せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年07月31日(日) 恋というもの

まるで二昔前の松任谷由美の歌じゃないけれど、小さい頃のワタシは、大人になったらきっとお互いに強く深く思い合う「完全なる両思い」な恋愛というのが出来るようになるのだろうと信じていた。子供のうちだから、片思いを初め何故かしら上手く行かない恋ばかりなのだろうと思っていた。

ワタシも一応お年頃なので、それなりに恋の幾つかは経験して、それなりにゲームにも対応出来るようになって、そうこうしているうち自分に向いている人は直に判別が付くようになって、「宝石」と「タダの石」の区別も付くようになったと思ったのだけれど、しかしこの世界は分からない事ばかりである。

他人の心が絡むと、途端に分からない事が多くなるのは、人生の必然である。

もう一寸若い頃は自分の心さえ分からない事もあったが、一応大人になったので、今では自分の心だけは少なくとも分かるのだが。

そういう万全な時期に、上手い具合に丁度良い相手に出会えれば、幸いである。


こういうものは、恐らく多くを「タイミング」に依っているのではないかと思う。

つまり、ふたりの人間の心の状態やら精神の成長の度合い等が丁度良いタイミングで出会えば、大概上手い具合に行くのではないかと思う。



年を取るに連れて、色々としがらみだとか、計算に入れなければならないあれやこれやの事情が増えて行くのだろう。


悩み多き年頃。


2005年07月28日(木) 湿度が低いというだけで凌ぎ易さが段違い

今日はどうした風の吹き回しか、此処数日来の自棄に蒸し暑い真夏日から一転して、暑い事は暑いのだが蒸し暑さの無い、比較的涼しい一日である。


そういえば、先日身分証を某店にて紛失した件について書いたが、その後日談を書いていなかったので、大した話ではないのだが一応書いておく。



そういう訳でワタシはその試着中に紛失した身分証を受け取りに、翌土曜日に行く予定だったのをすっかり行きそびれて、結局月曜になってから出掛けて行った。

この月曜というのは、何度も言うようだけれども夏季語学講座の終了試験の日であり、ワタシはこの身分証が無いとその建物に出入りが出来無いので、必然的に試験の前に立ち寄る羽目になったのである。

するとどうした事か、店は模造紙のような茶色い紙で一面覆われてるではないか。工事中か。

そんな事では怯まぬワタシは、ガラスのドアを開けてつかつかと中へ入って行ったのだが、予想通りそこは改装中で、ついこの間まで小洒落た高級服を澄ました顔で売っていた売り子たちの姿は何処にも無く、代わりに荒くれオトコたちが半裸で唸る仕事場と化していた。

それはそれで目に良しとする。

物が分かっていそうな(もしくは言語が通じる)人間はいないかと辺りを見回していると、ある男性がどうしましたと聞く。赫々然々と説明すると、ここは現在工事中で関係者はいないから、本社の方へ電話してみるが良いと言う。

大陸本社の番号が分からないので、一先ずその支店の代表番号に電話してみたのだが、改装工事中に付き金庫の鍵を持っている人間が今何処の支店に居るか分からないから、本社へ電話しろ、と言って番号を教えてくれた。

しかし大陸本社の電話に出た女は、こちらが緊急である旨を説明しても「改装工事中」の一点張りで、一瞬コイツは馬鹿なのかと思ったくらい、呆れる程融通が利かない。

埒が開かないので、思い余って数ブロック離れた別の支店に出向く。

そこで責任者に取り次いで貰うと、またしても赫々然々と説明して、何とかしてあそこの店舗の金庫の鍵を持っている人物を探し出して貰えないものかと交渉する。

この責任者は意外と分かりが良くて、当該店舗の副責任者が別の店舗に出向中であるから、その人物の名前と店舗の電話番号を教えてあげましょう、とメモしてくれた。彼女自身もその店舗へ電話を掛けてくれたりなどして、中々好意的であった。

漸くその支店に電話が通じると、その副責任者はたった今改装中の店舗へ向かったところだ、と言うので、ワタシはすぐさまその店舗へ引き返した。

しかし、一足遅れですれ違ってしまったようである。荒くれオトコたちに紛れて図面に向かっていた別の店員嬢は、自分は金庫の鍵は持っていないし、副責任者も次は何時此処へくるのか分からない、金曜に再開店するまで待つしか無いだろう、と言う。

ワタシは再び大陸本社へ電話する。何とかならないか、近いうち誰かこちらへ来る予定があるなら、それに合わせてワタシも出掛けて来るから、教えて貰えないか、と何度も頼んだのだが、「改装工事中」の一点張りである。

この女は、馬鹿決定。



という訳で、ワタシは散々無駄足を踏み無駄に携帯電話の分数を使った挙句、結局身分証を取り戻せないままという状況である。

試験には結局、顔見知りの警備員に媚を売って、免許証提示で見逃して貰ったが、敗北感に見舞われ後味が悪い。



そういう訳で、昨日は久し振りにヨガレッスンに行ったら、案の定筋肉痛で節々が痛いので、今日は自宅で作業に勤しむ事にする。

今日はそれ程暑くないので、オフィスの冷房が無くても凌げるのは好都合。

新たな仕事に就いても、こんな「フレックス」な状況は二度と得られまい。


・・・そういえば仕事、見つかるのかなあ。


2005年07月26日(火) 祝 夏季集中語学読解講座終了

去る月曜で、漸く語学講座の終了試験が終了した。一寸回りくどい表現である。

結論から言うと、思った程怖くなかった。

試験はそれぞれの学生の専門分野に応じた内容の論文や本から抜粋したものを訳す事になっていた。

ワタシの場合、広範な意味で言うところの専門分野の「理論」、つまりそれはどちらかと言うと「哲学」に限りなく近いものなのだが、しかしワタシの直接の専門では無い領域である。

しかしそれが出されると既に申し渡されていたので、これはえらい事になったと慄いていたのである。

だから準備と言ったら、時制をとりあえず正確に把握する為に教科書のおさらいをするくらいで、大昔に読まされたルソーだのマキャベリだのを引っ張り出して来て読み返す等という手間は取らなかった。と言うより、そんな事をやっている暇は無かったのである。

ところが、実際蓋を開けてみると、それは「哲学」と言うより「歴史」の問題であった。

しかも、相当短期間しかないこの国の歴史のうちの、更に限られた一時代の、更に「土地法」に関する内容の話であった。

個人的には全く関連の無い内容だが、しかしこれは寧ろ好都合であった。

何しろ、過去完了や仮定などの面倒な時制が、殆ど出て来なかったからである。つまり、過去に起こった出来事の叙述のみ、という極めてシンプルな題材であった。

現代の外交文書なんかだったら、異なる時制が一杯出て来て、時間内に終えられなかったかも知れない。


やはり神はワタシを見捨てなかった!


と再び俄か信者になる。



これが別の専門領域の人々になると、そう簡単には行かなかったようである。

例えば文学専攻の人々には、叙述と批評の二問あったそうで、そのうちの批評の方は大変難しかったそうである。

しかし似たような内容の小論文が、教科書だったか「リーダー」という付属読み物集だったかに出て来たらしく、あるクラスメイトはそれをおさらいしなかったと言って、自分に憤慨していた。

ワタシなどは文法のみで小論文関係には一切手を付けなかったのだが、と言うかそれどころでは無かったのだが、それでも時間内に一通り訳し終えたし、読み返しながらお清書までして、訳文の流れを整えたり等も出来た。二三のミステリアスな単語や時制が文中に突如現れた以外は、然したる問題も無く、あれならばまあまあの出来であろうと思われるので、しかしそれを言うと彼女に済まないような気がして、余り口を挟まない事にした。


終わった!やっと終わった!兎に角終わった!


そういう訳で月曜は、自宅でひとり打ち上げパーティーをする。

そうか、もう寝床に教材を持ち込んで、テレビを流し観しながら語学の問題を説かなくても良いのだ!

