ことばとこたまてばこ
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2006年09月30日(土) たびのとじょうのおれ


続けてきた旅の途上で
飽きてしまうほど眺めた頭上の青空を
ひとつの飛行機雲が切り裂いた。

その時、ちぃっとばかし

おれの女に触るんじゃねえ!
といったような感情に溢れてた、
いまだに旅の途上の俺。


2006年09月29日(金) お花様



朝なのにもはやすでに
くたびれてる朝に歩く道
そこで見慣れぬ花を見つけた

はて はて はて
昨日はここにこのような花
咲いてたか?
はて はて はて
昨日はここにこんな派手な花
咲いてたか?
はて はて はて
昨日はここにこんなかぐわしい花
咲いてたか?
はて はて はて
昨日の朝はここにこんな艶やかな花
咲いてたか?

はて はて はて
名も無き花
名も 無き・・・花・・・・・

わたし絶句というものを初めて知った


いったいいかなること
「花」などと
「花」なんて
呼び捨てにできない!

お花!
お花!
お花様!
お花様!
うつくしいお花様!
瑞々しく枯れゆくお花様!

あなたという方はどうしてそんなに
どうしてそんなにえも言われぬ色で
またくるおしいほど馥郁たる香りをはなって
ひたり ひたり ひたり 
ひたりとここひとり寂しく咲いているのか!

ああ ああ ああああ お花様!

おそろしく興奮しながら
おそろしく勃起しながら
おそろしく欲情しながら
私はお花様のめしべとおしべを
鼻息も荒く べろり
べろりべろりと舐めさせていただいた


お家へ帰って妻に
あの美の極みのお花様の蜜

わけてやろう


2006年09月28日(木) ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ

たとえばおれがなにか言葉を書いたとする
言葉に限らず写真、文、絵、演技をしたとする
そして
それを観てくれた様々な方からありがたくも感想や反応を頂いたとする
直接目の前で、メール、手紙、表情のちっとした仕草、やなんかでね
その前に
おれは社会的には音無し小僧であり
それは言い換えて聴覚障害者であるということ
その事実はとりあえず隠すことでもないので公言はしている
だがその事実が
観て頂いた方々にどれだけ影響を及ぼしたうえでの感想に反応なのか
それが
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ

「・・・ぼくは、うたがへたなのも、しばいがへたなのも、じぶんでは、わかっては、いるのですね。でも、おきゃくさんは、はくしゅをくれます。なにか、どうじょうの、はくしゅみたいで、いやなのですね」
『無敵のハンディキャップ』 北島行徳

脳性麻痺を抱えているプロレスラー、サンボ慎太郎が言ったそう、だ
くつくつくつと細く長いうえかえしのついた
この言葉の針はおれの心臓に無数の穴を貫いてる
よくわかるのだ
よくわかりすぎるくらいにわかりすぎるのだ

作品を観たあなたがたの感想には
「『障害者にしちゃア』とってもいいわ」
見えぬけれども隠しきれぬ心情がありはしないか

なんつって偉そうな事を述べたけれど
実のところあっても全然ちっともかまいやしないのだ
おれだって他の見慣れぬ障害者の表現した作品を見ればまちがいなく脳裏をかすめる
そしてその障害者とちっとでも直に接してゆけば間違いなく薄れてゆくにきまっているのだ

かつ『障害者にしちゃア』などと思わせえぬほどに
圧倒的な完成度の作品を創りあげれば良い、という単純なこと

ただそれだけのことなんだけれども
理屈としてはわかっちゃいるのだけれども
その理屈をどのようにしたら良い方向へと考えられるのか
いま
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ


そしてそれよりもいちばんに恐れていることは
おれと同じ障害を持っているはずだのに
「『難聴者にしては』とってもいいわ」
かつ
「『ろう者にしては』とってもいいわ」
といった心情があるんじゃないか
ということ
現在おれが写真という表現の道を選んだ今
これがいちばんとてもおそろしいこと

繰り返し引用させていただく。
「なにか、どうじょうの、はくしゅみたいで、いやなのですね」
それも最高に奇妙な。

貴方は難聴者か、ろう者か、健聴者か、だとか
発音がきれいだとか、きたないとか、
補聴器を使用すているからだとかしていないからだとか
手話が上手いからだとか下手だからだとか
そんな面倒臭い区別にとらわれ過ぎてしまって
『音が無い』者同士であるはずなのに
音無し者同士であるはずなのに!


