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2005年12月31日(土) |
2005を振り返っておかないと。 |
実は、あああっと言う間に年を越しちゃいましたよ。 紅白みて、ま〜た文句言って、文句言うなら見るなって感じなのに 結局ダラダラみて、挙句「来年からは紅白止めちまえ」などと無茶を 言ってからゆく年くる年をみて〜。 でも日付は31日にしてます。大晦日に書く気持ちはあったからです(汗)
今年一年を振り返って。
インフルエンザに罹ったのは全くもって想定外(3月)。 とは言えあれだけ流行ったので、想定の範囲に入れておくべきでした。 息子も罹ってたし。 ワクチン打っても罹ります。生活リズム悪いと重くもなりますし。 家中で、私がもっとも重くなってしまったのは、寝不足が続いていたから だったと思います。いかんいかん。
でもサイトを立ち上げると言う事は出来ました。去年の年末から ホームページビルダーに向かって、何度唾を吐きかけそうになった事か。 でも少し慣れて見ると、やっぱりお便利ソフトですね♪ 未熟なサイト構成と、判らん文章が量だけ置いてある場所ですが 訪問頂いたり、お知り合いの方が出来たりで実り多い一年でした。 後述の理由で、後半はちょっとサボったり不義理をしてしまっております(涙)
息子の小学校入学。 一学期は二者懇談で先生に思いっきり不安がられましたが、二学期は 先生の方で扱い慣れて下さったようで、息子も快適生活を送らせて 頂いてます。 漢字で『学校』と書く息子を見る日が来るとは思わな かったので、素直に嬉しいですね。
ちびっこ襲来。 夏場はすごかったです。男の子ばかり4人とかは多いですよ。 判った事。男の子は集まるとくさい。うるさい。 そして、ほとんどの子は親の前では別人のように良い子である事。 親の前で何を根拠にか、えらそうなのはうちの息子くらいだった。 なんて事だ〜。
ネトゲにはまってどん。 PCがいよいよ駄目になったのが4月。前のではスペックが低すぎて プレイ出来なかった、シリーズ物のオンラインゲームを始めたら見事に はまってどん☆ こちらでも色々な方とお知り合いになりました。 プレイスタイルも様々で、必ずしも冒険してないといけないわけでも ないので、ほとんどチャットと言う日もあります。 色々な方と、色々なお話をしました。 今の自分にとっては貴重な体験を沢山したと思ってます。
それではみなさん、良いお年をお迎え下さい。 (すでに明けてしまってるのは内緒)
8月から始めていたんだな〜。ネットゲームPSOBB。 もう4ヶ月やってるんだあ。色々な事がありました。
ゲームはゲームだけど、コンシューマーのRPGとかとは違って 会う人会う人、日本列島津々浦々、北は北海道から南は沖縄。 年齢も性別も様々、キャラクターの性別と本人の性別が合って ないのは当たり前。
慣れない内は、他の人のアイテム移動を手伝ったりしてました。 そこで知り合い、仲良くなった印象深い方を。 臥薪さん・・・おどおどする私に冒険に役立つ物を色々くれた人。 PSOの知識がとっても豊富な方でした。 タキさん・・・陽気で面倒見の良い、お姉さんみたいなお兄さん。 最近はお会いしてないですが、ろくなお礼の出来ない私が、猛烈に お渡ししたグラインダー、今思うと、返って迷惑だったんじゃあ(涙) タムリンさん・・・しっかり物のお姉さん。多分リアルもお姉さん。
『天使の誓翼』の仲間 そのうちチームに誘われます。そこでチームの仲間達と出会います。 マスター・・・サッカーが大好きで、リアルでも係わりの深い方。 勝負事となると別人のように気が強いっす。サンタクロースのように 懐が深いけれど、時にサンタ苦労すになっています。 琴ちゃん・・・チームのアイドルでムードメーカーです。一緒にいて 気が張らず、楽しい時間を過ごせるのは、やはり同性の彼女のお陰。 可愛らしさで新人さんを勧誘。 Hyoさん・・・ざっくばらん過ぎるシモネタで天使の雰囲気を決定付けた人。 逞しいレンジャーの姿を見ると「襲い掛かって来そう」と思う人は 天使ロビーでごつい猥談を経験した人に違いない。 まいちゃん・・・琴ちゃんと並んで、天使のアイドル。学業があるので 時折長期の休みに入りますが、頑張ってね。見捨てないでね。 う〜さん・・・平均年齢が高めの天使で、新しい人が入ったと聞いたので 早速カードを交換したら、自らカードにおっさんですと書いてあった。 だから遠慮なくお下劣ネタを振ってます。 しゃもさん・・・新しい方です。おっさんだそうです。嬉しいですね。 沢山遊びたいです。 リグさん・・・同じく新しい方です。こちらはお若い。最年少。 これまた嬉しいですね。私とか「吸うんじゃないか」とか言われてますけどね。
『天使周辺のお知り合い』 みぎしたさん・・・一時天使にいた事のある、女子高生とおやじの心を 持った気配り上手なお兄さん。Hyoさんとこの人は大酒のみです。 あすかさん・・・優しいお姉さんです。お洒落で、コーディネートに とても気を使うのでキャラクターはみな格好いいです。見習いたいです。 でも男性です。 keiさん・・・GreenSpritsのマスターで、フォマールが大好きなんだ そうです。私はフォマールがメインなので、随分良くして頂きました。 フォースの心得は、この方とみぎしたさんに教わりました。若いお兄さん。
他にもまだまだ書ききれないほどの方と、知り合いになりました。 みなさん、どこかで忙しそうな毎日を生きています。 そう言う方々との出会いで、得難い経験を沢山しました。 大事な物は小さな箱に仕舞う癖があるので、きっとこの経験も 心の中の小さな箱に、ずっとしまって行くことになると思います。
2005年12月27日(火) |
レミオロメン『粉雪』。 |
邦楽は余り聴かない。洋楽もかなり偏った聴き方をしているが。 好きなアーティストはいるけど、必ずしも新譜は聞いてない。 サザンとか、時代って言うか世代って言うか、どっちも近いから 頑張って欲しいし、好きなんだけど、必ずしもは聴いてない。
スピッツが好きなのだと、時々ここに書く。 草野マサムネと言うボーカルの人の、いかにも線の細そうな顔が ちょっと好きだし、声も言葉の使い方も好き。 「スピッツが好きならレミオロメンもいいかも」 と言われたので、いつか聴いてみようと思ってそのままだったが 粉雪の大ヒットが出たので、どこへ行ってもかかっている状態に。
なるほど、ボーカルの人の声質は少し違うが、雰囲気は似ている気も するし、何よりヒットするだけあって、メロディーが聴きやすい。 早速レンタルする事に。
何て言うのか、車で聴いてると泣けてきちゃって危ない。 しかも粉雪どころか吹雪。
でも待てよ。私は確か、前にこれと良く似たような事を書いた・・・ と思って、以前の日記を紐解いてみると ありました。今年1月30日。スピッツの『正夢』を運転中に聴いて やっぱり同じような状態に。 一年経ってて まるで同じか私っ!驚いた。 個人的には色々あって、随分変わった気もしてた。でも同じ。とほほほ〜〜。 しかも『正夢』の事を日記に書く少し前に、車庫にこすってドアを まるごと一枚取り替えてます。縁起悪、今年もやるのか。
何と言うかこの2曲。『正夢』『粉雪』ちょっと似てると言ったら 双方のファンの方に叱られちゃいそうだが、単純にメロディがと言うの ではなくて、何と言うか佇まいが。 冬の寒さの前に、色々ちょっと頼りなくなる季節に、やっぱりちょっと 頼りないけど、何とかしようかな〜な男性心理。 『ボクとキミとの歌』ですよ。いいですね。
