せらび
c'est la vie
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2005年03月29日(火) 昨日の続き - 宗教と殆ど宗教のような「平和主義」という観念

昨日の日記を書いたら、エンピツさんから長すぎて載せられないと苦情が来たので、切り取った部分を今日の日記とする。よって、以下は続きである。


**************

ワタシはこれまで培った知識を総合すると、基本的には反キリスト教である。

と言っても、無知なる善意のキリスト教徒それぞれに対して憎んでいるとかいう意味ではなくて、これまでの歴史の中でキリスト教徒が行ってきた様々な悪行に対して不信感を持っていて、またある国の指導者が偶々中でも特に過激なキリスト者であるという事実を鑑みるに付け、尚更この宗教の恐ろしさというか宗教的盲人の成せる業というものに対する危機感というようなものを切実に感じている、という意味である。

それで、ワタシにとってはひとつの長編小説でしかない、ある戦闘地域で存亡の危機にある人民を取り纏める必要に駆られた為政者が、文才のある人物に書かせた、政治的に重要な一事業である「聖書編纂」というものについて、この機会に改めてまた考えさせられた。

科学の時代を経ても、今猶先進国で信じられ続けている宗教というもの。

理解不能な事象を、例えば「魔女狩り」に於いての残虐行為に見られるように、科学的に解明する事無く一律に葬り去った長い「無知の時代」を経ても、まだ生き残っている宗教というもの。

尤も、人の心の迷いというものは中々解決が着かないし、そういう混乱の中に居る人々は何処でも、何時の時代でも存在するだろう。

しかし、例えば心理学という学問で、または医学という学問で、相当の範囲の事は説明が付く様になっているこの時代に、それでもまだ説明が付かないもの、つまり「真理」というもの、または死を恐れるという事、これらは未だ健在なのだろう。


よく戦争が起こる度、人間は未だ歴史から学んでいないのか、などと訳知り顔で言う人がいる。

ニホンジンに多いから、多分「平和主義」教育とやらが根付いた証拠だろうと思う。批判的思考を教わらない国民というのは、なんとコントロールし易いのだろう。

ワタシはそういう事を恥ずかしげも無く言える人に対して、それでは貴方は何か学んだつもりでいるのですかと聞いてみたい。一体この世の中の何を知っていると言うのですか。余所の国の大軍隊に守られながら、温室の中で平和を語る事に疑問を感じませんか。戦争で負けた途端に日本は「平和主義」を受け入れる心の準備が出来たのだと、本当に信じているのですか。

同様に、この時代にキリスト教というものを信じる人々にも聞いてみたい。これまでキリスト者が世界的に、また地域社会に対して行ってきた悪行の数々、例えば正義や真理の追及という名目での侵略戦争や「ミッショナリー」という名の文化侵略行為などについて、それを正当化するだけの理論的説明をお持ちですか。そういう人々に加担する事に付いて、良心の呵責というのは感じませんか。



ちなみに後者の質問に付いては、以前生まれつきでないキリスト教改宗者にはぶつけてみた事がある。でも誰も理論的説明はしてくれなかったから、恐らく出来ないのだろうと思っている。


もし我こそはまともな説明が出来るという人がいたら、是非お知らせ下さい。


2005年03月28日(月) 思いの外良かった復活祭小旅行とお出掛け後考えた事彼是

この復活祭の週末に、小旅行に出掛けた。

先日にも一寸書いたけれども、これは当初見たところ非常に格安なツアーで、ワタシの想像としてはどこかのユースホステルだとかモーテル(というのは連れ込み宿ではなくて、本来車で旅する人々の為の格安ホテル)にまあ最大一部屋に二三人ずつくらいで泊まって、特異な生活スタイルを続けているある人々の様子を見たり、彼らに関する博物館やら市場などを訪れる観光をして、イースター(復活祭)の日曜には土地の人々の家へお邪魔して、特別に装飾を施した卵を始めとした昼食をご馳走になる、というようなものだと思っていた。

ところが約一週間前に届いた詳細によると、ワタシたちは「ホームステイ」というのをする事になっていて、それぞれひとりかそれ以上の外国人参加者を受け入れる体制になっているそうで、土曜の夜に一寸したゲームなどをする親睦のパーティーが予定されている以外は、それぞれの家族と相談して何をするか決めるようにとの事だった。

それでワタシは、これはえらい事になってしまった、いい歳をして「草の根国際交流」をする羽目になるとは、と蒼くなっていたのだけれど、これが実際行ってみたら意外と良かった、という話をしようと思う。


金曜の朝、街の中心部にある鉄道駅の傍に集合して、ワタシたちは大きなバスに乗り込んだ。参加者は、総勢にして大体二十五人くらいの外国人である。

勿論、ワタシのようにこの国に来て既に十年を超えるようなのは他に誰も居なくて、大抵は来て間もない、綿毛をぴろぴろさせたひよこのような、初々しい若者たちであった。または、既に学位を取り終えてからこの国にやって来た研究者だったりした。

いずれにせよ、この国で我が物顔に暮らしているようなのは他にいなかったので、ワタシは一寸控えめに挨拶をしながら、数人のアジア系女学生らと隣り合わせて、あれやこれやと話をしながらバスに乗った。

バスが見慣れない農場や、だだっ広くて何も無い草原のような辺りを走り抜ける。この国は、一部の大都市を除いて、大半はこんな風な田舎なのである。一箇所しか知らないでこの国を語るというのは、ワタシの住む街にいる外国人にはよく見られる事だけれども、それは大変な間違いである。

昼過ぎに、バスは目的地である町の集会所に到着した。そこでは土地の人々が手にカメラを携えて、今か今かと我らの到着を待ちかねていた。

それはまるで、サーカスか動物園に捕われた獣か、という、何とも異様な光景であった。他の旅行者、主に欧州の人々も同様に感じていたようで、ワタシは彼らと顔を見合わせ、肩をすくめ、これから我らに降りかかる身の上を案じた。

