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2005年07月29日(金) 注意のメッセージ・・・

こんばんは・・・・
先日は体調面につきましてお返事頂きまして有難うございました。
そうですか今までの自分の思い等が原因ですか・・・
少しショックといいましょうか反省すべき所が一杯残っているんですね。
今の所停滞中のようで、目の部分に「シコリのような揖保」
として残ってしまっている状態です。
明日また眼科に行く予定なのですがこのまま「シコリ」が残るようで眼科で
処置できないようだったら・・・
と他の治療も考えないとと思っている状態です。

お話は変わりますが・・・
「法句経」についてですが。
杏珠先生からお聞きした上村氏の本を取り寄せて読んでみました・・・
自分で他にも買ったりして読んだのですが
分かりやすく説明されているようで読みやすかったです。

まず今現在思ったことで皆様のように
気づけない私がいるのでお恥ずかしいのですが・・・
自分の中で知っているような感覚・・・のように感じました。
何も理解していないのに・・・
何を思ってそう思ったかは分からないのですが
読みおえて意味もわからない事だらけですが
涙が出て来てしまいました。
よく自分でも分かりませんがこんな段階ですみません。
ただ何かに出会えたような錯覚で・・・うれしく思った自分がいました。
まだまだ読み足りませんので良く良く読んでみます。

それから・・・
重いお話になってしまうかましれませんがすみません。
以前お話したかと思いますが・・・
「(省略)会」でお会いした方とお友達になり(省略)会は辞めさせて頂きましたがその後もたまにご連絡して頂けたりしています。
お友達としてお互い色々お話はこちらもさせて頂いておりますが・・・
こちらのご様子も分かるようで、
何かお話している最中に思うらしく以前送って頂いた
(省略)を読んで見たらと何度か言われたのですがお断りしていました・・・最近は言われなくなったので
普通にお友達としてお話をさせて頂いているなと思っていたのですが・・・先日前にお誘い頂いていたコンサートの為一年ぶりにお会いしました。

(省略)
これをしないから
そうなってると言われているように感じで寂しさを感じてしまうのです。
(省略)
彼女は感覚的に色々分かるようになりたいとこの前お話していたので
私もまさかその会でそういう事まで求めている会とは思っていなく・・・
(省略)
ここ最近恐さを感じています。
本当にそうなって行ったのかも(彼女は)
と思うのですが私は恐さを感じてしまうのです。

私の想像していたのはその会での教えとかなんだろうな位に
思っていたのですが・・・
何か違う方向性に行っている気がしてと思う自分がいるようです。
でも全面的に私の考え思った事なので違うかもしれませんが・・・

(省略)
電話などしてる時は普通なのですが
その会のお話等になると(省略)を含め
聞いてはいられて、その時はそうなんだと思うのですが
後で何が嫌なのか分からないのですが
嫌で嫌でたまらなくなってしまうのです。
その度にそう思ってはいけないと自分に言い聞かせて
私の偏見のような気持ちがいけないと思うようにしていました。

私の思い過ごしでしたらすみません。
私の性格からただそう思ってしまうだけかもしれません。
              (一部省略・抜粋)

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メールを拝見いたしました。

(省略)会の関連のご友人に関して・・・
もうそろそろ貴方は離れる時期が来ていると
思ったことはありませんでしょうか?

私は、その方達に対して貴方の時々感じる違和感というのは、
まったく間違っていないと思って視て来ました。

しかし、「友達だから」「さみしい」という感情が先にたってしまって
なかなか冷静にみることが出来ていないのではないですか?

貴方自身を護っておられる御霊からの
「注意をするように」というメッセージを
貴方はもっと冷静に受け取り・・・
友人関係に関してもう一度よくお考えになった方がよいと思います。
                 (全文掲載)
    
            杏珠


  



2005年07月26日(火) まずは自分が変わる事・・・

杏珠先生

お返事ありがとうございました。
直ぐにお返事を書きたかったのですが、
どうも自分が何を理解して何を書きたいでのか、自信を持って表現できない・・・ そんな想いの日々が続いていました。
そんな中、たまたま通りすがった本屋さんで、
日本の書籍の割引セールをやっているのを発見しました。
割引とはいえ日本で買うより2倍近くの値になってしまうし、
何より荷物が増える、という理由でこちらで本は買う気になったことがなかったのですが、 立ち読みはタダだし・・・となんの気なしに本を手にとってパラパラとみてみました。

