せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年12月20日(火) ストライキ始まる

ここのところ、ワタシの住む街の公共交通機関において、一部の労働組合と管理側の間で対立が続いている。

組合側は年金をもう少しカバーして貰いたいとか、鼠がうようよしている地下で工事や補修などに従事する労働者の為に鼠駆除にもう少し力を入れて貰いたいとかいうような事を主張するのに対して、管理側はそれなら乗合運賃を再び(再び!)上げる事で市民の皆さんの痛みでもって諸君の主張を賄う事にするなどと言ったので、それはいかん、という次第で、某有名ホテルを舞台に両者間で長らく交渉が続けられて来た。

今年の初め辺りの運賃値上げ(しかも、いきなりこれまでの倍額!)で儲けた分は、一体何処へ行ってしまったのだろう。その癖、週末毎の路線工事もいつまで経っても終わらないし、電気系統の故障など通常の運行にも支障を来たす問題は相次いでいるし、そもそも経営自体どうなっているのだ。

と、一個人利用者は、思う。

しかし結局その話し合いが決裂したので、今朝三時頃から、全面ストライキに突入した。

つまり、この街の交通機関は二十四時間運行しているので、この機関が担っている地下鉄・バス・郊外電車の一部が、一斉に運行停止になったのである。

これが未明で良かった。結論が何時出ても可笑しくない日々がここ数日続いていたのだから、それに伴って、例えば仕事が終わってさあ帰ろう、と思ったら電車が止まっていた、などという事も大いに有り得た訳である。しかも外はとっくに氷点下。流石に野宿はしない方が良かろうと思う。


こういう事態はこの街では二十五年振りだそうで、その時は春だったのだが、全面ストライキが十一日間にも及んだそうである。

それでこの街の職業婦人らは、ビジネススーツにスニーカーを合わせても、平気な顔で歩いていられる。スーツにバックパックという組み合わせも、そういう訳だから人々の間に広く定着したのである。ファッションなんかは、とりあえず二の次である。


しかし今回はクリスマスの買い物シーズンにぶつかっているので、少々不都合である。

何もこんな時期にやらなくても、とは思うのだが、しかし契約の都合などで止むを得ないのだろう。という事にしておく。

お陰で街の中心地では、乗員四人以下の車両のラッシュ時乗り入れが禁止になっている。タクシーの運ちゃんもそれを知らずに「空荷」で乗り入れようとして、橋の袂の検問所でお咎めを喰らっているようである。運送業の皆さんは、余程お困りの事だろうと察する。

郊外から仕事に行く人々は、近所と声を掛け合って相乗りしながら中心地へ乗り入れ、一定時間帯に入場する事を条件に「ストライキ特別料金」を設定している駐車場などに車を止めるのだが、普段地下鉄で通える範囲の比較的近くに住んでいる人々は、当然のように歩くのである。テレビで、朝五時起きして九時の出社に備えて橋を徒歩で渡る人がインタビューされていたが、そういう出勤者で街は朝から大賑わいである。

こういう時には、郊外電車で二時間、とかいうような高級しかし辺鄙なところに住んでいなくて、本当に良かった、と思う。何しろ動いている電車だってあんまり混雑しているから、途中の駅にも停車すらせず、さっさと通り過ぎてしまうのだそうだ。だからその途中駅周辺に住む人々は、結局他の手段で職場を目指さねばならない。

しかし買い物客などはそういう訳に行かないから、必然的に客足は大幅に減る。仕事帰りに買い物する予定だった人々も、歩いて帰る場合は荷物も大変だからと、結局寄り道などせず帰宅するのだろう。

そういった諸々を総合すると、一日当たり約40,000,000,000円=400億円の損害だそうである(ゼロゼロゼロと、換算が大変だわ)。

今頃街の中心地は、周辺のホテルに滞在している観光客と勤めに出掛けるか帰る途中の仕事人で溢れているらしい。


そういう訳で、ワタシは今日は電車に乗る予定が元々無かったので、そういった非常事態の「蚊帳の外」である。今時はインターネット回線を使って仕事が可能だったりするから、「必ずしも出社に及ばず」という職種は他に幾らもあるだろう。便利な世の中である。

だから、うちでぬくぬくとテレビを見ながら、「お気の毒だなあ」などと呟いては、淹れたてのブルーベリー味のする珈琲をずるずると啜っている。しかしアマレット(甘い酒)味やフレンチ・バニラ味のやつの方が、断然旨いと思う。ブルーベリーは菓子類に止めておくに限る。失敗。


いや、出掛ける予定は一応あった。

今日はご近所に住む同僚らふたりと近所でお茶会をする筈だったのだが、しかしそのうちのひとりが酷い風邪を引いたとかで朝っぱらに電話があったので、止む無く延期する事になったのである。

だから、ひとりでお茶している。これはこれで、のんびりしていて中々良い。


しかも昨日のうちからスープをどっさり拵えて、寒空に帰宅しても直ぐ食べるものがあるように仕込んでおいたので、何やら心が満たされている。

これは具沢山で滋味溢れる美味しいスープだが、実際のところを明かせば、冷蔵庫と冷凍庫、更に食糧棚の残り物をてんでに入れただけの、「残飯整理スープ」と言ったところである。煮込んでしまえば、元は何が入っていようとも、旨いものは旨いのである。