ワタシは今回の旅で、子沢山な家にホームステイする羽目になったら嫌だなと思っていた。というのも、そういう訳で諸々の事情により三十代未婚女性という身分を(不本意ながら)通しているワタシとしては、この宗教教義に忠実な町で保守的な暮らしをする女性たちから、結婚もせず家庭も持たず、自分の好きな事だけやっているとは、なんと自分勝手な女だろうという風に思われるに違いないと思ったのである。

ワタシ個人としては、そんなのはナンセンスと思うけれど、でも旅人というのは余所の人々のテリトリーにお邪魔して様子を見せて頂くという立場なのだから、出来るだけいざこざを起さないように注意して、彼らの懐の広さに感謝してむしろ小さくなっているべきだと思ったのである。

ところが、実際ワタシがあてがわれたのは、子供の居ない老夫婦の家であった。しかも彼らは、これまで外国人留学生に寝床を提供したり暫く居候させてやったりというような事を何年もやっていて、驚く事に何人か来たうちのある二ホンジン留学生の実家を訪ねて日本を旅行した事があると言うのである。この国では相当珍しい、兵役以外で外国に出掛けた事のある老世代である。

お陰でワタシが用意していった風呂敷や手拭を使った純日本文化講座は、全く必要無かった。手間が省けて、好都合である。

ただ、ひょっとして口に合わないかも知れないからと、控えめにちょっぴりだけ持参した煎餅各種は、この夫婦に掛かっては一時間と持たなかった。それから棚にある幾つかのお茶コレクションを見るに付け、同様の理由で持参するのを止した日本茶を持って来れば良かったと後悔した。

しかし同じく土産として持参した折り紙は、この家に居候する独逸からの交換留学生には、適度なチャレンジとなったようで、これは良かった。彼女は図体がでかいのでてっきり大学生かと思ったのだが、よくよく聞いてみると現地の宗教高校に通っているとの事であった。

仮父(ホストファーザーとかいう)に言わせると、彼女は成績優秀者リストに名を連ねているとの事で、折り紙と共に付いてきた日本語の折方説明書をふんふんと眺めながら、折線解説の知識など無しに、勘で幾つもを完成させて、ワタシを驚かせた。

こんなに若いうちからこれだけこてこての宗教にどっぷりと浸かっているので、行く末の心配をしないでも無いが、しかし根の真っ直ぐな、穏やかで良い子に育っているようなので、ここの老夫婦同様、ワタシは良い人々に恵まれて良かったと胸をなでおろした。


ところでワタシはひとりで此処の家に世話になったのではなくて、もうひとりニホンジンの女学生と二人して滞在した。

てっきり同じ国の出身者同士ではマッチングしないものと思っていたので、これには少々疑問が残った。

この女学生がまた、最初はこれはまた一体どういう奇妙な化粧だろうと吃驚したのだが、というのもニホンジンによくある真っ白な粉っぽい顔に、黒いアイライナーが目尻の上のあたりに太く二重に描いてあって、本来のアイライナーとしての目的を果たしていないというか、京風化粧というのか、兎に角ワタシからすると大変奇妙な化粧法だったのだけれど、そしてバスを待っている間に挨拶した時には何だかそっけない感じでいけ好かない二ホンジンだと思ったのだけれど、話を色々としていくうちに意外と良い子だという事が分かって、安心した。

奇遇な事に、彼女とワタシの日本の実家が隣町という事が判明し、どちらも一人娘であり、更にどちらも同じ分野にいるという事も分かった。ただ彼女の方はもう直ひとつ学位を取り終えて、日本に帰国する予定であるとの事であった。

それは有名な学校なのだけれど、一年こっきりのプログラムだそうで、試験も論文も無いというから、ワタシの経験したのと比べると随分簡単だなと思った。

彼女は数ヶ国語を話せる、と会う人毎に自慢していたのだが、そのうち日本語と現地語以外のは大して上手くなくて、普通に日常会話をするのもままならない程度というので、それでも「話せる」と言ってしまうのはどうなのだろうとも思った。それ以外にも何かと自慢したがるところがあって、また余り人の話を聞かないところもあって、どうやら随分自意識過剰な生意気な子という印象であった。

しかし、まあ彼女はワタシより一回り近く年下でもある事だし、そんな若い小娘と競争しても仕方が無いので、ここはにっこり微笑んでそれはよかったねと言って済ませる事にした。

そういった、何というのか、年齢と精神年齢というのか大人であるという自覚というのか、またはそういう社会的要求に応じるかどうかというのか、そういった事に関して、仮母(ホストマザーとかいう)と話題になった。彼女は非常に心の若い女性で、例の独逸人女学生に言わせると、年齢に伴った言動をしない、慣習にとらわれない人である。小柄でぽちゃっとしていて、とても可愛らしいのだが、新しい事に挑戦する気概もある。

仮父の方も、中々言葉が出て来なかったりするが、色々と話してくれようとするし、そういう所謂余り教育を受けていないとか保守的な田舎の地で暮らしているとかいう様な要素を除いて、個人としては大変意欲的な好人物である。

彼らの暮らし振りは決して派手ではないし、人が羨むような仕事についているとか教養が高いとかいう事も無いが、しかし安定した精神を持っている人々に見え、それは信仰とは別の、彼ら個人の人徳とか魅力であるように思われた。

こうして見ると、ワタシは来る前に恐れていたのと比べて、なんと幸運だったのだろうと思わざるを得ない。こうした人々の元で週末を送り、あれやこれやと話に花を咲かせ、尤も土曜日は一日例の彼らより更に宗教的に保守的な人々の住む辺りを覗いたり観光などをしたけれども、その間も沢山話をしたし、ワタシは今回の「ホームステイ」を大いに楽しんだ。

去り際に独逸人女学生が、今回の滞在で何が一番良かったかと聞いたのだけれど、ワタシはどれがどう良かったというよりも、色々な話をする事が出来て、つまり良くあるわざとらしい「草の根国際交流」などでは無くて、ひとりの個人としてお互いに知り合えた事や、そうした様々な話題に関する議論やお喋りなどからワタシが更に考えた事などが大きな財産になった、という事が良かった、という旨を伝えた。