我が物顔でテレビを観ながら、ビールをちびちびとやる。

なんだ、暇だから、本でも読もうかな、なんつって。

読まなければならない義務的本では無くて、趣味の本棚から適当に引っ張り出して来て、ぱらぱらとやる。

ふむ。これは中々贅沢な気分である。



お預けにしている本来業務にすぐさま取り掛からなければならないという事情を暫し忘れて、数本のビールを空ける。


2005年07月24日(日) 他人に対して簡単に匙を投げない努力

とうとう夏季語学集中講座の終了試験前日。

図書館にまで出掛けていく気力が無いので、自宅でぼちぼち自習中。でも暑いので、後程近所の茶店に避難しようかとも思案中。

そうこう言ってるうちに日が傾いてきたので、やはり出掛けるのは止す。根性無し。



昨日はヴォランティア活動に出掛けて、例の馬鹿たれの一件で、日頃親しくしている若い女性と話をする事が出来た。

掻い摘んで言うと、あの馬鹿の所業には常連ボランティアの皆さんは殆ど呆れ返っていて、今ではもうまともに相手になどせず、ただ放ったらかしにしているのだそうな。

それでも時折そんな心の広い皆さんを更に黙らせるような、極めて非常識な言動が見られる事がある。

しかしそれに一々文句を付けても、奴はその場は謝るかも知れないが、しかし「明日はまた新たな一日」と心得ているようで、次に会った時には皆過去の事は奇麗さっぱりと忘れて何事も無かったかのように付き合ってくれるもの、と信じているらしく、再び同様の非常識な言動を繰り返しているらしい。

これはガミガミ屋さんではないが、「経験から学ばない馬鹿」というものである。

「だから言うだけ無駄」と常連ヴォランティア嬢は言う。


世の中にはそういう、己に過大な自信を持って暮らしている輩というのが、意外といるものである。

そしてそれを良しとする「拾う神」もまたいるようで、お陰で周りの人間が嫌な思いをする羽目になって、大変迷惑である。


無闇に馬鹿を煽ってはならぬ。


しかし彼女との会話から、少なくとも彼らは何も集団でワタシを嫌いになる事に決定したというような理不尽な人々では無かった、という事が判明して、まあそもそも大人なんだから当たり前の話だが、嗚呼この人々はそれ程馬鹿ではなかったか、と安堵した。

でも、馬鹿と付き合っていると一緒の馬鹿だと思われるから、それはそれで考え物ではある。


という訳で、ワタシは今後もその施設にヴォランティア活動をしに出掛けるのを止さない事にする。もし行ってまたあの馬鹿たれに出くわしたら、此処数週間の例に習って、限りなく「無視」に近い「出来るだけ会話をしない」状態を心掛けておれば良い。


以上、馬鹿の話は一旦〆。




さて、大学時代の友人から、昨日無事に女児出産と知らせが届く。

彼女は二三年前に目出度く結婚したのだが、それまでの数年間は所謂「合コン」とかいうような集まりに熱心に参加していたそうで、どうやら随分焦っていたらしいとの事である。

その癖、以前仕事の都合でワタシの住む街を訪れた際には、然程結婚願望は強くないなどと抜かしやがった言ったので、後に他の友人らから聞き及んでがっかりしたものである。余程プライドが高いのだろうかと、少々気の毒にも思われた。

そんな彼女が結婚式を挙げる時、仲間たちはその事実をあるひとりの友人からの「又聞き」で知らされたので、まるで地割れがざざざっと地を轟くように、不信感がワタシたちを襲った。

聞けば「地味婚」とやらだそうで、全ての友人を招待する事は出来ないから、という理由で、式への招待は大学時代の仲間のうちひとりだけ。「その他大勢」は式どころか婚約や結婚のお知らせすらもすっかり省略されたという訳である。

ワタシはそもそも結婚する事すら知らない事になっているのだから、お祝いなど送る必要も無かろうなどとへそを曲げていたのだが、ある奇特な友人がせめて祝電でもと労を取ってくれたので、ワタシたちはそんな彼女の計らいで、連名にてお祝いの電報を送る事になった。


ちなみにそんな気を回してくれたのは、仲間内で当時唯一の既婚者&母であった。母は偉大なり。人間が小さいワタシなどには、到底真似出来無い。

また偶々一番年を喰っているワタシが、連名の筆頭に挙げられていたとか。こういうところは、非常に日本的。


そんな訳で、ワタシは結婚式後に祝電へのお礼メールを受け取る。

恐らくひとりだけ招待されていた「友人代表」が気を回して、「ワタシ」が怒っていたから連絡しとけ、とでも言ったのだろう。

こういうところもまた、日本的なり。

しかしワタシは、その祝電の手配をしたのは別の友人なので、お礼は彼女に言うようにと返し、お幸せにと括った。


そんな不義理な彼女だが、その後ワタシが近況報告などでメールを一斉に送ると、それを機に真っ先に返事をくれるのは、決まって彼女であったりする。

それは恐らく、彼女の希望で携帯電話にメールを送り付けている所為もあろう。それによって、多分彼女が一早くワタシのメールを読み、また一早く返事を出し得る状況にもあるのだろう。




ワタシは何を言わんとしているのだろうか。


つまり、これは「人は成長する」という教訓ではないかと思う。

人は間違いを犯すけれど、しかしその間違いを間違いと心得たら、次にはそれを繰り返さぬよう努力をする(しないのもいるが)。

もっと若い頃のワタシは、例えば誰かが不義理や不行き届きを働いたりするとそれを責め立て、だからアンタはとんでもない人間であると断じた。

しかし時折見かける人間の中には、そのワタシの言葉に相応の重みを感じ、己のやり様を改善しようと努力する者もある。

例の「腐れ縁オトコ」も、その一例ではある。

ワタシは彼のそんな可能性を疑ったりこんなボケ相手にしてたら時間の無駄だと簡単に諦めたり、またとんでもねえ社交性の無い馬鹿野郎だと匙を投げたりなどしてきた。

しかし、人は成長するし、その過程には時間が掛かる。

ワタシは焦ってそれを早めようとしたが、相手はワタシの思うような速度では変わっていかない代わりに、しかし着実に、変わってはいく。

ワタシは人々にもっと時間を与えなければならないのではないか。そう簡単に諦めてはならないのではないか。



恐らくワタシは、こうすればもっと効率が良いのにとか、こうすれば人に迷惑を掛けないでも済むのにとかいう様に、色々な面において色々なやり様を知っているのだろう。

恐らくそれはワタシが幼少時代に培った、波乱万丈な親子関係における「自己防衛」という苦労の賜物でもある。ワタシは彼らの都合に沿うように日々変わっていく事を厳しく要求され続け、また彼らのご機嫌を取る事を至上命題として、非常に窮屈な幼少時代を送ったのである。

だから、他人もそういう配慮が出来るもの、当然分かっているもの、と何処かで思い込んでいるところがあって、そうでない他人を見ると、ただ驚くのである。

つまり、自分が持っている能力の特殊性に長らく気付かないでいたものだから、それは最低限の、当たり前の、常識である筈なのに、何故回りの人間はこんな事すら出来ないのか、何故こんな事も分からないのか、と驚くのである。


競争の激しい業界にどっぷりと身を置いていると、尚更そんな傾向が強くなる。つまり、打ちのめされて自分に自信が無くなって来ると、まるで世の中全ての人間が自分より優れているかのような錯覚を起す。

そしてある時その業界を一寸離れてみると、他所で通用しているスタンダードが丸きり違う事に気付く。

自分も意外と捨てた物ではないと見直したり、または、あんな奴でさえ通用しているのだから、自分があの業界に行ったらもっとマシだろうと自信を持ったりする。逆に、どうしてこんな非常識な馬鹿たれでも通用しているのだと憤慨したりもする。


全ての事は、相対的である。

何を基準にするかによって、その価値は全く異なってくる。

ワタシはワタシ自身の中により大きな「世界」を創造しようではないか。そしてその中へ入って来た人々には、彼らに必要な時間を与え、彼らの成長をゆっくり見守ろうではないか。そしてその過程を眺めながら、ワタシに必要な学びを得て、ワタシ自身もじっくり成長して行こうではないか。

