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2024年08月16日(金) 資格を肩書きにするということ。

「ドクターハリー、ドクターハリー、三階南病棟××号室までお願いします」
明日のオペの準備をしていたら、アナウンスが流れた。
針井という名前のドクターを呼び出しているわけではない。これはハリーコールといって、院内で患者の急変などの緊急事態が起きたときに全館に応援を要請する非常放送である。
胸骨圧迫は数分ごとに交代して行うから人手がいるし、人工呼吸に除細動、点滴ルートの確保、気管挿管や薬剤の準備、モニターの装着、記録係、家族連絡、他患者への対応……とその場のマンパワーでは足りないことがある。
つまり、ハリーはHurry(急げ)。これを聞いたら、手が空いている医師や看護師は指定の場所に駆けつけるのだ。

私が着いたとき、すでに大勢の看護師が集まっていた。必要な人員は確保されていたため業務に戻ったのであるが、仕事終わりに更衣室でその病棟の若いスタッフと一緒になった。
「今日は大変でしたね。訪室時に心停止していたんですって?」
と声をかけたら、彼女が発見者だったという。看護師二年目で、受け持ち患者の急変に当たったのは初めて。頭が真っ白になりながらも、枕もとのスタッフコール(ナースステーションにつながる緊急を知らせるボタン)を押したそうだ。
「心マしたのも初めてで。訓練でやったのを思い出しながら、もう必死でした」

十年、二十年看護師をしていても心肺蘇生の経験がない人はたくさんいる。患者の反応がないのを見て瞬時に応援を呼び、DNAR(本人・家族からの事前の意思表示を受けて、蘇生処置を行わない)でないことを確認して胸骨圧迫を開始する……なんて、二年目でなかなかできることじゃない。
あわててナースステーションに駆け込み、「どうして患者のそばから離れるの!」と叱られたり、騒然となった現場で先輩たちを遠巻きに見ていることしかできなかったりしても不思議ではない。
「いつになったら自信を持って『看護師してます』って言えるようになるんだろうって落ち込む日もあるんですけど、今日先輩にちゃんと動けてたよって言われて、ちょっとは成長してるのかなって」
とはにかむ彼女。
患者は心拍が再開してICUに転棟したそうだ。

帰り道、私もそうだったなと思い出す。
私は社会人になってから看護師になったのだが、最初の一年は転職したことを友人にも誰にも言わなかった。
入職して数か月で独り立ちし夜勤もするようになったけれど、一年目なんて本当にひよっこ。こんな未熟な自分が看護師だなんておこがましくて名乗れないと思っていたっけ。



ところで、先日こんなネットニュースを読んだ。


この春、国家試験に合格して救急救命士の資格を取得したというシンガーソングライターの女性が「救急救命士の○○からご報告とお願いです」と熱中症対策についてXに投稿したところ、「実務経験がないのに救急救命士を名乗るのはアリなのか」と疑問の声が上がり、「資格持ってるのに名乗れないとかアホか。失礼にも程がある」と反論した、という内容だ。

それを使って仕事をしないのなら資格を取った意味がない、なんてことはまったくない。医療や福祉分野の資格は身近な人の「もしも」に備えて取得する人もいる。
試験に合格するために同じだけ努力し知識を身につけたのだから、“ペーパー”であっても値打ちは変わらない。
ただ、その場合は「救急救命士の○○」と名乗るのは無理があると思う。
大学で教員免許を取ったが別の仕事をしているという人は「教員の△△です」とは言わない。
教員免許を取った上で教員採用試験に合格し、学校に配属されるというプロセスを経て、晴れて“先生”になれる。だから、「教員免許を持っている人=教員」ではない。
救急救命士も同じで、公務員試験を突破して消防官になるか医療機関に就職する必要がある。その職に就くには、免許を取ってからもうひとつ越えなくてはならないハードルがあるのだ。

救急救命士の主な活動の場は救急車やドクターカー、救命救急センターや救急外来、そして災害現場。それらは病院でハリーコールが発令されるレベルの緊急事態が常に起きているところだ。
自分の判断や処置で生死が分かれるという責任の重さとプレッシャー、救命できなかったときの罪悪感、家族の嘆き悲しみを目の当たりにする苦痛、本人の意思に反した蘇生を行わなくてはならない場面での葛藤。胸骨圧迫(心臓マッサージ)で肋骨が折れ、助けているのか苦しめているのかわからなくなることもあるだろう。
そういったものを味わったことのない人が「救急救命士」を肩書きにするのは、それこそ過酷な現場で闘っている人に失礼なんじゃないだろうか。

それは最前線で重度傷病者の救命に当たる、救急医療の専門職。本業がありながら三年間専門学校に通い、国家試験に合格したというのはすごいこと。
大きな顔をして「救急救命士有資格者の◯◯です」と名乗ればいいと思うなあ。

【あとがき】
うちの病院では「ドクターハリー」ですが、「ドクターハート」とか「コードブルー」とかいうところもあります。もしあのドラマのタイトルが『ドクターハリー』だったら……うーん、あんまりヒットしそうにないですね。


2024年08月04日(日) ペットの「もしも」に備えていますか?

