書泉シランデの日記

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オーストラリアから小包
2004年09月30日(木)

ゆうべは風が強かった。
風が強いのは嫌い。

1ヶ月以上遅れの誕生日プレゼントが息子に届く。
オーストラリアの金太郎飴・・・色はどぎついが、"Happy Boay"(ママ)なる文字が金太郎状に入っている。面白い。送り主ライアン(息子と同い年のオーストラリア人)の友達が飴屋修業中だそうだ。味はまずまず。

いかにも若い奴の趣味としかいえないTシャツ。親が買ってきたのなら絶対たんすに入ったきり2度と日の目をみないだろう。

短編小説集 "Unmentionable",パルプマガジンのような悪趣味な表紙のpuffin books である。2,3作拾い読みをした。馬鹿げている分、大人になってからはなかなか思いもつかないような話題で、結構笑えた。おしっこの飛ばしあいとか、氷の像に恋してキスして唇が貼りついた話とか・・・。

オーストラリアの人気番組のDVD・・・暮れに韓国製のコードフリーのDVDを買っておいてよかった。

息子、そこそこ喜ぶ。ライアンも小遣い足りないだろうに無理してるなあ、と思わないでもない。オタク同士は海を隔ててもそれなりに友情があるようだ。でも、うちの息子は全然海外に対するあこがれがない不思議な奴。遠い、めんどい、で終わる。外国語は好きなくせに、本当に変。親の私はマンガのない国に1年ほど彼を監禁したい気分。


画像アップ試してみました。そろそろお迎えも近いのですが、調子のいいときは愛嬌を振りまいているうちの犬です。この写真、へばっているのではなく、まあ気持ちよく普通にしているときのポーズです。


The King and I (パヴァロッティの話)
2004年09月29日(水)

 "The King and I”  H.Breslin


ルチアーノ・パヴァロッティの36年間にわたる元マネージャーによる内幕話。といっても、いわゆる3大テノール興行についての抜粋のところを”Opera News"で読んだだけ。まあ、わざわざ読まなくても当然想像できるような話でした。レブレヒトの賛否両論ある問題作『誰がクラッシックをだめにしたか』のほうが構造的な問題として、3大テノール興行を鋭く暴いていたような感じ。

一晩うたって一人30万ドル、といわれても、私にはそれがいくらなのか、想像もできない。でもまあ、私が払うわけじゃないから、不当だといって怒る気もしない。全盛期のパヴァロッティは素敵ですよ、輝くような声があふれてくるもの。それを彼ののどを発生源とする空気の振動で聞きたいか、それともアコースティックな形でもいいか、ということで、3大テノール公演にお金を払うかどうか、決まる。

昨年暮れだったか、世にもみっともないセットで、3大テノール最後の日本公演があった。テレビで見たけれど、これにお金を払う人はよくよくのファンか、よくよくお金が遊んでいるか、音楽とは関係のない下心があるかだろう。老醜テノール3人組であった。今年の春には、パヴァロッティの引退記念ツァーもあった。これは少しだけ心が動いたけれど、場所が東京フォーラムだったし、法外な価格だったし、ちらしだけ大事にとっておくことにして、チケットは見送った。その後の評判も聞かない。

それにしても、元マネージャーの暴露本みたいなものが、西洋には格別多いように思う。島国の律儀者にはどうも抵抗がある。表紙にはパヴァロッティの写真を使うのだから、出されるほうも一応は了解済みのことなのだろうし、あるいは、とにかく話題をキープすることが、結局は自分の収入にも関係してくるということで、黙認なのかしらん。全部読むかどうかは、ペーパーバックになってから考えよう。

だけど、だけど、パヴァロッティはやっぱり大歌手です。

さて、この記事の最後についていた小咄。
3大テノールが南極公演を行い、ペンギンたちは大喜び。
でも事の真相は、もう誰も聞きたがらなくなったからだとさ。
(出所はドイツの子どもの本らしい。)




『死んでいる』 J.クレイス
2004年09月28日(火)

『死んでいる』 J.クレイス

★★★


朝日新聞の書評で川上弘美が「死の本質に近いものを捉え得たのではないか」とかなんとか書いたそうだが、そうかもしれない。少なくとも、「死」という古今東西にわたる文学の一大テーマに対して、このささやかな小説が打ち込んだ楔はなかなか侮れない。

登場するのは50代の動物学者夫婦
明るい日差しに誘われ、若き日の思い出の浜へとピクニックに出かけ、あの日と同じように愛を交わそうとして、半裸で惨殺される。そこから「死んでいる」日々が始まる。

肉体的な「死んでいる」状態の描写がことこまかであるが、あまりグロテスクな感じを受けないで読めるのは、写実が徹底しているからだろうか、それとも自然界の営みに情が介在する余地がないからか、はたまた、それは生き物たちの生を支えることになるからだろうか。死を受け止める自然はじたばたすることなく、淡々とことを運ぶようで、それもまたよし。