しかしこの調子でストライキが続いてしまうようだと、明後日には街中で忘年会があるのに、困ったものである。

呑む為だけに、わざわざ徒歩で街中まで出掛けて行くのか。それも馬鹿げている。うちからだと、一時間も歩いたら着くかしら。でも、相当寒そうである。



考えても始まらないので、とりあえず先日旅行先で買って来た好物の「豆餅」を、オーブンで焼いて食べる。

ワタシは豆自体はあんまり好きでないのに、何故か豆餅は好きである。黒豆をほじくり出しては、ぷちぷちと齧る。

嗚呼、懐かしい日本の味。



2005年12月19日(月) ひとりご飯の戸惑い


旨い物が喰いたい。

旅行から帰って来て以来まだ食料品の買い物に行っていないので、我が家の冷蔵庫には碌な物が入っていない。

今日は冷凍してあったトルテリィニを茹でて、例によってオリーブオイルとパルミジャーノチーズと乾燥バジリコを掛けて食べたが、後でオリーブオイル風味の「げっぷ」が出て一寸戸惑った。


大勢で食べると、どうしてあんなに旨いのだろう。

実際の味が旨いというだけでなく、わいわいと楽しいし一寸ずつ色々食べられて嬉しいし、そういう諸々が融合しての「旨さ」なのだろう。

全くあんな食事を数日した後で、いきなりひとりでいつものように喰えとなると、てんで旨くない。

いや、本来のワタシは、なにしろ「一人っ子」なので、「ひとり遊び」にも慣れっこだし、「ひとりご飯」も既に三十数年のベテランである。出来ない業では無いのである。

偶に一寸違う事をすると、リズムが狂って戸惑う。


明日辺り買い物に出掛けて、何か旬の物を買って来よう。

久し振りに何か煮込んだりして、凝ったものを作ろう。

そうして暖かい部屋でうはうはと喰いながら、溜まっている作業をひとつずつ片付けて行こう。


明日辺りからはまた、最高気温が氷点下という日が続くそうである。それまでには、買出しをして備えておかねば。

そういえば、本来なら保存食を作って蓄えておくような時期でもある。


冬眠前の食欲かな。


2005年12月18日(日) 挙動不審な女再び

そういう訳でワタシは最近小旅行に出掛けていたのだけれども、帰ってみたらメールがどばと溜まっていたので、うわあと思いながらも一通り作業を進め、帰宅後二日間程を卓上での作業に追われて過ごした。


そのうちの、あるヴォランティア仲間の女性から来たやつは、ワタシを特に困惑させた。

それには、もう直ぐクリスマスなのでオリジナルのカードを作って送りたいから、住所を教えろ、とある。


ワタシの反応は、以下の様である。

1.郵便受けにまた余計な紙類が増えるのは、面倒である(旅行の直後なだけに、尚更そう思う)。

2.環境に悪いから、紙の無駄遣いは避けるが良いと、最近では請求書なども出来るだけメールにして貰っているのに、時代に逆行する。

3.そもそもワタシはクリスチャンでは無いので、クリスマスカードは必要無いし、気味が悪いから出来れば貰いたくない。

4.今の時代メールアドレスでなく自宅の住所を教えろというのは、一寸プライバシーに立ち入り過ぎである。

5.しかも彼女は家族や友達では無く、時折会う只の「ヴォランティア仲間」に過ぎないので、そういうプライバシーに踏み込んだ個人的なものを貰う謂れも無いので、尚更気味が悪い。

6.更に、家族関係に恵まれなかったワタシは、そういう親しい家族や親戚間でやる事になっている習慣・風習的イベントには、出来れば関わり合いたくない。


ワタシはそれに付いての返事を、敢えて書かないでおいた。

しかし彼女は別件でもメールを寄こしていたので、仕方なくそれには返事を打ったのだが、そうしたらまたそれに返事を寄こして、「そうそう、貴方は私に住所を知らせるのを忘れているわよ」などと言って来やがったので、ワタシは更に気分を害した。

忘れてなんかいませんよ。アンタに住所を教えたくないから、無視しているのです。

はっきり言ってやろうかと思ったのだが、こんな事で角が立って後のヴォランティア活動に支障があっては宜しくない、と思い止まる。



昨日は毎月恒例の、エイズ患者の皆さんの施設での映画鑑賞会のお世話をしに行った。

彼女は別の施設の常連ヴォランティアなのだが、ある日ワタシに他にはどんな活動をしているのかと聞くので、ワタシも深く考えずにあれとかこれとか、と教えてしまった。

すると、貴方が常連になるくらいに楽しい活動なのなら、是非やってみたいわ、と言っていよいよこの映画のにも来る事にしてしまったそうで、それを先々週辺りに会った際知らされて、ワタシは「嗚呼、しまった」と思った。


