マダムマムアンの静かなる日々...まだむまむあん

 

 

夏休み中なのに - 2006年08月25日(金)

学校で会議があって召集された。
PTA会長は欠席するわけにいかない。面倒くさい。

9月になると「防災訓練」を行なう所も多いと思う。
うちの学校もそうだ。
学校としては、災害時に「無事に保護者に児童を引き渡せるか」が課題。
それほど少人数の学校でもないので、兄弟姉妹を順番に引き取っていると
全児童が保護者の手に渡るまで相当に時間がかかる。

その訓練と、自治体が「やれ」という、地域との共同訓練が一緒なのだ。
同日・同時間帯に同じ場所(学校)でやる。
そこに、PTA役員は自動的に参加させられる。
無理がある、どう考えても。
自分の子供はどうするんだよ?
どう考えたって、自分の子供の安全確保が最優先だろうが?
それを放ったらかして、自治体の訓練に参加し、しかも指揮を取れと?

タイムスケジュールの組み方が変だ。
「机上」で仕切っているのは教頭と福祉事務所の担当者。
前回の会議の時に、「これでは無理がある」ということを説明し、スケジュールの
組み方を再検討し変更するよう頼んであったのに。
何も聞き入れてもらえなかった。

話、聞いてなかったのか?
頭が悪すぎるのか?
私にケンカを売っているのか?

地域のオジサン・オバサン達が、防災訓練に関しては日頃からよ〜く
ご存知なので、当日にはもう、そのヒト達にお縋りするしかないなぁ。
さすれば、まぁ、なんとかなるだろう。
「ほんっとに、おたくの学校のPTAはどうなってるの?○○小学校なんか
もっとちゃんとやってるわよ!」
というオバサン達の意地の悪い声を聞き流しさえすればよい。

「言われる筋合い、ね〜よっ!」
ということを言われた場合であっても、会長である私だけが一歩前へ出て
「申し訳ありません。」と言えばよいのだ、多分。

ちっとも楽しいことではないけれど、実際に本当に災害が起きた場合に
頼りになるのは、この街に長年、暮らしている方々である。
商店会に、町会に、婦人会、青年会・・・。
頭を下げるくらいは何でもない、この際、いろいろ教わればよいのだ。

本当にムカつくのは、教頭&福祉事務所の担当者。
机上の仕切りしかできない、というだけでなく、どちらも他所のヒト。
しかも今年、赴任してきたばかりのお二人さん。

この街で災害が起きても、正直いって「関係ない」のだよね〜?
自分の街・自分の家族のほうが心配だよね〜、当然?
そして、いい加減な「仕切り」をしても、公務員の給料をしっかり
貰っているのだよね〜?
「痛い」ところが何もないじゃん、ずるいじゃん。

PTA役員はもちろん、ボランティアである。
しかも立候補なんかじゃない。
「誰もなり手がいないなら、みんなが困るだろう。自分に何かできるなら・・・。」
という、完璧なる善意でやっている者ばかりだ。
街のオジサン・オバサン達も、町会やら商店会やらの「お金」を持ち出して
参加している。(自治体からも僅かばかり補助金は出る。)

福祉事務所の婆さんは訓練に関する付き合いだけなので、終われば
二度と会うことはないかもしれない。
学校関係者&PTAについては、いくらでも書く題材がある。
たくさん怒りをぶちまけることができるのね、なんて楽しみなことかしら!

今日もまだまだ、「まだむ」の気はおさまらないが・・・
せっかくの週末くらいは睡眠導入剤ナシで眠りにつきたい。
今日はこれでやめておく。








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まむあんの静かなる怒りの日々 - 2006年08月24日(木)

・・・という日記タイトルにしたのに、日記ページの表示が変更されない。
なんでだろう。そういうもん??

昔々は、そういう事でも本気で頭に来て怒ったものだった。
元気だったのだな〜、と思ったりする。

今はあまり元気とは言えないけれど、怒るのは同じ、やはり気が短いほうだと思う。
ただ怒り方が少し変わった。
対象に向かって直接、怒ることがとても少なくなった。
その分、こういうところで書いて吐き出す。
それも、暫くの間、自分の中にためておいてから、おもむろに。
性格が暗くなったってことか・・・。

誰かに話したり、ブログや日記に書いたり、お酒を飲んだ時に発散したり・・・
とにかく「吐き出す」タイプ、ではない人もいる。
たとえばウチの夫なんか、そうだ。

仕事もハードで責任も重く、明らかに色々とストレスを抱え込んでいるのに、
殆ど話さないし、何かに書くこともないし、発散できるような趣味の時間もない。
自分の中にため込んで、そのまま消化してしまうのだろうか。

