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2005年10月31日(月) 1周年&近況報告


日記を再開して1年になります。
先日もう1年分のお金も振り込みました。
この1年はいままで生きてきて一番辛い1年でした。
その辛さをこの日記に吐き続けることでなんとか過ごせました。
そんな自分勝手な日記なのに30000ヒットを超えています。
御礼申し上げますm(__)m

でいろいろ近況報告させていただきます。

<恋愛>
完全に硬直状態です。
栞は自分の将来に向かってまっすぐ進んでいます。
その将来に俺の居場所があるのかどうか全く見当もつきません。
でも俺はやっぱり彼女のことが好きなので待つつもりです。

<実験>
こちらは順調です。
今追加実験をやっていて年明けには論文の形になりそうです。
セルやネイチャークラスではないもののその次あたりの雑誌に投稿できる予定です。
ただ俺が書かせてもらえるのかどうかはまだよくわかりません。

<問題>
この1年悩まされ続けました。
今もなお継続中です。
ただ先日最低のラインは突破できました。
今は次に向かってスタートをきっていますがプレッシャーからか少し状況は悪くなっています。
辛いなぁって思います。
でも悪いことばっかりじゃないかもしれません。
少なくともこの1年で俺は少し成長しました。
いいことか悪いことかわからないけどあきらめるということも知りました。
他の人の悲しみも少しは理解できるようになりました。
もう少し頑張ってみようと思います。

<学業>
こちらは順調です。
試験もほとんどA判定でのりきっています。
試験を落としていない人が学年中で20人をきったのではと言われる中では頑張っているほうかなぁと。
まぁこれで食べていくのだから当たり前といえば当たり前かもしれませんが。

<バイト>
これも順調です。
夏前はどうなることかと思った生徒達の頑張った成果が現れ始めています。
クラスの3分の2の生徒が今回全国模試に名前をのせました。
やったね(^^)v
この調子で本番に臨んでできるだけ多くの生徒に第一希望に受かってほしいなぁ。

そんな感じです。
この日記を再開する時とりあえず1日も休まないと心に決めて書いてきました。
次の1年もなるべく休まないで書いてみたいと思います。
書かなくなると「こんなこと書いていいのかなぁ。」とか悩みだしてしまうので書くと決めた方が心が楽なんです。
こんな日記ですがまた読みにきてくださるならこんなに嬉しいことはありません。

2005年10月30日(日) 可愛い薬剤師のお姉さん


持病の治療に2週間おきに病院に通っています。
きちんと通って泣きそうになるほど痛い治療を受けているのに最近少し悪化してしまいました。
どうしてよくならないのか、まして悪化するのか先生も首を傾げています。
叔父には「ひどくなったじゃないか、何をしているんだ(`´)」と怒られてしまいました。
俺の日頃の生活態度に問題があると叔父は疑っています。
俺の生活態度が悪いのかどうかは知らないけど俺の身体に自然治癒力がないのは事実みたいです。
先生にも「普通はある程度よくなるとすっと治るものなんだけどね。」と。

であまりによくならないので新薬を試すことになりました。
薬は院外処方なので病院の外の薬局にもらいにいきます。
最新の薬ということで大学病院の近くの薬局でないとおいていないみたいなことを先生に言われました。

大学病院の前には薬局が何軒かあります。
俺はいつも一番流行っている薬局を利用します。
薬なんてどこでもらっても一緒なのですがここの薬局には可愛い薬剤師さんがいるからです。
混んでいるので長く待たされますが可愛い薬剤師さんを眺められるので全然オッケーです(笑)

窓口には薬剤師さんが3人いるのでいつもこのお姉さんにあたるとは限りません。
先日はラッキーなことにこのお姉さんでした。
俺の薬と保険証がこのお姉さんに渡った時はとても嬉しかったです。
がお姉さんはなかなか俺を呼んでくれません。
俺の薬をながめて困った顔をしています。
困った顔もとても可愛いです。

ここの薬局はとても親切で丁寧に薬の説明をしてくれるのですがどうやらお姉さんはこの新薬を知らないみたいなのです。
うつむいてカウンターの下に隠してある薬の本を調べているみたいなのですが出ていないのでしょう。
そりゃできたての新薬ですから・・・
ってこんな新薬を使って俺は大丈夫なのかなぁと思わないでもありませんが。

お姉さんが意を決したように顔をあげて俺を呼びました。
「お薬が変わりました。・・・・・」
しばらく困ったように黙ったあと「お医者さんに薬の説明を受けていらっしゃいますか?」と。
「いえ。」と言ってもう少しお姉さんの困った顔を見ていたいと思わないでもなかったのですが可哀相なので「はい、大丈夫です。」と。
俺って優しい?

にしてもこの新薬効かないみたいなんですけど(`´)


チャボさんありがとうございましたm(__)m

2005年10月29日(土) 同窓会こぼれ話


同窓会である女の子の言われたこと。

「私のお母さんはしょっちゅう電車に乗っているのを見かけるんだって。」
そりゃまぁ小学校の同級生なんて同じ駅から乗るからね。
こちらは気がつかないのに見られているってちょっとなぁとは思うけど。


「で頭のいい子ね。行動がスマートなのよ。」って。
いや、電車の乗り方に賢いも馬鹿もないと思うんだけどね。

「センスもいいのよね。スタイルもいいし。」
これは嬉しいかなぁ。
スタイルはよくないです。
褒められたことが不思議です(・・?