彼女はワタシの事が好きなのだと思う。

「レズビアン」という意味ではない(と思う)けれども、ワタシの気を引きたい様子なのはいつも明らかである。黙って好きなようにさせておいたら良いのは分かっているのだけれども、残念ながらそこまでの度量の広さがワタシには無い。何やら気味が悪くてならないのである。

例えば、会う度に服のセンスやアクセサリーを褒めたりだとかいう、非常に「女女」した事を良くやる。ワタシはそういうのが余り好きでない。

仕方が無いから、ワタシも気付いた時には出来るだけ彼女の持ち物を褒めるようにしているのだけれども、それはワタシの本来でないから、居心地が悪い。

それから彼女は「皆で」何かを一緒にやりたがるので、例えば作業が終わったらワタシたちはさっさと帰っても良い訳だが、彼女は常連仲間を集めて帰りに珈琲でもとか何処かへ寄って帰ろうなどというように、良く人々を誘う。

ワタシも最初にまんまとそれに乗ってしまって、それが何時の間にやら常態化してしまっているのはワタシの弱いところでもあるのだが、何しろその施設にヴォランティア活動に行く度にそんなのがあるので、偶にはワタシもひとりで買い物をしたり雑用をして帰りたかったりするのだが、そういった「ひとり行動」が遣り難いので、少々面倒である。

また彼女は人の顔色を伺いながら話をしている節があるので、明らかに自分に自信が無さそうで頂けない。更に、此方の発言がそんなに気になるのか、と却ってワタシの方が話題や言葉に気を使ってしまって、正直とても付き合い辛い。


以前にも確か、どうでも良いような事で一寸ばかし険悪になった事があるので、ワタシとしてはそういう面倒臭い人とは出来るだけ関わり合いになりたくないのだが、どうやら向こうさんがワタシと関わりたいみたいなので困ったなと思っている、という次第である。


と此処まで書いて、その「以前」の日記を読み返したら、そういえばその際にも「挙動不審な女性」だと書いているではないか、ワタシ。


話を元に戻すが、そういう訳で昨日はその映画鑑賞の際彼女に会って、更に追い討ちを掛けるように「住所を教えろ攻撃」に遭う。

しかし結局、「うーん、いや、止めとく。そういうのくれようとしてるなんて、嬉しいけど。」と断ったら、意外と素直に引き下がってくれたので良かった。


でもこれがもし、宗教上の理由だとか「家族との楽しい時代を思い起こして悲しくなる」とかなんかでワタシがもっと傷ついたり怒ったりしたら、どうする気なのだろう。

自分は良い事をしているつもりでも、相手に取ったら全然良くない事だって、世の中には沢山有る。「悪気は無かった」と主張するだろうけれど、それで何でも済まされるとしたら、誰も傷つきやしない。お節介も大概にしないと。



そういう訳でワタシの住処は彼女には知られないで済んだ訳だが、しかし彼女の様子を普段の施設とは違う場所でなんとなく客観的に見ながら、何故彼女が他の施設の人々から疎まれ干され、あの場所でしか仲間に入れて貰えずに今に至るのかが、漸く見えたような気がした。

彼女は、大変気前良く「与える」人である。しかしそれは、少し「個人的」過ぎる。立ち入り過ぎて人々には反感を買うし、ワタシなどには却って気味が悪いのである。

昨日のように、彼女にとって初めてやって来た活動の場であっても、彼女は自分のやり方で強引に侵入する。相手(ゲスト、今回の場合はエイズ患者、他の施設ではホームレスや老人)とより「個人的」な関わりを持とうとする。そうする事は、自分が相手の立場に立っているからだと信じて疑わない。

しかし傍で見ている方は、特にそれがその場所で長らく活動して来た常連ヴォランティアだったら、それはきっと厚かましく映るだろう。本来そういう縄張り的な事に無関心なワタシでも、これは人によっては相当鬱陶しいだろう、と昨日初めて気が付いた。

そして彼女個人対ゲストとの関係、という事で言えば、それはつまり、相手が「お気の毒」な立場に居る、と断定している事にもなるから、問題である。

相手が「お気の毒」で、自分は「与える立場」と、はっきり境界線を引いている訳である。自分でも気付かぬうちに相手を貶め、逆に自らをより良く見せようという作用が働いてしまう訳である。


ワタシはそういう、見てみて!ワタシってとっても良い人でしょ?お気の毒な貴方の為に、こんなに色々して上げてるんだから!というような、「これ見よがしの偽善者」が大嫌いである。心理的問題の匂いがぷんぷんして、出来るだけ離れていたいと思う。


良く考えたら、例のスープキッチンでも彼女を疎ましく思っている人が多いという話は、割合良く聞く。

彼女自身もそれは知っていて、しかしそれが何故起こるのか分かっていないし、だから態度を改める必要性を感じていないようなので、彼女はそのまま「自分らしさ」としてそれを維持して行くのだろう。