そういう「擬似ワールド」を雲の上から眺めるような心持ちで、自分と周囲の世界との間に、距離を置く。




ところで土星と太陽が最近獅子座に移ったのだが、早くもその威力を発揮してワタシに影響を与えているものと見える。

今のところ、こうした変化は大いに歓迎する。


2005年07月22日(金) 知らぬ間に夏が過ぎて行く

小試験は、辛うじて持ちこたえた。ご苦労であった。

しかしワタシは未だに不規則動詞の時制の変化を抑えていない、という大いなる課題が改めて知らしめられ、この週末はやはり図書館へ詰めた方が良いだろうと焦る。



授業が終わってから、クラスメイトと帰りしな、学校の傍の商店街をうろうろと徘徊した。

当初のワタシの予定では、未だ日本進出を果たしていないと見られる某店にて先日購入したおズボンがやはりぴったりと穿けないという事実にうな垂れつつそいつをさっさと返品して、それから公園に出掛け、昼の残りのサンドウィッチでも齧りながら語学の試験勉強をしよう、というものであった。

しかし彼女と偶々話しながら建物を出て来たところ、彼女も一緒に来るというので、それではとふたりしててくてくと道を歩き進むうち、なんと「セール中」というでかでかとした広告があちらこちらの軒先に掲げられているのに出くわした。それで直ちに、これは是非入ってみなければならぬだろう、と合意を得た、という次第である。


ワタシはそのうちのある店で、学校への出入りに不可欠な身分証をケツのポケットに入れておいたのを、試着中にどうやら落っことしたようである。

帰宅後早速その事に気付き、慌てて学校の警備に電話をするも届いていないと言うので、そうすると考えられるのは試着室しかなかろうという事で、インターネットで店舗の電話番号を探し出す。便利な時代である。

店員氏はワタシの身分証を素早く探し出し、金庫に入れておくから、明日取りに来たら責任者に直接取り次いで貰うようにと言う。

意外にも即時解決を見て、ワタシは一安心する。



ここは普段は幾分高級店で、ワタシなどには一寸縁が無いのだが、しかし何しろ「セール中」という事で、かなりの出血大サービスを展開中であった。

クラスメイト嬢はそこで何点か購入してご満悦だったのだけれど、ワタシはまたしてもおズボンがどうにもぴったり合わず、また上手い具合に可愛らしい袖なしブラウスを探し出したというのに、なんと致命的なほつれを発見し、それをネタに値段交渉を試みるも全く相手にされず、それじゃあ買わないとへそを曲げて、結局手ぶらで出て来てしまった。



巷では、間も無く秋物が展開される模様。

風の無い熱帯夜に汗を掻き掻きそんな事を書きながら、そういえば巷の夏休みの大半は既に終了したという事実に愕然とする。

周囲の人々は、例の「腐れ縁オトコ」も含めて、皆ヴァケーション中の模様。

人が遊んでいる最中に、黙々と学ぶワタシ。

そして、今働いている人々がヴァケーションを取る頃には、引き続き黙々と働いているであろうワタシ。



今年はまだ一度もビーチに行っていない。

そうか、五月にヴォランティア活動を通して山には出掛けたのだった。でもそれは、「ヴァケーション」と言うには程遠い。

ああそうだ、六月にほんの一瞬、隣の国へ出掛けた事があった。

あんまり一瞬だったので、わざわざ日記にも書かなかったかも知れない。あれは実は、それなりに気分一新出来て良かったのだが、欲を言えばやはりもう少しゆっくりしたかった。

何処かへ行きたい。

しかし来週語学の授業が終わったら、すぐさまお預けにしている仕事に取り掛からなければならない。それを来月上旬までに仕上げる段取りになっているのである。

すると、話はそれからか。


一通り用事が済んだら、新たな職探しの一貫という言い訳の元、どこかへ旅行に出たいと思っていた。反対側の岸辺に友人が住んでいるので、そこを訪ね序でに、新しい仕事の面接の予定を入れたりなどしたら都合が良い、などと考えを廻らせたのが最後、以降はばたばたと慌しくなってしまったのである。

どうにかして、まだ夏である間に夏休みが取れないものか。

現状から考えられるのは、上手く行ったとして八月中旬、しかし八月後半辺りから別の作業が入ってくる可能性があるので、それまでには戻って来なければならないか。

しかしそれも決定的な話ではない訳で、すると一仕事終えたら八月は何とか都合が付けられそうではないか。

ふむ。


実は「行き付け」と言ったら相当おこがましいが、これまで何度か訪れた事のある国内のリゾート地がある。

そこなら勝手を知っているので、飛行機の手配さえしてしまえば、宿の心配は要らない。今の時期はオフ・シーズンという事になるので、飛行機も然程高くないから、ワタシのような余裕の無い人間には都合が良い。それでつい、この時期に旅に出たい病に掛かると、ひとりでふらりと出掛ける事がある。

「隠れ家」と言ったら嫌らしいけれど、然程金も掛からずひとりで訪れる事が出来て、諸々の都合が良いところである。



むくむくと、旅に出たい病が頭をもたげる。



2005年07月21日(木) トマトとカレーとぺペロンチーノにアイスクリームという現実逃避

明日はまた小試験があるというのに、すっかりだらだらと過ごしてしまった本日。

いつまでも暑苦しいが、確実に昨日よりはまし。そして確実に一昨日よりもまし。そして更に一昨昨日よりもまし。

なのにどうして今日という日が絶えられなかったのか、ワタシ。何とか言え。



このところ、隣町産の真っ赤なトマトをざくざくとぶった切りにした、「サラダ」と呼ぶのもおこがましい程簡単なものを作って、日々せっせと喰っている。

これは海の塩をぱらぱらと振り掛けたところへお酢をだばだばと掛けて、ざっと混ぜるだけ、という殆ど手抜き料理なのだが、なにしろ暑いんだからこんなものしか喉を通らないのだから仕様が無い。

しかしこれが、大変旨い。この季節一番の味覚ではないかと思われる程、虜になっている。

ひんやり冷やしたトマトにじわじわと塩と酢が浸透していく、その汁を飲みながら、トマトを一切れ一切れ味わう。

これを朝出掛ける前か、または帰宅後手早く作って、がつがつと食べる。暑さを忘れる一時である。



今日はこれに、カレーの神様が舞い降りて来て、ワタシの住処は途端に暑さが倍増した。

うちにはご近所のインドの民から買い求めた「カレー・パウダー」なるものと、それからガラムマサラだのクミンだのといった、ひとつひとつの細かなスパイスの類の物が常備してあるので、その気になればいつでもカレーを作る事は出来る。

ワタシは元々特別肉食では無いので、そして共働き家庭で育った所為もあって有り合せのもので作ったおかずでも全く構わない性質なので、今日のカレーは少し痛んできたレタスや白菜と玉葱を炒めたものである。

しかし何らかの動物性のダシが無いと流石にコクが出ないという事が判明して、漸く缶詰の「小鰯のトマトソース漬け」というのを探し出してきて、投入する。

中々の出来栄えである。

しかし余りに暑いので、一先ず味見に留めて、鍋ごと冷蔵庫へ突っ込む。



更に白状すると、実は今日はこれだけで終わらず、パスタの神様も舞い降りて来た。

しかし相変わらず大した食材が手元に無く、結局玉葱を砕いたところへ唐辛子を入れて、ぺペロンチーノのようなものを作るに留める。

これは半分程喰う。

何しろもさもさと暑いので、パスタはとりあえずそこで止して、アイスクリームを一パウンド完食する。

如何に暑いかという事が、今更ながら伺える献立である。



一頻り食欲を満たした後、漸く明日の試験の事を思い出し、途方に暮れる。


まあ、今夜は寝ないという手もあるか。

寝苦しい日和でもある訳だし、無理に寝る事はあるまい。


もう二日行けば、この夏季語学集中講座もやっと終了である。

怒涛の六週間が、漸く終わる。


2005年07月20日(水) 異文化「日本」再び

同じ夏季語学集中講座に、もうひとりニホンジンがいる。

先日の帰りしな、漸く日本語で話す機会があった。

というのも、どうやら彼女はワタシをニホンジンではなく、「日系人」か若しくは「アジア系」で日本語は話さない人間だと思い込んでいた様子なのである。

例えば他のクラスメイトとの会話中に「ラブラドール・リトリバー系の仔犬を飼い始めた」というのがあった。しかしどうやら彼女は理解出来ていない様子で何度も聞き返しているので、見かねたワタシが日本語で「らぶらどーる・りとりばあ」と発音し直してあげたのだけれど、彼女はあっ・・・と言った後、ぽかんと口を開けてワタシを見つめるのみであった。