「時々そのままずっと後をついて歩きたくなる。」
いや、それはストーカーだから。


思わず手にもっているコップを落としそうになりました。

2005年10月28日(金) もっと自分のことを考えろ


ある人に「もっと自分のことを考えろ。」と言われた。
「このままじゃ倒れてしまうぞ。」と。

自分のことってどうやったら考えられるのかなぁ。
俺だって自分のことはかわいいよ。
例えば病気になって毎日死ぬほど苦しい思いをするとか生きたまま火に焼かれるとかそういうのは勘弁だ。
でもなぁ。
俺のことよりまわりのことが心配になるのは当たり前じゃないのかなぁ?
別に偽善者ってわけでもない。
そう思うのって普通じゃないのかな?
俺って変?

俺のまわりに自分勝手な人がいるんだ。
いろいろ言い訳はするけど結局自分のことしか考えてない。
俺はそういうの悪いとは思わない。
まわりは大変かもだけどね。
本人は幸せそうで羨ましいぐらい。
でも俺はそういうことはできないみたい。
どうしてかなぁ?

あと「こうあるべきだ。」っていう思い込みが強すぎるとも言われた。
「これをやらなければいけない。」と思うと何が何でもやってしまうって。
もっと楽に生きてもいいんじゃないって。
そうかもなぁ。
やらなければいけないということをやらないでのほほんと生きれば楽なのかもなぁ。
でもそういう俺を俺が許せない。
何の価値もない人間だからさ。
せめてやることだけはやらないと生きているって思えない。
こういう考え方も変なのかもね。

今の俺ってまわりからみるとひどく心配にみえるらしい。
俺にはどうしてかわからない。
俺が心の一番奥で思っている「最後の手段」は誰にも話していない。
それがあると思っているからそれを選ばないで毎日を生きていけるんだ。
今の俺にはとても必要な考え。
そういうふうに思っているのがなんとなくまわりに伝わってしまうとか?
そんなことはないと思うんだ。
第一俺はその手段は選ばないしね。

もっと強くならなきゃ。
多少のことではゆるがないような強い人は無理としてもさ。
せめて強いふりでもいいからそういうふりができる程度に、まわりを不安にさせない程度には強くならなきゃ。

2005年10月27日(木) 恋愛中枢はやっぱり壊れているみたい


11年ぶりの同窓会。
変わっている人もいて変わらない人もいて。
いろいろだったなぁ。
名前のわからない人もいて「貴方はどなたですか?」と聞くわけにもいかず適当に話をあわせるのはきつかった。

女の子3人にメアドももらって「気が向いたらメールちょうだい。」なんて言われたけど。
「ありがとう。」ってもらって本当は俺のメアドも渡さなきゃいけないんだろうなぁと思いつつ気がつかないふり。
もらったメアドはまだ財布の中。
必要ないけど捨てるというわけにもいかず・・・

前より可愛くなっていた子もいたし性格がよさそうだなぁって思う子もいたし。
話していて楽しい子もいたし女らしいなぁって思う子も。
ビールついでくれたり料理をとってくれたりソースまでかけてくれたり「つきあっている人いるの。」って聞かれたり。
そういうの楽しくなかったといったら嘘になる。
でも誰をみても何も感じなかった。
まわりはもりあがっていて次々「恋人募集中です。」なんて宣言して。
やっぱり俺の恋愛中枢は壊れているらしい。

会自体ももりあがって次回の幹事もすんなり決まり5月ぐらいにまたやるらしい。
みんなまた参加する気満々だったなぁ。
俺は・・・出たくないけど断れるかなぁ。

大阪から来た人と話せたのが一番楽しかった。
彼を東京駅まで見送るという口実で2次会をパスできてほっとした。
でも帰りに東京駅に送っている時に聞いた話は・・・なぁ。
みんないろいろあるんだなぁって思ってしまったよ。
「聞いてくれてありがとう。」ってお礼を言われたけど俺何も言ってあげられなかったからなぁ。

翌日珍しく栞から電話。
「次の同窓会出るの?」ってなんとなく嫌そうだったのは多分俺の自惚れ。
「出ないよ。」って言ったらほっとしたような気がしたのも俺の思い過ごし。
思い過ごしでもなんでも少し嬉しかった。
同窓会ちゃんと断れるのかなぁ。
出ることになったら栞にどう言い訳しようなんて心配している俺は大馬鹿者だね。

2005年10月26日(水) こんなのは相談じゃない


「話を聞いて。」と言う。
わかってる、話す相手が俺しかいないことは。
「相談にのって。」とも言う。

でもこんなのは相談じゃない。
少しでも俺が相手の答えてほしいことと違うことを言おうものなら大変なことになる。
地雷を踏むのが嫌だから黙っていると返答を促される。
こういう時に恐怖を感じる。

相手が言ってほしいことがなんとなくわかる場合もある。
でもそれは違うなって思ってしまう。
どうでもいい相手なら口先だけであわせることもできる。
でもどうでもいい相手でない場合は、そしてそれが相手にとって重要なことであればあるほど、口先だけのことは言えない。

