人は死にたいからといって死ねるものではない。生きたいと強く願っても生きられるものでもない。だから「生かされている」って言うんだなと。生きている意味はとか生きている価値はとかそんなことをさがし求めた時もあった。でも生きている意味なんて見つからなくても当然なんだと今は思う。「生かされている」から生きている。それでいい。なら「生かされている」間は真面目に生きたい。来年は一日一日を大切に生きたい。
「思い通りにならないのが人生だから。」って悲しそうに言った君。笑顔もどこか淋しそうだった君。新しい仕事に慣れましたか?元気にしていますか?笑っていますか?君の傍にいたかったなぁ。それだけでいい。ずっとずっと君のこと見ていたかった。
友人からのメール:『「明けぬ夜はない」しきりに想い出すこのごろです。』アメリカで勉強している友人に俺がおくった言葉。「明けぬ夜はない。」これは俺自身がこのエンピツで知り合った人に言ってもらった言葉。俺自身が自ら体験した言葉。当時は本当にやばそうだった彼も今はすっかり元気です。言葉には人の心を救う力があるんだね。
「何でそんなに私のやりたいことが全部わかるの?超能力でもあるのかな?」と言われました。昨日のデートです。とても楽しんでもらえたみたいです。よかった・・・・表参道ヒルズは六本木ヒルズに比べて小さなビルでした。お店で売っているものは年齢不詳って感じかな?なかなかおもしろいところでした。相手の人は綺麗なセーターをゲットして大満足みたいでした。俺も珍しく楽しめました。ビルの中の雰囲気がちょっとよかったからです。竹下通りを歩いている若い女子高校生を眺められたのもよかったかな?なんかおっさんだなぁ。
昨日は研究室の大掃除。大掃除までに風邪がなんとかなおっていてよかった。一番年下だけに掃除をさぼるなんて無理だから。遅刻しないよう緊張しました。担当は冷蔵庫と洗った食器を置くかごと流し台。1年分のよごれってすごいです。流しの排水溝なんてどろどろでもうなんていうか見ただけで吐きそうになりました。食器を置くかごも下に黄色い水がたまっていてよくみんなこんなところでコーヒー飲んでいたなぁと。ちなみに俺は一度も飲んだことありません。このあたりが潔癖症と呼ばれる理由なのでしょうが・・・久しぶりに動いたせいか夕べはしんどかったです。でも今朝には回復していたのでよしとしましょう。今日はデートです。正確には恋人じゃないのでデートではないのでしょうが。待ち合わせの表参道ヒルズってどんなところ?相手の希望です。まぁ俺はどこでもいいんだけどね。楽しんでもらえるよう頑張ってきます。俺も楽しめるといいなぁ・・・
まだ吐き気は少しあるもののようやく復活した気がする。久しぶりにしんどい風邪?だった。皆様もお気をつけください。身体もしんどかったけど気持ちもしんどかった。情けないっていうか不甲斐ないっていう思いが強すぎて知らず知らずのうちに自分で自分を責めていた。もう少し気持ちに余裕がもてれば身体も早くよくなったんじゃないかって思うぐらい。病気の時は全力で治療に専念すべきなんだよね。ちょっと楽になるとすぐ動くからまたひどくなったような気がするんだ。でも俺の中の俺が休むのを許さないんだよね。上手くいえないけど例えば夏休みの宿題があったとして普通は8月31日までに終わらせれば(あるいは9月の提出までに)それでいいんだよね。でも俺は宿題が出るとすぐ片付けてしまわないと気がすまない。毎年夏休みがはじまる前に終わっていたような気がする。夏休みの終わりに焦るのが嫌って気持ちもあるし病気になったりして万が一できなくては大変って。で早く終わってそのあとのんびりするならそれはそれでいいのかもしれない。でも俺の場合また次の目標を自分の中で勝手に設定してそれに向かって進んでしまう。で少しでも予定が崩れるとまた自分を責めてしまう。なんだかなあって思うんだ。例えば30分時間ができたとして休んでコーヒーでも飲みたいなと思うとする。そこでゆっくりできればリフレッシュしてまた頑張れるんじゃないかな。