その偶然手にした本の偶然開いたページの文章に、目を奪われました。
『私たちはベトナム戦争下で、非暴力による暴力の終結が可能なことを証明しました』
(省略)
具体的にはベトナム生まれの禅僧、ティク・ナット・ハン著の『禅的生活のすすめ』という本です。
そしてこの本の帯にはダライ・ラマ14世のこんな言葉も書かれています。
『本書は、人々の心の平和と世界の平和が地続きであることを教えてくれる』

杏珠先生も再三おっしゃっている、
"まずは自分が変わること"
”個人の意識や行いが、やがて世界の流れを変えていく”
というお言葉にも通じている言葉に思いました。

この本は本当にシンプルな言葉で終始綴られている本で、
以前相談者の方が法句経をお読みになったときの感想のように、
うっかりするとサラッと読み過ごしてしまうかもしれない、
当たり前で、でもとっても重要なメッセージが込められているようです。

(省略)
それでも既に、私の頭をガーンと打たれたような感覚を覚えた項がありました。
(省略)
著者はこの問題の解決策の例として、お医者さんを挙げていました。

『医者は患者の悪い部分を見つけ出して、治そう(解決しよう)とします。
決して悪い部分を持った患者を殺そうとはしません。』

だからこそ黙って相手の恐怖を丁寧に聞いてあげて、
明確にしてあげることが必要になる。
その為にも一人一人が、相手のどんな聞きづらい話(愚痴や不満)でも黙ってじっくりと聞けて、 受け入れられるキャパシティを持った人間になる事が先決・・・
それには自分に気を遣えて、慈しみをもつことが基本となる・・・
とも書かれていました。

(省略)
霊的な観点からの一人一人の”業”という感覚は、
正直なところ私には分かりづらいものがあります。

でも他人にはどうしてあげることも出来ないことがある・・・
それは最近になって段々分かってきた感じがします。

しかし時折発生してしまう自分の中のやりきれなさや怒りに、
一体どう対処していけば良いのか・・・それに悩んでいました。

私が次に近づきたい人間像は、この、
”相手のどんな話でも黙って聞いてあげられる人になるために、頑丈な自分を育てる” というものなのかなと思います。

自分が不安定な状態で他人の苦労を聞いてあげる事で良いことをした、と勘違いし、 気づけば自分もネガティブな思考になってて別の他人を傷つけているようでは意味が無い。

それが杏珠先生もよく指摘されている”奢り”や
”自分を確立すること”という事なのかと思います。

相手の話を黙って聞いて、相手の本当の意を読み取るというのは、
実は簡単ではなく、ましてネガティブな話題・賛成できない話題ならなおさらに感じます。

でもそういう話も心乱されることなく聞けないと、
やがて相手を誤解するという事に繋がっていくんですよね。

またこの本では再三”意識的に行動する、心と体を一つにする”
という話題にも触れられています。
体はココにあっても心がどこかに行っている・・・時に逆もあります。
(職探しをしていた私はまさにコレの繰り返しだったように思います)
それでは今の有難さや感謝を感じられず、焦りや誤解、無駄な消費を生むばかりだと。

読み進める度に的を得た説明に圧倒され、ただただ凄い・・・と思うばかりです。

でもこの後の”実践”が物事を変えていくんですよ、とも再三書かれています。 へぇ〜、と感心しているだけでなく、実践をしていこうと思います。

今回杏珠先生がアドバイスしてくださった事から的がはずれていたらごめんなさい。
ただ久しぶりに心が揺り動かされるような本に出会ったような気がして、
ご報告せずにはいられませんでした。
                  (一部省略・抜粋)
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おはようございます。
メールを拝見いたしました。

仏教(禅宗)の書籍をご覧になって居られるとの事、とても嬉し
く思います。

貴方の感想が正しいとか間違っている・・・
そんなことは必要ありません。

お釈迦様の教えに触れていただき、 
”感じる事”
そして、それについて深く考える事自体に意味があるのです。

一つだけ付け加えるとするならば、
貴方が今「何となく」感じている事は、
私が伝えたかった事に通じるものです。

頑張って読破なさってください・・・
                (全文掲載)