だんだんお腹が痛くなってくる。
夕べはお腹がズキンと痛み始めた。
幸いすぐおさまったけど・・・

この程度のことでお腹が痛くなるのは俺の弱さだ。
なんて情けないのだろうと思う。
社会に出た時生きていけるのだろうかとも思う。
でも自分でもどうしようもないんだ。

ある人は俺に言う。
「今が大切な時だから辛抱するしかないよ。」と。
「本当にそう思っているわけじゃないんだよ。わかるだろう。」と。
「せめて一週間に一日でもいいからこの家から離れろ。そうすればまた頑張れる。ゆっくり休むことも必要なんだよ。」と。

確かにそうかもしれない。
でも相手は俺にそれを望んでいない。
出ることになったらまたいろいろ騒動が起こる。
あえてそれでも家を出たとして俺は他の人の家でお世話になってゆっくりできるのだろうか?
俺はそういうの苦手なんだ。
できることなら誰にも会わなくてすむようなところでゆっくり眠ってみたい。

2005年10月25日(火) 矛盾している


昨日検査の結果を聞きに行った。
待っている間落ち着かなかった。
「異常はありません。」と言われてとてもほっとした。
思わず「ありがとうございました。」って笑顔で言ってしまうほど嬉しかった。

いつもいつも思っていたはずだった。
いつ死んでもかまわないと。
でもそれは俺の本音じゃないんだろうなぁ。
そう思うことでいろんなことから逃げ出したいだけ。
死にたいわけじゃないんだ、きっと。

もしも検査の結果が最悪だったとしてその時俺はそれをそのまま受け入れられない気がする。
ましてや「これでやっと死ねるんだ。」って喜んだりはしないと思う。
きっと生きるために見苦しいぐらいジタバタすると思うんだ。
矛盾しているよね。

家に帰るのが嫌なんだ。
いいようのない恐怖がある。
背筋が凍りつくってこういうことかな。
何も怖がることなんてないはずなのに。
矛盾しているよね。

不安も心配も全て捨てたはずだった。
なるようにしかならないとあきらめたはずだった。
それなのに気がつくとどこかで希望をもっている俺がいる。
期待してそれがかなわなくて絶望している俺がいる。
なんで同じことばっかり繰り返すのかな。
俺って馬鹿だよな・・・

2005年10月24日(月) 検査、検査、再検査


検査に追われている。
今日は某病院に検査、その後別の病院で痛い治療、その後別の病院に検査の結果を聞きに行く。
なんでこんなに病院がばらばらなんだろう。
同じ病院ならいいのに。
その間に頼まれた仕事もしなければいけない。

「1度胃カメラも飲んでおいたほうがいいんじゃない?」とか言われるし。
先週某検査にひっかかって「再検査したほうがいいですよ。」とか言われるし。
それを叔父に話すと「俺がみてやるからレントゲン写真もらってこい。」だって。
なんか頼みにくいんだよね。
でもあまり何度もレントゲン写真撮るの嫌だし・・・
胃薬飲むのやめていたら「勝手にやめるな。」って怒られたし。

来週また別の検査の結果がでるんだよね。
この検査自信ないんだ。
結果を聞きにいくのが怖いよ・・・

2005年10月23日(日) 入院中の感想


HCUは個室だった。
かなり広めの部屋にベッドがひとつ、機械がいくつかとトイレがあった。

叔父は俺がベッドに横になるのを見届けて「明日の朝また来るから。」といって帰っていった。
俺は身体に心電図の機械とかをつけられた。
若い看護婦さんにあばらの浮いた胸をみられるのは恥ずかしい。
可愛い顔をした看護婦さんだとなおさらだ。
いやーかなり可愛い看護婦さんだった。
女医さんに美人は少ないが看護婦さんに美人が多いというのは何故だろう?

現れた先生に「痛みはどうですか?」と聞かれる。
30過ぎといった感じの先生だ。
マスクと眼鏡のせいで顔はよくわからないが目が優しそう。
「点滴の中に痛み止めははいっているけどこれが効かない時はもっと強いのをいれるから我慢しないでいってね。」と言ってくれる。
あと「眠れるかな?眠れないなら薬だしてあげるからこれも遠慮しないでいいいよ。」と。
「僕はやることがあって一晩中起きているからいつでも呼んでくれていいからね。」とも。
昼間も仕事がある上に徹夜で翌朝も仕事なんて医者というのは大変な職業だなぁとか思う。
俺につとまるのだろうか・・・と不安になった。

部屋は明るく(HCUは消灯しないらしい)看護婦さんは頻繁に来るし確かに寝にくそうな部屋だった。

が痛みがだいぶおさまってきた俺は眠くて仕方なかった。
あれほどほしかった睡眠薬にもちっとも心動かされない。
ここのところの不眠症が嘘のようだった。
「ここは家じゃない。」ということがこんなにも心を軽くするものなんだろうか?