そういえば行く前のバスの中でも、ワタシは知り合ったばかりのアジア人女学生らに、ワタシはもう年だから「草の根国際交流」をしに来たのでは無くて、その有名な宗教的コミュニティーを覗かせてもらいに、観光をしに来たのだ、と言った。

その時はまだ観光以外にこれ程の経験になろうとは思いもしなかったのだが、出会ったばかりの他人の家ですっかり寛いであれやこれやとお喋りしている自分と、それを全く普通に受け止めてくれている人々との間の心地良い空気を感じながら、毎夜今日もまた良い日だったと満足しながら床に付いたのである。


ただ一点気になったのは、そういう調子であれやこれやとお喋りをしているうち、後で失敗したと思った事である。

到着間も無くの頃、彼らがワタシが日頃何をしているのかという事に付いて質問したので、最近手掛けている環境政策関係の調べものについて、「簡単に」説明した。

そのつもりだったのだが、ワタシは日頃同僚相手に議論するのに慣れてしまっているので、全くの専門外の人に対して分かりやすく説明するというのの加減が分からず、更に一緒に来た例の二ホンジン小娘が知ったかぶりをして口を挟むので、余計に混乱を招いてしまった。それで更に噛み砕いて説明したのだが、それをやっているうち、この国が抱えている大いなる政治的矛盾問題を露見せざるを得ない状況になってしまったのである。

これは、こういった保守的な土地では余りやりたくないのだが、ひとまず砕けたお喋りという路線を貫いて、出来るだけ批判などは避け、あくまで消費者の立場からという観点に基づいて説明した。

しかし翌日、ワタシたちは町へ出て、宗教関連の博物館にてある映画を観る。それは滞在先の人々の宗派とそれより更に保守的な人々の宗派との違いに付いての解説なのだけれど、双方共それぞれの文化や価値観保持の為に対外的接触を出来るだけ避けている、という話があって、そこへ来てワタシは、しまった、要らぬ事を言ってしまったか、と後悔した。

彼らがこの国の政治や社会問題などについて無知だったり極度に保守的なのは、宗教的教義・倫理感に基づいたものなので、ワタシが住む街では当たり前の左がかった傾向も、此処ではとんでもない罪悪と考えられてしまったのではないか、という訳である。

実際、後で「ゲームナイト」だとか帰りのバスの中などで他の参加者とそういう話になり、尤もアジア人は殆どそんな事は気にせず、楽しげに「草の根国際交流」に励んでいたのだけれど、欧州人は一様に不信感というか疑問を抱いていて、この国の文化や政治がどれだけ宗教によって成り立っているかという点に付いて、議論は尽きなかった。

そういう話が出来る人々というのは、概して同業者かそれに近い分野の人々であった。また(東)アジア人がどれ程宗教というものに付いて無関心か、またはそんな事より自己利益の追求に貪欲というか能天気というか表面的というか、そんな事も知った。

(注 韓国人の参加者もいたにはいたのだが、偶々キリスト教徒では無かったようで、他のアジア人と大差は無く、自分たちが住む大都市とこの田舎町との様子の違いにだけ関心が集中していたようである。)



ところでこれは復活祭という、キリスト教世界では一大イベントである週末だったので、ワタシも人々と連れ立って(心持ち)奇麗なべべを着て教会へ出掛ける羽目になった。

ちなみに「復活」したのはジーザス・クライストさんという、ある不遇の男性で、だから「神」というものよりむしろこの男性についての法話が多い季節である。

彼は三日後に戻ってくるぜと言い残した後死んで、本当に戻って来た!という事になっているので、それにちなんだ歌だとか聖書の一説だとかで盛り沢山で、ワタシは生涯で二度程読まされたあの分厚い小説(だと思っているもの)をまた手にして、そういえばそんな事が書いてあったかなと朧な記憶を辿ってみたりした。

一緒に滞在した二ホンジン女学生以外にも数人の二ホンジンが居たので、彼らが他宗教の人々に対して自らの宗教観をどう説明するかと脇で聞いていたのだが、やはり多くは「ニホンジンには宗教は無い」とか「自分は宗教的行為はやらないし、宗教は信じていない」とかいう風に言い放っていた。

これは実際耳にすると、大変恐ろしい宣言でもある。

世界中どの土地に行っても、何らかの宗教とか信仰とかいうものが存在する。そして人々は彼らの信じるものを基にした共通観念というものを持っていて、それによってコミュニティの中の秩序というものが保たれているのが普通である。つまり、共通の観念やモラルによって、その共同体内ではお互いの平和が保障される訳である。

なのに、自分には宗教など無い!と言い切ってしまうような者がそこへやって来るという事は、つまりこの人物にはモラルの基本となるべき観念が無いと言っている様なものなので、無法者、危険人物と見做されても可笑しくない訳である。

そこの辺りを、大概のニホンジンは知らないでそう言っているので、通常他の人々は吃驚して、それでは何を持ってして貴方の存在は成り立っているのか、と更に疑問を投げかける。

当然こんな質問に答えられるような哲学的思想的教育を受けたニホンジンはそういないから、大抵の人々は期待したような答えが返って来ないので欲求不満や不信感、また色々と不可解な気分に苛まれる事になる。

其処へ行くと、ワタシが滞在した家の老夫婦は偶々日本旅行の経験があるので、ニホンジンの多くはクリスチャンではない(彼らと同じ価値観は持っていない)のは勿論、独自の文化を形成し継承し続けるに足る哲学的思想的背景は存在しているという事を理解していたので、その分ワタシも説明の手間が省けて好都合だった訳だけれど、他のホストファミリーという人々やその他教会などで出会ってそういう二ホンジンらと話をする機会があった人々の受けた影響を鑑みると、一寸不安である。

(ちなみにワタシは、自分は仏教、神道、それに儒教思想(厳密には宗教ではなく、仏教思想の一部)という三つの思想の混合文化の中で育ったので、特に宗教活動はしていないけれどもそれらの影響を受けて育った事は間違いないと思っているし、また人生には自分のコントロールの範囲を超えるような力を持つ「何か」が存在するという事を知っている、というように答える事にしている。)