今回限りで、その映画鑑賞の活動には来ないでくれると良いと思う。

ほら、電車だって幾つも乗り継がなくちゃいけないし、都合が悪いでしょう?止めといた方が良いよ。うん。夜も遅くなるから、夜道が心配でしょう?大変大変。さっさと帰った方が良いよ。

次回までにもし会う事があったら、きっとそんな風に言ってしまいそうである。



2005年12月14日(水) ただいま

週半ば、楽しく旅を終えて、帰途に着く。


悪天候のお陰で、ワタシが乗る筈だった飛行機は運航中止になった、と既に前日のうちからメールと携帯電話で知らせが来て慌てたが、その次の便が出る頃までには、早朝からの滝のような凄まじい吹雪はぴたりと止んでいた。

ワタシは行く先が温暖なのを知っているから、こちらを出る際にいつものダウンのロングコートを着ないで、軽いキルトジャケットの下に重ね着をして出ようと思っていたのだが、しかし朝起きるまではどちらにすべきか悩んでいた。出る日も戻る日も大雪で、しかも風の影響による体感気温がマイナス二桁台という予報だったからである。

しかし出掛けにその滝のような吹雪が止んだのを見て、ワタシはやはり軽いものを重ねて行く事に決定する。



午後になって着いたその街は、キルトジャケットを脱ぎ、今時流行りの(しかし買ったのは五年も前のセールだが)偽ファーのもにょもにょが付いたベストを脱ぎ、タートルネックのセーターを脱いでも、まだ暑かった。

遠くに山が見えるところが、まるで数年前お邪魔した旧友の住む町とそっくりで、何だかわくわくしてくる。

その友人と約三年振りの再会を果たし、近況や旅の顛末など互いに追いつくべく、あれやこれやと慌しく話し込む。彼女の同僚らが隣町へ主に買い物ツアーに出掛けたのを、ワタシの到着後ふたりして追いかける予定だったらしいのだが、辺りは既に暗くなり始めていたので、ホテルのある下町で御一行様の帰宅を待つ事にする。

その夜、この街の下町には大した見所が無い、とふたりでがっかりする。

「車社会」で知られた街である。車が無ければ何処へも行かれないので、必然的に行動範囲は狭まる。

翌日の日中にワタシはひとりで別行動を取ったので、その際には意外と見るものはあるじゃないかとその街を見直すのだが、前夜の段階では、週末の大都市の金融街はゴーストタウンである事を身を持って知り、また友人が持参したガイドブックに出ていた「安くて旨い」定食屋があんまり不味いので逆に感心したりした。


ワタシの泊まったホテルは、ある有名デパートメントストアーから直通の通路があって、一瞬便利そうに思われた。同僚らが買い物に出たと言うので、ワタシの友人も早速此処を覗いてみたいと言う。

ところが実際行ってみると、それはまるで場末の繁華街か商店街、または日本で言うところの大衆的有名大規模小売店にあるような、ちゃちな量産服だとか贋物的時計やサングラス、格安の寝具などを取り揃えた程度のもので、ワタシの住む街にある九階建ての本店と比べると天地の差であった。

尤もこの界隈でもこの店は比較的「大衆的」な部類のデパートメントストアーという事で知られているけれども、しかしワタシを訪ねた序でに彼女も既にそのきらびやかな本店を見ているので、その余りの差に大変がっかりして、なんだか可哀想である。

「今度またうちへ遊びにおいで」 仕方が無いのでそう励ましてみるが、何と今回の旅行の数日前に第二子御懐妊が判明した、と言うので、どうやらそれも当分は無理そうである。


御一行様が帰って来るのを待つ間、ワタシたちは彼女らの宿泊しているホテルの一階玄関脇にあるバアで一杯やりながら彼是と話し込む。地元の中年シングル男が五月蠅く話し掛けて来るので、何とか振り切って一先ず彼女の部屋へ逃げると、御一行様は既に帰っていた。初めましてと挨拶しながら、ところで何を買ったのですかと早速馴れ馴れしく交流を始める。

この二十代から四十代までの既婚女性ら五人は、それぞれ全くばらばらな個性の持ち主で、しかもそのどれも被っていないという不思議な組み合わせ(メンバー選出はワタシの友人である)である事が追々分かってくるのだが、飛び入り参加の部外者であるワタシにも皆気さくに接してくれる、大変ご親切な女性たちである。

翌日の仕事の手順の相談や準備などをワタシも少し手伝って、漸く夜更けになってワタシは自分のホテルに戻る。

飛行機のチケットとの「パック」の兼ね合いで、取れた部屋は何と「キングサイズ」のベッドである。それを独り占めにして、ぐっすり眠る。いつもなら寝る前に何か読んだりテレビを見たりして、結局寝るのが遅くなってしまうのだが、此処での滞在中そういった「ナイトキャップ」の必要は一切無かったのは不思議である。


御一行様は翌日から二日間仕事で郊外の町へ行くのだが、ワタシは初日は特に手伝う必要も無いから「お出ましに及ばず」との事で、ひとりで下町探索に出掛ける。

意外と見るものがあった、と言うのは、例えば初期の移民が作った当時そのままの古い建物や町並みが残されている地区だとか、移民博物館や移民街だとか、またワタシが世界中で最も優れた仕事をしているマスメディアのひとつと高く評価している某新聞社があったりだとか、そういったものの事である。