この後は退院するまでの2日間俺はほとんど眠っていた。
看護婦さんが検温にきたりお医者さんが回診にきて起こされてもまたすぐ眠れた。
目がさます度に自分の家じゃないということがとてもとても嬉しかった。
とにかく寝て寝て寝たおした入院だった。

退院して叔父に言われた。
「この程度ですんでよかったなぁ。俺はもっとひどいことになるんじゃないかってずっと心配していた。」と。
もっとひどいって叔父はどんなことを想像していたのだろう。
あと「もうこれ以上お前の苦しむところはみたくない。」とも言われた。
ごめんなさい。
俺は多分叔父が想像するほどは苦しんでいないと思う。

この入院騒動があって俺も精神的に少し変わった気がする。
こんな馬鹿馬鹿しいことはもう繰り返したくない。
生産的じゃない。
だからいろんなことを言われてもその言葉を極力聞き流すことにした。
相手には悪いけどその言葉と自分を照らし合わせて自分の悪いところをなおそうとかそういう気持ちもまったくなくなった。
相手の気持ちを理解しようとつとめることもやめた。
逃げかもしれないけど今後こういうことは避けようと思ったんだ。
俺が倒れても誰も喜ばないし何のいいこともないんだから。

2005年10月22日(土) HCUって一泊いくらかかるんだろうと不安になった


深夜の道路はすいている。
あっという間に病院にもどってきた。
今回は救急の受付の前で降りる。
叔父が駐車場にとめにいっている間受付のソファで座って待っていた。
受付のおじいさんがわざわざ部屋からでてきて「大丈夫ですか?」と。
よっぽど重症に見えたのだろうか?

叔父に連れられてもう一度大部屋へ舞い戻る。
なんだか恥ずかしい。
看護婦さんが出てきて問診され血圧、体温を測りパジャマに着替える。
この時叔父に「ホッソいなぁ、いつのまにそんなに痩せたんだ。まるで骸骨じゃないか。」と言われかなり凹む。
骸骨は嫌だ(`´)

また研修医の女医さんが現れて苦戦しながら俺に点滴をする。
この中に痛み止めが入っていると思うと嬉しくなる。
点滴が冷たくて腕がしびれるがそんなことはささいなことだ。

いつのまにか車椅子が用意されている。
「歩けるから。」というと叔父が「いいじゃないか。俺が部屋まで押していってやるよ。」と車椅子を押してくれる。
叔父が連れて行ってくれた先はHCU(High Care Unit)だった。
そこまで重症と思われたのだろうか?
「ちょっと待ってよ。入院費用はいくらになるんだろう?」と怖くなった。

2005年10月21日(金) 神経性胃炎


血液検査がすんだらいつのまにか白衣に着替えた叔父が現れて超音波。
「何だ、このボロボロの機械は?ちっとも見えないじゃないか?」と驚いている。
こちらは痛いお腹を何度も押さえつけられてかなり苦しい。
「胆石はないなぁ。腎結石もなさそうだ。全部綺麗だ。となると胃か。」と言われる。
その後レントゲン。
レントゲンのお兄さん?は「お腹が痛いの?立てる?」ととても優しい。
なんか子供になってあやされているような変な気分。
まぁ怖いよりはいい。
立った写真と寝た写真を撮る。
お腹にかけたタオルがよく見ると血がついているところが救急らしい。
その後尿検査。

結果があっという間にでるのが救急のすごいところ。
深夜に頑張っている技師さんがいるんだろうなぁと思う。
尿はタンパクが出ていたもののレントゲンも血液検査も異常なし。
腸の持病が原因なら血液検査の白血球が増えているはずだから腸でもない。
女性なら婦人科系の病気も考えられるが俺は当然それもない(笑)
後は胃カメラだけど深夜に飲むほどの緊急性もないしなぁと。

というわけで最新の強力な胃薬を2種類飲むことになる。
叔父がどこからか水を買ってきてくれるものの水なしでも飲める薬だ。
でもせっかく買ってきてくれたのだしと思い冷たい水を飲むとまたお腹が痛み出す。

ボツボツ患者さんも来る。
一人目はおじいさん。
見た目は元気に歩いている。
でもどこか悪いんだろうなぁ。

二人目は若い?女の人。
睡眠薬とお酒の併用。
心療内科を退院したばかりでついついうれしくなってお酒を飲んだ後睡眠薬を服用したらしい。
看護婦さんに「いくら嬉しくてもそれはやっちゃだめ。」と怒られている。
ただODとかのように薬を飲みすぎているわけではないので胃洗浄とかはしなくてすむらしい。
点滴をしたらおうちに帰れると説明されていた。
カーテンで仕切られているからお互い顔は見えないけど話は筒抜けだ。

で俺の方は「帰るか?それとも入院するか?」と叔父に聞かれて「やることもあるし帰らねば。」と思う。
「痛みだけは傍ではわからないから痛いなら遠慮するな。」とも言われる。
痛み止めを1本うってほしいと言うとそれは入院しないとできないと言われる。
きつい薬になるから後で何か起こった時に入院していないと対処できないらしい。
「胃薬が効くかどうか俺の部屋ででも横になって様子をみるか?」と言われるもこれ以上遅くなって叔父の睡眠時間を削るのは申し訳なさすぎるので「平気だと思う。」と答えてしまう。

で叔父の車に乗り込んでふっと自分の家が頭をよぎる。
その瞬間「帰りたくない!」って俺の中で何かが叫んでお腹がかつてないぐらい痛みはじめる。
俺の心の弱さが今回の痛みの原因かもなぁと思うと情けないを通り越して馬鹿馬鹿しい気がする。
「家に帰らねば。家に帰りたくない。お腹が痛い。朝まで耐えられるだろうか。でもこれ以上叔父に迷惑をかけたくないからここは帰るべき。入院はお金もかかる。我慢せねば。」と思う。
走り出した車の中でしばらく我慢するものの痛みはおさまらない。
「この痛みを朝までは我慢できるか自信ないし第一朝になったら病院に引き返すだけだ。」と思い叔父に「やっぱり入院したい。」と申し出る。