基本的にこう言う歌詞世界って、別に若い子限定じゃないんだろうし ちょっと倦怠入ったご夫婦でも、ご主人がロマンチストなら「はあああ」 って考えちゃうのはあり得る事っぽい。奥さんも同じ。 何ではあれ、自分の事を考えて貰えるってのは女性にとっては幸せな事かと。
アスファルトに落ちては溶ける粉雪。 こちとら歌世界で出て来る、辺り一面真っ白状態。 でもね〜、これは比喩だから、真っ白になったって変わらないものは 全く変わらない。 それはそれで溜息が出て、ついでに涙まで出ちゃう って事なんだろうかなあ。 年初頭からやっていたのか。 そして、来年も またこう言う歌をたまたま耳にしては涙ぐむんだ。とほほい。 寂しいぞ私っ、悲しいぞ私っっ。 でも冬にこそ、このタイプの歌がヒットするってのもあるんだよね〜。
今現在暖か〜い人は、どうかこのまま暖かいお正月を。
クリスマスが終わった。あとはお正月だ。一年が暮れて行く。
問題はある。山積みとまでは行かないけれど、ずっと解決の 付かないでいる問題だ。 来年頭には、何かの動きがありそうだ。
私はどんな生き物も触れる。全身の毛が立ってしまうほど苦手な 蛾も、今では手の中で休ませる事が出来る。 生き物を殺さないから、人を憎んでもどうか周りには罰を与えないでと 神様にお願いした。 神様は目下、愚かな人間と思いながらも 成り行きを見守ってでもいるのだろうか。
息子はサンタクロースに、念願の大きなプラモデルをもらった。 でも自分では作れない。プラモ製作は祖母(母)の仕事だ。 細かい部品が組み合わされ、かなり精巧な物が完成した。 息子は喜ぶに違いない。 だが、結構な重量だ。落としたら部品は元に戻ってしまう。 バラバラになった時のために、作り方の説明書は失くさない様に しなければならないと話す。
自分の中の、どの部品が壊れてしまうのだろう、突然、歩みが止まる。 何故だろう、目も見えない、口も利けない、そんな気持ちになる。 何が間違っているのだろう? そんな時はどこを直せばいいのだろう。そもそも誰かが直してくれる 物なのだろうか。自分で治すものなのか。 周囲が変わってしまうのではない。自分の調子が少しばかり変なだけだ。 どうしたら直るんだろう? どこを治したらいいのか判らない。何を頑張ればいいのかも判らない。
誰かの肩を借りたいと思う事がある。だけど怖い。 肩さえ借りていれば、前に進める気がする。でもそれは違う。 肩に頭を乗せて眠りこけてしまったら、重くなり過ぎた肩の持ち主は 去ってしまうに違いない。
いっそ、この私の部品を誰かに配りたい。使える人はいませんか。 何度も壊れて、ひびを接いだような部品など誰も要りませんか。
夢は短く、慌しい。 醒めたと思った時には、また歩き出さなければならない。 もうすぐお正月だ。しめ縄、鏡餅、カレンダーも全部変えないと。
誰かの声が耳元でしたような気がする。きっと、それは空耳だ。 約束と約束とをつないで生きよう。誓いはない。誓いはもうない。
勝って嬉しい、はないちもんめ。 負けてくやしい、はないちもんめ。 あの子が欲しい。あの子じゃわからん。 ○○ちゃんが欲しい。
○○ちゃんは駄目。
こんな予定ではなかったんだけど、クリスマスイヴだと言うのに 大揉めに揉めてしまった。
きっかけは実に他愛ないのだ。 息子が失敗をやらかしたと大人が決め付けた。息子は同じ失敗を 前にもしていたので「Rちゃん、勝手な事をしてはだめだよ」と言った。 息子は「そんな事はしていない」と言う。 結果的には大人の勘違いで、息子は間違っていなかった。 それが証明された途端、悔しさから息子は泣き出した。 私は息子の正面に行って、悪かったとなだめようとした、その瞬間 息子が思い切り蹴り出した足が、私のアバラにクリティカルヒット! 狙って蹴ったわけではないのだが、悔しさから足を蹴り出したらしい。
気が弱く、言い付け虫ですぐ泣くが、息子には秘められた腕力と脚力が ある。ただ使い方を全然判っていないのだった。
ここのところ、頭の痛くなる話が多かった。人にはおいそれと 言うわけにも行かない事だが、半年ほど頭を悩ませている問題もあった。 努めて感情をころして来た部分が、氷が溶けるように緩んでもいた。 私はこれまでより ずっと良く笑うようになったと思うが、ずっと弱く へたれやすくなっていた。 息子に蹴られた事がきっかけで、全ての不安が一気に噴出して 悲しくなった。 とにかく悲しくなって、自室で泣いてしまった。
しばらくして息子が部屋にやって来た。息子は 親が泣くほどショックを 受けているとは、まさか思っていなかったようだ。 母親が泣いている姿をほとんど見た事がない息子は、私の泣いている 顔を見て、おもむろに「・・・吐きそう、おええええ」とやり出した。 これは大変だ、ずっと泣き続ける息子を たださすってやる。
全てが収まるまでに1時間。それが済んだら普通にクリスマスらしい 夕食が始まった。 息子は母親を蹴っ飛ばした事をしこたま叱られた。 私も「蹴られたらその場で何故叱らないか」と母に散々叱られた。
サンタさんが来ないかも知れないぞと叔父(弟)に脅かされて 息子は手紙を書いた。 「これからはいいこになります。やくそくします。Rたろう」
あとでこそこそと手紙のところに戻って、何か書き足している。 みると「ギル○ラゴンのプレゼントをもってきてください」 いわゆる、追伸である。 本当に言いたいのはそっちなんだろうなあ。
親子して声が枯れるほど泣いた散々なクリスマス・イヴだ。 だが、そう言う事もあるのだと思う。 寝る前には何事もなかったようにはしゃいでいた息子だが、寝る時に 「もう、人を蹴っちゃあだめだよ。口で言いなさい」 と言うと、「その話はしないで」と、またべそをかいてしまった。
これからサンタさんからの手紙をまたワードで打ってから私も眠る。 サイトのトップ絵にした、我が家のツリーを裏庭から撮った様子を 手紙に印刷してやろうと思っている。 今日はクリスマスだ。少しでいいから雪が降れば良い。 今日と同じかそれ以上、幸せな気持ちで明日も眠りにつければと思う。
メリークリスマス・イブ。
この行事は北国と、何だか肌馴染みが良い。 昔からそうした祝われ方をしているとは思えないが、今ではどこも イルミネーションべっかべかで、これが雪景色に映えて美しい。 サンタクロースは北極かラプランドか、とにかくやっぱり寒い所が 故郷と言われているらしいし。
個人的には、私はクリスマスと とても相性が良くない。 クリスマス自体は大好きなんだけど、嫌な事や つらい事が、 必ずこの時期に起きるのだ。私の誕生日はクリスマスの10日前で 嫌な事は大抵、この誕生日からクリスマスの間の10日のうちに起きる。 読んで下さる方にいきなりゲンの悪い思いをさせるのは余りに 申し訳ないので逐一は書かないが、おげっとなる出来事ばかりだ。
それでもクリスマスが嫌いになれないのは、どれほど切ない思いを しても人を好きになる事をやめられないのと似ている。 色恋沙汰ばかりではない。と言うかそっちはもう駄目だろう。 金魚も小鳥も癒されるが(でも世話は面倒)人とのやり取りに勝る ものはない。人が悩んだり苦しんだりしているのをみては、自分に 何か出来る事はないかと考える。(大抵はほとんど何もない) 人が喜んだり、幸せをかみ締めているのをみてはやっかむ。 とは言え、不幸を望んだりはしない。やっかむだけだ。 そんな時には激しく感情が動き、自分が人として 人の中で生きている事を 改めて考えさせられる。
人との出会いには、結局いつも何かを期待する。 クリスマスは、毎年漠然と待ち焦がれている。 待ち焦がれているうちにクリスマスは過ぎ去ってしまい 出会った人も、やがては縁遠くなって行く。
それでも雪が降って電飾が輝きだすと何かが起きるような気がして 気持ちが浮き立ち、ちょっとだけ心の中がポジティブになる。 去ってしまった人の事に思いを馳せて新しい出会いに期待する。