            杏珠





2005年07月25日(月) 拘り・・・その心の在り方は・・・

杏珠先生 こんばんは

先ほど新しい御念珠が無事届きました。
(省略)
今回御霊入れの際降りてきた言葉今の私にぴったりのお言葉でとても胸が痛かったです。

本当に現状から逃げることばっかり考えてました。
こんなにがんばってるのにまだゴールは来ないのかとか
どうして他の人は早く卒業してるのに私はまだなのかと
いつも比べてる自分がいました。
今まで先が見えないままの状態で長い年月を辛抱することがまったくできませんでした。

一日一日不平不満をもたずに感謝して生きてゆくことが苦手でした。
これからは反省して自分を変えてゆこうと思いました。精進します。

それから今回で御念珠は3個目ですが一番最初(一個目)の石と同じ瑪瑙(赤)でした。前回は紅水晶でしたが
前々回と同じ石が送られてきたということは
最初の精神のレベルに戻ったということなのでしょうか?
(以前杏珠先生が宝箱でおっしゃってましたよね。)
後退してるということでしたらショックです。

どうなんでしょうか?成長していったらどんどん石の種類や色も変わっていくのですか?
お暇なときにお返事頂けますでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。(一部省略)

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メールを拝見いたしました。

御念珠の石について・・・
確かに、その時のその方の霊的な状態や精神状態で、
六明師がお選びになる「石の種類」や「色」は変わります。

貴方は元に戻っているといって
「ショックだ」と仰っておられるようですが、そうではなくて、
貴方の ”精神的な波のある状態”は変わっていないということだと感じます。

霊障の状態は、祈願と供養によって改善されていますが、
精神的な波を自分でコントロールし、
人を思いやることができ、
自分のことを省みることに於いては、まだまだです。

これらができるようになれば、どんどんと変わっていくはずです。

御念珠が護ってくださっている有り難さより、
その石の種類に拘ってしまう・・・
その心の在り方に問題があるのが貴方には分からないのでしょうか?
                 (全文掲載)

         杏珠



2005年07月21日(木) 明らかにする事・・・

杏珠先生へ

お返事ありがとうございました。
多分完全に理解するのは私のような凡人には難しいと思うのですが、
ご先祖様を単純に(省略)家として束ねることができない事は、
とてもよくわかりました。
血でつながっているものがご先祖様ということではなく、
魂でのつながりや因縁による結びつきがご先祖様であるという理解で
良いのでしょうか。
言葉にするのは大変に難しいですね。
子孫を残すということについても、
ご先祖様は血や名前を残すというよりは、志を継ぐということを指すのかもしれないなぁと考えたりもしました。いかがなものでしょうか?

どちらにしても、母にとっては良いことだと思いますし、
何ものにも代え難いプレゼントです。母には一応受け入れやすい
範囲でこのご祈祷のことと施主であることを伝えてみます。

それからもう1つお伺いしたいのですが、
以前、(省略)に御念珠を贈ろうとしたときには様々な邪魔が入りました。
しかし、今回母にご供養をプレゼントしようと思ったときには、
邪魔はまったく入りませんでした。
これは、私がご祈祷を1年以上続けていることや、
同じ(省略)家ということが関係しているのでしょうか。

(省略)

杏珠先生からもアドバイスをいただきましたが、
たしかに注意が必要だと感じています。
気を引き締めて、
(省略)1人の時間を大切にして向き合う時間を持ちたいと思います。

(省略)

私も弱いですし、グラグラします。
でもこうして友達が頑張っているのに、
1人魔に負けるようなことがあっては情けないですし、
これからの自分にも申し訳なく思います。
以前のように相手を探したいという変な欲はもうないですし、
今自分ができることをやって自立して、
1人でも生きていけるようになってこそ、そういう伴侶というのは、
もたらされるのだろうし、伴侶は寄りかかる相手ではないと思います。
(省略)
今は自分のことだけで精一杯だし、やりたいことがたくさんあります。
皮膚科も今日行ってきましたし、
明後日は(省略)教室に行けることになりました。
この自分を磨くお金は母からいただいた大切なお祝いを使い、
自分が綺麗になって嬉しくなった分、母に感謝したいと思います。