叔父が一瞬いらだったように見えた。
無理もない。
それをみてやっぱり家に帰ろうかなぁと、一晩ぐらい我慢しようと思った瞬間車はUターンして再度病院に向かっていた。

この時俺はどうしても家に帰りたくなかった。
家にいるというストレスが、というよりある人と一緒にいるということが今回の胃痛を引き起こしたらしい。
俺の身体って馬鹿だよなと思う。

2005年10月20日(木) 深夜の救急病院その1


深夜の救急病院ってどんなところかなぁと思っている人もいるのではないかと思うので書いてみようかなと。

お腹が痛くなり始めたのは夕食を食べてしばらくしてから。
いろんなことを言われ続けていた。
復帰後はじめて頑張った大仕事の結果があと2日でわかるという日だったから相手の不安やいらいらも絶頂だったんだと思う。
仕方ないなと思っていた。

突然ズキーンとおへその下あたりが痛んだ。
最初は腸にある持病のせいかなって思った。
睡眠不足な上に身体が疲れると腸がすぐ炎症を起こしてしまう。
今度炎症を起こしたら手術だからねと何度言われたかわからない持病だ。
今までの経験からとりあえず動かないでじっとしてみた。

しばらくすると痛みがおさまったのでそろそろと動き始める。
するとまたズキーンとお腹が痛み始める。
いつもの腸にしては少し変だなぁと思いはじめた。
吐き気がしないし熱もでていない。
痛みはかなり激しくて痛んでいる間は立つことも困難なぐらい。
「ウッ。」と思わず声がもれてしまうほどの痛みだった。
間欠的で10分間隔ぐらいで痛みがくる。

とにかく痛みがおさまっている間にやることをやって風呂にも入った。
薬は迷ったけど多めの痛み止めと胃薬、腸の持病なら効くはずの抗生剤も多めに投入。
どれかが効いてくれるといいのになぁと願いつつベッドに入ったのが10時。

痛みはおさまるどころがひどくなってくる。
飲んだ薬もちっとも効かない。
これは胆石か腎結石かもと思い始める。
この時点で痛みの中心はやはりおへそのあたりなので胃とは思わない。
痛む範囲はだんだん広がって右は肩あたりまで左も脇のあたりまで貫くような痛みが走る。
これは間違いなく一晩中痛むだろうなぁと思いこれ以上痛くなると耐えられない気がし怖くなり始める。

しばらく迷ってとにかく身体を起こそうと思うものの起こせない。
這うようにベッドを抜け出して叔父に電話をしたのが11時。
叔父は1日ハードな仕事をこなし疲れきっているにもかかわらずこういう時決して嫌な顔をしない。
もう風呂に入ってパジャマに着替えて寝る準備までしていたらしいのにすぐ駆けつけてくれた。

その間に服を着替え保険証、診察券、携帯、お金を用意し入院かもと思い下着とパジャマも用意する。
少し吐き気もあったので万が一叔父の車を汚してはいけないとビニール袋も用意する。

叔父の車の後部座席に横にならせてもらう。
お腹の痛みについて叔父にいろいろ聞かれるが痛んでいる時は思わずもれそうになる声を抑えるのに必死で返事すらできない。
深夜の高速はすいているのか叔父がすごい勢いで車を走らせているのがわかる。
このままどこかにぶつかったら助からないかなぁとか思う。
それでもいいかなとも思うが俺はともかく叔父まで巻き込んでは申し訳がたたないからそれはマズイよなぁとか変なことを考える。

あっという間に病院の駐車場につく。
駐車場から病院までのわずかな距離が辛い。
お腹が痛くない時は普通に歩けるのだが(ついついお腹をかばってそろそろ歩いてしまうけど)痛くなるとしゃがみこんでしまいそうになる。
叔父は何も言わないでも気付いてくれるみたいで立ち止まって痛みがおさまるのを黙って待ってくれるのがありがたかった。

深夜の救急病棟の入り口にはおじいさんが1人。
診察室の受付には男の人が2人。
後でわかったことだが1人はレントゲン技師さんだった。

診察室には個室が1つと大部屋にはベッドが3つ、あとはレントゲン室。
部屋の隅には超音波等いろんな機械が乱雑に並んでいた。

患者さんは誰もいなくてとりあえず一番奥のベッドに横になる。
若い研修医の女医さんが現れ採血される。
こんな深夜に仕事とはいえ大変だなぁと思う。
血管が細い俺の腕からはなかなか血が採れないみたいで何度か針を刺されるがそんなのはお腹の痛みに比べれば蚊にさされた程度のものだ。

いつも思うことだけどこうやって救急に飛び込んで俺としてはまず痛みを止めてほしい。
でもやることはまず検査。
検査が終わらないと痛みを止めてもらえない。
この間がとても辛いんだ。
なんとかならないかねぇ・・・

