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2001年05月24日(木) 私の同棲論

職場の男性はたいてい仕出しの弁当を食べるのだが、隣席の男の子は毎日手作り弁当を持ってくる。
容器もそれを包む布も、キャラクターの絵が入った可愛らしいものだ。それは母親が作っているのだろうか、それとも奥さんだろうか。
聞いてみたら予想外の答えが返ってきた。
「彼女ッス。僕、同棲してるんで」
へえ、こんな身近に同棲中の人がいたとは……。

独身時代、「結婚するまでしてはならない」と自分に言い聞かせていたことがいくつかあったのだけれど、そのひとつが同棲だった。
とくに大学時代。親元から離れてひとり暮らしをしていると、ハメを外そうと思えばいくらでも外せる。しかし、「後できっと後悔する。だからぜったいだめ」と強く思っていた。
もしいいなと思っていた男性が、女性と同棲していたことがあるとわかったら……。がっかりしない?気にしないでいられる?私の答えは“NO”だ。
結婚を決めたカップルが最終確認のために一緒に住む、という話ならわかる。しかし、たとえば大学生同士のそれのように「一緒にいたい」という理由で同棲することに、長い目で見てメリットがあるのか。大いに疑問だ。
私は考える。結婚まで辿り着けなかったとき、「同棲していた」という事実が人生にどんな後遺症となって現れるのか。得るもの、失うものは何なのか。
結婚を考えている相手に同棲経験があったことを知って、平気でいられる人はそれほど多くはないのではないだろうか。私は頭が固いから、同棲していると聞くとどうしてもだらしないイメージを抱いてしまう。親の世代ならなおさらだろう。「ふしだら」という言葉は若者にとっては死語でも、彼らの辞書には健在である。
だとしたら、その経験は自分の経歴に傷をつけることになりかねない。好きな人とふたりで暮らせたらどんなに楽しいだろうとは思うが、そのことを考えたらあまりにリスクの高い賭けのように思える。
「結婚は紙切れだけの問題」というのはしばしば耳にする言葉だけれど、私はこれが嫌い。同棲と結婚はまったく違う。何がって、覚悟が、責任が、背負うものが。紙切れ一枚を出すか出さないかの差が大きいのだ。生活がまるで違ってくるのだから。
相手の人生を丸ごと背負う。甘くておいしいところだけではない、苦さも辛さも全部だ。それは、ふたりきりの世界では暮らせないことを意味する。

ここまでに書いたような堅苦しいことは抜きにしても、同棲は女の子にとって損な気がしてならない。とくに結婚したい女の子にとっては。
男の子は結婚というものを、女の子よりもずっとシビアに見ている。何も考えていないようでも、「面倒くさい」「遊べなくなる」ことくらいはイメージしている。
ということは、よほど必要に迫られることがなければ決断するわけがないのだ。まわりを見渡してごらんよ、「彼に結婚する気があるのかどうかわからない」と不安がっている女の子がどんなに多いか。
女の子はいいところを見せようとして、ついつい頑張っちゃう。現実は、家を居心地のいい空間にすればするほど彼はのびのび、あなたはますます婚期を逃がす……になるというのに。
それに何が嫌かって、中途半端に一緒に住んでいると彼が結婚生活に甘い夢を見なくなってしまうこと。
「こいつと結婚しても、こんな生活なんだろうな」
これは危険だよ。彼の中に結婚に対する憧れが生まれない限り、ゴールは見えないのだから。「なんか新鮮味ねえな。他、探すか」なんてことになったら、泣くに泣けない。
自分の時間を削って彼のために家事をして、結果嫁き遅れる……なんてどう考えたって割に合わない。
女にとって、やっぱり同棲は損。私はそう思うな。

【あとがき】
「結婚するまで、してはいけないこと」のもうひとつは、妊娠でした。これだけは絶対にあってはならないことだと思ってました。結婚したとき、「今はまだ子どもを作るつもりはないけど、もしできても大丈夫なんだな」と、重たいなにかを背中から下ろしたような気持ちになったのはたしかです。


2001年05月01日(火) 本当に不幸なのは

番組の中で後ろ姿でインタビューに答える彼女は、小学生のころから自分の顔が嫌いで嫌いでしかたがなかったという。
「大人になったら整形をして人生をやり直すんだ」と心に誓い、今日まで生きてきた。高校も卒業したし、アルバイトでお金も貯めた。いよいよ長年の夢を叶える------その直前のテレビ出演だった。
「ブスだと思われてるんじゃないかと思うと、人の目を見て話せない」
「自分の嫌いなところ?すべてです。目も鼻も顔の輪郭も、早い話が全部です」
こんなことを言うぐらいだから、どんなに不細工な子なんだろうと思った。
だから、スタジオに現れた彼女を見て驚いた。まったく普通の女の子なのだ。それどころか、きちんとメイクをしているせいか、整った顔という印象。華やかな顔立ちではないけれどスタイルもいいし、これなら美人と評されても不思議ではない。
しかし、彼女はその顔を捨てたくてしかたがない。「あなたは自分のことをわかっていない」「いったいその顔のどこが不満だというの」と驚くゲストの声も彼女には届かない。
「反対する人はみんな、『整形したらなにか大事なものを失ってしまうよ』っておっしゃいますけど、じゃあその大事なものってなんなんですか。教えてくださいよ」
「どうしようもない容姿のまま生きている女の人を見ると思うんですよ。どうやって自分の気持ちに折り合いつけて生きてるんだろうって」
誰の言葉もはねつける。これだけの容姿をしていながら自分を醜いと評価するのは、拒食症患者が実際は骨と皮になっているのに「まだ太っている」と思い込んでいるのと似ている。
これでは失ってきたものがたくさんあるだろうなあ、と思わずにいられなかった。彼女の本当の不幸は、自分を否定して生きてきたこと。
もし彼女が誰からも同情されるような容姿で、「一生うつむいて生きていくのはイヤだから」と整形を望んでいるならわからない話ではない。しかし、不当に自分の顔を嫌い、この顔でいるかぎり自分は幸せになれないと思い込んでいるのだから。
こんなブスな自分は素敵な人と恋をする資格がない、みんなが私を笑っている、顔を変えなければ私の人生は始まらない。そう思って二十年間生きてきたから、もう誰の言葉にも耳を傾けられなくなっている。唇をゆがめ、敵意むきだしで反論する彼女には、可愛げというものがまったくなかった。
過去には恋人も何人かいたのに、「どの人も男としての魅力はゼロでしたね。でもこんな私と釣り合うのはその程度の人しかいないと思ったから、付き合ってました」と平気で言えてしまう心の荒みよう。彼女にとって、生まれ変わるまでの人生は惜しくもなんともないらしい。
十代の恋を粗末にしてきたことがどんなにもったいないことか。彼女はいつか気づくのだろうか。
手術直前のVTR。「生まれついての顔を見るのはこれで最後だけど、なにか言ってあげたいことはないですか」という問いかけに、彼女は即答した。
「べつにありません。さっさとおさらばしたいんで」
「生まれ変わった後の人生」は、彼女の思い描いたものになるのだろうか。(後日談はこちら

【あとがき】
女性は「きれいになったら人生が開ける」「痩せたらすべてが解決する」みたいに考えてしまうところがあるけれど、残念ながらそう単純なもんじゃないんだよねえ。一生下を向いて生きていくよりはぜったいいいけど。