そらのうえの 舟。 - 2003年11月11日(火)
何故か需要を頂いたので、十二国記の雁について語らせてくだされ。
私が延主従について語るとき、まず譲れない要素。 それは第一に、「王を信じられない麒麟」で、 第二に、「麒麟の愛情を冷めた目でしか見られない王」になります。
お前そんなのばっかりか。 ちなみに歌だと、「不自由な運命の中で」を大プッシュ。あと「風化風葬」「ワダツミの木」かなあ。 「不自由な」はTheBOOMです。ワンフレーズごとに尚六でワンシーン浮かびますよ(病気)
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んーとね、私、根本的に、麒麟が人に恋をするというのはないと思うわけですよ。だって異種姦じゃん、それ。 彼らは人の姿をとっているけれども人ではなくて、私の感覚では半獣とも全く違う存在に思えるのね。麒麟の王に対する愛情というのは、もう最初からのプログラミングだというのが基本です。 別にそれでもいい。そこに愛情があれば、理由なんて構わない。でも、それは恋には決してなりえない種類の愛情だと思う。だって麒麟だから。民を憐れむのと同じ回路で王を愛するのが麒麟。だから予王は狂ったんだと解釈しています。 ただ、六太は人間として生きてたことがある。 六太さんというのは元々とても賢い、そしてとても冷めた視点の持ち主なんですよ。彼は自分が賢かったのは麒麟ゆえだったと言ってたけど、景麒あたりを見てるとそうと…は… 確かに過剰に利他的なのは麒麟だからと思うんだけど、捨てられたとき、彼は今の四歳の自分がいても家族には何一ついいことがないということも知ってたんじゃないかと思う。 王が嫌いだというかたくなな考えにしても、そもそもどうして家族が都から焼け出されたのか、どうして半死半生の暮らしをしなきゃいけなかったのか、それを四歳の時点で世の中の仕組みごと理解していたように思えてならないわけです。つーか今思ったんですが、それどころか自分の親兄弟すら無意識に民の一部として憐れんでたらどうしよう。それは、それは疎まれるよな…。 麒麟がこちらで上手くやっていけないのはもう、「魔性の子」でやんなるほど描かれていたわけですが、六太は麒麟として生きていても苦しそうでした。 だって麒麟としての慈悲があるかぎり、彼は王を信用した安穏とした生き方をできないから。この辺りに、彼と他の麒麟たちとの絶対的な落差があるんだと、私はなんとなく思っていました。
で、それはひとまず置いておいて、尚隆の話をさせてくだされ。 予王は麒麟に愛を求めて狂いましたが、彼の精神構造からすると、それだけは絶対に有り得ない。 彼に名言は幾つもありますが、 「連中は俺の性格や度量に心服してよくしてくれたわけではない。俺が将来国を継ぐから、ただそれだけで若、若と立ててくれたのだ」 こんなことを言ってたと思う。「海神」のどっかで。すんませんうろ覚えです。 でも、この言葉が物語る延王尚隆のあり方は、私はずっと忘れられない。 瀬戸の小さなきれいな海国で、領民にあんなに慕われても、彼はその理由を決して勘違いなんかしなかった、ということですよ。 その慎重さは、もしかしたらやっぱり愛されなかった子供の臆病さがつくったんじゃないかとも思っているし、理由はどうあれ、この冷静さがあるからこそ彼は名君になったのだとも信じています。 冷静、とも言えるし、突き放しているとも言える。 私は「突き放している人」というのが物凄く好きなんですがね…ニコルに対するカジャもそんなん。 勘違いできるというのは幸せなことでもあるので、彼の賢さは、実は六太と全く同じところで不幸の原因でもあるわけです。 そしてそんなにも「勘違いできない」人が、「天の意思」だという麒麟の愛をそのまま受け入れられる訳がない。
そんな麒麟と、そんな王が、うっかり一緒に国をやることになっちゃったという、そういう雁が私はとても、とても愛しくて、そしてすげー不安。 五百年も安定した治世を敷いておいてここまで不安がられる国も珍しいだろうよ… なんだか長くなりすぎたので、カップリング要素での話はこの次に。
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