日記...abc

 

 

- 2004年02月15日(日)

私が中学1年になる直前の春休みだった。

ひとりで駅前通を歩いていた私に、おばさんが

「寄附をお願いします」

と声をかけてきた。



「恵まれない子どもたちのためにこのハンカチを買って下さい

二枚で500円です」




私の財布には、ちょうど500円札が入っていた。私は断った。

今から二十数年前の500円である。

私には、大金であった。寄附などする気はさらさらなかった。



しかし、おばさんも引き下がらなかった。

まだ寒い春先の風のなかで、きっと何人もの人に断られてきたのだろう、

私の腕をつかまんばかりだった。

とうとう私は財布を取り出し、500円札を手渡した。



おばさんは私を拝むようにして、何度も何度も

「ありがとうございます」を繰り返した。

私が困惑するほど深々と頭を下げ、泣きそうな顔で私の手を握り

礼を言い続けた。




その晩、父にそのことを話すと、そうか、と言い、しばらく沈黙したあと

違うかもしれないな、と呟いた。


父によると、募金行為を行うときには、役所に届け出をすることになって

いるらしかった。届け出のない募金行為は、つまりは営利目的であろう、

ということだった。調べてみるか?と父に聞かれ、衝撃を受けた私は、

うなずいた。






数日後、父は「やはり届け出はなかったよ」と私に告げた。


「じゃあ、あのお金はどこへ行ったの?

恵まれない子どもたちのところではないの?」

「うーん、どうだろう。

わからないが、その人のものになったのじゃないか?

いいじゃないか、寄附したいと思って寄附したんだろう?」



ハンカチには、花の刺繍がほどこされていた。

木綿の白いハンカチ。そこに小さな花が二輪。

よく見れば、私の目にもかなり下手な刺繍であった。

あのおばさんが刺繍したのだろうか。

そして、何時間もあの風のなか、売るために立っていたのだろうか。


13歳になる年の春、はじめて大人の社会をかいまみた気がした私だった。


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- 2004年02月11日(水)

今朝私は、父を前方の雪道でみかけた。

足元を気にして少し前屈みになって歩いていた。

飛んでいって、お父さん、と言いたかった。


父は、右手の薬局に入り、私は急ぎの用事があったので

その薬局を足早に、通り過ぎた。

父の姿を横目で見ながら。





++++++

今日は、幾度も早く死にたいと思ってしまった。

切実に死を希求するわけではなく、うすらぼんやりと、

でも確かに死を考えた。



裏返して言えば、それは生を考えるということ。

そして多くの人が毎日どこかで繰り返し考えていること。



でも、私は今日は何度も繰り返し考えた。

どう死のうか。
どんな死が私に訪れるのか。
どうして生きていなきゃならないのか。



そのたびに、たぶん私より早くなくなるであろう父を想い

涙しそうになった。


そんな一日だった。


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- 2004年02月10日(火)

「子どもは親の思うようには育たないものだ」と、よく言われる。

確かにそうだとは思う。

でも私は、ある時点までは親の思うとおりに育ってしまったのかも

しれない。


///

小さなことを言えば、私の母親は、私に関して母親として気になることは

たくさんあったことと思う。



食べ物に好き嫌いがあったとか
ひょろひょろと痩せていたとか
体育が苦手だったとか
内気でもじもじした子だったとか
ピアノを習わせても一向に上達しないとか
本ばかり読んでいる、とか。




しかし、例えば進路は、母の思うとおりのコースを、私は歩んだ。

高校も大学も、母の希望の学校に入学した。

グレもせず、不登校もせず、大病もせず、無事に成人した。


成人してからも、門限を破ることもなく、犯罪も犯さず

振り袖を買って貰えばにっこり笑って写真に撮られ

お見合いしろと言われれば素直にお見合いをし

その人との結婚は反対だと言われれば、従った。





それだけでも充分、思い通りに育ったのではないか。

そんな私に、母はまだ求め続ける。



飛べば、もっと高く飛べと言われ
走れば、もっと速くと言われ
常にもっともっとを求められ
いまだに求め続けられていて
ここ数年、私は少し疲れている。


親の思うとおりに育ち過ぎたのかもしれない、と思ってみたりもする。


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- 2004年02月09日(月)

しとしと雨が好きである。

特に、夏の夕方。



昼寝から目覚めたら静かに雨が降っていて

部屋のなかがいつもより薄暗く

町のざわめきが遠くに聞こえてくるようなとき、

私はなつかしいような恋しいような気持ちになる。



何をなつかしんでいるのか。何が恋しいのか。


雨なのか。
夕暮れなのか。
ほの暗さなのか。
眠りなのか。
それともすぎゆく夏なのか。


昔飼っていたねこは、私が昼寝をすると必ず一緒に昼寝した。

私が目を覚ますと一緒に目を覚まし、なぜてやると満足げにのどを

鳴らしたものだった。


こねこだった頃、母ねこのそばで遊び、眠り、

そして優しく舐められたことなどを思い出していたのかもしれない。



私も、そうなのだろうか。


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