2005年10月19日(水) もしかしてやきもち・・・なんてありえないよな


「○○さんと○×さんだっけ?」
えっ、どうして知っているの?
そうか、俺の携帯で遊んでいたからその時メールみたんだな。

「同窓会だよ。」
俺にとっては小学校卒業以来はじめての同窓会参加。
参加するつもりなんてなかったんだけど俺に会いたいとわざわざ大阪から出てきてくれる人がいるから仕方なく参加することになった同窓会。
女の人の参加が男の2倍と聞いてますます行きたくなくなった同窓会。
いいところに座れなくて万が一女の人に囲まれたりしたら本当に困ってしまう気がする。

「出るしかないんだよ。友達が大阪から僕のために来てくれるからさ。」
「ふーん。」と栞。
「メールの数多くない?」
そうかな?
「なんかひっかかる。」ってもしかして妬いてくれてるとか?
なんてそんなことありえないよな。

あーあ、それにしても気が重い。
同窓会出たくないよ。

2005年10月18日(火) 悟ったのかあきらめたのか?


心理の専門家に言われた言葉。

「とても真面目な性格です。」
「何事もきちんとやり終えないと気がすまないタイプでしょ。」
「対人恐怖症があるでしょ。」

他人からみた自分。
俺ってそんな人間かなぁ。
不真面目でいい加減で怠け者なんだけどね。
対人恐怖は残念ながらある。
さすが専門家、よく見抜いたなって思う。

その人の判断によると俺はとても心配な状態だったらしい。
あの頃は心の中が大荒れだったからなぁ・・・

でも今は大丈夫。
最近悟りを開いたような気がする。
違うのかな?
悟りじゃなくて単なるあきらめかもしれない。

夢があったんだけどね。
やっとあきらめることができた。
こだわらなくてもいいよなって思えるようになった。
自分に関する願望なり欲望はほとんどなくなったと思う。
こういうの悟りっていうのかな?

なげやりっていうのかもしれない。
でもきちんと真面目にやることはやっているから。
なげやりも違うかな?

いろんなこと言われてすごくきつかった。
俺ってこんなに言葉に弱いのかなって情けなく思うぐらい。
やりたくないこともやった。
自分のことを奴隷のように感じて泣きたくなった。
心が勝手に浮いたり沈んだりして抑えがきかなくてまいったよ。

でも今はそれもない。
俺に言葉をぶつけることで気が晴れるなら気がすむだけどうぞって感じ。
俺でできることなら何でもやりますよってそんな感じ。
のわりには時々お腹が痛くなる。
心と身体は別なのかなぁ?
それともお腹が痛いのは精神的なものじゃないのかなぁ?
相変わらず家に帰るのも怖い。
自分でもどうしてかわからない。

もう希望はもたないっていうかもてない。
ある意味現状をやっと受け入れることができたってことかな。
このままでもいいやってね。

それとともに怒りとか悲しみとか焦りとか不安とかそういう気持ちも消えてしまった。
ついでに死にたいとか消えたいとか思っていた気持ちも消えた。
無の境地ってこんな感じ?
なんか微妙に違う気もするけどね。

2005年10月17日(月) 一度でいいから言われたい言葉


パジャマ姿でボサボサの髪でよれよれの時言われた言葉。
「どんな格好でも綺麗だなぁ。」と。

男で綺麗って形容詞の使いかたがおかしいよね?
っていうか一度でいいから「男らしい」とか言われてみたいなぁ。

2005年10月16日(日) いいことバトン

チャボさんからもらった「いいことバトン」。
そうだなぁ、俺もバトンもらうの嬉しいかも・・
つながっているような感じがいい。

《今日あったいいこと》
友達がだいぶ元気になっていたことかな。
久しぶりに大学で会ったんだ(昨日の話ね)。
いや、そのうち遺書とか書くんじゃないかって心配していたからね。

《最近数ヶ月の間にあったいいこと》
やっぱ実験が上手くいって教授に褒めてもらったことかな。
論文書かせてもらえるかもって思えたのも嬉しかったな。
ただまたいろいろあってね。
教授の知らないところでいろいろ動いている人がいるからまだよくわからない。
どうなるんだろうなぁと思うけど俺にはどうしようもないことだから。
言われたことに従うしかない。
喧嘩するわけにもいかないからね。

あとは手伝っている仕事が一山越えたことかな。
でもまだまだ先が長いんだ。
とりあえず今週と11月半ば。
でも今回の山越えはありがたかったなあ。

《あったらいいなと思うこと》
俺はチャボさんみたいに大きく物事をとらえて書けないなぁ。

とりあえず仕事で今週と11月の山をのりきってその後も・・・
大変だなぁ・・・

論文は・・・
そうだなぁ。
できれば書かしてもらいたいなぁ・・

言えばきりがない。

教え子達が受験なわけで。
泣いた顔はみたくないなぁとか。

俺って多くを望みすぎだね。


このバトン次にはまわさないけど・・・
誰か拾ってくれると嬉しいなぁ。

2005年10月15日(土) 人として器が小さい


「自分を犠牲にして他人の幸せを願うタイプ。」だって心理の専門家に言われたことがある。
なんだよ、それって思う。
俺はそんなご立派な人間じゃない。
いや、こういうのご立派でもなんでもないのかな?