人が去ってしまうとしばらくは寂しいけれど クリスマスが終わっても寂しさを感じている暇はない。 大掃除が大抵はまだ残っているのだ。そんな余裕はないのだった。
2005年12月23日(金) |
ドラッグストアかうガール。 |
ドラッグストアが大好きだ。 何でもかんでも置いてあるから便利だし、実用的かつキッチュ感 溢れるアイテムが豊富にあるのも嬉しい限りだ。
お安いと言えば100円ショップ。これも中々見逃せないが ドラッグストアはその名の通り医薬品を扱っている。 新しいパップ剤やサプリメント、みて歩くだけで楽しい。 でもやっぱり一番真剣にみてしまうのは化粧品だ。
「しわとたるみに効く!たちまちハリのあるお肌に!化粧ノリが違う!」
でもって980円となれば「話は半分以下だ」と思いつつ、何となく ありがたい気がして買ってしまう。10倍のお金を払っても効かない どころか肌が荒れることもあり、本当のところ100倍のお金を払っても お化粧品だけではどうにもならない物は、悲しいがどうにもならない。 980円なら「売り文句」を買う感覚で楽しんで買える。
ところが、この低価格なドラッグストア系化粧品は決して侮れないのだ。 しっとりが売りの物はちゃんとしっとりするし、看板に割と偽りがない。 9,800円分の効果を期待するとどうかと思うが、980円分なら確実に お肌に効いてくれる物が多い。 ほとんどが強い香料を余り使っておらず肌への刺激が少ないのも魅力的だ。
スヴェルトニール配合のクレンジング発見。 スヴェルトニールって・・・あのスヴェルトのあれかあ。 10年以上前になるのかなあ、塗っただけで痩せる化粧品「スヴェルト」の ものすごいブームがあった。 入荷する日は行列だとか。海外旅行のオミヤゲに必ず頼まれるとか。 使った事ないから本当に塗ったら痩せたのかは判らないけれど セルライトと言って、お尻とか腿とかをでこぼこにしてくれる嫌な物体は セルライト消しますを売り物にしたローションを塗ってたら結構消えて くれました。ドラッグストアで、これも980円。現在も使用中。
スヴェルト系クレンジングは1680円。お高め。 でも本家スヴェルトの様に何千円もするわけじゃなし、沢山入って 持ちも良さそうだし、本当に顔が痩せるのか知りたいしで購入。
お茶を買ったらまずくて飲めなかったり、お腹の中でふくらむキャンデー とやらを買ったら、美味しい事は美味しいけど見た目が黒いつぶつぶ だらけで結構怖かったり、ダイエット食品と思って買ったら栄養バランス を保つための高カロリー食品だったりと色々だが、とにかくドラッグ ストアはいつも驚きに満ちており、私の細かい浪費のほとんどを それら、雑貨とも医薬品ともなんとも付かない物が占めている。
2005年12月21日(水) |
出会いサイト入り口見学。 |
もうすぐ、クリスマスです。 一時よりは迷惑メールも減ったんですが、相変わらず出会いメールの 嵐です。とは言え、こうやって送られて来るのは女性はサクラと言う お決まりのパターンです。 みなこ、さき、あや、みずほ・・・中島みゆきの「あの娘」を 思い出しちゃいました。古いですね〜。
とは言え、世間では出会いサイト絡みの事件なんかも盛んに起きています。 出会いサイトと言うのはそもそも何なのか。 判ってるようで判ってないところへ何となく潜入。とは言えもちろん ちょっとだけ入り口をみてみるだけですよ。
迷惑メールから直に飛ぶのは恐ろしい事この上ないので、ちゃんと 調べて、何となく利用者が多そうで、全国規模を大きく宣伝している ところを開いてみました。
まずページが開いたら、そこは東京。 じゃじゃ〜んと女性の、これは写メでしょうか。一杯です。 すごい美人ばっかりですよ。何故か焦ってきます。いいのかこれで。 続いて、北海道と言うところをクリックしてみます。 ・・・・・・地味で穏やかそうなお姉さんばかりになってしまいました。 でもこう言うところに変なリアリティを感じてしまうのは何故だろう。 ここはしっかりした業者さんなのかもと思ってしまいました。
どうやら登録順に名前が載るようです。プロフィールや希望が 書いてあるので、北海道のお姉さん達のを読んでみる事に。 「一緒にお買い物が出来る人」 何か切実、とは言え微笑ましいですね。 「恋人はいるけど私ってエッチが好きなのかな〜」 ・・・営業かなあ。 変なところをクリックして変な事になっては困るのでなるべく慎重に。
年齢は、もちろんハンで押したように18から上。でも18多すぎ。 ずらっと18と言うのは、いかにも不自然。ちょっと罠を感じます。 もっとも、ここは18って言ってみるのがマナーとかそう言う世界なのかも 知れないですけどね。知らないもんで。
新規登録の人に、一人だけ30と言う女性がいました。プロフィールを 読んでみましょう。 「こんな歳になってしまった私ですが・・・」(涙) なんだようっ、卑屈になるなら写メなんか載せるなようっ(美人) 年齢別でも見られるみたいなんですけど、面倒なのでやめました。 (実は最高齢とかにもちょっと興味はあった)
男性の新規登録者をみてみる事に。 ・・・・・・写真がない〜〜〜っ!全員写真がありません。 これは規約とか読んでないから判らないですが、女性は写メが義務付け られていて、男性にはそれがないとか、そんなんでしょうか。 男の写メなんかみたくない!と男性諸氏は言うでしょうけど、これは 相手を一応値踏みしてメールを送るシステムみたいなんでお顔の好みも ポイントになると思うんですけどね。 見事にノーイメージですよ。怖いな。
結局、そう言うところがどうやら沢山、盛んに営業してるらしいと言う 事は判りました。新規登録のペースは、丁度 人気のある創作系検索サイトの 登録ペースと似たよな感じ〜とも思いました。
今日は大通公園へイルミネーションを見に行って来ました。 仲良さ気なカップルが光の門に入って写真を撮ってもらったりしてました。 出会い方は、まあ、どうであれ、互いが幸せならいいんじゃないでしょうかね。 でも何となく、なんとな〜くですが甘く無さそうなものを感じて ちょっと怖くなった出会いサイト入り口見学でした。
歩いていてある日、道が途切れていたらどうしようか。
そこまでは平坦な道だったかも知れない。 大きな山坂を越えた、直ぐあとだったかも知れない。 道の先はそのまま、永遠に途切れたままではなくて 少し向こうに、また何事も無かったように伸びている。 道があるうちは、人は歩き続けなければならない。
飛び越すには遠い。回り道は一見しても見当たらない。 背中を押してくれる誰かの手を感じても、手は専ら 背中からのものであって、向こう岸から引っ張って くれるわけではない。
そんな時はどうしよう。 人は一生を黙々と歩いて行く生き物だから、歩くと言う 行為以外に中々思い至らない。 座って休んでみる事も、辺りの様子を見ることも 多分必要な事であろうに。
座り込んだら眠ってしまうかも知れない。とても疲れているから。 そして夢を見るだろう。 夢はきっと、何かを教えてくれるだろう。 回り道の在り処や、向こう岸へ、崖を飛び越す方法を。 崖を跳び越す夢を見るかも知れない。 それを正夢を信じて、飛び越す勇気が出るかも知れない。 いずれにしろ、また立ち上がるために座リ込むのだ。 人は、ずっと座リ続けている事すら中々ままならない 生真面目で忙しい生き物だ。
道がある限り、前に進む。 途切れていても、もう駄目に思えても、途切れた道をみて それが途轍もなく 情け無い事に思えても。 座り込んで目を瞑ってみよう。 決して強くもない割に、無茶で頑固な生き物は 自分の道を 歩く事を諦めないために、夢にまで頼っても歩く。 そんな生き物を哀れに思ってか、時々優しく暖かい夢を 疲れ切った頭は見る事がある。
