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木津未来会議の日記
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2003年11月20日(木) 裁判所へ

元木津町水道事業所職員の収賄事件の第1回公判に行ってきました。烏丸丸太町。京都地方裁判所。第202号法定。
皆様裁判は、ごらんになったことありますか?
TV「HERO」ぐらいでしか?検察官、裁判官、弁護士、被告。
初めて被告人の顔が分かりました。経歴や、事件の経過を
検察官か述べられました。飲食接待、先行しての営業、物品
の授受に至るまでの様子など明らかになりました。
次回には、分けて裁判をおこなうようです。独特の言葉と、資料
提供のない状態ですが、聞いているうちに分かってきます。
弁護人は2人とも男性でしたが、検察官の一人は女性でした。新聞記者も来ていたのでしょう。議員と思しき人が1名きていたと職員が来ていないのはなぜか?と役場に連絡があったようです。
役場担当課に尋ねると、速やかに対応した。後は司法に任せて、職員の研修に当たるためとのことでした。次回は、12月11日です。



2003年11月13日(木) 丹後町との交流会

京都府の最北端の丹後町と友好町の提携がむすばれたのが昭和58年。以来相互訪問をされているとか。議員同士の交流も含めて、2年に一回、互いの地へ赴くよう。今年は木津が向かう年のよう。
来春の合併により、丹後町としての交流はこれが最後であろうということで、是非全議員参加でと。行って来ました。
バスにゆられ、丹後の地へ。

議員交流研修会では、合併をテーマに。9月の第2回の合併研究会(今期6月の議会から全員協議会の形ですすめているもの。)で協議し、計画したもの。これまでの研修会は、各委員会ごとの交流学習会であったよう。今回は全員での研修会。
丹後町での否決された住民投票条例のこと、現在の審議状況について約2時間の研修。合併特例400億のうち350億を使って地域格差解消に向けての道路の整備などをするそう。丹後6町、京丹後市。ハコモノはつくらないけど、、それぞれ100億以上の負債を抱えている町。先行き大丈夫?
夕方、町を歩いてみました。坂道の急な猟師町といった風情。
みちゆく人に声をかけてみました。
「こんばんわ。京都の南からきました。合併されるんですね〜どう思われますか?」
「偉い人がきめたきぇ〜。私ら年よりにはわからん。まああんまり関係ない。きいつけて〜な。ゆっくりしなさい。」
机上ではなく、ホントすんでいる人の顔を思いながら、しっかり考えなくてはと更に思いました。


2003年11月04日(火) 建設水道委員会研修報告

初めての研修、公費での宿泊つき研修です。なるべく軽装でと。ハンドバックに、紙袋。以前研修で受けた、農業政策、駅前開発の資料をもっていきました。
議長は所用で欠席、委員5名、副議長、議会事務局職員1名の7人での研修のスタートです。
新幹線のなかで、コーヒーを。お金を支払おうとしたら、議員研修の費用弁償、条例で決まっている費用の範囲内で、(日当1日2600円、宿泊13,000円)出費なので、それを超えた場合、後で個人で支払うとのことです。途中、駅弁とお茶もいただきました。

新幹線在来線を乗り継いで、1:30に目的地、山梨県韮崎市に到着。議員控え室で、ご挨拶、みなの真似して、名刺交換。木津未来会議の太陽入りUさん作の名刺です。その後会議室に移動。歓迎の言葉があり、それを受けてこちらの委員長の研修を受け入れてくれ感謝する言葉が続きます。(こんな風にやられているんだ〜)いよいよ、本題。市民農園についての説明です。木津町より少ない人口の韮崎市です。遊休地を解消する目的ではなく、土にふれ、喜んでもらう。荒れた担い手のない土地が少しでも役に立てばとの地主さんの協力で、安価での土地の提供。管理人によるトイレや通路の手入れ。駐車場も準備してあります。質疑応答意見交換のあと、現地視察させてもらいました。2箇所。経費面での工夫が見られます。

〜市民からもっと自宅の近くに用地を〜との声があるけれど、今後については現在の農園が抽選となり空きがないような状態になれば、増やしていくことになるけれどとのことでした。

遊休地解消とまでは繋がらないけれど、農業体験を通じて収穫の楽しみが得られ、地域間の交流等がすすむことが目的。また耕作ができなくなった土地を地主さんが好意で提供してくれていることにより、近隣からの苦情もなくなった。畑の周りの手入れに除草剤をまいた際、利用者からの無農薬に対するこだわりからの苦情など。現場の生の声を聞かせていただきました。

研修結果を木津に活かさなくちゃ。

4:00すぎ、役場に戻り、バスで今日の宿泊地上田市東急インに向かいます。


木津未来会議