自分がないんだろうなぁ。
ホント自分なんてどうでもいい。

のわりには我慢するとお腹が痛くなる。
どうでもいいというわりにはお腹がすごく痛くなるのは嫌だ。
しくしく痛いぐらいはいいけど病院に駆け込むとかは面倒だしお金もかかるから嫌だ。
この前の入院だって2万円もかかってしまった。

わかっているんだ。
何を言われても俺が聞き流せば全部丸くおさまるってこと。
相手も俺しか言う相手がいないということも。
余裕がなくて追い詰められているということも。
本音じゃないことも。
我慢しなきゃいけないことも。
俺って言葉に弱いのかな?

どうして聞き流せないんだろうな。
聞き流しているつもりなのにどうしてお腹が痛くなるんだろうなぁ。
俺の度量の狭さだね。

美味しいコーヒーが飲みたいなぁ。
とめられているから飲んでない。
飲みたいなぁ・・・

2005年10月14日(金) そう言われてなんかショックでさ


どうやら俺は反応が速いらしい。
一緒にいると緊張するって言われてしまった。
相手が何か言った時すぐに相槌なりなんなりの反応があるんだって。
その反応が速すぎるって。
あと何をするにも俺のスピードって速いらしくてついていくのに必死だって。

そう言われてなんかショックでさ。

だからゆっくりしようと思ったけどゆっくりすると今度はすごく疲れてしまう。
どうしたらいいのかな?

2005年10月13日(木) バラが18本


まぁ11日は俺の誕生日でした。
これで俺も23歳です。
もうおっさんだなぁ(笑)

っていうか大学で久しぶりに高校の同級生に会って驚いたよ。
だっておっさんなんだもの。
そうか、俺もそんな年なんだなぁ・・・なんて思ったよ。
おまえはって?
この前社会人に間違えられました。
考えてみれば社会人でも不思議はない年齢です。

で一昨日花束なんてもらってしまった。
ピンクのバラばかり18本。
どうして18本か謎なんだけどね。
俺は18歳って?
あつかましい。

男が花束もらって嬉しいのかって話なんだけどね。
大体俺には似合わないしさ。
帰りの電車の中とかなんか見られているような気がして恥ずかしかったよ。

まぁくれた相手が好きな人だったから。
毎日せっせと水をかえて眺めています。

いずれ枯れてしまうんだけどね。
その時はなんだか悲しくなるんだろうなぁ。

2005年10月12日(水) 会ってきた


栞に会ってきた。
大学の近くの喫茶店。

今研究が楽しくて仕方ないんだね。
発見したらどんな名前をつけようかなとか目を輝かせている君もとても可愛いよ。

なんだか研究に君をとられてしまったような気分だよ。
もともと僕のものじゃないのにね。
まぁ他の男性でなくてよかったなとか思ったことは内緒だね。

気長に待つことにするよ。
君が研究以外のことを考えられる日をね。

まぁその時君がこちらを向いてくれるとは限らないところが悲しいけどさ。
でもやっぱり君しか考えられないから待つことに決めたよ。

2005年10月10日(月) 骸骨は嫌だ


救急にとびこんで結局入院になった時。
叔父の前で裸になってパジャマに着替えた。

叔父が俺の裸をみて・・・そんなもの見るな(`´)
「ほっそいなぁ。」と。
「まるで骸骨じゃないか。」と。
「おまえいつのまにそんなに痩せたんだ。」と。

細いぐらいはいい。
でも骸骨はキツイ。

マジで骸骨は脱出したいと思う。
できるだけ食うようにはしている。
でも増えないんだよね。
むしろゆっくり減っている。

お昼に何を食べよう。
量が少なくてカロリーがあって胃に優しくて元気のでるものってないかな?

骸骨は嫌だ。
マジで嫌だ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私信です。
Tさんへ
日記の中からメッセージありがとうございましたm(__)m
おかげさまで胃の調子もだいぶよくなりました(^^)v

2005年10月09日(日) 年収1億?


大学で高校時代のバンド仲間に会った。
今大学を休学してベンチャー企業で修行しているんだそうな。

彼の最初の夢は歌手。
次が俳優(ハンサムなんだよね)。
でもって今はベンチャー企業の社長みたい。
世の中は金が全てだみたいな色に染まっている。
おまえいったいどうしたの?って感じ。

高校時代の同級生が年収一億らしい。
だいぶ前に月収100万とかいうのは聞いていたけど。
大学生ながら会社を立ち上げて今は「1億儲けるか3000万円損するか?」みたいな仕事をしているんだそうな。
この前の選挙でも自民党と手を組んで大儲けしたらしい。
裏の世界にも通じていてかなり危ないこともやっているみたいで俺としては「?????」って感じ。
ただバンド仲間の友達は彼のことを尊敬というかあこがれているというか。

で俺に「おまえも開業とかしてバンバン儲けろよ!」と。
「おまえにはもっと夢をもってほしいんだ。」と。

悪いな、俺には俺の夢というか希望がある。
俺は金を儲けるために医者になるわけじゃない。
金は生活するのに必要なだけあればいい。

俺はそういう生き方はできないよ。
まぁベンチャー企業の社長なんてやれと言われてもそんな度胸も才覚も持ち合わせていないんだけどね。

2005年10月08日(土) ストレスに弱い身体?