どう見ても「辛そうだな。」という時は、私があれこれ突っついて吐き出させる。
そうすると、「そうだよな、話せばいいんだよな、聞いてくれてありがとう。」などと言う。
「辛いんだよな〜。」と。

話せない・書けない・発散できない。
上手く消化しているようで、実はオリが残ってどんどん溜まっているのだろう。
睡眠中にうなされて、ひどく寝汗をかいていたりする時は、辛さがピークにある時だ。
そういう夫なもんだから、私も自分のことは彼には話さない。
話した途端、そのことが夫の最大の心配の種となりストレス原因となるだろうから。

私はこういう場所で書くことができるので、それで良い。
地面にあいた深く暗い穴に向かって、夜中に人知れずわめくようなものだから
「良い」という言い方は変だけど。

幸か不幸か、これを読むヒトはまずいないだろう。
好きなだけ罵詈雑言を浴びせることができる。
あの事・この事・アイツにコイツ。









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そもそもの始まり - 2006年08月20日(日)

自分の病気の、いちばん最初のキッカケは「妊娠」だった。
マタニティブルーというやつで、それ自体はごく普通の症状だったように思う。
ちょっとしたことで怒ったり泣いたり、被害妄想にかられたり・・・。
自分で感情をコントロールできないことにも苛立った。

出産後、SOHOの仕事を始めたので、そっちに気を取られた。
「生まれたんだから、症状も治まったんだな〜。」と思った。
仕事が軌道に乗って何年かして、少し大きなプロジェクトに参加することになった。
いつも自分がやっている仕事とは違う「立場」を任された。
というのは名目上のことで、チーム内ではこれでも最年少の部類だったため、
結局は「パシリ」的なことも多く、それがとてもイヤだった。

会社なら我慢できるし、するべきなんだろうけど、会社じゃなかったもん。
チームは、みな「独立したSOHOの皆さん」で成り立っていたのだ。
起業家集団、当時は雨後の筍のごとく次から次へと生まれていたNPOのひとつ。
私も含め、それぞれが一国一城の主。
個人事業主だったり、小さいながらも会社の社長だったり・・・。

まあ、そんな環境で半年ほど頑張っちゃったわけです。
それがマズかったらしい。
「あなたならできる、まかせるわよ。」と美味しいことを言われて、それから
手の平を返すように、大勢の前でボロクソに攻撃されました。

思い返すと、今でもそのリーダー的立場にいた女(とも呼べないような代物)に
唾を吐きかけたくなる。
自分が攻撃されただけでなく、プロジェクトのために集めてきた若手のアーティスト達
の作品に対しても、美的センスのかけらもないその女は、酷い扱いをした。
彼女自身はモノ創りについて「ど素人」だったのに、そういう仕事をする者に対しての、
根拠のない侮辱は、とてもとても許せなかった。

そういう姿を見ていた時、なぜか、スーパーで何も問題なさそうな野菜について
延々と難癖をつけるオバサンを連想していた。
つまり、「押しの強さ」と「ワケわかんないパワー」だけはある女だった。
ある意味、リーダーの素質はあるんだろうな、良いか悪いかは別として。
そういうものが欠けている人間、長いモノに巻かれて生きていたい人間、
他者の感性や個性を大切に思うことすら知らない人間は、ついて行くのだろう。
あるいは、そんな女に、ビジネス的な利用価値を認めている人間とかね。

何年か後になって、同じNPOに一時期だけ所属していた方と話す機会があり、
私と同じ目にあった人は他にも沢山いる・・・ということを知った。
さもありなん。
「嫌われ○○子の一生」は、この先、どうなるんだろうね。
もう、私の知ったことではないけど。

そんなこんなで、その女のせいで病気になり始めた。
もちろん、そこで負けた自分も弱かったんだと思う。
私は、人から頼まれたこと・任されたことは、自分の好みにかかわらずマジメに
やるタイプだし、納得がいくまで頑張るほうだ。
それが認められないこともあるだろう、世の中には。
それくらいは理解している。
が、認められないどころか、「え?なんで?」というような、「寝耳に水」的に攻撃
されちゃったのだから、たまらない。

弱い人間もココロの病気になるんだろうけど、頑張る人間、真面目な人間もココロの
病気になる確立が高い・・・ということは、ごく最近になって知った。
知った今では、「そうかぁ。」と思うけれど、知らなかった数年の間、ずっとその女の
名前をネットで見かけるたびに、おぞましい気分を味わわされていた。