「夏のボーナスが飛んで行っちゃった」
と同僚が言う。
なにを買ったのと訊いたら、飼っているビーグルが椎間板ヘルニアの手術をしたのだという。
「だってMRIが九万なんだよ。検査だけで十五万、それに手術と入院でしょ……。明細見てめまいがしたわ」
すると、
「うちのトイプーが骨折したときもやっぱりそのくらいかかったなあ」
と声があがった。
それを聞いて、「動物の治療費ってそんなに高いんですか!」と若い同僚。彼女は生まれてこのかたペットを飼ったことがないそうだ。
そうか、あなたは知らないのね、ペットが病院通いをするとものすごい勢いでお金がなくなることを。
うちの猫も最近、歯周病の治療で抜歯と歯石取りをしてもらったら、八万だった……。

だから、私のまわりはペット貯金をしている人が多い。
私が子どもの頃、どこの家も犬は庭につなぎ、猫は放し飼いだった。ごはんに味噌汁をかけたようなものを食べさせ、彼らが長生きできるように……ということまでは考えられていなかった気がする。
しかし、いまの飼い主はちがう。家の中に入れて暑さ寒さに気を配り、専用の総合栄養食を与え、防げる病気は防ごうときちんと混合ワクチンを打つ。
彼らの健康と幸せを願い、「もしも」に備えてコツコツお金を貯めているのだ。

私もそんな飼い主のひとりで、二匹の猫のためにペット保険に入っている。
月の保険料が八千円と言うと、
「その分貯金しといたほうがお金が無駄にならないんじゃないの」
とよく言われる。ファイナンシャルプランナーにも「けっこうな金額ですね」と驚かれたっけ。
しかし去年、膿胸で十日間入院したら二十万。もし手術までしていたら、倍以上になったはず。ということは保険料を五年分積み立てたとしても、手術と入院を一回したら使い切ってしまうのだ。
それなら、ふだんから痛手にならない程度の負担をしておいて、なにかあってもどかんと払わなくていいようにしておきたいと思う。

治る可能性があるのに治療をあきらめなければならないことほどつらいことはない。しかし、治療費の七割が返ってくるなら受診をためらわずに済むし、「ごめん、もうお金をかけられない……」という事態にもならないだろう。
私は八千円でその安心を買っている。だから、「元を取れなかったらもったいない」というふうには思わない。



ペットのために必要な備えはお金だけではない。
能登半島地震の被災者が犬と一緒に車中泊をしている様子をテレビで見たことがある。
「動物が苦手な人もいるだろうから」
「迷惑をかけたくない」
と白い息を吐きながら話していて、気の毒でならなかった。災害時にはペットは“リスク”になり、ペット連れは災害弱者になるのだと知った。

私が住んでいるところは洪水や土砂崩れの恐れはないけれど、地震は怖い。家族には、
「私はくり坊とちょこんと家に残るから、あなたたちは避難所に行って自分の身は自分で守ってよ」
と言ってある。
野良猫だったちょこんはうちに来て四年になるが、いまだに怖がりでほとんど触らせてくれない。非常時に彼女をキャリーに入れることができるとは思えない。
しかし、家に留まる理由はそれだけじゃない。
犬とちがって言って聞かせることができない猫を連れての避難所生活はかなり大変だろうと想像する。
一番神経を遣うのが脱走防止だ。外に飛び出したら呼び戻せないから、ケージに入れっぱなしにするしかない。それを考えると、ぎりぎりまで連れて行きたくないのだ。

とはいえ、家が傾いていたらそうもいかない。自治体も災害時はペットと一緒に避難する(同行避難)よう呼びかけている。
幸い、近所の小中学校は「ペットの受け入れ可」だ。そのときはお世話になれるよう、物品はひと通り準備している。
それといま、くり坊にハーネスをつける練習をしている。
猫武将チャチャくんみたいに装着させてくれるようになったら、少しはケージから出してあげられると思って。




【あとがき】
動画ではチャチャくんはじめ、ハーネスをつけて散歩をしている猫をちょくちょく見ますが、実際には見かけたことないなあ。動画の猫さんたちはお外を楽しんでいる感じがします。うちのくり坊はまだまだ……(固まったまま動かない)。