それからまるで同じ国とは俄かに信じられないような雰囲気の、別の土地からの移民が作り出した独特の「マーケット(屋内市場+多国籍簡易食堂の複合)」をうろつき、数ある食べ物屋の中から何故か「タイ・カレー」を選んで昼飯にする。

此処では鶏の丸ごとを吊るしたのや青いバナナの山に混じって、精油や純石鹸なども売っていて、ワタシは何やら意外に思う。この街には住めそうな気がしてくる。


この国の移民文化や、またこの地域が抱えている経済的・文化的諸問題に感心が無ければ、この街の下町には用が無いかも知れない。そういう予備知識が無い旅行者は、空港でさっさと車を借りて、郊外にあるこの国の資本主義を代表する数多の見所群やショッピングモールなどへ向かった方が得策である。


そういう訳でワタシはひとりそれなりに街を楽しみ、夕方友人らがホテルへ戻って来たところで再会して、別のホテルにある食堂群へ繰り出す。

聞けば彼女らは、早朝七時に集合してチャーターした車に乗り込み、一日立ち通しの仕事をこなして夜ホテルへ戻った今の今まで、何も食べていないと言うのである。ワタシは「現地コーディネーター」という人物がそういった事に全く配慮していない点を、不審に思う。

兎に角喰え、とワタシは言う。食堂群の中で最も安い辺りの軽食屋周辺に陣取り、腹ペコの彼女らに何でも好きなものをどっさり買いに行かせる。

昼飯が遅かったので、ワタシはビールを片手に「ランチョンミート」という名の贋物肉を用いた大変「移民的」なおにぎりを少し齧って、後は人々の今日の多忙振りの話を聞く。あんまり酷い話なので、翌日はワタシも「体験レッスン」に加わるという名目で彼女らにくっ付いて行って、その悪徳「現地コーディネーター」女史を拝んでみる事にする。

一通り喰い散らかした後、今度は食堂群から一気にエレベーターを上がって、「回転酒場」へ繰り出す。

これは「寿司屋のようにテーブルが廻る酒場」という意味では無くて、「ワタシたちの座っている付近が塔の周りをくるくると一時間掛けて廻るので、窓から見える景色がころころと変わる酒場」という意味である。

此処ではわいわい楽しく飲みながら「夫婦問題」やら「裏人間関係問題」やら「組織問題」などについて有意義な意見交換をし、帰りしな請求書に見つけた不可解な「食べ物」という請求について若い給仕を捕まえてひとつ説教を垂れた後、責任者による静かな説明で漸く合点が行き、充実した気分で帰途に着く。


翌日は前日皆さんが使いそびれて余ったという「朝食券」をひとつ頂いて、皆さんと共に朝飯を喰う。

ワタシは此処で、前夜大して喰わないのに飲み始めてしまった所為で一寸二日酔い気味なところへ、ベーコンのかりかりとかクロワッサンとか卵や芋の焼いたのとかいった更に脂っこいものをたらふく食べ、そこへ果汁を絞ったものと思われるみかんジュースをぐびと飲み干し、更にいつものように珈琲を二杯程飲んでしまったので、後で腹具合が優れずに偉い思いをする。

ワタシの友人らに前日一日飯を食わせなかった例の非情な「現地コーディネーター」は、結局翌日にもワタシたちに飯の相談を一切せず、また現地で借りた場所の会計担当者と手配や会計など諸々の話をしなければならないのに一切口出しをせず、全てを土地に不慣れでまた現地語の出来ないワタシの友人に押し付けてすっ呆けていた。

それは必然的にワタシともうひとり、同行した友人の同僚のひとりで此方に留学経験の有る女性とで通訳する羽目になったのだが、「現地コーディネーター」からワタシの友人にこうせえああせえと指示が入り、それをワタシの友人がワタシに「こう言って」と指示し、それをワタシが現場の担当者に通訳して「こうして下さいって言ってます」と伝える、という、全く面倒な仕事の進め方であった。これを端折って、「現地コーディネーター」が直接現場担当者に言えば話が早いのに、何だか馬鹿げた話である。

ひょっとしてこいつも現地語が出来ないのか?と思わず友人に聞いたら、こちらの永住権を持っているそうだし、もう何年も住んでいるという話だから、現地語に不自由している筈はないと思う、と言う。

もうひとり通訳していた同僚女史も、前日の段階で同じ事を考えていたと言う。実際様子を見ていると、やはり現地語が出来ないから直接自分で話をしないのではないか、と考えると納得が行く。しかし、ならば何故「現地コーディネーター」なのだろう。現地語が出来なかったら、用が足りないではないか。この女、何しに来たのだ?


