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大晦日です。
ここ数年は、お正月は正月で一つのイベントではあるのだけど 頭の中が大きく切り替わるのは3月〜4月。 息子の進学や進級にあわせてでした。
年が「暮れて行く」と言う感じはあっても、明けて行くと言う 実感が中々持てない。 元旦は一応、家族が揃ってご挨拶と言う、普通の家庭らしい風景 なのだけども、お雑煮を食べながらも 新年早々漠とした不安が。 穏やかなお正月であればあるほど 「来年の正月もまた、こうして無事に迎える事が出来るのだろうか」 と、鬼も呆れるような事を考えます。 子供が小さかったのと、やはり少し複雑な家庭ですので、事が起きた 時に自分がやり抜ける自信がどうにもないと言うか、そんな感じ。
今年は身辺に変化が幾つかありました。 変化は来年も確実に続いて行くだろう余韻を残して、久し振りに 明けて行く年を感じています。 変化はどれも今のところは大きなものでもないのだけれど、しかも 良い変化にするのもその逆も 自分次第である事も 判っているのだけど。 加えて相変わらず 家族の老朽化・・・じゃないや高齢化が進み、 自分も含めて予断を許せる事など、やっぱり余りないのだけれど・・・ ただ子供だけは大きくなり、なんかむしゃむしゃと食べてますけど。
明けて行く感覚っていいものなんだな。 若い頃は、明日ばかりみていたから、今年のうちに もう翌年をみてた。 ここのところずっと、目の前と言うか目の下と言うか、そこばかりで でも、小さな子供がいる時ってそんな物かも知れないけど。
年が明け、更に4月になれば息子は3年生になります。
「小学校2年生までは低学年。では3年生は何学年でしょう?」 「う〜〜〜〜ん。こがくねん?」 「そりゃこう学年。しかも3年生はちゅう学年」 「そうか」
漢字も書けるようになりました。下手だけど。 九九も出来るようになりました。間違うけど。
まあ頑張ってる方と言う事で、お母さんも頑張るよ。
スピッツが好きなんもんで 〆は彼らの「チェリー」から。
きっと想像した以上に騒がしい未来がボクを待ってる。
みなさま、どうか良い年をお迎え下さい。
2006年12月28日(木) |
サンタさんがやって来る。 |
サンタさんへ
今ひらいているカタログの右のページにまるを かいたくるまがあります。そのくるまをください。(原文ママ)
トイ○らスのカタログとともに 息子が勝手に書いて窓際に 置いていた。 その車は既に買われ、家の中に隠してあるわけなのだが。 (早めに決めさせて買う。だって混むんだもん) 読んだ祖母が言った。
「漢字習ったでしょう。『車』も全部あんたひらがなで。 これじゃあ、サンタさん1年生の子かと思うだろうね」
1年生でもお勉強してる子は、もっと漢字書けます。
すると息子は何か書き加え始めた。 2−2 ○○Rたろうより
2年2組と言う意味らしい。それなら車を漢字に直せばいいのにと 思ったけれど、そのままにする事に。
大人は夜考える。 「果たしてこの手紙をどうしたものか。サンタさんが持って行ったと 言う事にすべきか。でもそれをすれば25日の終業式で もしも 『サンタはいない』と言う話になった時に『うちはサンタに手紙書いたら ちゃんとなくなっていたもん』とか言い出さないか?」
知り合いの家ではお姉ちゃんが小4までサンタクロースを信じており それで学校で悲しい目に遭ったのだそうで、だから息子と同学年の 弟の方には早めにサンタはいないと教えているのだそうな。 胸がちくっとするエピソードである。
結局、手紙は回収せず、そこに直にプレゼントをドンと置く事に。 大人が考えるより、うちの息子に関して言えばもらえさえすれば あとは割とどうでもいいらしい。 もらえるかどうかが重要なのだ。 サンタは親だと判っていても、「サンタさんへ手紙を書いたら?」 と言えば、欲しい一心で 一定の年齢までは書きそうである。