でも俺は30分あればこれはできるはずって自分を追い込んでしまう。決して賢いわけでもない俺がなんとかここまでこれたのはこの性格によるところが大きいとは思う。だから悪い面ばかりではないよね?でも学生ならともかく社会人になってこういうことを続けていたらいずれ破綻してしまう気がする。何もかもが自分の思い通りに運ぶなんてこと絶対ないだろうし。いろんなものに追われて追われているというストレスに押し潰されてしまう気がするんだよね。どこかでわりきらないと。なまけものも困るしやたら自分を追い詰めるのもよくない。そのあたりの意識改革が大切かもって今回思ったんだ。どうなんだろうねぇ。
一時期の身の置き所のないような辛さはなくなったもののそこから一向に回復しません。お腹はすいているのに食べ物をみると食べられない。飲むのがやっとです。下痢と吐き気も相変わらず。熱もあります。起きていても横になってもしんどいし。頭痛はするし身体中が痛いし。調子に波があって今はちょっといいほうです。でこのままよくなるかと思うとまたぐっと悪くなる。先が読めない。情けないです。やりたいこともやらなければいけないことも全部ほったからしだし。どんどんたまっていくし。いつになったら治るんだろう。ノロウィルスなのかな?騒がれるだけの威力はあります。追伸メールの返信等おそろしく遅れています。もう少しお待ちください。すみません。
話題のノロウィルスに感染したかも?どこでうつったのかなぁ?やっぱり病院?ひどくしんどいです。下痢と嘔吐と高熱。喉はからからなのに水も飲めない。身の置き場がないというか右をむいても左をむいてもしんどい。おまけに身体中が痛い。こういうのわりと平気なはずなんだけど特別でした。今はだいぶ楽になりましたが・・私信です。イギリス気をつけて。すりとか多いみたいです。あと食べ物がまずいみたいなのでできれば日本食を持っていくといいかなと。インスタントの味噌汁やカップラーメンにすくわれたという話をよく聞きます。実り多き留学となりますように。
悲しいのに悲しくないふりをする。まわりに嘘をついて自分をも欺いて。心が壊れてしまうぐらいの悲しみを抱えているのになんでもないふりをする。だから心が壊れてしまうんだよ。鈍感な俺にも時々嘘が見えてしまう。わかっても俺にはどうすることもできない。ひどいことをされたのかもしれない。何度逃げ出そうと思ったことか。でも逃げ出さなくてよかった。それだけはよかったと思う。
大好きな人にあげるクリスマスプレゼントを郵送した。喜んでもらえること間違いなし!できることなら君の喜ぶ顔がみたかったけどそれは無理。自信はあるよ。君の好みは熟知しているから。俺がもらったクリスマスプレゼントは平和な日。心が平和な日っていうのは俺がずっと望んできたもの。やっと手にいれた。続いてほしいな。
叔父が風邪をひいたらしい。もともと丈夫じゃない上に術後だし。仕事のしすぎなんだよ。自分のことより患者さんのことを第一に考えるいい先生なんだ。でも家族としては・・・なぁ。昨日から吐いて吐いて吐いて水すらうけつけないらしい。脱水になってないかな。心配だけど「うつるといけないから来るな。」って言われてしまった。こんな時でも自分のことより俺のことを考えるんだよな。俺が医者なら来るなって言われても点滴もって行くのに。昔さんざん叔父にやってもらったみたいに・・・今の俺にできることは心配することだけ。役立たずだよな。
昨日も今日も腹痛に悩まされています。原因は・・・食べすぎ。美味しいからついついもうお腹いっぱいなのに食べてしまう。一昨日は夜中に腹痛で目をさまし昨日は昼間中腹痛。今も腹痛。で治るとまた食べすぎてしまうということを繰り返しています。いい加減学習しないと。銀杏の黄色が綺麗。街の電飾が綺麗。テレビのあざらしが可愛い。心に余裕ができるといろんな感動があります。平穏な日々って最高です。不安がないわけじゃないけどね。もどらないとは断言できないし。時々どきっとすることもあるし。いったん根付いた恐怖も時々襲ってくる。でもそんなことはささいなことだよね?