彼らに与えた影響といえば、例えばツアーに出る二三日前に、先方のコーディネーターという人物からメールが届いて、そこではワタシたち参加者に対して、「自分の事で何かそれぞれの国にとって特異な点」について書いて送ってくれというのがあった。

かの地に住む人々の多くは高等教育を受けていないので、恐らくその所為で彼女の言い回しは随分不可解で、ワタシは質問の意味を解すのに暫く掛かった。しかし恐らく自己紹介をしてくれろという意味だろうと解する事にして、少し書いて送っておいた。

それはそれぞれのホストファミリーに転送され、また土曜の夜の「ゲームナイト」の際の余興にも採用されたのだが、その中でワタシは、まあ包み隠さず、自分が長らくこの国で暮らしていて、学生時代の旅行やら後に住むようになってからの車での旅行やらで彼方此方出掛けた事があるだとか、幾つかの高等教育機関であれやこれやを勉強したとか、現在住む街では本業の合間にヴォランティア活動をしたりヨガレッスンに行ったりするだとか、そういったあれこれを掻い摘んで書いておいた。

この国の人々の多くは、自分の生まれ育った町から殆ど出ないで一生を終えたりする。勿論学校や仕事などで都会に行った人はそこから他所へ移動する機会も多いし、皆が皆定着型という訳ではない。しかし今回訪れた町の人々はほぼ間違いなく、此処で生まれ育ち、近隣の町へ親兄弟や親戚などを訪ねたりする以外、その一帯から出る事は殆ど無い。

だから、外国人であるワタシがこの国の彼方此方の都市を訪れたとか言うと、大変吃驚する人も多いのである。相当ワイルドな人物と思われたりするのである。

それから、彼らのようなクリスチャンでは無く、そういう宗教教義によってでは無いのにヴォランティア活動を進んでするとか言うと、それも吃驚の対象になる訳である。

また、ワタシのホストファミリーはそういう中では随分モダンな人々とは言え、恐らく彼らは「ヨガ」というものが一体何なのか、多分全く知らないだろうと思う。


そういえばひとつ、仮母の友人の娘さんで、以前とても奇麗な長い金髪の持ち主だったのに、ある日それをばっさりとちょん切って、ガンや白血病の治療で髪の毛が無くなってしまった子供たちの為に寄付した、という話を聞いた。

実は数年前、ワタシも全く同じ事をやったので、その時の顛末を一寸話したのだけれど、そうしたら仮母は非常に感心して、そうかそうかと聞いてくれた。

それから、「中国教会」というのがあるという話になったので、そういえば先日食事の提供のヴォランティアの為に出掛けた先が偶々教会で、そこでは幾つかの移民住民の為にそれぞれ同時通訳が付いていて、その中に中国語を話す人がいたとかいう話をしたら、そうかそうか、するとお前はそういう事をするのが好きなのか、と聞かれ、まあそうですね、ワタシなどで出来る事があって助けが必要な人があれば、何でもやろうとは思いますと言ったら、ふむふむそうか、と興味深げに聞いていた。

そういう話から、もし彼らが、キリスト教徒でなくとも他人の事を助けようという発想はあり得る、という事を知ってくれたら良いと思う。または、必ずしもミッショナリーを送り込まずとも、それぞれの国やコミュニティでそれぞれの価値観があって、他人に対して手助けをするという発想があるという事を知ってくれたらと思う。


2005年03月21日(月) 一寸空元気出し過ぎかも知れない今日この頃

ここのところ、先日降って湧いた幸運のお陰で、何だかぼんやりしている。

春になった所為もあるだろうが、このところのワタシは、季節の移り変わりやらこの街の人々の日々の暮らし振りなどをぼんやりと眺めながら、これまで許されなかった「余裕を持つ」という事やこれまで(必ずしもやろうと思っていなかったかも知れないけれども)やれないでいた事などを、徐々にやり始めている。

今出来る事を出来るだけやって、人生を楽しもう、という試みである。


この週末には、ここ暫く中断していたヴォランティアワークをしに出掛けた。

今回は、朝っぱらからとある教会でやっている食事の提供の手伝いをしに行ったのだけれど、そこで思いがけず友人が出来て、彼がその後で外国人に現地語を教えるヴォランティアをやる事になっているというのにくっ付いて行って、飛び入り参加などしてみたら、これが意外と楽しかった。

このところ、何だか久し振りに色々な人々とあれやこれやとお喋りする機会があって、ぺらぺらと自分の思い付くまま喋っていると、これまで忙しくて人に会う機会が持てず、話したかった事が話せないでいたのを思い出した。

それで、こんな下らない事まで、と思いつつ、いや、下らなくてもそれをワタシが話したいのだからいいのだ、と直に思い直して、兎に角ぺらぺらと沢山お喋りをした。

自分の頭が、思いの外早周りしているのを感じる。水星は、今ワタシの情報を司る部屋に居て、この週末から(占星術的な意味で)逆行し始めた。

これまでを取り戻すように、ワタシは意欲的に人々とコミュニケーションを取る。

それから、天気も良かった事でもあるので、その新しい友人と連れ立って近くの市場まで歩いて行って、新鮮な野菜を少しとアップルサイダーを買って帰った。

このアップルサイダーはワタシのお気に入りで、この市場に行く機会があるといつも買って帰っては、翌朝からちびりちびりと飲むのである。純粋に林檎のみを絞って出来たものだから、とても濃くて旨味がある。

そんな事で、何だか得した気分になって、疲れも忘れて愉快に街を散歩して、それから夕刻になってどっと疲れが襲ってきた頃、漸く家路に着いた。

翌日、アップルサイダーをちびりちびりやりながら、更なるヴォランティアワークの計画を立て、幾つか予定を入れる。今週末は小旅行に出る予定なので、週半ばにひとつと、翌週末から主に土曜に複数の予定を入れる事にする。

その多くは家の無い人々や低所得の人々を対象にした、食事を提供するプログラムなのだけれど、特に楽しみなのは、春らしく、公園や共同庭園を奇麗に整備して何か植えたりするやつとか、また放置されていたある高校の図書館の蔵書を整理整頓して、新たにラベルを貼ったり乱本を整えたりなどするやつである。