私は今までこういう気持ちが足りませんでした。
杏珠先生に本当に良いアドバイスをいただけて、
長い間抱えていたものが抜け落ちていくのを感じています。

ただ、私にはすぐ物事を型にはめ込んで考えたり、理屈に合わせたり、
変な勘でルール化するところがあります。
こうして考えていることも、
どこかに弱い点や勘違いしている点があるかもしれませんし、
杏珠先生からご覧になったら、危なっかしいと思われるかもしれません。
そのため、もし今の私の考え方で間違っている点がありましたら、
お知らせいただきたいのです。
それから、抜けている点がありましたら
それもご指摘いただけると大変有り難いです。
                   (一部省略・抜粋)

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お待たせいたしました。

ご先祖様との関係について・・・
そうですね。
とても難しいのですが、
「志」というよりは、やはり「血」でしょう。

血脈に付随して、因縁(傾向)というものもありますから。
やはり言葉で説明するのはとても難しいですね・・・

お母様の先祖供養について邪魔が入らなかったのは、
貴方も仰っておられるように貴方が祈願(供養)を
続けていらした影響が大きいと感じます。

そして、異性に関しては・・・
他のことにも通じることですが、
『欲しい欲しい』という想いに拘っている時には、
なかなか手に入れることすら難しいのですが、

『どちらでもいいかな(一人でも生きていけるかな)』というように、
明らめる事(明らかにする事)が出来るようになったら、手に入るものです。

しかし、あくまでもこういう心に自然になっていなければなりませんが・・・。

何だか、難しいお話ばかりとなってしまいました。
もし、分からない箇所や表現などがありましたら遠慮なさらず
にお便りを下さい・・・(全文掲載)

          杏珠



2005年07月15日(金) 法句経を読みました・・・

(省略)こんにちは。
私は岩波文庫の「ブッダの真理のことば・感興のことば」を読みました。
アタマにはすんなりと入ってきたのですが、ココロに実感が湧くまで時間がかかりました。
多分、それだけ反省が足りないというのか、エゴが強いというのか、
法句経の言葉を借りるのなら、愚かな人だからだと思いました。
ですから、先生にご質問できるレベルの内容は書けないと思います。

まず最初に、先生が仰っていたように、
私も雷に打たれたような衝撃を受けました。
それから、その衝撃の理由や中身をどうしても理解したくて、
何度も読み返しました。
それだけでもわからない部分がかなりあったので、「感興のことば」も読みました。
その結果、感じたのは、自分は傲慢だったということでした。
賢い人だと思っていたのに、実は愚かな人だったということです。
そしてついでに怠け者だということです。

第5章 愚かな人
67:もしもある行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

さらっと読めば当たり前なのですが、
自分にはそれが多すぎるような気がしました。
確かに後悔するようなことをせざるを得ないほど、
心が定まることなく揺らいでいます。

第3章 心
33:心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。弓矢職人が矢柄を直くするように。
34:水の中の住居から引き出されて陸の上に投げ捨てられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。
35:心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである、心をおさめたならば、安楽をもたらす。
36:心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。
37:心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛から逃れるであろう。

昔から、わかっているのにすべきことに集中できないことが
悩みの種でした。そのうちにしなくてもいいことが
やらなければいけないことになり、したくないことをやらされているという不平や不満が絶えないという悪循環に陥っていました。
その一方で、したくないことを頑張った自分を評価し始め、「苦労した」「頑張った」賢者のような自分だと、
どこかで誇りに思っていたのかもしれません。
でも、実は何もしていないことに気がついたのです。

第12章 自己
166:たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
第21章 さまざまなこと
292:なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚れが増す。

過去において、自分の時間を削ってもその人の悩みにつきあってきたことを素晴らしいことだと自己評価してきました。
又は、評価されるべきだと思いました。
それで自分自身のためになることを後回しにしたことを
言い訳にしていました。
でも、それは自分のためにも相手のためにもならないことが
ようやくわかりました。
確かに自分は今まで何をしてきたんだろうという思いばかりが
残っています。そして、その「思い」に苦しめられています。
この悪循環は、自分の中の悪しき「思い」から
生まれたものだったんですね。
反省しました。