実は、一寸挙動不審な点もある。

ある日隣に座った学生が、休憩時間中にマフィンを買って戻って来た。

あら美味しそう、と人々が声を掛ける。

そこへその二ホンジン女性は、それは本当に物凄く美味しそうだ、と大げさに感心する。

あんまり大げさなので、その学生は、良かったら味見しても良いよ、と良くある社交辞令を述べる。

すると彼女は、あらいいの?それじゃあ、とマフィンを一掴みする。ぐわしっ。

見る間にボロボロとそれは崩れていく。あ、あ、あ・・・!と日本語的に声を上げる。

口一杯に頬張る。こぼれたマフィン屑を床に払い落とす。スカートに落ちたのを払い除ける。


それらをじっと凝視してから、そのマフィンの主は漸く、自分の第一番目の「齧り付き」を始める。



ワタシはその様子を他のクラスメイトらと共にじっと見詰めながら、なんだか奇妙な人だと思う。

何が奇妙だったのかしら。

多分それは、その原始人的未開人的な野蛮な食べ方の所為か、または普通は勧められても人のお昼を掴み取るような真似は余りしないものだけれど、それを敢えてやったところか。

多分、お礼を一言くらい言っても、バチは当たらない。


しかしそういう様子が他のクラスメイトらには、これが「二ホンジンのスタンダード」だと理解されている節が有るので、ワタシは気になっている。

現地語が余り上手でない所為もあろう。まあ異なるものを受け入れる土壌が出来ているのは、移民の国ならではで大変有り難い、と言ってしまえばそれまでだが、何もかも「外人だから」という所為にされている様子が少々気になる。


兎も角、彼女と少し話をしてみたら、どうやら作曲を学びにこちらへやって来た学生である、という事が判明した。

そこで、ワタシが一部関わっている日本絡みの団体で、時折講演会だとか勉強会だとかいった催しがあるから、良かったらそれに参加しませんかと誘ってみた。

この団体の催しは各種あって、何しろ日本関係だったら何でもオッケー、というような雑多なものなので、彼女の気に入るのも偶にはあるだろうと思うのである。

そういった事を話していくに連れ、次第に日本の政治や外交などの話に発展した。

ワタシはこの手の議論には仕事柄慣れているのだが、実際ニホンジンと日本の政治や外交政策などの話をすると、かなり幻滅する事が多い。

・・・

つまり、ここでもう結論を言ってしまったようなものだけれど、外国へ出掛けてくる二ホンジンも、結局自国の置かれている状況を余り分かっていないのだという一例をまた見た気がしている、という話である。


例えば学校名や企業名で人を判断するところ。

百歩譲って、仮にその人物が人より頭が良かったとする。有名校を出たからと言って、その頭脳の程度も一概には分からない、とワタシは思うのだが。

しかしだからと言って、その人がある特定業務に関して優れているとかいう風に決め付けるのは、危険ではないか。その人の人となりというのを知らずして、彼(女)はどこそこ大学を出たから、またはどこそこ企業に勤めているから、有能だとか偉いとか良い人だとか、何故分かるのだ。

ワタシは「彼」がその大学を出た頃は、それは主に地方のドラ息子やドラ娘が行く私立大学、として知れ渡っていた筈だから、それ程崇め奉る事は無いと思う、単に金持ちだったというだけの話では、と言ったのだが、彼女は恐らく自分が有名大学を出ていないなどして引け目を感じているらしく、譲らなかった。

いや、ワタシもそんな事を言ったら、有名大学などとは特別縁も無かったのだけれどもよ。

また、日本はアジアに位置していながらアジアではない、という発言は、ワタシなどからすると却って人種差別的に聞こえるし、また日本は芸術や観光など文化的な面において、「まるで仏蘭西のように」アジアのエレガントなリーダーとして尊敬を受ける国に成り得るだろう、という発言も、仏蘭西が他所様の領土でこれまで一体何をして来たかを忘れてしまったかのようで、苦笑せざるを得なかった。

「そう思いませんか?」

彼女は問う。

え・・・

ワタシは言葉に詰まる。

面識の無い人に物知りぶって説教など垂れたくは無いし、かと言ってその通りと同調する程無知でも無い。

仕様が無いので、確かに日本は戦力を駆使してリーダーシップを発揮するというやり方はしない事になっているので、それ以外の場で平和的友好関係を築く努力は惜しまぬ方が得策でしょうね、とお茶を濁す。仏蘭西の所業には、この際触れない。

政治や社会問題などに無関心若しくは無知な人にありがちな、この際そういう難しい事はさて置いて、そんな事より芸術とか映画やアニメなどでもって友好関係を、と彼女は言うのである。


このそれ程若くも見えない女性(失礼)が、しかしこの程度の認識なのか、とワタシは少々呆れる。

もうコドモじゃないんだから、もう少し自分の国や社会の置かれている状況を理解するとか、問題点をどう改善出来るかと思案してみる、などするのも満更悪くないと思うのだけれど。

きっと二ホンジン的には、そういう面倒臭い事は政治家とか学者の先生様にお任せしておけば良い、と思っているのだろう。

マス・メディアもどうやらそれを煽っているらしく、うちの父曰く「ハクチ番組」を飽きずに垂れ流している訳だから、それはある意味、国民を総お馬鹿さんにしたいと思っている「誰か」の陰謀かも知れない。人々に問題を認識させたくないと思っている「誰か」が、日本にはいるのだろう。

なんとなく想像は付くけれど。

それにしても、地上波全部でそんな風にしてしまわなくても良いのに、とも思う。

しかしそれはつまり、それだけ「誰か」の影響力が浸透している証拠でもある。



最近ではどこぞのアナウンサーが、未成年に飲酒をさせたとかで、日本では問題になっているそうな。

ワタシはてっきりこのアナウンサーというのは二十代の無分別な若者だろうと思っていたのだが、良く良く記事を読んでみたら、三十代だというではないか。

これは、笑って済まされる年では無い。

尤も、日本では未成年の飲酒や喫煙に相当寛大なところがあるから難だが、国外で暮らすワタシの感覚で言ったら、こういう人物は犯罪者として当然起訴されるべきである。


ワタシの住んでいる国では、未成年というよりある一定年齢以下の子供たちだけで置いておくと、保護者のみならずそれを放置した周囲の大人が、揃って留置所行きである。

この年齢は地方自治体によって開きがあるが、ワタシの家の近所では確か十四歳以下だったと思う。

つまり、その年齢以下だと、留守番も出来ないし、ひとりで通学も出来ない。

その裏には誘拐される子供の数が甚だしく多いという事情もあるが、しかしそのくらい、子供の行動には大人が注意を払っているという話である。

それを大人が進んで子供に飲酒をさせたとなると、これはもう立派な児童虐待である。社会的立場による影響力などを考慮に入れると、禁固刑は免れないだろう。


あわや異文化「日本」の行く末や如何に。


2005年07月19日(火) 監査再び

ここ数日、日本的に言うところの「台風」が勃発していて、ワタシの住む街のあたりは直撃は受けていないものの、まるでバケツをそこいらにひっくり返したかのような、蒸し暑い日が続いている。

全く爽やかでない。衣類はぴたりと張り付いて鬱陶しいし、日が落ちてもいつまでも暑くて寝苦しい。不快指数は終日鰻登りである。

日本の梅雨を思い出す今日この頃。

日本の皆さんの中には、「蒸し暑い夏」というのはアジアならではと思っていらっしゃる方もあるかも知れないが、ワタシの住む街でも良く見られ、以前内陸部から越して来たばかりの頃は、一体ワタシは東京に舞い戻って来たのか?とげんなりしたくらいである。

ちなみに緯度的には日本の東北部あたりとの事なので、冬は冬で大変寒い。

冬の話は過去の日記にも散々書いたが、今頃思い出して読んで見るのも、避暑に良いかも知れないとも思う。



そういう訳でワタシはこの国に長い事住んでいる所為で、選挙権は貰えないのに、また大した所得も無いのに、「所得税」というのだけはきっちり払わされている。

毎年四月に大急ぎでそれを計算して所謂「確定申告」というのを済ませると、今頃の時期に「監査」の通知が届く。

去年初めてそれが届いた時には、どうしてこんなに真っ当な暮らしをしているちっぽけな一外国人に過ぎないこのワタシが、こんな目に遭わなくてはならないのか、と大いに憤慨したのだが、まさかまた今年も届くとは思わなかった。


何という事は無い。今回は二千二年度の税金の支払いが然したる根拠も無しに「少な過ぎる」と言って来て、その差額というのは日本円にするとほんの三千円程度なのだが、それを「払え」と言うのである。

去年は二千一年度の税金支払いに対して同程度の差額を払えと言って来たのだが、既に決められた金額は全て支払ったのだから拒否します、と証拠書類のコピーなどをきっちり添えて返答したところ、「調査の結果、差額は0円という事が分かり、これは支払い請求には少なすぎるので、払わなくて良い」と返事が来た。

当たり前である。

それにしても、さすがお役所の言いそうな、偉そうな言いっぷりではないか。

自分の間違いで人に手間を取らせて置きながら、何か一言言ってくれてもいいんじゃないのかヲイ?