今回面白かったと思うエピソード
斜向かいの年長の女の子がぽつりと 「頼んでもいないのに私にはニンテンドーDSが来たの」
冬休み、DS持ってる兄ちゃんの相手をして遊べと言う親心なのだろう。 でも頼んでもないのにと言う言葉が妙におかしく、女の子も 大変だろうけど家にいたら面白いだろうなと思った。
私のクリスマスはまあまあ。 誰もケーキを用意してない事に当日気付いて逆切れしながら買いに 行った以外は、メールで普段話さない人にメリクリで様子伺いをし 元気な事を知って、ほっとする。
自分の時間も持てて、いつになく充実していた。
賽(さい)。サイコロの事です。
ボードゲームの超ロングセラー「人生ゲーム」は元々1960年にアメリカで 発売されたものが元になっているので、昔は確か単位はドルでした。 子供一人ゴール時2万ドルとして計算されます。 ここが人生の分かれ道を決めるのはルーレット。
とは言え、これほどサイコロが似合うゲームもまたないような気が していました。 双六タイプだからでしょうけれど。 山と谷があり過ぎて、多少理不尽でもあり、どこか博打めいてもいて。
ゲームソフトですがボード系のロングセラー「桃太郎電鉄」は サイコロを振りますが、ゲームなだけにコントローラーのボタンをポン。 博打感は薄いです。ゲームの性質からはこれで丁度いいのかも知れませんが。
賽を振ると言う言葉に憧れます。博打は性には合いませんが。 競馬にしてもテレビ観戦は好きなのですが、馬券は買った事がありません。
競馬と言えば、阪神ジュベナイルフィリーズ、ウォッカが見事な走りを 見せてくれました。今年はラインクラフトが早逝し、シーザリオは 故障から国内で走るのを見ないまま繁殖にあがってしまいましたし 先日のエリザベス女王杯のカワカミプリンセスの降着も残念でした。 そんな中で本命アストンマーチャンを差し切ったガタイの良い姉御の ようなウォッカの来年に大いに期待しています。 牡馬より牝馬が好きなんですよ。 ああ、話がそれた。
賽はやはり自分で振るもの。 どんな目が出ようと、粛々と従わなければ ならない時もあります。賽の目はそのまま、運命と呼ばれる物なのでしょう。
人の手には 常に見えない賽が握られており、自分にしか見えない賽の目に 従って、前へと進み、自分にしか判らない時にまた賽を振る。 人生は この繰り返しであるような、そんな気もします。
2006年12月06日(水) |
振り返るその1 〜ダイエット編〜。 |
2006年も残り僅か、いよいよ師走に突入したと言う事で 今年1年をちょぼちょぼと振り返って行きたいかなと思います。
まだ20日ほどありますし、何があるか判りませんけどね。
今年自分の身に起こったもっとも大きな出来事は体重の変化です。
子供を産んだらずっとぽっちゃり。実は産む前からそれなりに ぽっちゃり。10年以上前から既にややぽっちゃりって感じでした。
ダイエットも何度か敢行したんですけどリバウンド。ありがちです。
成人病もありますし、やっぱり色々活動的にもならないといけないの かなあと思って(クラス会も夏にあったし)初めは真剣に 徐々にまったり痩せて行く計画をたてました。
今回のダイエットは
炭水化物を減らす、たんぱく質を多く取る。なるべくサカナから取る。 エ○ナなど特保系の食品を積極利用する。 甘い物は和菓子に切り替える。ジュースは飲まない。 デリカテッセン系のものは極力食べない。 サプリは必要だと考えた物は取る。 運動をして、筋力は落とさない。
と言うシンプルなものでした。
カテキンでお馴染みの特保、ヘル○ア系でスポーツドリンク系が出たので お茶が飲めない私ですが、現在も続けられています。 タマネギ、ネギなどに含まれるアリシンと言う物質に過敏症があるので デリカテッセン系のサラダが大好きだったのですが、ほとんど食べる事が 出来なくなり、苦労せず、やめる事が出来ました。 和菓子は羊羹やドラヤキを少量。 夜は8時以降はヘルシ○以外は口にしません。 若干のビタミン類、アミノ酸シロップと言う物を疲れを感じた時に 飲むようにしました。