夫婦の死そのものも相当猟奇的なシチュエーションといえるのに、おぞましさは希薄である。夫婦は即死に近く、殺人犯の追跡はない。

話は現在(「死んでいる」状態)−過去(その浜辺での研究合宿を通した出会いと合宿所の火災、研究者としての日常、夫婦の微妙な齟齬)が交差して語られる。終盤、迷惑がりながら両親を探さざるをえない不肖の一人娘が登場、死体の確認をして、二人の死を受け止める部分もかなり大切な部分。この娘の反応がありきたりではない分、思いがけない説得力に富む。「死」がもたらすものは喪失だけだろうか?死者にとっては生からの解放だが、生きる者にとっては生きていたる者(=死んでいる者)からの徹底的な解放も「死」の置き土産である。

作者は肉親の死によって「死」のテーマに取り組むようになったそうだが、確かにその「取り組み」の真摯さを感じさせる作品である。
白水Uブックス



再び琳派
2004年09月27日(月)

雨の中、琳派展再訪。
でも、主目的は琳派よりも、老先生と先輩と3人のランチ。
先生を呼び出すのに、ごはんだけってわけにもいかず、
「琳派展ご一緒しません?」

先輩は文学畑のくせに美術も玄人肌なので、彼と展示を見るのは面白い。
ただし薀蓄が大変多いので、必ずしも万人向けのガイドではない。
彼の人となりを知る者でないと・・・。

今回は

  1. fine artとしての面とデザインとしての面

  2. 「画題」の把握と消化

  3. 江戸琳派の作品の所有者


などについて、ご高説を承る。
老先生も一緒に「へぇ〜、そんなもんかねえ」と。
美術展の費用についても結構詳しかったな。

ランチの話題は
美術研究者と文学研究者のコラボレーションについて。
先輩が目下取り組んでいる仕事でもある。
彼にとっては、成果も希望も愚痴もちょっぴり自慢も全部披露して
我々にとってはお気楽な勉強会。
雨の中を出かけた甲斐があった。

その後、昔からの友達と会い、
お茶とおしゃべり。
今日会った人は20年以上知っている人ばかり。




『最後の物たちの国で』
2004年09月26日(日)

『最後の物たちの国で』 P.オースター

★★★


どこの国とも、大昔ではないにせよ、いつの時代とも知れぬ、崩壊しつつある街へ
新聞記者である兄を捜してやってきた妹が
誰かに向けて、まさに<誰か>に向けてつづる手紙。
街へ来てからの凄まじい日々。
行政は死体処理とゴミの始末を行うだけ。
生産は当の昔に止まり、
公共施設、公共サービス、警察、病院といった機能は停止状態。
他の地域との交通もマヒし、
街がこの先、どうなるのか誰も知らない。
そこでわずかに助け合うことの出来た老女との日々、
兄の後任で来た男との偶然の出会い、
わかれ、再会、
慈善事業の手伝いと休止、
慈善事業のリーダーである娘との関係
・・・徹底的にモノローグで語られる暗い状況での物語。

この先何がどうなっていくのか、まるで不確かな状況で
それでも「もの」が「者」でなく「物」であることの意味が
次第に明らかになる読書の快感。
このタイトルは日本語表記になったほうが
原題より含むところが大きいかも。
(原題は"In the country of last things")

もともとは息子が買ってきていた本。
親がほめると必ず冷ややかな反応を示し、
親が読まないと、読め読めとうるさい。

大体、柴田元幸の訳する類の本をあまり嫌だと思ったことはない。
これもいかにも彼が取り上げそうな作品だと思う。

(白水社 Uブックス)





引越しです
2004年09月25日(土)

大家さん(myprofile)が現住アパートをそのまんま新しい家主に売ったため、丸2日間も入室不能。
切れやすいcirandeは引越しを決意、
あれこれ物件を見て歩き、結局エンピツさんで店舗再開。

朝、獣医さんの支払い。
休日夜間の往診だったし、新しい薬もあるだろうし、と諭吉を数枚財布に入れて自転車でGO!
その結果、2日前の往診が3360円、今日のお薬が1680円。
諭吉は一枚旅立っただけ。(^_^)v
犬はあれ以来、けろりとして元気。
一時的なものですけど。

それにしても、獣医さんが来て下さった足音を聞き、
それまで横たわって喘いでいたのに、
そそくさとお迎えに出て、
愛想よく尻尾なんか振るのは、
まったく雑種の生きる知恵。

昼、髪をカット。
ついでに伊勢丹で靴3足買う。
1足は定価、2足はバーゲン。

夕方、車屋さんから電話。
獣医さんを迎えにいくため、
あわてて車を出そうとした夫が
ポールに気づかず、
まともにドアをガガガッとやった修理。
その見積もりがなんと15万!
諭吉、団体旅行だ。(T_T)





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