せめて切手代とかコピー代くらい返してくれるとか。



今年も勿論払わない。

これ以上、びた一文だって払わない。

冗談じゃないよ、全く。

この国は、貧乏人から金を沢山取る癖に、対する恩恵の方はちっとも寄こさない。

無闇に病院なんか行かれないし、下手に救急車なんか呼んだら、えらい事である。医療関係で自己破産というのは、良く聞く話でもある。

だからワタシなどのような外国人は、自分以外誰も守ってくれないという事を念頭に置いてきっちりやっていかないと、どんな目に遭うか知れやしないのである。

何しろ大使館だって当てにならないのだから。

彼らは日本企業の派遣社員には中々親切だから、該当する皆さんはご安心を。


ああそうだ、ちなみにニホンジンの場合、滞在し始めてから最初の五年間だったかはこの国での所得税徴収から免除になるという、「特別税金条約」が存在するので、語学留学だの企業の派遣社員だのといった短期在住者は、こういう事には一切関わらないで済む。

その期間にがっぽり稼いでおいて、後は引退という手もある。

それを過ぎると、世界中何処で稼いだ分でも、全て税金徴収の対象になる。



嗚呼それにしても暑い・・・

特にラップトップを使っているから、余計に暑いという考え方もある。

しかも、コーヒー飲みながら書いている。

今日は語学の授業が無い日なので、これからシャワーを浴びたら洗濯屋へ行って一仕事済ませ、それから図書館へ行こうと思っているのだが、近所の茶店で涼みながら勉強しても良いかも知れない。

どうせ冷房を使うなら、公共の場所で既に回っているのを利用した方が、新たに自宅で回すより環境的に得策、という話なのだが、ワタシのこんな倹しい努力は、この夏の猛暑を前にどれ程の効果があるのだろうか。


こういう暑い夏場に連日外で作業をする農家だとか庭師だとかいった皆さんというのは、大変だろうなあ。夏が勝負でもある訳で、そうすると日があるうちは精力的に働かねばならない。

お天道様と共に暮らす、というのは、口で言う程ロマンチックでは無い。


まだ七月。


2005年07月18日(月) 馬鹿に振り回される人々

昨日の日付で書いた日記のつづきである。つまり、日曜の午後にこれを書いている。

先程の日記を書いた後、忽ちざんざんと大雨が降って来たので、大急ぎで窓を閉める。むんむんとして大変不快な、冷房の無いワタシの部屋。



ワタシの嫌いな「勘違い君」について以前詳しく書いたが、ワタシが良くヴォランティア活動をしに行く施設に、彼も良くやって来るので、困っている。


二週程前、このヴォランティア活動が終了した後、偶々「ストリートフェア」と言って、ある通りを区切ったところを歩行者天国にして、屋台の食べ物屋だとか民芸品屋だとかを並べた、日本的に言うところの「縁日」のようなものを近所でやっているのを発見して、数人のヴォランティア仲間と連れ立ってそこを冷やかして歩いた。

ワタシは食事を取っていなかったので、何か食べ物を買いたいと申し出たところ、この「勘違い君」はそれでは何が喰いたい?あれは?これは?と、得意のファストフード店の名前を幾つか挙げ始めた。

甚だ興醒めである。

折角こうしてストリートフェアにいるのに、どうしてファストフードなど食べなければならないのか、ワタシはここで売っている食べ物を買い食いしたい、と述べた。

日本でも縁日などに出掛けたら、恐らく皆さんも買い食いしたいと思うでしょう?当然ですよね。


するとあるヴォランティア仲間が、それならばイタリアンソーセージを挟んだサンドウイッチが旨い、と教えてくれたので、ワタシたちはその屋台を探しててくてくと道を進んで行った。

漸く発見出来たそのソーセージ屋で、余りの法外な値段で売られているそのソーセージ・サンドウイッチに、ワタシたちは面食らう。

それならば、手前の店で売っていた「ファラフェル」といって、中近東では馴染みの有る、豆を潰して作った団子を揚げてピタ・パンに挟んだサンドウィッチの方が安いからそちらにする、と言って、腹ペコのワタシはさっさと買い求めると、それを食べ始めた。

例の「勘違い君」は、いつまでも決断出来ないでいたようである。

手前で食べたい物をいつまでも決められないで居る男というのは、一体どういう了見なのだろう。聞けば、彼はいつもこういう調子だと言う。

ワタシたちは周囲を徘徊しながら、見世物や民芸品を見物し、ワタシはがつがつとファラフェル・サンドウィッチを頬張りながら後に続き、そうしている間にストリートフェアの終点に辿り着いた。

その頃にはワタシもサンドウィッチを食べ終えていたが、その段階でも、「勘違い君」はまだ食べたい物を決めかねており、しかし親切な仲間たちはそれを咎めもせず、付き合ってやっていた。皆、人間の出来が違うなあ。

ワタシはそんな優柔不断野郎の為に、金魚のうんこのように彼方此方くっ付いて歩いて回るのは御免だったので、どこかでこの人々と別れて、ひとりでコーヒーを買って公園にでも行こうかと思っていた。しかしある仲間の女性が自分も一緒に行くと言うので、仕方無く行動を共にする事にして、ワタシたちはコーヒーを求めに近所のあるショッピングセンターへ向かった。

ワタシたちがコーヒーを購入し終えても、彼はまだ食べたい物を決められずにいた。ワタシは今日は折角の日和なので、近くの公園に座って外でコーヒーを飲もうと思うので、それでは、と仲間たちと別れるつもりで言うと、例の女性が、自分もコーヒーを公園で飲むから、一緒に行こうと言う。

そうですか、ではそうしましょう、とワタシたちが公園へ向かおうとすると、「勘違い君」は漸く、食べたい物が決まった、通りの向こうに有るファストフードのサンドウィッチ屋へ行く、そしてそれは帰りの電車の中で食べる、と言った。

するとこの女性が、では皆でそちらへ行きましょうと言い出したので、ワタシはそんな馬鹿に付き合っていられないと思い、ワタシはもう歩き疲れたので、このまま公園に行きますから、皆さんとは此処でお別れします、と言った。他にひとり男性が、自分も用事があるから此処で失礼すると言うので、では此処で皆別れようかという雰囲気になった。

ところが、この女性はどうやら「皆で」時間を過ごしたかったと見え、ならば自分は貴方と一緒に公園に行くから、貴方たちはサンドウィッチを購入したら公園で落ち合おう、などと言い出した。

折角ののんびりした週末の午後に、また面倒な事を、と思いつつ、しかし他の人々がでは自分が彼と一緒に行くから、貴方たちは公園へ、とか、いや自分が行くから貴方はあちらへ、とか、あれやこれやと相談しているのを見るに見かねて、分かりました、では皆してサンドウィッチ屋へ行きましょう、と言い、連れ立ってまた歩き始めた。

人々をこれだけ振り回しているこの青年は、一体どういう馬鹿だろう。こんなに依存的なのは、個人主義を標榜するこの国で出会う人々としては、非常に珍しい。何故、自分はひとりで食べ物を買って来るから、皆さんは公園で待っていてくれとか、気の利いた事が言えないのだろう。


こいつはこの間の一件について反省するどころか、更にそれを冗談にして話し掛けて来たという経緯があったので、ワタシは実はその日、既に相当気分を害していた。しかし他の心の広い皆さんにはそれを特に話していなかったので、世間話などしながら何事も無かったかのようにして後に続いた。

「勘違い君」はサンドウィッチ屋が余りにも混んでいるのを見ると、タコス屋に変更すると言って、隣の店に入って行った。ワタシは別の若い女性と外で待つ事にした。

それはそれで、また時間が掛かり、ワタシとこの女の子は立ったり座ったりTシャツをはらはらと仰いだりしながら、暑い中彼らを待った。


漸く公園へ向かうと、ワタシたちはベンチに腰掛けた。

「勘違い君」はワタシをまたしても外人扱いしやがって、君はタコスを食べた事があるかと聞いて来た。

この国では、メキシコ料理のタコスというものは大変人気があり、そのファストフード店もどこの街でも見掛ける程であり、ワタシも度々口にしている。

ええ、勿論ありますよ、と答えると、味見するか?と言う。

結構です。(そんな事はいいから、腹減ってるんだったら、さっさと喰え!)


