のその親が病気かもしれないことが明らかになったり、 恋人の家族も体調が優れなかったり、 仕事がなかだるんでいたり。
なかなか不敵にも笑えぬ。
こういうときの過ごし方を私は既に学んでいる。 だってもう25歳ですから。 ずれた日々の歯車を少しづつ修正するのだ。 朝はきちんと起き。 ごはんは三度食べ。 よく眠り。 すべき仕事をすべきときにする。 息を、こらえるのだ、 次のブロウに向けて。
それにしても最近地味にカウンターが回る回る、 デンパンからいらっしゃってる方もいるようで、 ・・・だあれ?
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