「懇親会」では、ワタシも飛び入り参加の癖に厚かましく色々の人々と話をして、勝手に楽しく過ごす。

そのうちそこで知り合ったひとりの現地在住女性が、翌日休みだから、もし皆さんに予定が無ければ、うちの車でお買い物にお連れしましょう、と申し出てくれる。こちらに長い在住者や移民は、割合そうやって同朋を無償で助けようとか力になろうとしてくれたりするものである。此処にもひとり、そういうまともな感覚を持った同朋が居たか、とワタシは感慨に耽る。


夜はまた下町で、今度は何を食べても旨いと評判を聞いた海鮮の店に繰り出す。

本当にどれも旨かった。

皆それぞれに頼んだのを味見し合ったのだが、そうやって美味しいものを色々食べられて、大人数で食べるというのは愉しいものだと思う。



その日は、此処のところ皆余り寝ていないのでゆっくり休養を、と早めにワタシたちの夜の宴をお開きにしたのに、翌日聞いたら行く予定のショッピングモールの様子をガイドブックで調べたりなどしていて、結局寝たのは朝方だったと言う。

ワタシの方はショッピングに対する関心も無ければ、ガイドブックすら持たずに出掛けているから、人々が翌日の予習中、例のキングサイズのベッドでゆったりすやすやと八時間以上眠っていたから、準備は万端である。

折角のお休みを割いてくださったその奇特な女性は、ワタシたちのリクエストに答えて彼方此方へ連れて行ってくれた。

長く住んでいるワタシには見慣れたもの、または久し振りの懐かしいものも多いが、日本からやって来た人々には目移りするような大型スーパーマーケット、大きなショッピングモール、アウトレット屋など。しかし夕飯には「是非新鮮な土地のものを」とおねだりして、寿司屋へ連れて行ってもらう。

しかし折角の新鮮なネタにも関わらず、肝心の味の方は「外れ」であった。ネタが良いのなら、下手に手を加えない方が旨いのに、惜しいところである。

夜になってホテルへ送り届けて貰ったワタシたちは、その日の戦利品を見せびらかしながら、それぞれの結婚に至るまでのあらましだとか、仕事上の試練など、それぞれの人生のドラマについて話をする。

ワタシ以外の人々は皆既婚者でありながら、しかし意外と「すっかり幸せ」という訳でも無いようである。人それぞれに、ドラマ有り。彼女らの行く末に幸多かれと祈る。

涙有り、笑い有り。そういう短くて深い人間的触れ合いは、朝方まで続いた。



最終日は、結局一睡もしないまま空港へ向かう。

ワタシが友人への土産に持って来たべーグル・パンとクリームチーズを詰めたのは、流石にクリームチーズの表面に黄色いまんまるのや白いもにょもにょが湧いて来たのを見るにつれ、これは日本に持ち帰るに及ばずと「持ち出し禁止令」を出すに至る。

同様に、彼女がワタシに持って来てくれた折角の「おやき」にも、緑色のまん丸が湧いて来ていたのは、悲しかった。

どちらのホテルにも冷蔵庫が無かったのがいけないのである。

ワタシが二日目の晩に食べたひとつは、彼女に頼んで彼方此方のを持って来て貰って食べ比べるつもりでいたうちの「一番不味いやつ」だった、と彼女が嘆く。

生ものは、室内で保存が効かないと知る。



ワタシが住処に帰る飛行機と彼女らが日本に帰る飛行機は、偶然にも同じ時刻に同じ空港を離陸する。本当に直行便か?と思わず尋ねてみる。方向が正反対ではある。

航空会社が違うので、隣のターミナルまで彼女らと最後の別れに行くも、チケットが無いと此処から先は入れない、と門番に止められる。

仕方が無いので、彼女らのひとりが持参した携帯電話に電話をして、友人を呼び出す。仕事に使う小道具などで手荷物が多いので、順に番をしながら免税品の買い物に行っていると言う。皆さんによろしくと伝えて、ワタシは友人とまた暫しの別れを告げる。危うく涙が零れそうになる。


彼女と別れて間も無く、もうそろそろ飛行機に乗り込むという頃に、電話が鳴る。別れを告げられなかった人々が、順繰りにワタシに電話で別れを言ってくれる。律儀な人々である。皆次はうちへ泊まりに来い、順繰りに「やどかり」になれば良い、と言ってくれる。彼女のお陰で、日本に新しいともだちが沢山出来た、と心強く思う。


ワタシの乗った飛行機は、ほぼ定刻通りに離陸する。どちらが先に飛んだのだろう、とふと思う。

朝食と睡眠を取っていなかったので、ワタシは機内で軽いサンドウィッチとチップスを購入(「機内食付き」ではなく飲み物以外は追加料金という、大手航空会社ながらも安いチケットの便である)してさっさと平らげ、歯磨きとフロスをして矯正器具を設置すると、すぐさま眠りに付く。


耳に圧迫感を感じて、目が覚める。

すると飛行機は、既に我が街の上空を下降しつつあった。六時間なんて、あっという間である。夜景が綺麗な、いつもの我が街である。「ただいま」と声を掛ける。夜景がひらひらしながら、笑って出迎える。