すると、割とするするって痩せてゆきました。 色々あった年なんで、結局精神的な物が一番クるって事なんでしょうか。 今は目標体重より5kgほど少なめ、まだじりじり減っているので ちょっとこれはこれで困ったなあと言う感じです。 食べてはいるんですけどね。身体は元気です。 それにしても、これでやっと普通!これまでぽっちゃりし過ぎ。
今回学んだ事として、ジュース類(スポーツドリンク等も含め)は大変 太ると言う事です。 入院中、食事はタマネギばっかりで(多分味にメリハリが付くのと割と 安価だから)ほとんど食べられず、痛みで相当消耗したはずなのですが 1ヶ月経って体重に変化がなかった。 心当たりと言えば一日1ℓは飲んでいた『アミノ酸』の名が入った 自販で買ってたスポーツドリンク。病院内は乾燥するので。 ご飯食べなくても、ジュースばかり飲んでちゃ同じだと言う事ですね。
それと、偶然近所に対面式販売の魚屋さんがオープンし、有難い味の 海の幸が割と安価で食べられるようになったのも減量に貢献してくれた ような気がします。これまた取り過ぎると、プリン体がどうのとか 問題あるみたいですけど、白身のお刺身や美味しいイワシが手に入る のは嬉しい事でした。 日本人はやっぱりお魚!
ただ、体重が減るのが思ったより途中から早くなったため 学校でお母さん方に努力を褒められるより、心配されましたが。 先生にまで・・・。すみませんねえ、人騒がせで。
他にも豆腐や納豆など、日本食には良質な蛋白がたくさん含まれてます。 海外でヘルシー志向の人に愛されるのも判る気はしますが ・・・そのあとチョコケーキのデカイの食べたら同じだぞ〜とも思う。
野菜は温野菜を多くしました。良く食べたのはブロッコリーです。 マヨネーズは少量、主にポン酢をつかって食べています。あっさりで美味しい!
筋力の維持として、腹筋背筋、スクワット等は途中まで欠かさず行って 来たのですが、これが最近サボリ気味。 すると、いきなり腰痛とわきばら痛が出るようになりました。 簡単なストレッチは続けるべきなんでしょうね。
痩せて一番嬉しかったのは、着たい物が着られる事です。 嬉しくなかったのは、ただ痩せただけ〜って事になってるってやつですね。 痩せたら何かいい事が!なんてのはありませんでした。 成人病からは遠のいたでしょうが、顔がちょっとたるみました。
食べてすぐ寝る 油菓子や油料理をよくとる 夜中食べる 水分を取る時はジュース系でとる 3杯飯を食う。
どれもやりたいんですが、やっぱりこれで太ります。よく判りました。 周りからは急に痩せたように見られますが、実際は時間もそれなりに かけているので、食生活を見直すきっかけになりました。
今くらいの体重は丁度20歳くらいの時のものであり・・・・・・ そう考えると何やらちっとも嬉しくありません。 多少ぽっちゃりでも20歳が良いにきまっとるっなどと逆切れした 顔が微妙にやっぱりたるんでいたり。
あ、余談ですがコラーゲンを愛飲してみたり。 痩せはしませんが、たるまないで欲しいと、この辺が涙ぐましいって言うか。
インコのおーちゃんが死んで1ヶ月が経った。
部屋の中には息子が趣味でデジカメで撮っていたおーちゃんの写真が まとめて貼り付けている場所もあるのだが、恥ずかしながら 私は いまだにそれをまともに見る事が出来ない。
実はおーちゃんの事を思い出しただけでまだ泣いてしまうので 思い出さないようにしている。
息子も含め、今は一緒に暮らす家族より、おーちゃんといた時期の方が 4年長かった。 その4年の間、何度もおーちゃんに話しかけたものだ。
「お前が、人間だったら良かったのにね」
彼はただ真っ黒な(ふちは白い)目で黙ってこちらを見返していた。 どんな夜中でも、どんなに激しい物音がしても、鳴く事も 暴れる事もせず 私が泣いていた時は、その涙が美味しいらしく(塩辛いので) 舐めに来るのだった。
