木津未来会議の日記
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3町合併協議会のHPの意見箱に以下のような意見を入れました。
<合併意見箱の公開はいつからするのですか? 忙しくて時間が無いと言うのですか? いつまでも空いた箱だけが用意されている状況は、おかしいとおもわれませんか? 町民の意見をリアルタイムに掲示するべきではないですか。 都合の悪い意見が寄せられているから掲示されないのですか? このメールは誰が、いつ読んでるんですか。それとも誰も読まれていないのですか? このコーナーが設置されてから、2ヶ月がたとうとしているのではないですか? 活用を望みます。>
公開可として、名前も明記し。今までにも送信していますが、いまだに空の箱があるのみですから。
2005年07月22日(金) |
合併説明会&講演会のお知らせ |
3町合併関連の集会についてのお知らせ2つ。
町主催の説明会。 8月広報に掲載されますので、ご確認を!
予定では、8月19日、20日、21日のようです。 19日は、夜の開催です。場所は、タッチワンホール。 20日は、東部交流会館。昼の開催。 21日は、いずみホールで朝の開催のようです。
町長が3町合併への思いを述べられた後、住民の方からの意見を聞くということらしいです。詳しくは、広報でご確認してください。
議員の有志(民主系と自民系議員10人らしい)主催の講演会。
7月30日午後1時よりいずみホール。帝塚山大学大学院法政策研究科教授中川幾郎さんの講演会です。合併への賛否ではなく、関心をもってもらいたいということらしいです。
その後、どのような進行をされるのか分かりませんが、是非行きたいと思います。参加者の意見も取り入れ、参加型の集会にしてもらいたい。 何しろ、4月の公開質問書に答えていただけなかった方々が主催される初めての集会ですから。
住民の皆様、いろんな方面から合併を考える機会のひとつです。 ご自分の目で、耳で確かめてみましょう。
この頃、あまり見かけないと思いませんか?
「本物見たことない〜」の子どもたちの声を聞き、早速いつもの精米所のあの辺りにいるからと思い、真昼間ちょっと行って見たけれど。
いるわけないか〜、暑いものね。日陰に移動しているんだろな。確かに殻はたくさんあるもの。
まあ、明日の朝一番にまた見つけにこよっと。おおきなかぶの皆、楽しみに待っててね。
来年度、中学校で使用される教科書が新しく変わります。今年が教科書採択の年であり、今、まさに検定に合格した本の中から選ばれようとしている時です。
さて、わが子の通う中学校でも、検定合格本の展示があり、先日行ってきました。話題の本をじっくりと見比べる時間がなかったので、今日精華町図書館に常設コーナーがあるということで行って来ました。
「扶桑社」の歴史教科書と現在わが子が使用している大阪書籍の歴史教科書とを見比べました。見比べるとあまりの違いに絶句することが何度もありました。手にとって、直接見比べて初めて、いろんなことが見えてきました。
言葉の言い回しが、実に叙情的。資料に、民話や読み物コラムを多用されている。最も、疑問に感じたのが、大日本帝国憲法と日本国憲法の発布の記述の違い。
そのまま引用します。 1989年2月11日、大日本帝国憲法が発令された。この日は、前夜からの雪で、東京市中は一面の銀世界となったが、祝砲が轟き、山車が練り歩き、仮装行列がくり出し、祝賀行事一色と化した。
そして、憲法を称賛した内外の声として聞きしにまさる良憲法と続きます。
一方、日本国憲法はというと、占領下の日本と日本国憲法の項目の中に記載されています。
GHQは、大日本帝国憲法の改正を求めた。日本側では、すでに大正デモクラシーの経験があり、憲法に多少の修正をほどこすだけで民主化は可能だと考えていた。しかし、GHQは1946年2月、わずか約一週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して、憲法の根本的な改正を強くせまった。 政府はGHQが示した憲法草案の内容に衝撃を受けたが、それを拒否した場合、天皇の地位がおびやかされるおそれがあるので、やむをえず受け入れた。GHQの草案にもとづいて政府は憲法案をつくり、帝国議会の審議を経て、1946年11月3日、日本国憲法が公布された。
いかがですか?
大日本国憲法は、いい憲法、日本国憲法は押し付けられた憲法と対比していますね。
私は、この教科書を採択することには、絶対反対です。
木津未来会議
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