いつからだろう。何を食べても美味しいと思えなくなったのは・・・少なくとも家族がおかしくなってからはずっとそうだった。家に帰るのが憂鬱で恐かった。そういう思いはもうずっとあった。ここ最近調子がいい。まるで以前にもどったようだ。心配していた叔父の検査も大丈夫そう・・・らしい。今心がここ最近感じたことないぐらい軽い。凍えそうに寒い上に冷たい雨まで降っている外を歩いていても自分の心があたたかいのがわかる。クリスマスツリーが本当に美しく見える。俺の心が俺がのんびりすることを咎めない。いつもは例えばこうやってPCに向かっている自分ですら責めるのに。ずっと心の奥底にあった死にたいという気持ちも今はほとんどない。今日の夕食は本当に本当に久しぶりに美味しいと思えた。「生きてて幸せ。」って思えるぐらい美味しかった。そんなたいしものじゃないんだけどね。心が軽くなると美味しいって思えるんだね。今はなんだかおそろしく眠い。もうずっとずっと不眠症だったのが嘘みたいだ。お腹がいっぱいで眠い。なんだか子供みたいだな。でも今の俺はとても幸せです。これを読んでくれている皆さんに幸せをわけてもまだ残るぐらい幸せです。家族が元気なのは本当にいいことだね。
この人の下では働けないと思う。俺には絶対無理。こういう上司にあたった時みんなどうするんだろうなぁ?ひたすら我慢なのかなぁ。
ひょんなことから結婚している人とメールしています。リアルで知っている人。パソコンでのメールなので長いメールです。あたたかい人なので読んでいると心があたたかくなる。なかなか文才もあるので読んでいて楽しい。年齢も近いので気持ちもわかる。でもいいのかなぁって。結婚相手が知ったら嫌がるんじゃないかな。俺が真面目すぎるのかな?
1年後の演奏会でリストのラ・カンパネラを弾きたいと思っています。やっぱ最後はリストでしょ?最後はラ・カンパネラでしょ?「練習する時間もないんでしょ?」と俺の先生。まぁないといえばないけど。でもラ・カンパネラなら頑張って練習する気がする。他の曲だって簡単ってわけじゃないし。「リストのラプソディーは?あるいはため息は?それとも愛の夢?ショパンの英雄ポロネーズか黒鍵のエチュードか大洋エチュード?ベートーベンの熱情?リストのパガニーニ大練習曲6番は?」となかなかOKをくれない。俺の弾きたいのはパガニーニ大練習曲6番じゃなくてパガニーニ大練習曲3番のラ・カンパネラ。俺の技術では一年かけても厳しいらしい。おまけに俺にはむいていない曲らしい。どうしようかなぁ?先生のもう反対を押し切って弾くべきかどうか迷うなぁ。
「あなたには私の気持ちは一生わからない。」って言われました。いや、身近にダイエットしている人がいて。朝も昼も絶食で夜にほんの少しって感じ?別に太っているってわけでもない人で。なんか心配になってしまって。で「そんなに痩せなくてもいまのままで十分なんじゃない?」と言ったらそう言われました。余計な一言だったみたいです。
俺は理想の相手らしい。そんなわけないじゃない。完璧な人間なんていないよ。完璧な相手なんているはずないじゃないか。君は知らない。俺の心の中を。
また900円振り込んできた。書いては消し書いては消ししている日記だけどもう一年書きたいと思ったから。過去日記を消すつもりも今のところない。去年は辛い一年だった。その余波が今年にも及んでいる。それでも去年より今年のほうがずっと状態はいい。毎日一緒にいると案外わからないもの。もう嫌だと思う時は去年の夏ごろの日記を読む。あの頃の絶望的な毎日よりは今のほうがずっとまし。よくなっているんだなぁって。それがわかるだけでも日記をつけていてよかったと思う。