その間ワタシたちは他愛も無い話をしていたのだが、そのうちあらかた喰い終わった彼は、ねえ君、タコス食べない?と、なんと残り物を差し出しながらワタシに問い掛けるではないか!?

げー、気持ち悪い!アンタの喰い差しなんか、要らないよ!馬鹿にしてんの?


ワタシはこの辺りでもうそろそろこの馬鹿とは別れて、ひとりになりたいと思った。

ワタシはおもむろに、おおそうだ、公園の向こう側の市場で、隣町産の完熟トマトを売っているから、それを買って帰らなくちゃ!と呟き、皆さんはまだここに居るのですか?それではワタシは買い物に行きますので、ここでさようなら、と告げた。

例の女性が、あらそれなら荷物を此処へ置いて、買い物に行っていらっしゃいよ、私たちまだ暫くここに居るから、と言う。

しかしこの機会を逃したら面倒だと思ったので、いえ結構です、このまま帰りますから、それでは、と言った。

すると彼女は気を悪くしたらしく、あらそう、じゃあ私たちにわざわざ付き合ってくれて今日はどうもありがとう、と嫌味のようなお礼を述べた。

ワタシはすぐさま、そんな、ワタシも勿論楽しみましたよ、と彼女の腕を抱きながら笑顔で言ったのだが、どうやら彼女はそれをお世辞だと受け取った様子で、何も言わなかった。

嫌な予感がした。

ワタシはこの馬鹿な「勘違い君」と付き合って過ごすのが嫌だったのに、この全く関係の無い女性がそれを勘違いして、自分と過ごすのが嫌なのだと思い込んでいるようである。


彼女の弟が最近始めたカフェに皆で行きたいから、今日帰ったらメールを送るわね、と言っていたが、結局そのようなメールは来なかった。


翌週また同じ施設にヴォランティアに行くと、思った通り、彼女はなんとなくワタシを避けて居る様子であった。別の女の子は突然来るのを取り止めたとかで姿を現さず、「勘違い君」も相変わらず無礼な発言を繰り返すものの、これまで程しつこくは寄って来なかった。

恐らくワタシが去った後、彼らはワタシの悪口で盛り上がったのだろう。そして「勘違い君」の無礼は問題にされず、それに気分を害したワタシが悪者という事になり、彼らは皆してワタシを嫌いになるという事で合意したという事か。

もしそうだとしたら、良い大人が揃いも揃って、随分間抜けな話である。

この女性は中年と言って良い年代だと思われるのだが、それにしては多少挙動不審な点があるので、自分と無関係な問題を勝手に関係があると思い込んだとしても不思議は無いが、しかし以前は化学教員だったと言うから、なんだか子供の喧嘩に紛れ込んで来た先生のような感が無いでも無い。


嗚呼、なんと面倒な人々。

ワタシはこんな「人間ドラマ」に関わる為にヴォランティアをしているのでは無いのに。

折角気に入った施設なのだけれど、そしてワタシの顔を覚えてくれたゲストも出来て行く度に声を掛けてくれたりして、中々居心地も良かったのだけれど、こんな面倒臭いドラマチックな人々が集う場所なのなら、ワタシはそろそろ退散して、他所へ行くのが良いだろう。

そういえば、昨日贔屓のゲストのひとりが、水星の逆行が間も無く始まる事を知っていて、早くやるべき事はやってしまえと忠告してくれた。初めは何の話かと思ったが、この歯抜けおじさん、どうやらワタシと趣味が合うらしい。彼に会えなくなるのも、残念である。



ところで最近気付いたのだけれど、この国のアジア系住民の中には、大学を卒業してもまだ実家で寝泊りしている子供たちというのが、意外と多い。

非アジア系では、それはかなり恥ずかしい行為というか、成人してもまだ親と暮らしているなどと言うと、それだけでもう後ろ指を差される不気味な行為なのだけれど、その辺りアジア系の家族は割りと寛大というか、子供たちの方もそれで特に不味いとは思っていない様子である。

この「勘違い君」もそうだし、語学の授業で出会った別のアジア系女学生もそうである。しかし彼らは移民ではなくこの国で生まれ育った「市民」であるので、言動などは一丁前にこの国の人間風なのだが、その辺りのギャップがワタシとしては些か気味が悪い。親と暮らしている癖に、どうしてそんなでかい事を言うのだ?と思ってしまうのである。

大体自分の洗濯物も自分で洗わないコドモに、自分の食べる物を自分で買い物に行かないで済んでいるコドモに、偉そうな口を利かれたくは無い。


それと彼らは人種的に意外と保守的というか、恐らく学校時代余り他の人種に相手にされなかった所為もあるのだろうけれども、どうもアジア系同士でくっ付きたがるし、人種差別的発言も多く見られる。

この街は一応「人種の坩堝」という事になっているのだけれど、それにしてはこのアジア系の排他的な様子は、一寸不可思議である。


漸く雨が上がる。


2005年07月17日(日) 返事を出さない人々

蒸し暑い日曜の午後である。

雨が降ったり止んだりしていて、洗濯屋へ行きたいのに、一寸戸惑う。

仕方が無いので、窓外の様子を眺めながら、昨日ヴォランティアに行った施設で貰って来た余り物のパンでもって、七面鳥のハムを挟んだサンドウィッチを作って食べる。

これはひょろひょろと細長いが、色々の穀類がぎっしりと詰まっていて、非常に美味である。

これを勧めてくれたヴォランティア仲間に、教えてあげなくては。



語学講座も残すところあと一週間となった。

週明けにはまた小試験があるので、慌しいのは相変わらずだが、もう一週間するといよいよ終了試験である。ぎゃぁあ!

それぞれの学生の専攻分野の本や論文などから二三ページ抜粋したのを訳すのだが、今のところワタシは時制の変化をまだ押さえ切っていないので、大変憂鬱である。

幸い先日同僚宅のパーティーにて、該当言語国出身の女学生と知り合ったので、試験前に一寸時間を割いて貰って、添削でもして貰えたらと思っている。



ところでこの同僚宅パーティーでは、予想外に楽しく過ごせた。

というのも、招待客の多くは同僚なのだが、それ以外の彼女の個人的な友人らも多く招かれており、ワタシは主にその非同僚らと歓談して過ごした。

そうしたら、例の女学生とその男友達と語学の話だとか現在手掛けている調べ物の話だとかで盛り上がったり、また最近子供が生まれたというある夫妻からその生々しい出産状況について話を聞いたり、それからその奥さんの方は勤務医らしいのだが、斯様にして女医がある特定分野に集中しがちであるかというような男社会「病院」でのホラー・ストーリーや、また彼女もヨガをやるという事が分かったのでその話など、何やら意外に楽しかったのである。

いずれも心根の良さそうな好人物であったので、ワタシはそんな友人を多く持つこの同僚を見直した。


後に同僚らとも少し歓談したが、彼らは主に彼ら同士で固まって過ごしていたようなので、ほれ見ろ、どこへ行っても詰まらない奴らだ、と内心気の毒に思いつつ、しかしワタシ自身は大いに充実した心持ちで、帰宅した。