おーちゃんが、華奢な指にも全く攻撃せず、息子の良き友達として 晩年を送ってくれたのは、彼自身も やっと安住の地に辿り着け それは、この小さな子供のお陰でもあったと言う事が、判っていたかの ようである。
おーちゃんがずうっといた居間の隅は、直ぐに片付けられて 籐のスツール が一つ、ぽつんと置かれている。
クリスマスが近付き、例によって光物大好きな家族で飾り付けたが 数日前、息子が 「みせたいものがあるから」 と言うので行ってみると おーちゃんのいた場所にクリスマス飾り第二部が作られていた。
それは100円ショップで買った飾りと、ガシャポンで買った光物系ばかり 溜まってしまった玩具で出来ていた。祖母と息子で作ったらしい。
そこは息子にとって「空いた場所」なのか「おーちゃんのいた場所」 なのか、訊ねてないから判らない。
ただ息子が決めたおーちゃんの誕生日は12月24日だった。
(実際は夏仔なのでおそらく6月辺り)
☆微妙な飾り、科学実験道具まで総動員した光り物。 スツールの上にあるツリーもどきは、息子の学習発表会の 魔法使いの帽子です。
2006年12月01日(金) |
泣いて、笑って、師走。 |
いつもこの時期になると、何かし忘れたようで落ち着かない。 だが し忘れた事をしようと考えている時間は、実際は余りない。
それが師走。
誕生日があって、クリスマスがあって、終業式があって 大掃除に追われて、どう言うわけか毎年虫歯が痛くなって 新しいカレンダーの用意をして。
今年はとにかく、笑う事も泣く事も多い年だった。 特に泣く事。 だけど立ち上がれないほど泣き続ける事もなくて 済むようになった。 そんな事に気付いた。 去年も泣く事は泣いた。丁度この頃からだったと思う。 その時に、5年、いや もしかしたら10年近く、ロクに涙も流さず 心のどこかが凍ったように生きて来ていた事に気付いた。 私は元々は、大変な泣き虫だったのだ。 息子が今、そっくりそうなっているが。
「言わなきゃ、判らない」
と言う言葉を学んだのも、去年と今年。 でもまだ上手く出来ない。
「言わなきゃ、わからないでしょう〜」 と子供には言うが。
泣いたり笑ったりが多くなったのは、私自身の中の割り切りが早くなった のでは決してなくて(これは一生、遅いままだと思う) いよいよもうダメだ、と思った時、なんとなくだめじゃないかもよと 庇ってくれる人の声を聴く事があるからだった。
私を私として、おそらく時に思い描いてくれる人に出会った。 たくさん。 クラス会などもあり、華やかでもあった。
どうしてもう少し、どうして若い頃に。 普通に 苦しまずに。 そう思う事もあるけれど と言うよりそんな事ばっかりだけど、それでも 何かを待っている。 今日は泣いたけれど、明日は。 そうじゃなければ明後日は、少しだけ良くなっているかも知れないと 師走を迎えた今も 相変わらず向かい来るだろう小さな事から大きな 事にまで、そんな思いでいる。
ぽつんぽつんと、若かった頃のつらかった事をこの頃母に話す事も 多くなった。20年ほどに渡るもので、その時は案外誰にも何も言わないで 来た事ばかりだ。
「どうして、その時に言わなかったの」
責める口調で言ったわけではないのだが、それが返って堪えるのか 時折、母が泣く時がある。 つらかった。 だけど済んだ事だから、もう誰も恨んでなどいないのだと そう言う気持ちになったから話しているのだけれど。
あらゆる事が概ね手遅れでも、絡んだ糸を少しずつほぐして行こう。 本当に困った時は、どうか あなたの力を貸して下さい。不器用な私に。
来年はもっと花を見よう。美しい物をたくさんみて 今年よりもっともっと、泣いて、そして笑いたい。
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