大雪が降りました。根雪になるでしょう。 そんな土曜日、通院がてら、中心街に買い物に出てみる事にしました。
冬は頭が寒いです。それでも街を行く人で帽子を被っている人達は これが、案外少ないんです。イヤーマフ(いわゆる耳かけ)となれば さらに少ない気がします。 私は耳が弱点。急な低温で頭痛が起きたり、血圧が不安定になったり するのです。でも帽子は頭が痒いっ。しかも大抵似合わない(涙) だから随分前から冬はイヤーマフを愛用しています。 でも選び方は案外ぞんざい。丈夫で安い事を基準に選んで来ました。 今、身に付けているのも 去年買った、ひたすら真っ黒いだけのごついやつ。 たまたま無くさなかったから、今年もしていると言うだけです。
でも今期は、冬に入ろうかと言う頃から「うさぎ毛の耳かけ」が 猛烈に欲しかったのでした。何だかんだと歩き回っても近所では見付ける 事は出来ません。ちびっこ用のはあるんだけどね〜〜。 あと、手袋ならお洒落なのがあるんだけどね〜。
でもって札幌駅地下まで言ってみました。普段はそれほど行かないので 店ごとのコンセプトが丸きり判らず苦労しましたが、ソニープラザで 目当ての物を見付けました。 嬉しかった。早速してみたら思ったより似合わない。でも関係ないねっ 近所の買い物にはして行かない。勿体無いから。
帰りにお菓子を買おうと思い立ち、DデパートのK菓楼と言うお店に。 ここの売り物は、カステラの上にミルクプリンを載せ、ホイップした チーズクリームをたっぷり乗せたC-cupとF-cupのみるくぷりん。 この2つ、一体どこが違うんでしょう、大きさでしょうか。 普通に考えるとがF-cupはCの1・5倍くらいありそうです。が。 実は大きさは全く同じ!・・・そうですよね。当たり前ですよね。 では何が違うのか。 「F-cup3つ下さい〜」 「私もF-cup2つ」 「F-cup4つね」 F-cup大人気。飛ぶように売れて行きます。下の棚で沈黙しているC-cup。
FはフルーツのCはチーズの略みたいです。 Cは普通のクリームチーズ入りのホイップですが、Fはラズベリーが入って いるのでホイップもピンク色。ホイップの中にもラズベリーといちごの 果肉入りで、C-cupより50円ほどお高くなっています。 時間限定生産で4時販売。売り切ったらそれで終わり。 たまたまその日はF-cupの販売時間に居合わせたんですね。 「F-cup4つ下さいね」と私。 「はあい〜〜〜F-cup残りあと2つで〜〜〜す」と店員さん。 のこり2つが売れたら、お客さんは「ちっ」て感じで買うんでしょう かね〜C-cup。可哀想C-cup。 フルーツカップだからFcupなんだけど、どうにかなんないのかと 心底思っちゃったのは、まあ私だけかあ。
☆石屋さんにも行って来ました。 イヤーマフを売ってるお店を聞くためなんですけど(汗) 店員さんはとても親切でした。 「砂漠の薔薇は水で浄化しようとすると溶けてしまいますので お気を付けて」と言われました。水で浄化?水を浄化だったかも。 左からインカローズ、砂漠の薔薇、サンストーン
今まで人に一番優しくされたのは、妊婦な時期であった。 妊娠期間はトラブル続きで、救急車にも2回乗った。とほほん。 鼻の血管が拡張すると言う、字で書くと結構大笑いな奇病に襲われて 鼻血がぶー過ぎて貧血と言う、今書いていても悲しくなって来る 症状で、産科と耳鼻科の両方の先生をびびらせたり 巨大筋腫が子供と一緒に育っていたり 生まれる気の全くなかったらしい息子が、3日間陣痛促進剤連続打ち 攻撃に負けて、ようやく出ようという時になって頭が挟まってみたりで 散々だったが周囲は優しかった。 子供に何かあったら責任が〜・・・と言う事も無論あるのだけれど 街を行く人の目も優しかった。あれは妊婦の私にと言うより、これから 生まれる子供に向けられた目であったのだろう。
人は見守られて生まれる。ただ泣く事しか出来ないうちから、その手を 誰かが いつも握っている。やがて少し大きくなると、自分からそばに いる人の手を よたよたと追い掛けて握りに行くのだ。
一生のうちに誓いを立てる機会もあるだろう。この手を離さないと 声に出して誓う。だけど、それは必ずしも守られるわけではない。 空になった右手を呆然と眺めていると、左手に別の手が縋り付いている。 この手は離しちゃいけないなと思うから、とにかく一生懸命に引いて歩く。
離されたらつらいが、時を過ぎて放されないのもつらい。 ぎゅっと握っていた力が弱くなったら、放してあげる時なのだろう。 左手に、もうずっと長い事つかまっている、今はまだ 小さな手に関して 言うならそうだ。
人は見守られ、誰かに手を引かれるように生まれて来る。 そして多くの人と手をつなぎ、離し、つないだ事、離してしまった事に 逐一悩んだり 苦しんだりして生き続ける。 やがて両手を綺麗に空にして、死んで行くのだろう。
眠いなあ。 それじゃ眠ればいいのに。
何だろう、何かやり忘れた気がして PCの電源を落とせない時がある。 眠れないわけじゃなくって、布団に入ったら爆睡なんだけど。 息子の部屋から咳が聞こえるからかな? でも咳くらい、誰でも普通にするし、子供は本当にしょっちゅうだし。 ぐうぐう眠ってるし、してやれる事は特にないしなあ。
電源落として、やる事やって布団に入ろう。 目が醒めたら朝で、また慌しい一日が始まって、あっと言う間に またこの時間になってしまうに違いない。
現在は集団下校ではないですが、学校の近所の公園に変な人が出て 児童に嘘の誘いをかけると言う事件があってから、学校はやはり ぴりぴりです。今日は二者面談があったんですが、息子がのんびり 一人で帰って来るのに出くわしました。 遠くから私の顔をいぶかしげに見ています。私は喉が弱点なので 冬は良く簡易マスクをして歩いているのです。 マスクを取ると「おかあさ〜ん」と走って来ました。 マスクしてたら親でも判らないのか〜。
先生方も本当にご苦労様です。 息子は「一人でも寄り道しないで通学路を帰る」とこれまで家できつく 言われていたので、今でもそうしようとしますが 「なるべくみんなで 帰るようにご指導をお願いします」との事でした。 息子にはそのように言いましたがそれでも「川べりには何があっても近づくな」 とも言っておきました。毎日言わないとだめだな〜。 通学路には川があって、そこのふちを登ったり降りたりしてる子が いるんですね。「危ないぞ〜」とは言ったんですが。川凍ってるし。 変質者に気を取られてると、そっちもって事で、大変です。 自分も活発な子供だったんで、判らないではないんですが危ない物は危ない。
また嫌な事件が京都でありました。 身近に起こった事ではないので、新聞で読んだくらいしか事情は判らない のですが、この犯人、強盗傷害で大学を停学中に塾の講師に採用されて いるんですね。 驚いたのは強盗傷害で停学なんですね同志社大。先輩方が怒るんじゃあ ないですかねえ。どちらにせよ経歴を詐称して勤めた可能性もありますが 退学になっていれば、また少し違っていたとも思うんですが・・・。 栃木の犯罪には救いのなさを感じますが、これも性犯罪ではないと言う だけで、同じくらい救いようがない物を感じます。 どちらも自分がこうしたいと願う世界に、周囲を無理矢理合わせようと した結果であり、それを叶えるために子供に手を掛ける事に全く躊躇 してない辺りが非常に怖いです。 憎しみが一点に向いているので、すぐに次の犯罪を犯す危険性が 栃木の事件と比べて少ないと言うくらいの違いしかないんじゃないで しょうか。