地上に降り立つまで気付かなかったが、外は雪が降っていた。しかも、風の影響による体感気温が-13℃で、この冬一番の冷え込みだと言っている。やはりダウンを着て出れば良かったかと、一寸後悔する。



外は深々と冷えていた。



友人に「おうちに着いたよ」とメールを打つ。

暫くして、「先程地元の町に帰って来た」と返事が来る。

「皆が会えて良かったと喜んでいる」と言うので、「ワタシも新しくおともだちが出来て良かった、貴方も良い人々に囲まれて暮らしていると分かって良かった」と返事を打つ。

既婚の女性たちが揃って数日家を空け旅に出る、というのは、実は大変な事である。「色々なところで支えてくれた多くの人々にも、有難うと伝えてくれ」と言う。



そのうち、ワタシが持たせた土産物の飛行機のおもちゃを握り締めて笑っている、彼女の長男の写真が届く。

彼はもう言葉が沢山出て来るらしいのだけれど、写真ではそれが分からないので、来年辺りまた会いに行かなくてはと思う。


あちらも大雪だそうである。「半袖とジャケット」の束の間の骨休めから、再びそれぞれの現実へと戻って行く。



2005年12月06日(火) 旅の支度と椎茸

うちの界隈はここ数日雪が舞っていて、他所ん家の屋根など見た感じでは大体5-6センチメーターくらい積もっている様子である。

今週末から反対側の岸へ小旅行に出る事になっているので、週刊予報なども見てみる。

すると毎日降り続く訳でもないようなのだが、しかしワタシが大陸横断飛行機に乗る日と帰りの飛行機に乗る日は、両日共「雪」となっている。なんて運が良いのかしら。

しかしたとえ遅れても、ちゃんと飛んで目的地に着いてくれさえすれば、御の字である。



旨いものが食べたい。

じっくり煮込み料理だとかスープだとかを作るには、やはりしっかりした厚手の鍋がいるなと思う。

先日は「スロー・クッカー」が欲しいと書いたと書いたけれど、本当は「キャスト・アイロン」の昔ながらの鍋を求めている。これはワタシの住む国では「おばあちゃんの作る旨い手料理」の代名詞のようなもので、特に寒い時期には「つうと言ったらかあ」とでも言うように、誰にでも直に通じる夢の調理器具である。

しかし重たいのが難である。

ワタシはそのうち10インチ程のフライパンと、それより小さい小鍋をいつか買おうと思っているのだが、それは先日巷に出回っている「12インチ」のフライパンを振り回してみたら腕が攣りそうになった経験からの教訓である。毎日使うものの使い勝手が悪かったら、結局使わなくなるに決まっている。

最近はお仏蘭西などの調理器具メイカーが色々のを出しているようだが、あれは既に表面にコーティングがされているので、所謂「シーズニング」という作業をしないで済むらしい。



鍋を買うまで待てないので、とりあえず手持ちの安鍋でやってみたら、案外上手く出来た。

椎茸とブロッコリーの茎とハラペニョでソースを作ってスパゲティを絡めたら、意外と美味しかった。それで腹を持たせておいて、更に椎茸とブロッコリーに新じゃが芋を入れて炒め、そこへ「パスティナ」とかいう星型のパスタを入れてスープを煮込む。

椎茸というのは、中々良い出汁が出て色々と旨いものを作ってくれる、という事に改めて感心する。日本に住んでいる頃は色々な種類の茸類を食べていたのだが、これからはもっとこいつを見直して、色々に使ってやる事にする。

明日は帰ったら食べるものが出来ているから、わくわくと雪道を歩いて帰宅出来ると思うと、楽しみである。



料理をしている間に、友人が旅行先の行ったら良いという観光名所や旨いものの店などを、メールで彼是と知らせてくれる。

彼はその街の出身だから詳しいだろうと、既に頼んでおいたのだが、何処の通りにある何屋のアイスクリームが旨いだとか、何番の電車で何処で降りて直ぐの何屋のランチは格別だとか、まるで今見て来たかのようである。このメールをコピーして持参する事にする。


何しろその旅行は、日本からやって来るワタシの友人とその同僚らに取っては仕事だが、ワタシとしてはヴァケーションであり、そこへお邪魔するからと言ってワタシが彼女らの仕事に立ち会わねばならないとか手伝う事になっているとかいう話では無いので、恐らくワタシひとりで街へ出て好きに観光をしても差し支えは無かろうと思う。

初日の昼に現地に到着して、その日は夕方までワタシはひとり下町を散策するつもりである。翌日とその次の日は、彼女らは展示会で朝から準備やら何やらで大忙しだそうだが、ワタシは恐らくそのうちの二三時間でも様子を見学して、そしたらまた街へ繰り出してあれやこれやと見て廻る事にする。四日目に漸く友人の手が空くので、その日は一日ふたりで積もる話などして過ごし、そして五日目には朝からもう空港へ行くのである。

こうして書くと、何とも慌しい旅である。


そうすると問題は、やはりこちらの天候である。

早くも一通りのパッキングを済ませてみたが、暖かい旅先でダウンのロングコートを持ち歩いて奇妙な目で見られるのを避ける為、少々寒いのは我慢して薄手のキルトジャケットにもこもこと重ね着をして出掛ける事にする。