少々呑み過ぎて、その日はよく眠れず、翌日のヴォランティア活動が一寸辛かった事を除けば、概ね良い週末である。



ところで、その同僚はこのパーティーの為に、とあるインターネットのサービスを利用して出欠状況を把握していたのだが、それによると、招待された同じ部署の同僚の半数程が、なんと出欠の返事を出していなかった。

ワタシはその事実に驚いて、社会人として一体どういう了見だろうと憤慨したのだが、その中に例のワタシの 「腐れ縁オトコ」を見つけ、なんという社交上のマナーを把握していない馬鹿たれだろうと、幻滅した。

オトコとしての態度云々より、寧ろこちらの方が始末が悪い。


帰り道、同世代の独身女性である一同僚と、彼女の乗る郊外電車を待つ間にこの話になったのだが、ここ何度かの会合のお膳立て状況を見るにつれ、そういう最低限の出欠の連絡すら寄こさないマナーの悪い同僚というのが、非常に目立つという事実に対し、ふたり共納得が行かぬという結論に至った。

その多くは男性であり、たまに女性もいるのだけれど、何しろ来るのか来ないのかぐらいの連絡など、画面上の「返事」ボタンをクリックして、「はい」か「いいえ」の一言で足りる話なのに、それすら「忙しい」という理由で怠っている訳である。

ワタシはこれらの人々の言う「忙しい」というのは一体どういうものなのだろうかと、半ば呆れて、彼是と考えを廻らせた。



ワタシはそういう訳で家族関係に余り恵まれなかった所為で、友人関係を非常に大事にしている人間なのだが、だからこういった招待を受けたら必ず返事は出す事にしているし、また何かしら思う事があって、ふと思い付いて誰かに伝えておこうと思うような事が見つかったら、それがどれ程他愛も無い下らない事であっても、出来るだけ後回しにせずメールを打っておく事にしている。

そうして、ワタシは貴方の事を今考えていたのである、という事を知らせておく。

また、引越しなどして連絡先が変わったり、近況に大きな変化があったりした折には、人々にまとめてメールを送って、それを知らせる事にしている。

薄い関係の友人であっても、濃い関係の友人であっても、このリストには一応含めている。

それをきっかけに、思い出して連絡をくれたりするのも居るから、連絡は絶やさぬように心掛ける。

インターネットの普及に伴い、またワタシのように友人が近所に固まっていない人間には尚更、只でさえ疎遠になりがちな昨今であるから、思い立ったら簡単にメールを送っておく方が何かと良い、となんとなく思っている。



その「出欠の返事を出さない人々リスト」を見て、嗚呼こうして人は友人や人生の機会を失って行くのだなあ、と感慨深く思う。

それはつまり、自分の人生を濃くしたいと思うか、只そのままなんとなく生きていくか、という、姿勢の違いのようにも思う。

尤も、そんな元気の無い時だって人生のうちにはあるから、誰もが皆あらゆる機会を逃さぬよう精力的に対外活動をする訳ではなかろうけれども。

それにしても勿体無い事だなあ。

第一、例の腐れ縁オトコはどうやらいつもそういう調子でいるので、既に同僚のうちから「あいつは誘っても返事すら寄こさない」という評判を頂いているのである。同僚として一応誘っておくけど、当てにはしない、という訳である。

そんな不名誉は、自分に対してどうなのかしら。


人との付き合いは、大事にしておかなければ、と改めて思う。



そんな事を思いながら、ワタシはヴォランティア活動に出掛けた先で出会う、家の無い人々や低所得の人々らにも、出来るだけ彼らの身になって接する事を心掛ける。


そういえば昨日は、きゅうりのサラダを器から出して蓋付きカップに詰めて、持ち帰れるようにして差し上げたら、いつもその施設にやって来る常連の家の無い一男性が、大いに喜んでくれた事を思い出す。

この施設はワタシも気に入っているのだが、しかし例の「勘違い君」もいつも居るので、困る。


あら。

話が長くなりそうなので、続きは翌日分に回す事にする。


2005年07月04日(月) 言うだけ言ったら、後は心静かに穏やかな連休を過ごそうと決める

うちの近所は、この週末は連休という事になっているので、今日は月曜ながらお休み。

しかし例の語学講座の前半戦中にやり損なった宿題が溜まっているので、この中休みを利用してやっつけている最中である。

動詞の活用に入った辺りから話がややこしくなって来て、少々手こずっている。やはり、そんなに簡単な筈は無かった。



オトコ問題は、もういい。

もしこうも度々ワタシの人生に戻ってくるコイツが、ワタシの人生にとって何らかの意義ある存在なのだとしたら、放っておいてもまた戻ってくるのだろう。ワタシが今あくせくせずとも、ワタシたちの関係は遅かれ早かれ強固なものとなるのだろうし、またはその意義を自ら明らかにし教訓を置いて去って行く時がやってくるのだろう。

ワタシはその行方を、今必ずしも知る必要は無い。


…何しろこんなに宿題が溜まっているのだから、それどころでは無いのである!


ワタシの一日は容赦無く過ぎて行く。

ワタシの人生もまた、彼がいよいよ人生の大きな決断をしようがしまいが、またはもっと小さな決断、例えばワタシに今日電話をして元気かい、今君の事を考えていたよベイビー、などと言おうが言うまいが、この場に留まらないのである。

Life goes on. 




ところで去る土曜日、例によってヴォランティア活動をしに出掛けたところ、最近余り快く思っていないある若者が、なんと公衆の面前でワタシに辱めを負わせた。

(直訳すると凄い日本語…)


彼は某アジア系の二世市民なのだが、いつも内容の無い事をぺらぺらと語っては、薄っぺらい馴れ馴れしさをもって人に接する、自称二十七歳のお穴の青そうな青年である。

(とは言え、実際問題として、この民族には多分「蒙古斑」は無い。)

彼は万人に親切ぶっているけれど、実際それはワタシの目には押し付けがましくて鬱陶しい行為である。

自分はこれだけ親切にしているのだから、誰も自分を嫌う事は出来ないのだ、とでもいうような、歪んだ自我が丸見えのコドモに見える。

実際見た目も幼稚くて、やっと二十歳くらいかなと思わせる程である。



最もワタシの気に障るのは、彼がワタシを実際以上に二ホンジン扱いしたがる点である。

つまり、ワタシは二ホンジンなのだから、当然アニメだの漫画だのという日本のサブカルチャーに通じているものと勝手に思い込み、日本では今何が流行っているのか等という様な質問を浴びせ掛ける。

もう十年以上日本に住んでいない上、その間ほんの二三度、二週間程度ずつ帰った事があるきりだから良く知らない、それにワタシはアニメ・オタクでは無い、と何度も言っているのに、人の話を聞かない馬鹿者である。


彼は最近ある職業訓練校だか専門学校だか、兎に角二年制の学校を漸く卒業して、それから地元の公立四年制大学に編入しようとしたのだが、入学審査試験の数学部門で落ちてしまったそうである。アジア人にしては、珍しい話である。

それでこの夏は、その追試験の為の補習授業を取る事が義務付けられていて、秋学期が始まるまでに試験を受け直す予定で、それに合格するまでは大学生になれない事になっている。

こんな風にお馬鹿さんな癖に、博士課程学生用の夏季集中語学読解講座を任意で受講しているこのお姉さんを一緒くたにして、やあお気の毒に、君も夏休み返上で夏期講習を取らなくちゃならないのかい?などと知ったような口を利くので、別に「お気の毒」な事など何もありませんよ、ワタシは貴方と違って学部入試に落ちた訳ではありませんから、と一々説明するのも面倒で、ワタシはこの坊主にはもうすっかり辟易しているのである。


そういう訳でいい年をして両親の家に未だ住み付いたまま自立せず、しかも定職に就いていないからいつも貧乏で、というか貧乏臭くて、彼は割引券の類の物をいつも沢山持ち歩いている。そして如何に自分が金を使わないかという辺りのテクニックを、一々人に触れて回るのである。

例えば人の誕生日プレゼントはいつもあそこの激安屋で見繕うとか、薬局で買い物の際には必ずその「薬局カード」を提示してポイントを貰い、後で五パーセント割引だとか、そういう話である。

ワタシは幾ら一世代違う若者とは言え、これは随分食傷だなと思いながら聞いている。そりゃあ若いうちはそれでも良いかも知れないが、そんなに貧乏臭いのじゃ女も寄って来ないだろうに。

