というわけで、前回の「土俵の女人禁制」で実施したアンケートに46名の方がご協力くださいました。ありがとうございました。
実はあのテキストをアップしてから、ちょっぴりドキドキしていた私。というのは、ネットの掲示板では「これは伝統だ」よりも「差別じゃないか」の声のほうが大きく聞こえていたからだ。
【あなたは知事の土俵入りを認めるべきだと思いますか?】
選択肢 | 回答総数 46 ( )内は男性 |
認めるべき | 4 (2) |
認める必要なし | 40 (10) |
その他 | 2 (1) |
まったく予想外の結果であった。
もちろんこれを世論の縮図だなんて思っちゃいない。「この小町さんって人とはことごとく意見が合わないのよね」な人ははじめからここには来ていない可能性があるし、最後にアンケートに答えようと思って読み進めたら、書き手と反対の意見であることがわかって「やっぱ送るのやーめた」にした人もいたであろうから。
しかし、「認めるべき」「必要なし」の比率はどうあれ、こんなふうに考えている人がこれだけの数存在するということだけはたしかである。
今日はいただいた回答の中から、とりわけ「なるほど」と頷かされたもの、新しい視点を与えてくれたものを紹介させていただきたい。スペースの都合上、一部引用となったものもあるけれど、文意が変わらぬよう気をつけたつもりなのでご勘弁を。
「土俵入りを認める必要なし」と回答したのは46通のうち40通。そのうち19通が「相撲は単なるスポーツではない」「女人禁制は伝統である」を肯定した内容でした。
大相撲は競技+神事であると思っているので、巫女さんに男性がなれないように「性による役割分担」はあってしかるべきじゃないかなぁと思います。伝統としてその形を守っていくことは必要だと思います。 【男性・必要なし】
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伝統だからこそ、マゲを結って褌をしめて相撲をしているのだし。競技としての側面だけを捉えるなら、スポーツ刈りでも茶髪でも短パンでも構わないスポーツになるのではないか。 【女性・必要なし】
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茶髪ロン毛の力士を想像してクスッと笑ってしまったけれど、こういうことひとつ取っても、私は相撲に「単なる競技スポーツ」とはみなしがたいものを感じます。
「品格」なんてものが要求されるのも、角界だからでしょう。
いつも『大相撲ダイジェスト』で話題の力士をチェックするだけの私が思わずコウベを垂れてしまった、こんな一通。
私は一番電車で当日立ち見券をゲットして場所を見に行くほどの相撲好き女です。相撲はやはり伝統、文化としての意味合いが強い。真の相撲ファンとして、その深みを理解せず、ただのスポーツと感じる人々に神聖な土俵に土足で上がって欲しくない。 【女性・必要なし】
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内館さんがエッセイの中で、「本当に大相撲を知っている人間は『女を土俵に上がらせろ』とほざくことがどれほど破廉恥でみっともないことか、わかっている」と書いておられたのを思い出しました。
続いて、「土俵入りを認めるべき」に一票を投じてくださった方のコメント。
相撲が神事と言う立場で今も続けられているのであれば、何故巡業やトーナメントなどをする必要があるの?神事という立場を貫き、女人禁制を守るなら古来からのやり方をまず守るべきなのでは?それもできないのに女人禁制だけ守れといっても説得力はないと思います。 【女性・認めるべき】
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現在の相撲が神事のためだけに存在するものでないことはご承知のとおりです。
女人禁制は「相撲」という伝統文化を形成する核のひとつ。それだけを守ってきたわけでも、守ろうとしているわけでもありません。
昔のしきたりや様式が継承されて「伝統」となるのだから、現代の価値観に合うはずがないのはある意味当たり前。でもだからといって現代風にアレンジしなければならないなんてわけはなく。
もちろん時代の流れで姿を変えていく伝統もあるけれど、
伝統を守る、変えるを決めるのはそこに携わった人やその中心にいる人たちであるべきだと思う。 【男性・その他】
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に私はうなづきます。譲れる部分、譲れない部分を判断するのはそこに心血を注ぎ、支えてきた人たちでしかない、と。
「差別と区別は違う」「女性が入れない場所をすべて女性蔑視と決めつけるのはおかしい」とするご意見も多かったです。
今の日本はジェンダーフリー、男女共同参画社会ばかりを叫びすぎるように思います。男女差別を叫びすぎることが逆差別になることだってあるのでは。 【女性・必要なし】
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男女は同等ではあっても、同質ではないのです。 【女性・必要なし】
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で、笑ったのがこれ。
ちょっとズレますが、うちの近所に「婦人センター」っていうのがあって、何年か前に「女性センター」に名前が変わりました。そこまではよかったけど、去年から「男女平等センター」に。これって変じゃない? 【女性・必要なし】
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傑作ですねえ。「そういうモンダイなんか!?」とすかさずツッコミ入れてしまいましたが、うーん、きっとそういうモンダイなんだろうなあ。言葉を使う側の人間が言葉に振り回されていて、滑稽です。
知事賞については、「それでも賞を受け取る」日本相撲協会の姿勢を批判するコメントが続々。
賞を設定した代表者の表彰を拒否するのなら、賞自体を辞退するべき。金だけは出してねって言う態度は社会性が無く、存立自体を疑う。 【男性・認めるべき】
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知事賞はもともと相撲協会がおねだりしてできた賞なんです。土俵に上げられないなら、いりませんって断るべき。大阪府、財政苦しいんやし。それにしても失礼やな、相撲協会。 【女性・その他】
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これ、心情的にはすごくよくわかります。「そんなわがまま言うやつに賞なんかくれてやるな!」というご意見もありました。
でも、知事本人が手渡せなければ授与する意味がないのか、スポーツの振興や大阪のPRといった賞の目的が達成できないのかと考えると、それはまた別の問題だと思うのですよね。私も大阪府民のひとりではありますが。
ちなみに賞の内容はトロフィーと五十万円相当のちゃんこ鍋用の農産物だそうです。五十万て!
アンケートの回答の八割がコメント入り。おまけに「あ、いつもやりとりしている人なんだわ」とわかる親しげな口調のものがいくつもあって。
無記名でないと集まらないだろう、と差出人のアドレスがこちらにわからないCGIメールを使ったのだけれど、「差し支えのない方はお名前も」と書いておけばよかったなあ、とちょっぴり後悔。
今回初めてメールくださった方もいたかもしれないのに。惜しいことしちゃった。
面倒を厭わず回答してくださったすべての方に感謝します。機会があったら、またよろしくお願いします。本当にありがとう。