これまでどうにもなっていなかったものをどうにかする、という作業が、何とも言えずワタシの心を沸き立たせる。


そうこうしているうち、週末の小旅行の詳細が送られてきて、俄かに気分が盛り上がる。

それはワタシの住む街から、車で大体三時間半程のところにある、小さな郊外の町である。映画の舞台にもなった、とあるクラシックな生活をする人々が住むところで、国内的には観光地なのだが、だからと言ってワタシの住む街程の大都市ではないので、きっとのんびり出来るだろうと思う。

しかしよくよく読んでみたら、どうやらワタシは純二ホンジンとして国際交流を期待されているらしいという事が判明する。

これは実は、主に外国人留学生向けのツアーだったようである。

偶々人伝に回ってきたメールで知ったので、余り深く考えず、ただ激安で例の有名な町に滞在出来るらしいという事で、ワタシにしては珍しくツアーに参加してみる気になったのだけれど、どうも様子が違う。

てっきり宿と食事付きの市内観光ツアーかと思ったのだけれど、実際はホームステイしながらイースターホリデイを家族やコミュニティの人々と共に祝う、というのが主旨らしい。

よって、市内観光が主では無いので、ホストファミリーやコミュニティの人々との交流に随分時間が取られるようである。これは大きな誤算である。

これは恐らく、ワタシにとって生涯二度目の「ホームステイ」というやつになるだろう。大学生の頃に知人宅を訪ねて以来だから、もう二昔位前の話である。いい歳をしてまたホームステイなぞをやる羽目になるとは、人生というのは分からないものである。

いや、その気になればワタシだって、日本から来たばかりの初々しい外国人を気取る事は出来るだろう。

ワタシは、お気に入りの風呂敷と手拭を持参して、いざこの誇るべき我が国の伝統文化を人々に紹介せんと思う。


・・・よく読んでみると、ホストファミリーに土産物を持参せよ、とある。

何故?(宿代は払ったのに。)

こういうところが、ホームステイって面倒。

仕方が無いので、近日中に日本の煎餅か饅頭でも見繕ってこようと思う。

イースターホリデイという事で、どうやらワタシたちは教会に付き合わされるらしい。それに相応しい服を用意せよとある。

・・・そんな事をやっていたら、荷物が増えてしまうじゃないの!

一寸機嫌が悪くなる。

露出の多いものは厳禁で、民族衣装歓迎などと書いてある。

全くどうしてこの手の似非国際交流プログラムというのは、余所の国からやって来た人々に一々民族衣装を着せたがるのだろう。それがどれだけ手間が掛かるとか重たいとかいうような、実際的な問題については、誰も頭が回らないのだろうか。ばかたれめ。

まあ土地の皆さんには申し訳無いけれども、生憎ワタシは着物セットは持ち合わせていないので、昔々の成人式の写真でも持参してあげるのが関の山である。ワタシったら、なんていい人。

ええ、いいですとも。基本的にはサービス精神旺盛な人間ですから、こんな安っぽい国際交流ごっこだって、成り切ってやってみせましょう。

(しかも実はその昔「劇団員」だった事だってあるのだから、こんなのはお安い御用。)


溜息が出る。



ところで、九州地方でまた大きな地震が起こったそうで、全くここ数ヶ月の我らが地球は、一体どうなってしまったのだろうかと、不安に慄く。

以前の大災害の折に書いたかどうか忘れてしまったけれど、ワタシはもうそろそろ順番的に関東地方に大地震が来ても可笑しくないような気がしている。

と言うのも、ここ数ヶ月の間に世界規模で幾つも地震や火山活動が続いていて、多分もう地下の地盤だか海溝だかがすっかり動いてしまっているので、これから暫く大きな地震や火山活動などが続くのではないかと思う。

・・・とすると、日本に帰るのは暫く見合わせた方が良いかな。

乱暴な言い分だけれど、日本の頭脳を海外に散らしておいた方が、こういう天災でも民族の血が生き延びてくれて良いのではないかという気もする。


・・・だからと言って、何もワタシのような者でも外に居る価値があるとかいうような話では無いのだけれども、よくよく考えてみると日本民族というのは(尤もその定義自体かなり曖昧ではあるけれども)、全世界的に見たら随分少数民族だよねえと思うので、例えばユダヤの民が民族を絶やすなと言うのなら、数的に言ったら日本の民だってそうだよなあと先日ふと思った、というだけの話である。


2005年03月16日(水) 何年か振りに春の訪れに気付く

先日の日記で「糠喜び」と書いたが、ここ数日ボスとの交信を続けているうちに、それ程糠喜びでも無く、意外とワタシに好都合に事は運びそうだという事実が判明して、今日のワタシは俄かにお祭り気分である。

ここ数年のワタシを表現すると、先の見えない長いトンネルに入り込んでもう大分経つのに、まだまだ先が見えないで不安な毎日を送っている、という感じだったのだが、これが一転して、突如目の前に「将来」という光が見えた。おお、ワタシにも「将来」というものがあったのか!ユーリカ!というような気分である。


そうか、もうこの街にも春がやって来ていたのか、とふと気付く。

そういえばこのところ普通に暖かい日が続いていた。「普通に」というのは、最低気温がぎりぎり氷点上という意味である。必ずしも暖かいとは言えないかも知れないが、この界隈的には充分春の兆しである。

ワタシは便所の窓を開けて、乾燥した室内に外の湿気を入れようと試みる。この場合必ずしも便所である必要はないのだが、これが家中で一番開け易い窓なのである。

思いがけない突風が横面をはねる。それはまだ冷たいけれど、如何にも北国の春というべきもので、そのうちこの街を出て行く日を、これまでのような夢ではなく確実に近い将来の予定として実感しながら、ワタシは暫く窓辺で風に当たっていた。それはまるで、全身、五臓六腑がすっかり洗われるような心持ちだった。