今更なのですが、先生がよく仰る、
「反省と自分を責めることとは違う」という意味が
やっと理解できたような気がします。自分を責めて攻撃すると、
罪悪感や自己嫌悪が生じ、
それがまた悩みのスパイラルを生むからなんですね。
でも、反省というのは
「過去は過去。自分に落伍者の烙印を押してそこにとどまるよりも、
前を向いて進むことを選んで、決して同じ過ちを繰り返さない」
ということなのですね。
その過去への思いよりも未来への思いを心に抱くことこそ、
犯した罪自体は消えなくても、
その罪の重さ以上の償却がどこかでできるかもしれないということなのだと思いました。そうでなければ、
この世に人として生まれてくる意味がないのでしょうから。

今回、強く感じたのはこういうことです。
学校の先生に提出するようなレポートみたいで申し訳ありません。
まだまだ法句経については、
言葉というかたちにならないような感想のかけらをたくさん持ちました。
先生がお返事を書く言葉に詰まるような内容で申し訳ありません。
素晴らしい教えの存在を教えていただいて、ありがとうございました。
                   (全文掲載)

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法句経についてのお便り、拝見いたしました。

貴方も仰っているように・・・
何かが心の中に残っているのに、
なかなか言葉で表す事は難しいものですね。

けれども、貴方の心の中の宝箱にたくさんの智慧がのこされたはずです。

法句経に書かれている言葉は、どれもがシンプルで・・・
何も考えなければさらっと読んで終わってしまうでしょう。

貴方のお便りに書かれていた言葉は、
私がメールで何度かお伝えしたとしても
決して伝えられることは出来ない気づきに満ちていました。

私達人間は、愚かです。
しかし、自分が如何に愚かな人間なのか・・・
何も出来ない人間なのかを認めること、明らかにする事が出来れば、
先を真っ直ぐに見つめる事ができる
スタートラインにたつ事が出来ているということでもあります。

「私は如何に愚かだったのか」と過去を省みる事ができる人は
真の意味での ”強さ”を身につけることができる・・・
六明師がよくお話ししてくださった言葉です。

私もまだまだ精進が足りない人間です。
お互いに頑張っていきましょう・・・
(全文掲載)

        杏珠



2005年07月11日(月) 貴方の見た夢は・・・

杏珠先生

お返事ありがとうございました。
とにかく、頑張ってみます。

先日求人広告を見て応募していたのですが、
またもや一次書類選考で不採用でした。
このとおり面接にもたどり着けませんが、それでもくじけずに、
きっとどこかに、「私」という一コマがぴたりとハマる「パズル絵(勤め先)」があると信じて、探していきます。
「焦り」が心の中で強まる時が多々あるので、
自分で自分に「焦らないで行こうね。きっと一番いい時に一番いいところに落ち着けるからね。」と語りかけながら。
やはり、試練の無い成長はないのですね。頑張ります。

そして、兄と甥たちの事、
彼らのために祈って、そして見守る。そうですね。

杏珠先生、このような事、誰かに話して良いのかどうか、と思い、
どうしようか迷ったのですが、
やはり、杏珠先生にお話しさせて頂いてもよいでしょうか。

一か月程前に見た夢についてです。
夢の内容など、人様に話すべきではないのでしょうが、
すみませんが、書かせて下さい。
私の夢の中での創造の産物は、兄との事について私の心の中を象徴的に表すとんでもないストーリーを作り上げたのです。嫌な夢でした。

舞台は着物を着ていた時代の日本。
辻斬りをしているような男。新撰組が着ているような法被に似たものを着ています。これが現在の兄です。
私は女性で、姉(もしくは母)とその子供の男の子が居ます。この姉(または母)が現在の母です。男の子は現在の弟です。
私は、この極悪非道男(現在の兄)に刀で背中を切られ、そして胸を刺されて、傷口が非常に冷たくて痛んでいます。苦しみながら、断末魔の喘ぎのさなか に、「こんな形で人生が終わるのかあ。無念だなあ・・・」と悲しさと淋しさを強く感じていました。
それを見た姉と子供(現在の母と弟)が悲しみで泣き叫んでいました。
死体運びを生業としているちょっと知能の低い男が、荷車に私の屍を投げ載せて、死体が山積みになっている所に運んで行きます。この男は現在の私の父です。・・・以上のような内容でした。