人間は木のまたから生まれるわけではないので、どちらの犯人にも 産んで育てた親がいるはずです。生まれた時は寝返りも打てないし 小学一年生くらいでは指を使って引き算してたり、時計の読み方を 間違えたりしてたりしたんでしょう。 もちろん、自分の子供が理不尽な苦しみを味わう事が、親ですから一番 つらいのではありますが、こう言う人間として自分の子供を育てて しまう怖さと言うのも、男の子の親として やはりあります。
子供は、無論子供自身でもありますが、私が生きた証でもあります。 いずれバトンタッチってやつですね。ミレニアム生まれなんで、 次世紀まで生きるのは難しそうですが、今世紀半ばくらいまでは頑張って 私の見なかった物を色々とみるでしょう。
子供を産む前と産んだあとで変わった感覚が一つあって、しっかりした 男性を見ると 以前は「魅力的な男の人〜」としか映らなかったのが 「あ〜ここまでしっかり育ったら、お母さん安心だわ、羨ましい」 とか思ってしまう事です。 何事も無い子育てなんかないし、ちゃんとした大人にするためには どのお母さんも 苦労を重ねてきたのは間違いないんです。 自分にはまだその部分が、圧倒的に不足してます。 本当の苦労はこれからなんでしょうねえ。 だから余計に思うんですよね。 「息子さんしっかり男で良かったじゃあないですか」って。
2005年12月13日(火) |
ずるずるウィンターワンダーランド。 |
雪が降りました。根雪になりそうです。 かなり昔だけど、クリスマスか その数日前辺りまで、雪が降らなかった 事があって、「ブラッククリスマスだ〜」とみんなで騒ぎました。 確か、私が中学か高校のときです。 それを今でもはっきり憶えているほど、北海道(道南の一部はのぞいて) にとっては積もらないと年が越せんと言うほど、雪は身近な物です。 積もっても、私としては、特別嬉しいってわけじゃないです。 でも雪が降らないと、春も来ないのです。 終わらない冬はないので、ここはじっと我慢の子です。 ウィンタースポーツが趣味で雪が待ち遠しいと言う方も結構いますが 羨ましいですね〜。
道路は早速、右折レーンがどこかも判らなくなってます。 青信号の横断歩道に、止まりそこなった車が乗り上げまくりです。 でも信号付近は、本当につるつるで、ブレーキ掛けても止まらない事が あるんです。歩行者も心得ているので車が完全に停止してから、避ける ように歩きます。走りながら時折思うのは、アトラクションみたいだ(涙と言う事です。 でもどの車も、つるつる時は低速走行ですし、譲り合いの心も夏場より 生まれている気がします。焦って車線変更したらそのまま横に流れて 行ったりするので「入っていいよ〜ゆっくりね〜」って感じで入れて くれたりするのです。勿論、自分もそうします。 今の季節は道路工事が多いです。予算の消化とかだと聞いたんですが 止めてよとしか言いようが。工事している人も寒くて大変でしょうに。
札幌とは言え、私が住んでいるのは隣の市に近い、ちょっとのんびりした ところです。街路樹の電飾が綺麗です。花が咲いたみたいで。 小さなJR駅がありますが、辺り一面電飾の木です。雪が降ると綺麗です。
今年もあと、半月とちょっとですね。 いつもより、ちょっとだけ暮れるのが寂しい年です。 寂しいとか悲しいとか辛いとか、負の感情を抱えた言葉って言うのは 口にすると止め処がなくなってしまう気がして 怖い時があります。
WEB日記と言うのは、こんな時 自分の中ではとても重宝しています。 日記と言うのは本来とても私的な物なので、人には普通伝わる事が ないのですが、WEB日記は読んで下さっている方に向かって言葉を 発してる感じが常にあります。 読んで下さっている方に、甘えている自分がいる事も良くあります。 上手く出来なかった、やり過ぎた、今日は丁度良かった・・・ 一日を反省する時間に、残った気持ちをここにぽつんと書き込む事が あります。 ありがとうとか、ごめんねとか、次はもっと上手くやるとか。
日記と言う名目で、サイトトップから堂々とリンクを貼ってるこのページ 書き始めて一年を越えましたが、つくづくと自己愛や自意識の強さを 感じて、自分で恥ずかしくなっちゃう時が結構あるんです。 とは言え こう言うところがないと、やっぱりきつい事も多くあったです。 腹を立てて、いきなり大して根拠のない持論をぶったり、こっそり 私信的な使い方をしてみたり、引き出しの中のノートでもいいけれど 伝わって欲しい、そんな気持ちがこれからもここをちこちこと更新 させてしまうと思います。 ここで悲しんでいる時は自分は悲しいんでしょうし、ここで浮かれている 時は、実際 かなり嬉しいんです。 ハンドルで書けるからか、本当に思い切り、感情を出して書いて来ました。 これからも、そうして行くと思いますんで「何の事を言っているやら」 と思われる事も多くあるかも知れません。
今年一年の間にも励ましのお言葉や「わかる!」と言ったお話を掲示板に 頂戴したりしました。思ったままを書いているので、近しく相談させて 頂いたように本当に嬉しく思ったものです。
あ、気が付くと雪の話から激しくずれてしまった! いや、寒いです、本当に寒いです。子供は雪を食べながら下校してます。 黄色い部分は犬のしっこなので汚いぞ〜。
今日、やきもちの話をした。 女性がやく、焼きもちの話し。 恋人が、同じ部屋で別な女性をチャットしてたらどう思う?とか。 こう言う話題が出て、わいわいやるのは とても楽しい。 勿論、例え話としてだ。 私は「平気な時もあるかな?」みたいな事を答えたと思う。 こんな時まで、正直じゃないと言うか、変に見栄坊だ。 そう言う経験はないが、あったらやっぱり嫌だろう。 ストレスが、お腹に来てしまいそうだ。あいたあっ
焼きもちは、そもそもコンプレックスから来る。 コンプレックスから来るから、素直に焼きもちやいてますとは言えない。 そもそも、自分が焼く筋合いの物ですらないのだと知るのは怖い。 「ん、もうダーリンたら、ぷうううっ」 近場で、本当にこう言う言い方をする人を知っているが、あれは 焼きもちじゃないんだろうなあといつも思う。
「ぷうううううっ」くらいが男の人からみれば可愛いやきもちなんだろう。 その人は演出上手だと言う事かも知れない。でもちょっと恥ずかしいが。
実の所 業火よ全てを燃やし尽くせ〜 と言うくらいの心境に、やきもち真っ最中は陥ったりするもんでは ないのかと思うのだがどうだろう。やりすぎか。
だがこれは、概ね長続きしない。誤解が解けたり、何かで優越感を感じたり とにかくコンプレックスで、はち切れそうな心が 取り敢えず落ち着けば 「私って馬鹿だったかもな〜」 とか、思ったりするのだ。極端な片思いとか、相手の気持ちが完全に 他所へ移ってる場合でなければ、この繰り返しではないかと思う。 焼き尽くせ〜 馬鹿でした 焼き尽くせ〜 馬鹿でした 焼きもちってなくらいですからね。
嫉妬する自分を自分で快く思える女性はいない。 嫉妬する心には、相手に対する不安やコンプレックスに加えて、嫉妬する 自分に対して自分自身で嫌になっちゃう気持ちも入ってしまう。
でも、彼氏彼女の間の嫉妬は、不仲にならないうちはまだいい。 片想いの焼きもちってつらい。 焼き尽くせ〜がそのまま治まらない感じで、相手は初めから負う物がないから、 業火は自身を燃やしてしまうだけって感じで、体を壊してしまいそうだ。
片想いの嫉妬だなって思ったら、早めに引くのが身体にも心にも本当は いいんじゃないかと思う。それが出来るなら。 自分の経験では焼き尽くせ〜っまで行ってしまった片想いって、まず中々 実る事はないと思う。悲しい事だけど。