そこいらへんの折り合いが
いま
ちぃっとばかしおれわかんねぇんだ
本当にわかんねぇんだ


2006年09月27日(水) 僕の自画像と怪物

絵の中で暮れなずむ空にも似た人物は僕の自画像。

あの僕を君は観なければ殺されるよ。


口ん中に錆びたギザギザの牙がたくさんはえている怪物が

僕の自画像を観ようとしやしない君の血肉を不味い不味いと

ぼやきながらむさぼっちまうよ。


だから君はあの僕の自画像を懸命に

観ないといけないと、僕は、思うんですね。


2006年09月25日(月) すこぶる滑稽で哀れな子

細くスライスしたタマネギをコンドームにつめて当時つきあっていた女に突っ込んだり、とろとろに溶けたチョコレイトとこれまたとろとろの糞を混ぜて腐った根性の上司に喰わせたり、スーパーに積もっている食品のことごとくに石灰をぶちまけたり、まったく人間嫌いで心底ゲイの奴にとっても上等な女を(これがまたとびっきり人格のできた奴なんだ、しつっこい世話焼きでおせっかいとも言うがね)紹介してやったり、乳ガンで右のおっぱいが欠けているばあさんの家の前にわざとおっぱいと同じくらいの豚肉の塊を置いてきたり、そんな罪を重ねた俺、後ろに手をまわされたままつぶやく
金網に囲まれて見上げる空は笑いたくも泣きたくもなるほどに青くて
俺はお金さえあればこんなことにならなかったのに


2006年09月24日(日) 私は思うのです

私は思うのです。
姿の見えないどこかの地で歌っているどなたか様、
そのどなたか様の歌の旋律をどのようにすれば、
とてもとても美しいほどまっしろな紙に写しえるのでしょうか。

私は思うのです。
この地球の人が存在するあまねく地に生きるどなたか様、
そのどなたか様にすこぶる良いことがあって相好を崩すたびに鳴り響いている、
ほそいほそい溶けて消えてしまいそうなほどの表情が割れる音、
それをどのようにすればより多くの人々へと伝えられるのでしょうか。

私は思うのです。
目の前に立つ、その人、その人の手、その人の表情、その人の佇まい、
まさしくその人の存在でしか語ることのできない空話、
どのようにすれば空話での表現の幅をひろげられるのでしょうか。

私は思うのです。
かたわ、おし、めくら、どもり、ちんば、知恵おくれ、つんぼ、そんな人々、
どこかひとつ健全と呼ばれるために必要かくべからざる感覚が欠けてこそ、
よりいっそう充足され、いっぱいにみなぎる感覚を持っているということ、
それはどのようにしたら素敵に望ましい形で発露されるのでしょうか。


私は思うのです。

私は思うのです。


私は、思うのです。


2006年09月21日(木) 赤子よ

ちっちゃなおててくるりと
まるめてまなこ閉じている赤子

赤子よ おまえはどの女の腹のなかにいたのか
赤子よ おまえはどんな味の羊水を飲んできたのか
赤子よ おまえといっぽんの紐で結びついていた母は
    よく泣く女だったのか またはよく笑うおんなだったか
赤子よ おまえはなぜまなこを開けぬのか
赤子よ おまえはなぜかたくまるまったままなのか
赤子よ おまえはもしや母のぬくい内が恋しい恋しいと哭いてないか
赤子よ おまえの慟哭しかと聴こうと全身をとぎすませて
赤子よ 赤子よ 赤子よ 赤子よ 赤子よ 赤子よ


2006年09月17日(日) あらあら、びっくり

我が仲間よ、と許容した人物が
まったく腹黒かったときの衝撃、
まったくまさに驚愕に値するわ。


2006年09月15日(金) 世界は現われない

薄ぐらい深淵へ向かって
時間がこくこくと迫っても それでも
なかなかおんもへ足を差し出そうとしない
なまけものの君よ


世界は赤子を抱いて
君の前にこつぜんと現われたりしない

世界は優しげなまなざしを
君に向けて不意にそそいだりはしない

世界はぬらぬらする情欲に
待ち憧れてきた異性の姿で迎えたりはしない

世界は暖かいみそ汁の待つ家が
にょっきりと地面からはえてきたりすること
それは けっして ない


自分の食いぶちは
一生と命を懸けて稼げ

自分の食いぶちぐらいは!