そうか、するとこれが、この街最後の春になるかもしれない。

この先どこへ行くのか、それはまだ決まっていないけれど、少なくともこの街とはもうおさらばである。この街に罪は無くて、本来それはワタシ個人の逆恨みのようなものなのだけれど、この際仕方が無い。

先日も同僚と今後の事に付いて話をしていて、この街でずっと暮らせばいいじゃないか、そもそも長い事この国に居て、今頃国へ帰ったところで再適応も大変だろう、という話になった。

確かに、この国で過ごすのに慣れてしまって、他所へ行こうというのは中々考えが及ばない。でも、この街はもういい。同僚の多くは、この街に住む事自体をとても気に入っているのが多いから、そういうと大概怪訝そうな顔をする。

恐らく人が聞いたら羨むような事なのかもしれないけれど、この街に住むのと引き換えにやって来たあれやこれやの困難や苦労は、実際ワタシの身には余るもので、今後余程大金持ちにでもなるとかノーベル賞のロウリエイトにでもなるとか、そういった事にならない限り、この街には帰って来たくないという気分である。

いや、別に金持ちになりたいと思っている訳では無いのだが、何というか、例えば「故郷に錦を飾る」とか「凱旋帰国」とかいうようなのに近い感情だろうか。いや、見栄の為でも無いのである。何しろ余程の事が無い限り、ワタシはこれまで被った色々な困難や心の傷を帳消しには出来ないだろうと思うので、これからの人生がそれを癒してくれるまで、この街は当分「蚊帳の外」に置いておきたいという事である。


という訳で、今日は思い立って、高野豆腐とじゃがいもをしいたけと昆布で煮て、久し振りに純和風なおかずを食べた。

芋以外は全て乾物で、全く大した物では無いのだが、ワタシ的メインは取っておきの高野豆腐である。

密かなお祝いで、心身共に温まる。


2005年03月14日(月) 人の言う事は無闇に信用するものではありません

ここ数日すっかり日記からご無沙汰していたのに気付く。とても忙しくて、そしてまたしても大変焦っているので、何だかゆっくり物を書くという気分になれなかったのである。

天気が悪かった所為もあるだろうが、お陰で余計に沈みがちなので、そこを何とか意欲を保っていくというので精一杯な日々であった。


しかも、この週末には、人伝に思いがけない良い知らせが飛び込んで来た、と思ったのだが、しかし結局蓋を開けてみたら、それはタダの「糠喜び」だったという事が判明して、すっかり落ち込んだ。

というのも、このところ掛かりきりのある課題があって、その締め切りがあと一週間後に迫っているのだけれど、実はワタシはやらないでも良い筈だと誰かが言うので、え?それなら他の課題にすぐさま取り掛かって、それが終わればワタシは晴れて自由の身ではないか・・・?と喜んで、俄かに計画変更を始めたのである。

だったらこの夏は思い切ってヴァケーションが取れそうだとか、それならば大陸の向こう側に居る友人の元を訪ねるというのはどうだろうかとか、彼是と思案を廻らせ、それには如何ほど掛かろうかとか、その為の準備に諸々どう進めていけば良いだろうかとか、真剣に彼是考え始めてしまったのである。

それからふと、待てよ、これは一応念を入れてボスに確認を取るべきではないのか?と思い直し、メールで確認したところ、いやそういう話があったのだが、それは来年度に持ち越しで、現行制度上は君にはこれもやって貰わねばならないという結論であるから、お気の毒、と返事が返って来たのである。


最初に話を聞いたのは金曜の夜、気晴らしに同僚らと飲みに出た時だったから、それ以降日曜の午後まで、すっかり作業は中断して、人んちで昼まで寝こけてからだらだらとテレビを見たり、それから帰宅して壁に貼り付けた予定表などをすっかり引っぺがして、用意してあった資料などももう要らないから返却すべきところへは週明けにでも返して、などと算段をしていたのであった。

貴重な週末がすっかり潰れてしまって、自業自得ではあるものの、大変後味が悪い。この遅れを取り戻さねばならないのは、かなり厳しい。



この間の木曜は魚座の新月だったのだけれど、それと射手座の冥王星が非常に角度が悪かった。情報を司る水星は現在牡羊座を通過中というか入ったばかりで、これと冥王星やここ数週間良縁が続いている天秤座の金星と水瓶座の海王星との角度は中々良いのだけれど、太陽と月との関係は良くなかった。その為に、ワタシにとっては糠喜びまたは情報の錯綜という形で、まんまとしてやられたという気分である。

やはり神はワタシを見放さなかった!とまたしても思ったところだというのに、いや、やはり神などいないのだと、改めて思い直す。人生そうはイカの金玉。


ちなみに今日(月曜)辺りは冥王星と太陽が凶角度で、何やら上下関係などで不穏な事件が起こりそうな気配である。また今週の金曜になると、冥王星と金星が凶角度というから、ワタシの元々無いオトコ運にまで更なる陰りというか冷え込みが見られるという訳である。今月はワタシにツキは無さそうである。


そういう大事な時に限ってこのような不運に見舞われるというのは、そういう運命だったのだろうか、という風に、出来るだけ客観的に解釈しようという試みなのだけれども、しかしやればやるほど自分の身が情けないというのは、遺憾である。


(注 ちなみに「イカの金玉」と「遺憾」は掛けていないので、もしかしてそういう親父好みな洒落をご期待の読者の皆さんには大変申し訳ないけれども、その旨宜しく。)

(それから、イカに金玉があるのかないのかという生物学的な問題点に付いては、ワタシの知るところではないので、ご質問は受け付けないから、その旨も宜しく。)


2005年03月04日(金) 日々是発見

先日は同僚と話をする機会があって、これは思いがけず精神衛生上大変良い効果をもたらし、お陰で今日のワタシは一寸落ち着いている。

目の前に立ちはだかる難問が、決してワタシひとりを苦しめている訳では無いという、ある意味当たり前なのだが、しかし引き篭もって作業に没頭しているうちにすっかり忘れていた事実に思い至る。そうかワタシもまた皆と同様、普通の人間であったのだ、と安堵する。

