毎日がeveryday日記
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雪の夜を歩いてみた。誰も居なかったから大声で歌ってみた。スベらないよう気をつけてみた。
家の前の工事現場は一面真っ白だった。1人でそこを歩いた。足跡が幾つもあった。自分もそこに足跡を刻んだ。
とにかく幸せもんだった。
今年もあと1分で終わり。1年間は矢のごとしだったけれどあまり悲しくない。 これまでありがとう。 そしてみんなまたよろしく。
「この光景見たことある」
と感じることがままある。今日も突然授業中に気づいてしまった。おそらく同じ光景はありえない状況なのに何故か確実に知っていた。授業の風景が「いつかあのとき」の感触だった。
瞬間、世界が既知の姿になっていた。すぐに消えてしまったけれど。
やっぱり子供だ。もう成年期を迎えるのに。はずなのに。
好きな人にも嫌いな人にもそれ相応の態度しか示せないんだから。
あまりに小さい器に自分でも鬱屈した。
目の前の若いサラリーマンが電車の中で突然泣いた。雫が1、2粒ゆっくりと閉じた左目からこぼれていった。窓から射す光が涙の跡をしんしんと照らしていた。
彼は『君の街まで』を聞いていた。音漏れが僕にはほとんど気にならなかった。
最近のゲームの広告を見ると息が詰まる。
あまりに緻密で鮮やかで滑らかでありすぎるか。またはあまりに軽快で身近で自然体でありすぎるか。
どちらにせよその中で呼吸するには昔の空気に慣れてしまった自分には息苦しい。
それが嫌いになったのではなくて。 多分お別れの時が近づいているのだ。
2004年12月16日(木) |
状況はどうだい、と僕は僕に尋ねる |
ついに自分で1600HIT踏んでしまった。
寝れない。なんだか夜に寝ることを頭も体も忘れたみたいだ。
寝ようとすると過去の忌まわしい思い出とか先の破滅的な妄想が目にちらついてきて離れなくなる。それに働く防衛規制のせいで余計目が冴える。そんな日が予備校が終わって以来続いて悪循環が堆積しつつある。そんなに積もるほど自分の中の天井は高くないはずだからそろそろ崩壊起こしても仕方がないかもしれない。
どうして楽しかった思い出は簡単に忘れられるんだろう。昔の手作りの地図が本当に‐破り損なったのではなくて‐破いてしまったから?だからたどれないんだろうか。
「集中」とは「他のことを考えないこと」とは別な事象で対偶なのだと思う。他のことを考えないには他のことを考えないと考える自意識が働いているから。その意識をコントロールするのはおそらく不可能。入ってくる情報を拒否することはできないから脳内の情報の再構成(ようは思い出すこと)も止められない。 集中するにはそれなりに脳内に広いスペースがいる。他の事象は出てくる余裕がない。というより忘れる。それでないと集中するためのスペースが確保できない。
だから集中した後は達成感だけではなくて何か穴の空いたような不思議な快さがあるのだと思った。そんなことを考えていた一日だった。
一度客観的に捉えたモノって2度と感情を交えられない気がする。純粋なままの自分が核であり続けるのって難しい。でもだからヒトは社会的生命体にならざるを得ないのかな。それを否定したいのは自分がまだモラトリアムの中でくすぶってるってことなのかな。
とりあえず良い方向に解消したようです。よかった。もう少し日記は続けていきます。不定期になってしまうかもしれませんが。頑張ります。
今日久しぶりに書き込んだのは、こんなことで気を紛らわしたいからです。今日とある重大事件が我が家に飛び込んできました。どんな事件かは言いません。口にしたくないです。明後日その結果がわかるのです。それ次第ではもしかしたら明後日にはこの日記は無くなるかもしれません。だから今日書きました。矛盾してるけどいまは心の余裕がないです。受験なんてどうでもいいです。明後日が万事上手く行くことを祈ることで精一杯です。
いかひこ
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