このような夢を作ってみてしまう程、
私の内面は兄との関わりに辛いものを感じていたのでした。
この夢を見た日かその次の日、なんと兄は実際に、
まるで夢の中の私を斬り殺した男のような目で、
うっとうしそうに私を見て、
直ぐに視線をそらしてその場を去っていきました。
もし、あのような目甥達を見 ているとしたら、甥達は、
ますます父親嫌いになって当たり前です。

本当に、杏珠先生がおっしゃる通りですね。
兄自身が気付いてくれなければ、どうにもならない。
私は祈って、見守ることしかもはや出来ません。

それから、法句教の本、読み終えました。
とても良い本でした。私の内面で何かが「ああ、そうか。」と
強く反応しました。
うまく表現出来ないのですが、読む前と読んだ後では、
明らかに心の姿勢が変わったと感じています。
(一部省略・抜粋)

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メールを拝見いたしました。

貴方が見たという夢は・・・
貴方の心が作り出したものなどではありません。

はっきり申し上げますが、
貴方と貴方のご家族の、前世での出来事の映像なのです。

貴方のようにはっきりと夢で見ることが出来る事は、
あまりというか殆ど無いことなのですが、
これまで祈願と供養を続けてこられたことに対するご褒美なのでしょう。

前世について普段私は細かくお答えする事は一切ありません。
何故なら、前世を知るべきではない時期に知っても、
それを冷静に受け止める事が出来ない方が多いからなのです。

しかし、貴方は前世での『自分』と『家族』のかかわりを見たときに、
今生のそれぞれの人についての業を考え・・・
それについてあきらめる=明らかにすることが出来る状態に
心がなっておられるからこそ、前世を垣間見る事が出来たのです。

前世から今生にかけてのそれぞれの人の抱える傾向や業を、
冷静に見つめ・・・見守ること。

「みんな、それぞれの立場で精一杯生きている」ということを・・・
貴方にわかってほしいと思います。
           (全文掲載)

        杏珠




2005年07月07日(木) 「後悔」しない自分を求めて・・・

杏珠先生

ご無沙汰していました。
いつもアドバイスをどうもありがとうございます。
(省略)
ご祈祷継続のお願いをしたくて、先程、お布施を振り込みました。
(省略)

近況を報告させて頂いてもよろしいですか。
新しい仕事先を探している事についてです。

私にとって、今まで「後悔」する事が多かったので、
本当に大切なのは、後悔しない自分を育てる事、
これが大きな課題だと思い、
仕事を探すにあたり、この 後悔のタネと対座しようと考えました。
さもないと、後悔は何ら解消される事無く私の中に
脈打ち続けて行きそうだと思ったからです。
つまり、私が以前今学んでおきながらその道に進まなかった芸術的な方向に的を絞って、遅ればせながらの出発をしようとしているのです。
もちろん、実務経験の無い私、年齢的にも非常に厳しい状況です。かれこれ、20件は断られました。面接すらしてもらえない状況です。
でも、あきらめるあきらめないの問題ではなくて、私の心の気がすむまで求職して行こうと思っています。

というのも、イメージしてみたのです。
数年後、十年、20年後、
この道を求めずに他の事(省略)をしている自分が、
今の私を思い返した時、
「あ の時、やはりあの方向で仕事を探しておけば良かった」
「もしもあの時、求めていたら、ぎりぎりでもなんとかその方面に進むチャンスもあったんじゃないか なあ・・・」と、
きっとまた後悔するに違いないと思うのです。
そして、何か私の中で形として外に現す事のできなかった
エネルギーのようなものは燻り続けている・・・。