女の焼きもちや嫉妬は、そんな感じじゃないのかなあ。 男の焼きもちはこの歳になっても、判らない部分が多くある。 男の人だって女の人の焼きもちって、案外判って無い事多いんじゃないかと。
でも、これはもうあくまで、自分の焼きもちの焼き方を基準にしてます。 もっと賢く、自分をセーブしながら虎視眈々と何者をも見逃さず深く 静か〜に怒っている人とかも、きっといるでしょうね。
息子、プール教室テストようやく合格っ 多分クラスで、一番下の級!テストの日、運悪く2回も発熱してしまった。 泳ぎ自体も 中々、一定以上上達しない。 「プール行きたくないよう」 最近、弱音を吐くことを覚えた。
終わる時刻は、外はもう真っ暗。うちはスポーツ教室のバスの巡回コース には入っていないので、毎度6時近くに車で迎えに行く。 屋内で、サッカー教室が開かれているのが見える。 ボールを追う子供の表情に、くらい付くような力強さがうかがえる。 うらやましいな〜などと思う。
良くも悪くも、競う事に関心の無い息子。 言いつけ虫で泣き虫。 私が そっくりそうであったらしいので、仕方ないと母。 「仕方ないじゃ済まんよ」と私。 だが、息子にも得意があるらしい。これは私の得意と少し違っている。 まず、驚くほど絵が下手だ。しまった、これは不得意だった。 今日は学校から自作のカルタを持って帰って来たが、いたずら書きと 間違われ、危うく捨てられるところだった。
得意なのはモーターなどの仕組み系だ。電気関係にも興味が強いだけ あって、付かなくなったクリスマスツリーの電飾の原因を電気屋さんと 一緒になって探っていて、見つける事に成功。 子供と言うのは勘と注意力に優れた生き物なのだ。 でも駆け引きはまるでダメで、ム○キングなどは早々に興味を失った。 あれも驚くほど駆け引きに長けた子とかがいて、とにかく子供は 個性のかたまりだ。
息子はこの先もずっと、競い合って伸びると言う事は不得意である気がする。 不得意な物は、或いは無理強いしない方が良いのだろう。 自分のフィールドで、マイペースで個性を出し続け、それが結果的に競う 事になると言うのであれば、勝ちの見込みはあるかもだ。 ついつい色々と叱ってしまうのだが、まあ私の子なので 私がまるでダメな 部分で、息子のがずっとましな部分があるなら、まあそれは御の字と言うべき なのかも知れない。
☆珍しくアップロード。 愛用品の動くブロックで作った「映写機」。(羽根が回転) 幼稚園のお泊り会で 夜、 アニメ映画を上映し、その時みた「映写機」 の方が、肝心のアニメより印象深かったらしい。 大きな顔がはみ出ているのはご愛嬌と言う事で。
2005年12月09日(金) |
一緒にしてはいけないものや霊など。 |
「初七日」と「お七夜」。うっかり間違って口にしてしまったと言う人も いるのではないだろうか。いませんか。 「一周忌」を「一周年」、さらには「一周年記念」。 だけど、間違いは誰にでもある。大変バツの悪い間違いではあるが。
昔、友人から電話が掛かって来た。 「A君の三回忌と私の誕生日を一緒にするんだけど来てね」 A君は、今で言うコミケの元祖みたいなのが、実験的に札幌の デパートの屋上で開かれた時、それに参加していた男の子だった。 私も友人がアニメ好きの子が多くて、今で言うコスプレをさせられた(苦笑) 当時から衣装とか、マメに作る子ってのはいたもんだ。 あ、話がそれた。 その時顔見知りになったA君は、それから間もなく亡くなる。 再生不良性貧血と言う病であり、亡くなった時はまだ20になっていなかった筈だ。 顔を知っている程度の間柄だが、あとで話を聞いた時は驚いた。
友人はA君の彼女だったらしい。その頃はもう、とっくに別の彼氏を 連れていたし、突然の電話に私は面食らった。 「彼のお母さんも、賑やかな方が嬉しいって言うから、今の私の彼も連れて 三回忌とパーティを一緒にやる事になったの。だから来て」 やばいっと私は思った。何がやばいかは上手く言えないが途轍もなくやばい。 お母さんの「賑やかな方が嬉しい」は本心であろう。それが判るだけに とんでもない事態であると考えた。が、上手く彼女に説明出来ない。 「だって、A君のお母さんがそれで良いって言ってるんだよ?」 結局私は、一番信頼できる年上の知り合いの助言を受けて、彼女に 「それは決して、一緒にやるべきものではない」みたいな事を告げた。 それが通ったか、或いは他に誘った仲間からひんしゅくを買ったかで 結局、パーティはお流れになったようだ。 当時、私たちは確か二十歳は確実に過ぎていた。 当たり前だが、世の中には 一緒にしてはいけない物がある。
彼女は死と言う物に対しての考え方に、今も昔も独特なものがあるのだった。 共通の親しい人が死んだ時は泣いた。同じくらい泣いた。身を捩って泣いた。 だが、その人の家に戻った時にはすでに欲しいものが決めてあった。 「ずっと欲しかったんだ〜」 死ぬのを待ってたんかいっ。 彼女が欲しかった物は絵の額だった。それは遺族の方が描いた物であり その遺族の方から「手元に戻したい」との意向があった。「残念」と彼女は 言ったものだ。
7回忌を境に、死んだ知り合いのマンションの部屋は引き払われた。 間もなく引き払うと言う日に、私は彼女にそこに呼ばれた。自分一人では 中々足を踏み入れる事が出来ない場所であったので、カギを預かる彼女に 呼んでもらえた事には大層感謝した。 さあそれからが大変で。彼女の実母や夫、弟までが来ていて 「どうせ捨ててしまうんだから家の物を持ち出せるだけ持ち出すのだ」 と言うのである。遺品どころの騒ぎではない。遺品は当にスーツケースに 何個も持って行っているのである。 ソファーを持ち帰れないかと彼女は夫に持ちかけている。ご主人は優しい 人だがこの時は顔が歪んでいた。 「新しい家の部屋一つが、まだ荷も解いてないスーツケースで埋まってるんだぞ」 うめくように言った。 「どうせ捨てるんだから」と彼女の母が言う。 「ソファーも机も、新しい家で使えばいい」と彼女が言う。 「このカセット、まだ使えるからもらうわ」と弟。 「焙煎は何か欲しいものはないの?何でも持ってっていいって親戚の人が」 いりません。とは言うものの、実はこっそり頂いたものがある。 彼女の成人式の写真だ。それはゴミの山に埋もれていた。親族のほとんど いない方だった。私にとっては姉にも等しかったので、いつか息子に 見せたいと思ったのだった。今は引き出しに眠っている。 「写真はゴミだから捨てるよ〜」友人は言った。徹底してる。し過ぎ。
洋服ダンスにまるめたパンストが幾つか。7年も、このままであったのだ。 死にたくないなあと言う思いと、こんなふうに死んでしまいたいと言う 思いが交錯した一瞬であった。
彼女の夫はずっと不機嫌であった。新しい家に、死人となった人の、遺品と 言うには余りにも量の多い持ち物が無造作に増えて行く。 だが、下を向くばかりで何も言えない。私も何も言えなかった。相手は数多いし。
その時の ご主人のお父様が 今年初頭、亡くなっていた事を知った。 彼女とは その遺品の一件以来、年賀状のやり取りくらいしかしていない。 さすがにびびっちゃったんである。 彼女は舅を非常に嫌っていたから、今どんな心境なのか判らないが 「死んだ人の持ち物で部屋が一杯だ」と唸っていたご主人が、その後 どうしているのだろうと考える事はある。 世の中には一緒にしてはいけない物があるし、やっちゃあならん事もある。 そんな事を考える。