なんだかストレスに弱い身体になってしまったみたい。
かなり困っている。

昨日も忙しかった。
朝から走り回らざるおえなかった。
が・・・なんかいつもと違う。

嫌なことをやろうとすると胃がズキンと痛む。
嫌なことを言われても胃がズキンと痛む。
会いたくない人に会うだけで胃がしくしく痛む。
考え事をしていても胃がしくしく痛む。
それだけじゃない。
飯を食うのも油ものとかだと胸焼けがひどい。
食べ過ぎても痛むしあまり空腹でも痛む。
コーヒーやお酒はとめられているので飲んでいないが冷たい飲み物ですら胃に響く。
当然食事量は減ってしまって体重は減り気味だしふらふらするし身体もだるい。
半病人状態だ。

そんなこと気にしないでどんどんいろんなことをやればいいのかもしれない。
でも万が一またあんなに痛くなったらと思うと俺は弱虫だから怯んでしまう。

今回胃カメラは飲んでいない。
飲むのは大変だしどうせ飲んでも治療方法は一緒だからってお医者さんに言われたから。
でも来週飲んでみようかなと思っている。
胃癌ということはないと思うけど潰瘍ぐらいできているかもって思うんだ。

今日も忙しいんだ。
頑張れるかな、俺?

〜〜〜〜〜
メッセージ、BBS、メール等ありがとうございました。
返事は遅れそうです。
いつも遅くてすみませんm(__)m

2005年10月07日(金) 教授面談


今回のは結局「ストレス性胃炎」というものらしい。
痛かった。
とにかく七転八倒した。
周りは「あまり痛そうにはみえなかったから違うのかなぁ」と思ったらしいけど。
見栄っ張りだから人前では平気なふりをしてしまうんだ。

夜中に病院に連れて行ってくれなんて迷惑がかかることは頼みたくなかったけど今回だけは耐えられないっていうかこれ以上ひどくなったら耐えられないと思った。
多分この日記を読んでくださる人にも無縁の病気ではないと思うので詳しい経過はゆっくり書きます。

教授面談は思いっきり褒めていただきました。

「学生とはとても思えない質の高い実験だよ。」
「よくまとまっている。」
「これで十分学位がとれるよ。」

論文も書かせてもらえるみたい。
嬉しい。
ホント頑張った甲斐があったなぁって思うよ・・・

2005年10月06日(木) 退院

これから退院。
まだ少し痛みがあるのがちょっと不安。
これから薬をもらって会計して一度家に帰って。
資料を持って大学に行って少し勉強して教授面談。
緊張する。
その後家に帰るのか怖い。
考えただけでお腹が痛くなる気がする。
俺ってこんなに弱かったっけ?
情けない・・・

2005年10月05日(水) 入院2日目

いろいろ検査するものの未だに原因がわからない。
胃じゃないかということみたい。
検査以外の時間は狂ったように眠っている。
いくら眠ってもまだ眠い。
不眠症だったなんて嘘みたい。
少し疲れがたまっていたのかな?
明日は教授面談。
行けるかな?

2005年10月04日(火) 入院

夕べひどくお腹が痛くなって救急に駆け込みそのまま入院。
いろいろ検査するも原因不明みたい。
ストレス性胃炎とか?と言われている。
大分よくなったからすぐ退院できそう?
ストレスであんなにお腹が痛くなるものかな?

2005年10月03日(月) 俺達やっぱりだめかもなぁ


土曜は気が狂ったような一日だった。
とりあえず土日でつくりあげなければいけない書類が一つ。
それ以外にとても大事な仕事が・・・
本人はいらいらして俺はあたられっぱなし。

「てきぱきしているところがいらつく。」
「論理的なところが腹が立つ。」
「そんなにすぐ反応しないで。」
「相槌の打ち方が気に入らない。」
「どうして黙っているの。」
俺が何をしても何を言っても怒りの対象にしかなっていない。

でもそんなこと気にしている暇もなく書類を作って一応土曜の予定が終わったのが3時。
いや本人もすごく頑張ってはいたけどさ。
それから大学に行って細胞の世話をして待ち合わせて土浦へ。

すごかったよ、花火は。
要するに来年はどこで誰が花火を担当するか決める競技会なんだ。
だから一発100万円とかの大玉をおしげもなくあげていく。
ここに行くと他の花火大会にいけなくなるというのも頷けた。

でも混んでいて混んでいて。
特に帰りはひどかった。
俺としては途中で切り上げて帰りたかったけど彼女に最後まで見たいって熱意があったからやっぱり尊重しないとね。
のろのろ歩いてやっと駅についても入場規制で入れないし。
俺はともかく栞が帰れなくなると大変だからマジで焦った。

それとは別に俺と栞はだめかも。
2人の間に距離があってどうしても埋められない。
なんか泣けてくる。

2005年10月02日(日) いい天気なのになぁ


今日は秋晴れ。
外は気持ちよさそう・・・
なのに俺は・・・
今日は1日身体を休めます。

2005年10月01日(土) 花火大会


今日は季節はずれ?の花火大会。
土浦全国花火競技大会
全国から集まる花火師たちが,日本一をかけて腕を競い合うってことみたい。
駅からかなり歩くらしい。
すごい混雑だって・・・

でもどうしても見たいって人がいるから行ってきます。

【同盟《日記×日記》】ままにょにょ窟Lv10,000をまだ目指すしあわせ日記