(省略)
結局今も以前のところでアルバイトさせてもらってるのですが、
今の勤め先は、
そんな私でも活動できるポストをわざわざ設けて使ってくれているのです。考えてみれば、無理に仕事を割り当ててもらっているのですから、
お金にならないとか、私なんか必要とされていない、
居てもいなくても同じで責任の無い内容だ、などと
私が勝手に不満を抱いてはいけないのです。
本来ならば、私を使ってくれていることに感謝しなければいけないのです。

私は、本当に感謝の足りない人間だと反省しています。
(省略)この職種にずっとついていく事を考えてみると、答えはノーです。
素晴らしい仕事だとは思いますが、
きっといつかまた後悔する ように思えるのです。
「やっぱり、あの時、クリエイティブな方面の仕事に就けるように
頑張るべきだった・・・」と。

また、これから、1〜2件当たってみます。
(省略)

私の近況は以上ような感じです。

それから、兄のことについて報告させて下さい。
これについては、話せる友人もいないので、
杏珠先生にお話しするだけなので、どうか聞き流して頂けますか。
勝手に打ち明けさせてもらって申し訳ありません。
(省略)
兄がひどく暴れてから、もう1年が経ちます。
あの時「お前は目障りだ、口出しするな」と怒鳴って、
まるで私が兄の家庭内の問題に介入したら、
その分甥達(兄の息子達)をいっそう懲らしめてめちゃめちゃにしてやると言わんばかりに暴れていた事を思い出して、
甥達がとても心配で、何もできずにいます。
この点では、時間が早めに経って、甥達が大人になって自立する日が早く来るといいなあ、と思います。

しんみりとしたムードにさせてしまう事ばかり綴ってしまいました。

ところで、私も、杏珠先生がご紹介下さった法句経の本を取り寄せました。これから読んでみます。

いつも長くなって申し訳ありません。
またメールさせてください。
いつもどうもありがとうございます。
                (一部省略・抜粋)
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メールを拝見いたしました。

御自分の人生と向き合おうとしている事・・・
とても素晴らしいことだと思います。

自分自身の足で歩き出さずに、
あれやこれやと嘆いていても何も変わらない・・・
貴方は大切な事に気が付いたのですね。
自分の納得がいくように頑張りましょう。

仏教用語で「明らかにする」という言葉があるのですが、
これは今貴方のように、
『やれるだけやってみる』
そして、出た結果を全て受け止めるというように私は解釈しています。

どうか、後悔をする事がないように
自分にできる事を精一杯やってみましょう・・・

そして、お兄様の事・・・
今の状況のようになるのは、視えていた事ですからよく理解が出来ます。
そして貴方が如何に心を痛めているのかもよくわかります。

しかし、お兄様自身で『自分の行い』『考え方』『言動』を深く反省し、 ”何とかしなくては駄目だ”と気が付かない限りは
誰が何を言おうがお兄様を救う事は困難なのです。

少し前の貴方に ”まずは自分が変わる事です”と
何度もお伝えしたと思いますが、
貴方自身が私がお伝えした、その意味を理解しようと
自分で考える事がなかったなら、貴方でさえ今現在のような心境に
なっていなかったでしょう。

お兄様についても甥っ子さん達についても、
皆それぞれが一人ひとり違った『業』を持ち、この世に生を受け、
その業の償却をする為に精一杯生きているのです。

業の償却は、誰にも代わる事はできません・・・
貴方にできるのは、とても苦しい事かもしれませんが
 『見守る』ことだけなのです。

お兄様が早く御自分でお気づきに為ることを願って・・・
                 (全文掲載)

        杏珠




2005年07月05日(火) 水子ちゃんからの信号・・・

こんばんは、メールを頂き有難うございました。

メールを拝見し最初は正直どうしてだろうと思っていました。
思いあたるここ最近では身辺が忙しくなった為、
仕事場にしてもイライラといいましょうか
気持ちの不安定、そして自分のパワー不足で疲れがかなりありました。

メールを拝見し考えていましたが・・・
水子ちゃんがというより私かもしれないと思ってしまったのですが・・・
私の影響でご供養の邪魔をしてしまったのかなと・・・
間違っているようでしたらすみません。

今現在水子ちゃんがどのように感じてるのか
はっきりわからない状態です。
ただ六明師様にもお話頂いたようにご供養が必要で
あれば正直経済的には余裕があるわけではありませんが
お願いさせて頂きたいと思っております。