コイツと一緒に食事をする羽目になった日には、ファストフード店でその割引券を目一杯利用しての食事となった。

ワタシはこの年になってまで、ファストフードという元々安いものをあんなに安く喰う羽目になるとは、と何やら奇妙な感慨に耽ったものである。



「親しさ」と「馴れ馴れしさ」というのは本来別のものだが、彼にはその辺りの区別が出来ないようで、何時だったかには公衆の面前でワタシにお前は「シングル」かとあけすけな質問をしてきた事がある。

しかも、「シングル」=「嫁き遅れて困っている」という風に勝手に解釈している節がある。

そこへアジア的厚かましさが加わり、では誰か世話してやろう、という誰も頼んでいないお節介な話が湧いて来る訳である。

彼は、自分には年上の従兄がいて、コイツはここ数年何故か女性とお付き合いをしていないのだが、しかし親切でとても頭が良いから、君もきっと気に入る筈だ、と唐突に言う。何を根拠に「頭が良い」のかは、不明である。

幾ら「シングル」のワタシでも、そんな気味の悪いアジアのオタッキー君と付き合わなけりゃならない程には困っていない。

ああそう、と適当に返事をしていたら、今度彼を君に合わせるから、そうしたら話をしてみてくれるかと言う。

それともこの民族とは付き合いたくないのか、と言うので、いや特に人種だとか民族だとかでワタシは交友関係を限ったりしないので、誰であろうと友達になるのは吝かでないと言うと、何やら大げさに喜んで、勝手に期待していたようである。

思えば、嫌な予感は既にあった。




先週にも同じ施設へヴォランティアに行ったのだが、そこでまた彼に出くわした。その際彼は、近々女子プロバスケットボールの試合を皆で観戦に行きたいので、良かったら一緒にいかがと誘って来た。

ワタシはどちらかと言うと、バスケットボールに関しては観るよりやる方の人間なので、やらない人間がちゃらちゃらと観戦するのに同席するという事に、余り気が進まなかった。しかし実際観に行った事が無いでも無いので、まあそれ自体は良しとしようと思い直したが、しかし特に贔屓のチームでもないのにわざわざ大枚叩いて観戦するというのも、何だか気が引けた。

そういった内心を反映して、ワタシの返事は余り気乗りのしないものになってしまった。

すると彼は、別に「デート」に誘っているのではないのだから、そんなに真剣に取るな、と冗談を飛ばした。

ワタシは周囲の手前軽く笑っておいたが、しかし可笑しくも何とも無い上、寧ろ「早とちり」に近い、この先走った自我防衛的冗談にほとほとうんざりして、心中「はいはい」と相槌を打った。

しかし今のところ語学講座で忙しい日々を送っていて、今月末でそれが終わったら直ぐさま、保留にしている本来の仕事に取り掛からなければならないので、来月の遊びの予定まで頭が回らない。それで、考えておくと言っておいた。

それについて、彼は後に複数の友人宛てにメールで詳細を送って来た。


そしてこの土曜、メールは届いたか、それで来るのか、と聞いて来たので、ワタシはまだ考え中と答えた。

すると、実は僕の従兄も誘ってあるのだが、それならば君は来るか?と言う。

ワタシは質問の意味を図りかね、いやなんとなく言いたい事は分かるのだけれど気付かなかった振りをして、しかし貴方の従兄が来るか来ないかという事自体はワタシの決断には何の貢献もしない、と答えた。

ところが彼は更に、いやもし彼と君とが上手く行けば、「結婚」に到達するかも知れないから、どうだ、来るか?と続ける。

ワタシはその不躾な言い分に眉を顰め、今のところ結婚相手は探していないから、結構ですと答えた。


この段階で既に周囲のヴォランティアたちは、含み笑いというのか、おやおや全くコイツは何を失礼な事を言っているのだ的若しくは何やら雲行きが怪しくなってきたぞ的な薄笑いを浮かべていた。ワタシもこの会話を一旦止めて彼らの方へ歩み寄り、いやぁね何あれ?的な表情的コミュニケーションを取ったり、また初対面の幾人かに挨拶などしてみたりして、話を打ち切ろうと試みた。

ところが彼は更に追い掛けて来て、しかし僕の従兄と結婚すれば、君はこの国に一生住む事が出来るのだよ、いい話ではないかい?と言う。

ワタシはいよいよ気分を害し始めた。


ワタシがそんな事を必ずしも望んでいないかも知れないでしょう?

ワタシは彼の方を見ずに、あしらう積りで言った。

すると、何、君はこの国にずっと住みたくは無いのか?(=住みたいに決まっている的ニュアンス)と言う。

もしこの国にずっと住みたいと思ったら、ワタシは自分で仕事をしながら住み続ける事が出来るのであって、何も他人の力を借りなくても良いのですし、またもしかしたらこの国に一生住み続けたいとは思っていないかも知れないので、そういう場合には余所の国へ移るかも知れませんし、何しろどっちに転んでもそれは貴方には知り得ない事でしょう?(=余計なお世話)とワタシは言った。

すると彼は何と、いやしかし、僕は君に「強制送還」には遭って欲しくないのだよ、と言う。


「強制送還」…?

誰が?

何故?

何の話?

ワタシはそんな事の為に今この国に居るのではありませんよ!?

すると、え、違うの?ダンナを探しているんじゃなかったの?と抜かしやがった来た。

ワタシはここですっかりぶち切れて、公衆の面前ではあるが、しかしワタシ自身の名誉の為にも、言うべき事ははっきり言っておかねばならないと思ったので、この謂れの無い「強制送還を免れるべく将来のダンナを探している不法滞在中の外国人女」とでもいうような疑いを晴らすべく、声を上げた。

貴方は何か勘違いしていらっしゃるようですけど、ワタシは今のところ強制送還に遭うような違法行為は一切しておりませんので、おっしゃる意味が良く分かりませんし、それに貴方、そういう無実のワタシに対して今非常に失礼な事をおっしゃってますけど、一寸お口の聞き方に気をつけた方が宜しいと思いますよ。

という内容の事を、ワタシは極力丁寧に言った。

すると、直ぐ脇で聞いていた女性が、いや彼は本来とてもいい子なので、そういうつもりで言ったのではないだろうから、勘弁してやれ、と仲裁に入った。

彼はそこで漸く、ワタシが「怒っている」という事に気付いた様なのだが、しかし冗談交じりにへらへらとにじり寄りながら謝って来たので、ここでワタシは本気で憤慨しているという事を知らしめなければならないと思い、触るな、と彼に言い放ち、それから、ワタシは彼の事は良く知りませんが、しかし失礼にも程がありましょう、と彼女に言って、そこで会話を打ち切った。




名誉毀損も甚だしいと思ったのだけれど、過剰反応ではないですよね?

しかしここの常連ヴォランティアたちは、この青年の失礼な言動に、何故だか随分寛大なのである。

ワタシはこう言っては難だが「馬鹿」の扱いが余り得意では無いので、彼らのように何事も無かったかのようにあしらったりする事が出来無い。ワタシを侮辱するなら、それなりの対応をしますよ、という態度をはっきり出さないと、却って舐められてしまうと思うのである。

それはワタシ自身の自信の無さなのだろうか。

そうは思っていないのだけれど、周囲の反応を見るにつれ、何やら腑に落ちない感が拭えない。



というか、そもそも彼に必要なのは、ヴォランティア活動やら他人の人生のお節介を焼いている場合ではなくて、とりあえずまともな仕事を見つけて自立する事ではないかと思う。

碌に勉強もしないでいつまでも親のすねかじりをやっておきながら、お姉さんの人生に口出しするなんてぇのは、百万年早い。身の程を知りやがれというものである。



というような癇に障る出来事以外は、この週末は割合と穏やかなものであった。

天気も暑すぎず涼しすぎず、中々具合が良い。

公園で語学の自習をしていると、どうやらその該当言語圏からの旅行者と思われるお嬢さんたちが手助けを買って出てくれるし、また買い求めたジュースの蓋が開けられないで苦労していると、見かねた奇特な青年が開けてあげましょうかと申し出てくれる。

この街も、それ程住み難い場所ではない、と改めて思う。


昨日翌日
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