彼女と弟は幽霊を見る。同じ場所で同じ幽霊をみた事について語り合って いるのだが、上手に話が噛合うように調節しているのが面白い。 「見えない人は可哀相だね」などと言っている。 私は何も見えないが、今では引き払われたマンションの廊下を歩きながら どうしても振り返ってしまう感じが、当時 ものすごく嫌だった。 知り合いが亡くなる一年ほど前、隣室の若い人がやはり突然死んでいた。 その事を知っていたからだとも思う。 彼女と彼女の弟は、廊下で賑やかに笑いながら荷物の運び出しをしていたので 多分やっぱり本当は、何も見えてないんだろうなあと思うのだ。
集団下校で、わらわらと帰って来た子供達。 息子は 朝一緒に登校している近所の女の子と、仲良く帰宅した。 集団下校は先週の金曜日から始まっている。 金曜と月曜、一年生が他の学年より下校時刻が早くなる日の事だけかと 思っていたら、火曜日も集団下校となっていた。
近所の公園で 低学年の女の子が「お父さんが帰って来たから一緒に行こう」 と言う、声かけに遭ったらしい。 ニット帽子を被り、サングラスを掛けたおじさんだそうである。 12月1日の事だと言う。 何となくだが、悪戯でやっている気がする。もし児童が本当に付いて来たら どうするつもりなんだろうか。 悪戯にせよ、やめた方がいい。 そのうち巡回父兄の袋叩きにあうぞ。 これもやはり、広島の事件に触発されて起きた物なのだろうか。
殺す事が目的の全てであり、それによって性的快楽や達成感を覚える殺人を 快楽殺人と呼ぶ事がある。 快楽殺人を引き起こす人間は人ではないと私は考える。 それを行う者は人ではない何かになると思うのだ。 生い立ちや、そこに至るまでの過程を追う事は興味深いが、結果から見れば 人でなくなってしまった物を人に戻す事には、最早 繋がらないと考える。 ただし未発達な性衝動によって それが行われてしまった場合、完全な成人と なるまでの段階で 矯正が可能であるとの専門医の主張もあり、半ば実験的と 思われる処遇を受けている例も ある事はあるが。
快楽殺人を起こす者の大半が、幼少の頃から小動物を虐待していると言う 事は、散々にあちこちで書かれて来た。 そしてこれは実際にそうである様だ。 小動物を殺してしまう事は、子供が時として うっかりやってしまう事だ。 カエルのお尻にロケット花火などは 男の子は昔、良くやっていた。 生き物の命が絶える瞬間が、性的な興奮と結び付くと言うのが、危険なのだ。 本当に危険なケースは、陰でこっそりと行われている事が多いのだろう。 これ見よがしに犬の死体を放り投げるのは、これもやっぱり問題だが 何かに対しての不満から来た行動であるなら、後味の悪さと共に止むか 他の種類の犯罪に移行するだろう。ただこれも、目標が人間に向かったら 危険である事に変わりは無い。
快楽殺人を犯す人間のほとんどは、快楽と言うくらいなので性衝動と 密接に結び付いた行動としてそれをする。 何者かになってしまうのだと言うのは、こちらが勝手に思っている事で 本人は欲求に忠実にそれを行うだけなのだろう。 人としての根幹の部分がどの瞬間に変質するのかは判断に迷うところだ。 だが、それは個々に起こる 人からの確実な枝分かれの瞬間だ。 化け物になると、私は呼んでいる。実も蓋もない言い方ではあるが。
今日、偶然に桜の花の話を 友人とした。 桜の幽玄な美しさに、時に私は畏怖を覚える。幾度も満開の状態を目に したわけではないのだが、一度みれば忘れない。それほどの姿を見た。 あれはもう、花ではないとその時感じた。
〜ではないと言う感情は必ずしも怒りから出るわけではない。 ただ、そうであるのだなと強く感じると言う事だ。 桜が延々と花びらを降らすのは10日余り、あとは大人しい葉桜となる。 彼らは根幹から花である事を止めているわけではないのだ。 ずっとずっと昔から、人に畏怖の念を植え付ける程美しく 咲いては散ってを 繰り返して来ているのだろう。
己が世界、他と共有出来なくなった場所にぽつんと居る人では無いもの。 快楽殺人者は、その 人として生きる事の出来なくなる様が「もっとも恐ろしい 殺人」と言われてしまうゆえんなのではないかと考える。
快楽殺人者についての本では平山夢明氏の「異常快楽殺人」が海外の 研究書を現代風に上手くまとめてあって興味深い。
だが、そんな呑気に構えている場合ではない。明日も集団下校なのか。 近くの某公園に出現した馬鹿者は特定出来るのか。
栃木の事件の一日も早い解決を、望んでいます。これ以上の模倣犯が 現れない事も。
元々、気紛れ更新のこのサイトですが、最近とみに更新が気紛れに(汗 ちょっと勝手に、お休みを頂いてるみたいな感じです。
師走です。年が明けるまで、きっと あっと言う間ですね。 年が明けたら、やりかけの事をちゃんとやるぞうっ。
小学1年の息子。ここまで早かったようで、色々ありました。 一番辛かったのは、小児診療で異常があると言われた事です。(4歳) 診断そのものより「こんな子になる」と列挙された事が辛かったですね。 早生まれなのと、やっぱりちょっと変わり者なところはあると 今も思うけれど、親の目からみると 普通の子供です。 学校の先生も「給食を全部食べたらみせてくれます」と仰るくらいで あとは「先は長いからゆっくりね」と言う感じです。
祖母(実母)は 毎朝息子と一緒に学校に通っている仲良しの女の子の家に マフラーを編んで持って行き、ホタテを頂いて帰って来ました。 同じ糸で今日はティッシュケースを編んでいました。 小さな子供さんが多い新興住宅地、両親と暮らす私は良く「羨ましい」と 言われます。母は私よりずっと社交性が強く、外型の人です。
弟は時々、甥っ子の顔をみに、家に立ち寄ります。独身です。 PCが壊れたんだそうです。とほほ。
母である私は今、ちょびっと色々メンテナンス中です。 身体のでは ないですね。身体の事は やや放置気味です。 今年は気持ちのメンテです。ずっと手を入れないでいたので あちこち故障気味だと思います。ここでちょっとメンテナンスを しておくと また6年くらいは、大丈夫、持つんじゃないかと思ってます。
師走の忙しい時期ですが、夜になると、親しい人達とゲームサバ内で 会ったりしてるんですよ。 PSOBB 8-4-9ロビー 「天使の誓翼」と言うチームに所属して 毎日色々な方と会ったり、お話したりしています。 楽しいですよん。興味のある方は来たれ〜(笑)
年末行事は好きです。綺麗なものや、ほっとするものが多いですから。 歳を取るのも、余り気にならなくなりました。 ただ、あ〜若かったら良かったのになあと思う事は 時々あります。
本当に来年は、やりかけをちゃんとやるぞう。 あと年内に、パロディの後編を書くっ。 そんな微妙な事だけは、何故か自分に課していたり。 あと日記は、一年越えましたが、ぽっつんぽっつん書いて行きます。
それと何より、散々お世話になって不義理をしてしまってる方々が>< ご免なさ〜いっ!近々、ご連絡いたします〜っ。
2005年12月05日(月) |
世界に一つだけの花。 |
前々回に続いて、うたものタイトルです。
異常なまでの大ヒットが出る時と言うのは、その歌の歌詞の中に使われて いる一種の詭弁が、時代のニーズと見事にマッチしていると言う事が 条件としてあるように思われます。 世の中が詭弁を欲している 「うまくだましてね☆」みたいな雰囲気が濃く流れているような。
昔KANが歌った「愛は勝つ」と言う曲がこれまた凄まじくヒットしました。 「最後に愛は勝つ」と言うフレーズがとても印象的ですが、愛といっても 色々ですので、一緒くたにして勝つと言われてしまえば、聴く人は漠然と 自分の心の中に抱えた愛を思ってしまうでしょう。異性愛とは限りません。 でも何となく、そんな言葉が聞きたい時代に生まれたどんぴしゃりな ヒットであると思います。