私事ですが丁度、
(省略)近々購入する予定となっています。
身分不相応だったのかもしれませんし
浮き足だってしまったのかもしれません。

仕事の面にしても水子ちゃんにしても
プライベートでも自分の反省すべき点があるように感じています。
しばらく良く考え直してみます。
               (一部省略・抜粋)
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メールを拝見いたしました。

ここ最近の貴方の精神的な疲れや不安定さは、
水子ちゃんからの信号だと視えています。

逆に言えば、やっと信号が送る事ができる位置にまで
上がってきたのだと思います。

以前もお話いたしましたが、
貴方自身が「傍にいて欲しい」と過去に願った「想い」が、
水子ちゃんの事を縛り付けてしまっていたのでしょう。

供養が進むにつれて、貴方自身のお気持ちも変化してきているからこそ、
水子ちゃんは生まれ変わる準備ができる位置にまで来たのですから、
余り自分を責めることをなさらないように・・・

貴方に起こった事、起こってくる事・・・
全てに意味があり学びがあるのです。

自分を省みる事は、自分を責める事とは似ていて全く違います・・・
                 (全文掲載)

        杏珠



2005年07月01日(金) 読書について・・・

杏珠先生、こんにちは。
久し振りにメールしてみたくなりました。

先日、宝箱で投稿された方に対して読書をしなさいと言われていたことと、ダイアリーでの法句経についてのお話を読んで、
読書の大切さを気付かせて頂きました。

結婚前の数ヶ月間は忙しかったので、
読書欲がありながらもなかなか時間がとれずに、
結婚後にやっと読書ができるようになりました。
それでも、優秀なお子さんが月に50冊以上も読まれている数には
程遠いですが・・。

子供時代は注意力散漫のため落ち着いて読書するということが苦手でした。読み始めてもだんだん苦痛になってくるのでした。
それが20歳ぐらいから読書が面白いと思うようになり、
現在に至っています。
子供時代からもっと読書の楽しみ気付いていたら、
文章力や表現力も身に付いていたのに・・、と後悔です。

今、瀬戸内者寂聴さんの法句経に関するエッセイを読んでいます。
法句経の一部を紹介しながらもっとわかりやすく解説されている本で、
本格的な法句経の本ではないですが、
俗世界に埋没している私には感覚で理解するのはなかなか難しいです。

真理というのは生きている間は理解できないのではないか・・
とさえ思います。
理解できず迷いながら生きている、これもまた修行なのでしょうか?
例えば、恨みを持つなとか、善いことはいそいで行えとかは
まだわかります。
「私のものは何もない」「私さえも私のものではない」という言葉は、
日常生活において実感するのは難しいです・・。

私は出家という道を選択することはないですし、
この俗世界で自分の器の範囲で生きていき、
この世を去るまでに器を少しずつ大きくしていくことが
必要なのかとも思います。
(省略)
読書や人生経験を通して、
ほんの些細な自分の感情や感覚にも目をそらさず思案しながら
一つ一つ解決していけるように励んでいきます。

踊りの発表会や新婚旅行が目前にあり少し落ち着かないですが、
杏珠先生も梅雨で湿気の多い季節ですが、
どうかお元気でお過ごしください。
                (一部省略)
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メールを拝見いたしました。

法句経をお読みになっているということ・・・
とても嬉しく思います。

仏教本というものは、さらっと読んだだけで頭に入ってくるものではなく、『考える』と言う事が大切だと思います。

今はその意味が実感として湧く事が難しい内容や言葉も、
自分の状況や環境が変化をすることによって、
後々で「こういう意味だったのか」と納得する事が多いでしょう。

例えば、自分の子供が誕生したとき・・・
そして、自分の大切な人がこの世を去ったとき・・・

 ”自分の身体や家族でさえ思うようにはならない”
様々な経験をしたときに心に染み入るのがお釈迦様の言葉なのです。

何一つとして自分の『もの』では無い・・・
そこに執着をしたままでいれば、
愛さえも苦しみを生むものとなる。

これは字を読むだけではなかなか理解することは難しいものです。
                    (全文掲載)

        杏珠


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