特に近頃ワタシたちの周囲を賑わせている 情報部門の新部長推挙に関する話題では、ワタシひとりの懸念かと思って控えめに言った事が、実は同様の事を心配している関係者が上層部にいる、という情報を得て、ああこれはまた一悶着起こりそうだなと、何やらキナ臭い事情を垣間見る。「とばっちり」さえなければ、個人的にはどうでも良い事ではある。

ゴシップと言ってしまえばそれまでだが、しかし情報交換というのは実際身を助ける事も多いから、やれる時にやっておくが良いに越した事はないと、改めて思う。


ところでワタシの住処の南方の空には、飛行機の航路があって、台所の窓からお湯を沸かす間などに外を眺めると、着陸態勢もしくは「魔の七分間」(だったか十一分間だったか十三分間だったか)に入ったと見られる飛行機が、徐々に高度を下げ、みるみる下降していく様が間近に見られる。

そしてそれが間も無く家々によって視界を外れ、恐らく無事に着陸したと思われる頃になると、ワタシは誰だか知らない乗客の皆さんに向かって「お帰り」と呟くのが、なんとなく習慣になっている。

きっと機内でも乗務員の誰だかがそう言っているのだろうし、また税関の気難しそうな担当官も、眼鏡越しに色々の書類を睨み付けたり、病気を持ち込んでいないかとか酒は何本入っているのだなどの厳重な質問という、一通りの関門を越えた後には、打って変わった笑顔でそう言ってくれたりするのだろう。

しかしワタシは、やはり飛行機が好きである。

本当の事を言うと、物理学がもっと出来たら操縦士になりたいと思っていたくらいで、昔は裸眼で良く見えたし虫歯も無かったし、それはひょっとすると何とかなりそうな夢にも思われた頃があった。今となっては、そのどれも無くして、全く適わない夢ではあるけれども、それでも飛行機にはなんだか思い入れがあるのである。

ここにはまだ少し、近頃の逃避思考が残っているのが伺える。

それに、何しろここはワタシの第二の祖国のようなものなので、「お帰り」と言われた時の感慨といったら無かった。

という事を覚えているからでもある。


そんな事を思いながら、昨日の残りのタイ風カレーをいざ片付けんとす。

しかしココナッツミルクの所為か、結構ボリュームがあって、一皿食べきらないうちに満腹になる。明日もまた残り物を食べる羽目になりそうである。




ところでうんこというのは、沢山すると自然に渦巻き状態になるのですね。

という事を今日発見した。

物の本によると、西洋のある国でトイレに腰掛けてする成人男性とアフリカやインドなどで野にしゃがんでする成人男性とで比べた場合、うんこの質と量に大いなる差があるそうである。

これには食べ物の質的な違いの所為もあるのだが、西洋的食事で繊維質が少なく長時間腸内に滞在していたうんこは、概して少なく硬く重たいのに比べ、豆や穀類や野菜などの繊維質を多く含む食事をして比較的短時間で消化・排出されたうんこは、嵩が多い割りにふかふかと軽いそうである。また体内に長時間あればある程、悪臭も強烈という。

そして野でスクワットした場合には、「渦巻き」確立が高いとも書かれていた。これはその方が力が入り易いので、出すべき物をすっかり出し易いとの事である。

しかし、ワタシの現在のトイレ事情は勿論スクワット状態ではないのだが、それでも立派な渦巻きが出来る事がある、というのが、この度の新発見である。

ワタシは余り肉食ではないので、普段の食事で何らかの肉片(ハムとかベーコンとか、または塊肉の一部)を食べるのは、二三日に一度という頻度であるから、全体の割合としては穀類が圧倒的に主である。野菜も心掛けるけれど中々追いつかないが、その代わり水分は良く取っているから、恐らくその辺りがワタシの便通事情に貢献していると思われる。(この手のうんこの話は、散々しましたね・・・)

しかし、穀類をある程度量を食べると、それに伴って随分大量に出るので、そうすると出し切るまでの間健康的なうんこは殆ど切れずに、便器内の形状に収まるような渦巻きが形成される、という事のようである。


ええ、つまり先日大食いをしたのです。代謝が良くてよかった。若いって素晴らしい。



2005年03月01日(火) 大雪の中、良かった事幾つか

日曜。

今日は歯医者へ行って、臨時収入があった。

そう言うと妙だけれど、まだ訓練中の学生が地方自治体の資格試験を受けるので、その為に日曜に出掛けて来てくれる虫歯持ちを探していて、あるときたまたまワタシの前歯の裏に小さな小さな、X線写真でなければ分からない程度のやつを発見したのである。

そしてそのお出ましに、日本円にして二万円相当をくれると言うのだから、貧乏なワタシは一も二も無く引き受けた。こんな痛くも痒くもないものの為におカネをくれるなんて、神はワタシを見放さなかった!と臨時信者になる。

その学生ドクターは中々のジェントルマンで、若しくは過剰に女を女扱いする輩という言い方もあるかも知れないが、しかし久し振りに若いオトコに丁寧な扱いを受けると、これは中々気分が良い。


それで得た金を手に、帰り道日本の本屋へ出掛ける。そこで前から欲しかったワタシのアイドル、林芙美子の本をふたつ買い求めた。

と言っても「放浪記」しか読んだ事がないし、日本で美少年好みの老女がやっているという芝居の方も観た事は無いけれど、専らその一冊きりの本を何度も繰り返し読んでいるのである。貧乏で旅好き、というのがワタシとそっくりで、大変好感が持てる。

今日は彼女の紀行文を集めたのを二冊買ったのだが、その中で、とても信じられない偶然を発見した。

それは、彼女が「放浪記」の印税で洋行した際、初めて巴里で滞在したのは「おてるでりおん」だというのである。それは巴里市の南方の広場に面したホテルなのだが、実はワタシにとっても、初めて巴里で泊まった思い出深い場所だったのである。

そこは確か、二つばかし星が付いていた。朝食の色々なパンがとても美味しくて、それとココアと、少しのチーズとマーマレードと、これまた美味しいバターが付いていて、日頃朝食すら摂らなかったワタシが、毎朝すっかり巴里っ子気取りで、大変気分良く過ごしていたのを覚えている。

