恵みは 元から在るものじゃなく、全ては 欲した結果なんだと思う。『理想に恵まれる』と言うことは、『恵みを理解する』ことなのかもしれない。だって、『恵みを理解した』結果が、『理想に恵まれた』のだと、感じさせてくれるのだから。
お父さんの町内の紙配りについて回ってたのは、お兄ちゃんの送り迎えについて行ったのは、車に乗りたかったわけじゃなく、景色を見たりするのが楽しかったわけじゃなく、ただただ そばに居たかっただけかもしれない。お父さんはそれに、気付いてた・・・かな?