問題は、私がSOHOだったということだ。
基本的に、仕事を「ひとり」でやっている。
誰かに相談することもなく、心配かけたくないから家族にも言わず、抱え込んだ状態で
ずっと過ごしていたのが良くなかった。
そうして、病気になった。
さらに、病気だと気づくまで一年くらいかかったのだった。









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再開 - 2006年08月18日(金)

もう一年以上、書いていなかった。
過去のものはすっかり削除して新たに再開。
日常生活に変化があったので、病気がハッキリと表に出てきた。
放っておけば、時間がたてば治るかな・・・と思っていたけど甘かった。

ストレスをどうしても避けられない状況というのがある。
年を重ねて「オトナ」として世の中を渡らざるをえなくなったからなのか、
色んな能力が衰えてきて「上手にかわす」ことが出来なくなったからなのか。
いずれにせよ、ストレスに弱い自分がここにいる。
そんな自分を責めてはいけない、とはよく聞くが、それでも責めてしまう。

病院へ行くのも勇気がいる。
勇気をふりしぼって、動悸と手の震えを我慢して辿り着いた最初の病院は
最悪だったな。
予約してあったのに、そんな状態で1時間も待たされた。
身体の不調に、どうしようもないイライラが加わったのは言うまでもない。

別の病院へ行く気になるまで1ヶ月ほどかかった。
その間、症状を周囲に隠し、なにげなく普通の毎日を送っているフリを
しなければならなかった。
それが、さらに病気を辛いものにしているのはわかっていても、家族には今も
話していない。

テレビなどで「鬱」の特集をよくやるようになった。
もっともっと大変な状態の人が沢山いる。
「鬱」といっても、解釈も広く症状もいろいろ。
引きこもってしまう人もいるし、何も出来なくなる人もいる。
仕事も家事も育児も・・・何もかも出来ない。
「怠け者」と言われ、自分でもそう感じてしまい、どんどん悪くなる。
いなくなってしまいたくなる。

そんな人の話を聞いていると涙が出てくる。
私の場合は、幸いなことに、その手前。
不安とパニック。
ごく一般的な、さして強くない薬の服用で日常生活をなんとか送ることが出来る。
ただし、その精神安定剤と睡眠導入剤がないとダメ。
服用量も自分で調節できるが、調節するために「翌日の予定」を思い描いた途端、
動悸が激しくなり呼吸が苦しくなる。

ごく軽い症状の部類に入るのだと思うが、それはそれで辛いものがある。
もちろん薬の副作用もある。
眠気ぐらいはなんでもないし、頭痛薬と併用しても問題はないので「頭痛持ち」と
しては助かるのだけれど、治療済みの歯が急に痛み出した時はビックリした。

行きつけの歯科医はとても丁寧に説明してくれた。
精神安定剤を服用していても、さらなるストレスと疲れがたまると、歯に来て
しまうことがあるのだそうだ。
へ〜、という感じ。
カラダでもココロでも、「病気」というのは、みな厄介だ。

私は静かで穏やかな毎日を送りたい。
それは、変化のない平凡な毎日という意味ではなく、あくまでも自分や自分の家族に
とって平和な毎日という意味。

生活していれば、困ること・辛いこと・・・そんなのは当たり前にある。
そんな時、妻として主婦として母として、笑顔で家族を支えてあげたいと思う。
笑顔が少なくなったことは、「仕事、大変だよね。」「学校(PTA)も大変だよね。」
というレベルで理解されている、とりあえず。

本当に、昔の自分のような「あっけらかん」とした笑顔は戻るのだろうか。
今よりもっと悪い病状になりそうな、そんな状況が自分のまわりにあるので、
マジで気が抜けない。それもまた、しんどい。

ストレスには弱いが、元来の性格なのか、そのストレスの原因となる状況に対して
怒りを感じている自分も確かにいる。
きっと根が「怒りっぽい」のだろう、ある面ではとても短気。

それと「バランス」。
これは自分にとって不可欠な要素だ。
自分でバランスを崩してしまっていることも認めるが、周囲にバランスを崩されて
いることも確かなのだ。だから怒りを覚えてしまう。
厳密な意味での「調和」ではなく、あくまでも「自分流のバランス」なので、周囲には
理解されにくいのかもしれない。
いわゆる「勝手な性格」。
ワタシが世界の中心、という人間。
だから、バチがあたってこの病気になったのかも?!
それならそれで、しかたないでしょ。









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