鼠小僧白吉のうだうだ日記

2006年07月01日(土) 最後の日

  歩道橋の向こう側には開通する駅のうすい緑の壁が
  内からの照明に照らされて、透けて見えている。
  その姿は、まもなく孵化する卵のようにも見えた。

零文学はあず先生の小説「Footbridge」の一節である。あず先生が住む高島町から東横線が消えてなくなる日が、舞台になっている小説だ。東横線がなくなった後はその少し先にみなとみらい線が走ることになっていて、高島町の駅の先には新しい路線の駅がもうできていた。一つの終わりは新しい一つの始まりでもある。新しく孵化する卵にはこれから先へ続く未来があり、その未来の期待もある。

期待もあるのだが……

それまでの過去には、その年月分だけの様々な思いが詰まっている。その「思い」を思い起こさせる風景が、消えてしまうことになるのだ。未来への期待と同時にすぎゆく過去へは残念な思いがこみあげてくる。

……
今、おいらは東急目黒線の西小山駅の近くに住んでいる。1年ちょっと前までは一つとなりの駅武蔵小山に住んでいた。武蔵小山に引っ越してきたのは中学生のころだったが、武蔵小山は祖父母の住んでいた街だったので、小さいころから良く通っていた。つまり生まれてから29年、武蔵小山・西小山という町はおいらにとって地元であり、この町の様々な風景にはいろいろ思い出が詰まっているのだ。

東急目黒線……いや、ちょっと前までは「目蒲線」と言っていた。おいらには「目黒線」よりも「目蒲線」といった方がしっくりくる。目黒線はおいらの住んでいる町の中をゴトゴト音を立てて走る電車だった。

まだ小さいころ、記憶が定かではないが、よく祖母につれられ、目蒲線が走るのを見にいった。当時の目蒲線は緑色の木製の電車で、3両編成で走るローカル線だった。西小山から武蔵小山までのあいだには若干カープがあり、そこを電車が通過するとき、線路の継ぎ目をまたぐ「ガタンゴトン」という音と一緒に、木製の車両のきしむ音がした。武蔵小山駅のすぐ近くには「26号線」というちょっことだけ大きい道路が走っていて、その道路につけられた踏切には、当時はまだ「踏み切り手」がいた。カンカンカンとなり始めた踏み切りを無理して渡ろうとしていると、ちょっとだけ踏み切りをおろすタイミングを遅らせてくれたりなどという時もあった。

時の流れのなかで、いつしか緑色の電車はなくなり、踏み切り手はいなくなり、車両の両数を増えていき、ローカル線の風情も消えていった。でもこの町を電車の走る風景だけはかわらなかった。

……

いまおいらの住んでいる部屋の窓をあけてみる。駅から歩いて5分ほど離れているので、電車の走る場所まではちょっと距離があるのだが、夜中のこの時間だと時折「カンカンカンカン」踏み切りの鳴る音が聞こえる。

ほんの数分前にもこの音が聞こえた。

でも数分前に聞こえたその音が、その踏み切りの最後の音だったのだ。

終電が走り去った後、この町の中を電車が走る風景は、永遠になくなるのだ。いや、もう終電の終わった時間だ。もうこの町から電車の走る風景は消えていったのだ。

……
「目蒲線」は名前が「目黒線」にかわったこともそうなのだが、この数年で大きな変貌を遂げてきた。まず走る路線が変わった。「目蒲」とは「目黒」と「蒲田」をつなぐ路線ということで付けられた名前だった。多摩川にそって蒲田まで向かっていた路線は数年前、蒲田まではいかなくなり、多摩川を渡って武蔵小杉に向かうようになった。反対側の目黒の方では地下鉄とつながり、東京の北の方や、埼玉までつながるようになった。そして今晩から明日の朝にかけて、その変貌の最終段階として、武蔵小山・西小山の駅が地下にもぐり、それにあわせ、線路も地上から消えて地下を走るようになるのだ。明日の始発からはもう、地下を走る電車になるのだ。

……
地上から電車消える。そのことは実は便利でよいことなのかもしれない。先にあげた26号線は、朝方など時間によっては交通量の多い道路だ。地下にもぐり踏み切りがなくなることによって道路がスムーズに通行できるようになる。踏み切りのせいで、タクシーがワンメータ上がってしまうなんてしょっちゅうあることだ。それもなくなる。町の真ん中を走っていた電車がなくなることで人の流れも変わり、経済的な効果もあがるかもしれない。

しかしだ。おいらが今感じているのは、新しいことへの期待よりも、ずっと見てきた風景が消えてなくなることへの寂しさの方が大きい。毎日聞いていた踏み切りの音が聞こえなくなることに、なぜか寂しさを感じているのだ。

古い資料を紐解けば、この町に電車が走るようになったのは大正12年とのこと。
今日、80年以上にわたり、この町を走っていた電車の風景が、線路が地下にもぐることによって消えていった……


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