もうふたつ寝ると、機上の人になる。


2005年12月03日(土) 浅ましい人々に驚く

昨日の今年最後の「月例会」は、悲喜交々であった。

良かったのは、講演自体は非常に興味深い内容で、またその後の質疑応答なども大変盛況だったという主催者的安堵と、講演者が如何にこういった「公な場で喋る」という事に慣れているかが良く分かって感心しながら大いに勉強になった、という個人的利点である。

また、講演の前後に他の会員らと「事務会議」をしていたのだが、予想通りというかそれより大幅に少ない出席者は例によっていつものメンバーのみであったのは残念だったが、しかしワタシの提案事項には皆概ね賛成だったので、最終的には楽しく酒を酌み交わしながら今後の計画を練ったり楽しいお喋りなどして過ごせたので、それも良かった。


もうひとつ予想外だった点は、今回の会では一寸した「忘年会」を兼ねてそれぞれ食べ物や飲み物を持ち寄りでやろうという話になっていたのだが、実際その「いつものメンバー」が簡単なものを持って来ただけで、その他は「お触れ」を全く無視して手ぶらでやって来やがった。

来ただけまだ良しとすべきかも知れない。

しかしその中には、ワタシが夜中に油で胸を悪くしながらも頑張って拵えた「鶏の唐揚げ」や同僚作の「ちらし寿司」などを、講演会中で誰も見ていない隙にこっそり「弁当箱詰め」して大量に持ち帰った図々しいババアども中高年女性の皆さんが幾人かいたのである。

一体どういう了見だろうと怒るより寧ろ、余りのマナーの悪さに、ワタシはショックで暫く立ち尽くしてしまった程である。あの特大サイズのタッパーウェアに「鶏の唐揚げ」をきっちり詰まるだけ詰めて来た筈なのに、ほんの一寸目を離した隙にそれは三分の一程に嵩が減っていたのである。何故?そんなに客もいないのに。

しかもその馬鹿女ども中高年女性らは直接この団体のメンバーではないので、会費支払いその他の義務を全く果たさないでも済んでいるのである。勿論、「持ち寄りパーティー」だからと言って何か持って来た訳ではない。

事に、講演中に途中退席したババアは、その日の講演者と親しい「関係者」であったから、こちらも一寸油断していた。まさか関係者の癖にそんな下品な真似をするとは、思いも寄らなかったのである。しかも途中で席を外すのだから大人しくずらかるものと思っていたのに、一体こそこそと後ろで行ったり来たり何をしているのかと思ったら、「弁当箱詰め」の最中だったという訳である。

また別のババアどもは、ワタシが講演者用に食べ物を選り分けて持って行こうとしている際見たら、テーブルにあった拳大のチーズ二塊程をよいしょ!とばかり自分の取り皿に乗せ、唐揚げもまた勢い良くがば!とよそい、その他日本的菓子類などもざざ!と流し込み、更に別の紙皿をその上に被せて隠し、何事も無かったかのようにすっ呆けた顔をしていた。

ワタシはそのババアどもの目の前で別の同僚に、さっきあれ程あった筈の「チーズ」はどこへ行ったのか、「チーズ」はどこだ、と日本語で何度も連呼してみたのだが、そんな可愛らしい抵抗はこの厚かましいババアどもには全く無駄であった。


いつもの会合だったら、ワタシか誰か他の同僚をひとり、食べ物・飲み物のテーブル付近に待機させるようにしているのだが、今回はばたばたしていてそこまで気が回らなかったのは難であった。関係者が誰もその区域にいないで「無法地帯」と化してしまったのである。

それでも、何しろ「客」は主に学術関係者という事になっているので、もう一寸節操があると思っていた。大学教授・大学院生、研究者などの「学者」という類の連中は、金は無くとも名誉はある(学生にはそれすら無いが)、という事になっている筈である。まさかそんなにがつがつしたマナーの悪い恥晒し者が来るとは、全く予期していなかったのである。

未だにショックが収まらない。

それらが二ホンジンで無かったのが、せめてもの救いである。



まぁ兎も角、これでワタシのこの団体の代表者としての大忙しの日々は、束の間とは言え一段落着いた。お疲れ様、ワタシ。

お陰でその他の作業は全然終わっていないのだけれども、まぁそれはそれ、ひとつずつ片付けて行くとする。焦るな、ワタシ。日々是精進。



今週末は割合ちゃんとした雪になるらしいのだが、脅す割には中々降って来ない。しかも、そんなに言う程寒くもない。本当は降らないんじゃない?と天気予報士にちょっかいを出してやりたくなる。

わくわくと窓の外を眺めながら、夜が更けて行く。



あら…

そうこう言っているうちに、気付いたら屋根の上が白々しているではないか。

予報士諸氏、疑ってすまぬ。貴方方のプロとしての知識に、素人のワタシ、感服す。お見逸れ。


雪やこんこん。


昨日翌日
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