世界で一つだけの花はSMAPがヒットさせました。 この曲が嫌いなのかと言うと、好きではあるし思い出深い曲です。 ですんで敢えて、根性曲がりな事を書いているのです。 この曲は、人の比較対象に花屋の花を持って来ています。花屋の花は この上なく受動的な存在、人はそうではありません。 動物も植物も、常に競っています。ぶった切られた花はそこで生きる事を 止めているのにも等しいものです。 庭の花であれば、苦労して育てた者からすれば、歪んで咲いても綺麗だし 風に吹かれて花びらが散れば物悲しいです。
花屋の店先の花には、それがいきなりそこにあると言うイメージ的な 物しかありません。ただ何となく綺麗だと言う。実際は 茎が曲がって 花びらが千切れた花を、堂々と咲いていてえらいと思う人は余りいない でしょう。美しく咲いている物だけが人目を引くのです。
切り花なんかに例えると、逆に駄目な物の売れ残り感が強くなるだけな気が。 そこを覚え易いメロディーとSMAPというイメージが能動的なグループに 「ナンバーワンよりオンリーワン」と言う、キャッチーで、多くの人が 正にそれを聞いてほっとしたいメッセージを乗せて仕上げているのは やっぱり見事と言う他ないです。すごいぞマッキー。
オンリーワンはナンバーワンに含まれていると思うんですがどうかな。 初めからオンリーワンで良しとするのは「何者でもない」と言って いるのと同じと言う気がして、自分は好きではないです。 だけど誰もが夢を叶えるわけでもないし、一番になれるわけじゃない。 ダメだったけど先へ進まないとねと言う気持ちを持って歩いて行くしか ないなら、オンリーワンと声高に言わなくとも、自分と言う存在の スタイルは自ずと出来てくると言う、そんな気もする疲れやすい時代です。
でもこの曲、親が子供を見る目で考えれば良いと思うんですが。 「うちの子、茎が曲がってる??花が歪んでる??」 とかって思っちゃう事が、周囲にもあれこれ言われるとますますそんな風に 考えてしまうし。 未熟なうちは、傷のない花と比べても仕方ないので、個性と言う事で 長い目で子供を見るのには、この歌詞には励まされると思います。 どちらかと言うと、子供が親に歌って聞かせてあげる(もしくは逆か) 歌なんじゃあないかと、そんな風に思います。
あと猛烈に大ヒットした曲と言えば「おどるポンポコリン」を思い出すんですが 意味不明のフレーズが人の間を席捲する時、時代に変化が起きるみたいな事を 何かで読んだ事があります。 昔から時折、全く意味不明の奇妙な歌が流行る事があったんだそうです。 あのあとバブルが崩壊しましたからね〜。少しは当たってるのかも。
息子、月曜日にインフルエンザの2回目の接種を受け、風邪症状が あったので薬をもらって帰り・・・。
木曜日、発熱〜っ 金曜のプールテストは受けられなかった。
学校を休み、小児科へ。 「咳がひどい」と言うと「学校で肺炎(マイコプラズマ)が流行って いるから」とレントゲンを撮ってくれた。結果、異常なし。 ただの風邪をこじらせたのだ。朝はそりゃあ寒い。風邪の治りが 悪くなるのは仕方ないかなと思う。 炎症は主に鼻に起きている様子だ。息子は鼻が弱いのである。 この年頃の子供は、風邪などで弱いところがやられると簡単に熱を出す。
息子の食欲は落ちない。と言うより、いつもより食べる。 私は発熱すると、もう食欲がなくなってしまうのだが(でも治ると倍の 量を食べるので痩せません)息子は身体が病気に打ち勝とうとでも するかのように食べまくる。胃腸炎以外では、絶対に吐く事がない。
この体質はおそらく、父親譲りだ。 父親は炎症に鈍く、食が落ちない。 腹膜炎で危険な状態になった時も 手術直前まで「ギョーザ弁当」を食べていた。苦痛の余り泣きながら それでも吐き戻す事もなく、延々と弁当を食べていた。 そのあと、あまりの痛みに泣きながら病院に駆け込み、緊急手術と なったのである。 それまでは風邪と診断されていた。 腹膜炎を他の病と間違う例はかなり多いらしい。最近も胸の痛くなる ような例をネットで読んだ。 手術が間に合えば、笑い話にもなるのだろうが・・・。 とにかく身体が救急信号を発していても物だけは食べるので、それは 常時注意していなければならないと思う。 だがまあ、胃腸が丈夫なのはいい事だ。
息子の布団を時々直していると猛烈にくさい事がある。 布団の中でおならをしているらしいのだが「ありえない」ほどにくさい。 朝きっちり、登校前にう○ちをして行くので、夜中は翌日分が醗酵して いるのだろうか。こんな息子と一緒の布団に寝るのは嫌だ。
もっとも、一緒に寝たいと思っても「気色悪い」と言われてしまう年齢まで 微妙にカウントダウンに入っている気もする。
そしたら本当に、こちらは一人になってしまうわけだから、ありえないほど くさい布団でも、時折は一緒に寝てみるべきかも知れない。 くさい布団の住人が突然目覚め「せまい〜」と文句を言われるかも 知れないが。さすがに、余りに理不尽だ。
2005年12月02日(金) |
私の声が聞こえますか。 |
中島みゆきのデビューアルバムのタイトルだ。 彼女は北海道出身の人で、私は彼女の後輩になり損ねた。 彼女の出身大学を受験して、落ちたと言うだけの事なのだが。 別に「みゆきさんの後輩になりたくて」受けたわけではなくて 数学が余りにも出来なかったので、国立大の受験は無理だったのだ。
一行1,000万、おいしい生活。バブル華やかなりしOL時代。 誰も彼もが確かにどこか浮っ付いていたけれど、通信システムは今と だいぶん違っていた。まず携帯電話がない。PHSですら、かなりあとに なって広まった物だ。 せいぜいあったのが自動車電話。 少なくとも、地方都市ではそうであったと思う。
浮っ付いた心は外へ向かう。誰かと何か話したい。思いを伝えるのは ピンクチラシでびっしりの公衆電話。普通の家の電話。 あとは会社の内線電話。
携帯電話は形状記憶合金のようだと、普段は余り使わない私は 他人が 使うのをみるたび思う。持つ人に合わせて、在り様まで変わるようだ。 外見は可愛くプリントしたり、ビーズやラインストーンを貼ったりだが 実際、個々で大きく違っているのは中身だろう。 PCだって、それを言えば同じなわけだが、携帯電話はやはり電話と 言うだけあって、どれほど色々な機能が充実しても、やはり通信に特化 している。PCは、一方的な発信として使われる事もあるが 携帯電話には相互と言うイメージがある。電話なだけに。
浮付いた時代を知っていても、馬鹿話は声でしていたと言う自分には 時折、PCのチャットでもそうなのだが、無性に寂しく感じられて 仕方無い事がある。表現を伝わり易く、豊かにするための顔文字も 不安感を煽られるだけの時がある。 逆に顔文字がないと不安と言う人もいるだろうが。
掲示板などは匿名は別として、手紙に近いので、違和感は少ない。 メールソフトを使ったやり取りも、やはり手紙に近い。
チャットや携帯メールが自分は苦手なのだろう。 携帯メールは、その人の事をかなり知っていても苦手かも知れない。 だから普段は電話を使う。
チャットやメールの隙間から、その人の事が見える。 密にやり取りしていれば、結構、はっきりとみえる。 だが自分の見ている物は、その人の性質に合わせ変質した携帯電話そのもの の様な、そんな気がする事もある。チャットもしかりだ。 相手も自分を、そんなふうに見ているのだろうか。 そもそも自分が、何を伝えようとしていたのか、それすらも判らなくなる。
人は触れ合うのが一番良い。何も言わなくとも判った様な気になれる。 間違っている事もしばしばあるが。
言葉は選び、ゆっくりと一つずつ書き込んで行くか、そうでなければ本当は 身体から直接つながる喉から、大切に発するべきなのだろう。
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