交通の便も良くて、ただ二度目以降は流石に自腹で二つも星の付いた宿には泊まれなくなってしまったけれど、しかしとても行き届いた良い宿なので、もしまた巴里に行く事があったら是非又あすこへ泊まりたいと懐かしく思って居るくらいである。

昭和の戦中期にある作家が滞在したホテルに、平成初期に何者でもないワタシという人間が滞在した。

思いがけない接点を発見して、一寸気分が良い今日のワタシ。


おお、そういえばこの間、満月付近でうつうつさめざめとしていた頃の事だけれど、同様にして、以前好きだったある 写真家のウェブサイトを偶然発見して、思わずファンレター(メール)を出してしまった。

これも旅の本がらみの話なのだけれど、今から十数年前、ワタシがまだ大学に入る前のうら若き乙女だった頃、当時出たばかりの、黒くて細長い、わら半紙のような安っぽい紙に印刷された旅行本があった。

これのお陰で、それ以降のワタシは放浪する旅娘になってしまったと思われるのだが、その中に著者と同行した写真家が空港で万歳をしている写真があった。

髭面のおじさんの隣で、一寸だけ微笑んでいるその人を見て、ああなんて可愛らしいのかしら、こんな人と知り合えたらいいのに、などとときめいていたワタシは、それから数年経って、留学先で手にしたまた別の本の中に、当時の旅程を再現した旅の最後に映っている同様の万歳写真を発見して、更に又可愛らしくなっているその人に身もだえしながら、しかし彼は最初の世界一周旅行時に紐育でおにぎりを差し入れてくれた女性と結婚して、今ではお子様もいらっしゃる、という記述を発見して、俄かに衝撃を受ける。

それでその写真家獲得作戦はすっかり諦めてしまったのだけれど、最近偶々ネットサーフィン又の名を現実逃避行動をしているうち、偶然サイトを発見して、懐かしさがこみ上げた、という次第である。

サイトで見る麗しの君は、流石に一寸年輪を感じさせるものの、なにやら懐かしい青春時代を(勝手ながら)思い起こさせるのには違いなく、また当時のワタシが目指していたものを、配偶者以外にも既に手に入れている彼の活躍振りなどを、こうして身近に見られるというのも、中々感慨深いものである。

意外な偶然がこのところ続いていて、人生満更捨てた物ではないなと思い直す。試練の中で、時折そういうご褒美をくれたりするのが、人生というものなのかも知れない。そういう小さなご褒美的出来事が、殺伐としたワタシの生活に灯りを燈す。


月曜。

このあいだの満月期は、随分きつかった。あれは魚座の太陽と真反対の乙女座の月だったが、きっとワタシの諸々の星の位置との角度が丁度悪かったのだろう。

それに加えて、ケイローン(Chiron)という惑星(小惑星?)が山羊座から水瓶座に入ってきた。これは賊に「癒しの星」などと呼ばれていて、過去の癒えていない傷に気づきを与えたり癒したりする星だそうである。満月期にかち合うと、その影響が大きくなるので、場合によっては傷口に塩を刷り込んだりもするかも知れない。

何しろ、その時期が過ぎたら随分落ち着いてきたから、助かった。まるで予定外のPMSみたいで、ワタシも吃驚した。


そうしてまた作業に戻って、あれやこれやの資料の山に埋もれながらうんうん唸っていたら、先日思い余って二通も手紙を書いた大先輩から国際電話が掛かってきた。

思いがけない電話で、そう、電話自体最近では余り掛かって来ないから、それも思いがけないけれども、兎に角吃驚したが、彼女は大変元気そうで、よかった。

ここ数年は、母校で再び非常勤をしていると言う。特に短大の方のプログラム改変でワタシが今いる分野も視野に入っているから、帰ってきたらやる事はあるのだから、そちらで行き詰まっても心配するなと言ってくれた。

そうか、日本に帰るのか。

これまであんまり長居し過ぎて、日本に帰るという事に付いて深く考えてみた事が無かったけれど、そう言われてみればワタシはここでは一外国人に過ぎない訳で、毎年税金は取り立てられていても選挙権を得る事は一生無いだろうという、割の合わない暮らしである。母国の方が待遇が良いのは当たり前ではある。

いや、しかし、彼女と長々と(国際)電話をして、色々と話を聞いていたら、日本はワタシが知っていたよりも、更なる右傾化が進んでいるようである。待遇が良い筈は無い。

事に、女性は閉経後は勿論、結婚していても子供を産み育てないなら、社会にとって無用の長物だなどと言う不届きな男がいて、お陰で日本の女性たちは「勝ち組」か「負け組」かという、如何にも薄っぺらい日本らしい尺度だけれど、そのどちらかに括られて、それが不必要に「結婚願望」を煽っているという。

この二十一世紀の時代に、なんという逆行現象。なんという時代錯誤。そして、なんと恥ずかしげも無い、ひ弱な男たちの危機感の垂れ流し。

仏蘭西なんて、出生率増えているというのに。しかも籍入れないカップルだって多いのに。


学校から変えていかなくてはならない、女性が変わっていかなくてはならない、と彼女は言う。

ワタシもそれの一端を日本で担うのかと思うと、気が遠くなりそうである。

これらの保守化、右傾化というのは、八十年代から現在に至るまっしぐらな路線ではあるけれども、これは所謂戦後の五十五年体制というのに端を発していて、しかし実際のところは戦争で負けた事による変化などというのとは全く関係なくて、戦前から一貫して続いている話である。

これと、日本の法体制の中での「人権」とか「民主主義」とかいう欧米観念の受け止められ方などの調べ物をした時、ワタシはやり終えないうちから既に、浮かび上がってきた結論にすっかり打ちのめされ、もう日本はいいやと匙を投げたのである。当分帰る事も無いだろうし、と知らん振りを決め込んだ。

それより自分のシアワセの事を考えていたい、というのが、うら若き夢見る未婚女性としての本音である。

全体主義の国になんか、住みたくない。

でも、そこに住んでいる人もいるんだよな。

・・・


昨日翌日
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