2006年09月09日(土) 嵐の貧相な家族の食事

傘が嵐に吹き飛ばされ雨に濡れる母
ここは緑深い森へ通ずる路上
全身が濡れてゆく母は
深紅の大きい布を頭からまとう
まだあたたかい母のふとももに
しがみついていたわたしもふわりと布に隠れた
時折荒々しく泥水をはねてゆく車へ
親指一本を持ち上げるけれども
依然として止まってくれる車はなかった



わたしは祈ったの 森の中へ帰れますようにと
そう わたしとってもけんめいに 祈ったの



天空から落下して地面に転がっていた星が
豚に喰われ 無事に豚の内臓へ おさまった
天空から滲みいでた夜の闇が
おびただしい数の蚊に吸われ 無事蚊の内臓へ おさまった
天空で破裂 炸裂 轟く雷鳴が
母とわたしの頭上に吸い込まれて
無事にわたしたちの内臓へ おさまった

雨に打たれて黒々と でもなお神々しい 母

おかあさん おかあさん おかあさん

おかあさん おかあさん おかあさん

おかあさんおかあさんおか 乳首が見えてる よ


2006年09月07日(木) 細江英公、球体写真二次元論から想う事。

薔薇をくわえた髭面の大きな男、
おかっぱ頭のちっちゃな女の子の頬をなでる。

毛を逆立たせながら田園を駆け抜けゆく、
無機質で剥き出しの真実という名の妖怪。
闊達に、
自由に、
そう容易く万人に姿を見られぬよう
用心深く透明に成り済ませ、飛びはねている。

だがしかし、

それをば写真という世界は四角い形相で淡々と軽々しく捕らえて
た。

淡々と軽々しく、ね。

無機質で剥き出しの真実という名の妖怪はそのことに気づくがいなや、
手足ももげんとばかりに回転して、よりいっそう素早く田園を踏みつけていった。

それでもなお写真は、その真実を四角く捕らえてた。



それが幾百年前の出来事。残った写真に見ることのできる
無機質で剥き出しの真実の姿は、
非常にまっちろい右半分と、まっくろの左半分が合わさった
くるりと見事な円を描く球体であった。

であった。であった。


球体の真実には幾筋ものぶっとい血管が這ってたぜ。
まったくその中身はどっくどっく根深く脈打っている血が詰まってたぜ。事後報告。


2006年09月06日(水) おめえの尻とあの獣の尻が似ている

母の乳を求める赤子の尻が、
まどろみに囚われた猫の尻にも似て。


裸体を露出して歩く薄気違いの尻が、
あくまでも悠然と草を反芻する牛の尻にも似て。

性行為を終えた後に体を洗う女人の尻が、
純白に染まっている虎の尻にも似て。



ニンゲンとケダモノの尻は似ている、
いや、それは同化ではないか、

違った、違うのだ、
同じだった、

みずみずしく赤いトマトは
なまなましく赤い剥き出しのザクロにどうも似る。
そのことと等しい、その理。

まるきりそのものだった、未来永劫、とてもとてもそうだった
とんでもないくらい、当たり前すぎることだった。



ぼくは目の前の童子の尻を
目眩のおこるほどにどこまでも優しく、
且つ、火花の散るるほど強く、


ぴっしゃり


叩いた。


2006年09月05日(火) ミクシー


あの荒野に無数ロープがぴちんと張られているのね。

ロープには赤子から老人まで老若男女の洗濯物がおびただしく風に揺れている。
干したばかりの濡れたタオルに衣服、オムツをかきわけて進む、わたしがいたの。

ピタり、びしょびしょ。
ピタらり、ぴしょんぴしょん。
ピタらら、ぴしょっぴしょっ。
濡れた洗濯物がわたしの頬に、顔に、体に触れて、触れて、濡れて。


枯れて死に向かいつつある花が シャリッ 一片の花びらをこぼしたの。

雨が降ってきたのね。
暗く立ちこめる黒雲から雨粒がひとつ、ぽん、と凄い勢いで落下してね。
花びらがその勢いに堪えきれなくて、こぼしちゃったのね。

ドロドロドロと鈍く重い音の振動が胸に響いたので、
ぎくりと身を強ばらせたので、
雷雲に気づくのが遅れたので、
洗濯物を取り込もうと思う暇もなかったので、
前向きに足を踏み出して ビシャリ、ビシャリ 沼地のような
しとどに濡れた土に 美シャリ、美シャリ、 足跡 残したので、

みんな

洗濯物をたたむのを 手伝いに ここの荒野へ


来てくださいね。 わたしを哀れだと思ってどうかよろしくほんとうに!


2006年09月04日(月) 海で棲息していた女神

濃く深い青に満ちる海の底で女神と出逢った。



かぼそい珊瑚礁の上にやわらかく座ってた。

白の弾けている海の空を眺めてた。
とても長い黒髪が潮の流れにやわらかくふるえてた。
陰毛と乳房もまたやわらかくふるえてた。


無数の海藻が女神の裸体を覆い捕らえてた。

いっぴきの黄色い魚が女神の口から顔をのぞかせた。


その女神は


美しかった

屍体のようなその女神は


うつくしかった たとえようもないほどに


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