仕事が休みの日に家や子どものことで予定が詰まっていると、ひとり暮らしの頃を思い出して、
「二十四時間を自分のためだけに使えるって、なんてぜいたくだったんだろう」
と思うことがあった。
自分だけなら、おなかが空かなければごはんはつくらなくていい。洗濯物は二分で干し終わり、部屋も散らからない。ああ、なんて楽チン。たまには家の用事も子どもの世話もしなくていい、ご褒美みたいな一日がほしいなあ、と。
しかし、本当に二十四時間を自分のためだけに使えるようになったら、それはご褒美なんかじゃなかった。
先月末から自宅に帰っていない。新型コロナウイルス感染症の第七波でコロナ患者が激増、レッドゾーンでの長時間勤務による感染リスクを考え、職場が用意してくれた宿泊施設で生活しているのだ。
スタッフも次々に感染し、戦線を離脱する。本当に凄まじい感染力だ。二年半、コロナ患者の看護にあたってきたが、これほどの脅威を覚えたことはない。
「家族にうつすわけにいかない」と車で寝泊まりしたり自腹でホテルに宿泊したりしている医療従事者もいる中、家電も生活用品も揃った借り上げマンションに帰れる私は恵まれている。自分のせいで家族を危険に晒すことはないと思うと、気持ちが楽だ。
でも、まさに“二十四時間を自分のことだけに費やしている”いまの生活はとてもわびしい。やるせない。
二十二時頃、くたくたになって真っ暗な部屋にたどり着く。手を洗いながら、N95の痕がくっきり残った顔を見て思う。
「家のことも子どものことも放りだして、家族に大きな負担をかけて、いったいなにをしているんだろう」
私は看護師である前に、母親であるはずなのに。
私は社会人になってから看護師になったのだが、「看護師になろうと思う」と伝えたとき、母はいい顔をしなかった。
「仕事は3K」(2021年7月13日付)に書いたようなことが理由ではない。
「子どもが小さいのに、病気を家に持ち込むようなことにはならないか」
を心配したのだ。
医療従事者には病原体が含まれた血液や体液に曝露することによる感染のリスクがある。
創処置の際に装着していた手袋にピンホールが開いていたり、患者に噛まれたり。私は新人のときに針刺し事故をしたことがあるが、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルスなどに感染していないかを確認するため、定期的に血液検査を受けた。六か月後、感染不成立として追跡検査不要となったときはほっとしたものだ。
「肺炎」で入院してきた患者が後から肺結核と判明し、病棟が騒然となることもある。
「○○さん、塗抹検査陽性。ガフキー5号だって」
「そんなこといまごろ言われたって!私、数えきれないくらい吸痰してるよ」
「抗菌薬がちっとも効いてなくて、気になるねって言ってたんだよ……」
医療現場でポピュラーな病原体の中でも、結核菌にはとくに敏感になる。このとき濃厚接触者と認定された同僚は半年間、抗結核薬の予防内服をしなくてはならなかった。
子どもが幼かった頃、「おかえりー!」と玄関で出迎えてくれるのにハグできないのが切なかったっけ。髪や肌が汚染されている気がする。「帰ったら浴室に直行する」は看護師あるあるだ。
が、職業感染のリスクは承知の上といっても、こんなパンデミックが起きて家に帰るのが怖くなる日がくるなんて誰が予想できただろう。
退職の意思を固めた同僚がいる。
「家族と離れてまで働きつづける理由がない」
病棟の廊下の床には赤の養生テープでラインが引かれている。これより先はレッドゾーン、というしるし。
その一線は彼女の心にも存在していて、踏み越えてしまったということだろう。
終わりが見えないのは本当にきつい。彼女の言葉がぐるぐる回る。