HARUKI’s angry diary
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2010年10月29日(金) 明日は台風(らしい)

明日は台風らしい。←そーだよ
でも、明日は日本平でFC東京戦がある。←そーだよ
ちなみに、明日は行くとしたらまたHARUKI一人参戦なので、当然電車を使うことになる。

HARUKIは、迷っていた、行こうかどうしようか。

昼過ぎ。
テレビ君「行くんですかぁ?」
HARUKI「迷ってる」
テレビ君「静岡なんて明日、台風真っ只中ですよ」
HARUKI「だろうなぁ」
ミドリちゃん「風が強いと新幹線止まりますよ」
HARUKI「だろうなぁ」
テレビ君「東名もきっと通行止めですよ」
HARUKI「どーしよぉ」
テレビ君「もし、行くんだったらメールください」
HARUKI「なんで?」
テレビ君「交通情報と台風情報が、とても楽しみになるので」
うわぁ。

午後、喫煙所にて。
HARUKI「明日は?」
フロサポにーちゃん「明日から金沢行くんですよ」
HARUKI「なんで?」
フロにー「観光で」
HARUKI「こんな時に大変だねぇ」

その会話を聞いていた、フロにーの上司が言った。
筋肉オヤジ「無理無理、明日は、金沢も、清水も」
へ?私?
筋肉オヤジ「もし、金沢着けたら、天気悪くて観光なんてどうせ出来ないから、営業してこいよ」←こーいうヤツ

夜、実家にて。
HARUKI「明日、どうしようかなぁ」
HARUKI母「やめなさいって」
HARUKI「うーん」
母「もし、行くとなったら、天気予報が他人事じゃなくなるから」
だははははは!

わかったっ!
みんなでそんなに言うなら行きません!

正直、ちょっち忙しすぎて体力が、かな〜り落ちているので、雨に濡れ、おまけに、万が一帰りに新幹線で缶詰とかなるとぜってぇ風邪ひいたりしてつらいので、明日はあきらめることにした、ちょっち分別くさい(笑)今日のHARUKIであった。←大人は普通行かない


2010年10月23日(土) SNOOPY60周年関係(笑)

今年はピーナッツ生誕60周年。
それにちなんでいろんな企業のみなさんが「ビジネスチャンス!!」とばかりにいろんな物を発売しているので、スヌマニアのHARUKIとしては、うれしいんだか、悲しいんだかわからんけど、ちと狂乱状態(滝汗)。

まず、最初にうなったのが、バンダイが発売したスヌーピー花札。こちらは受注生産なので、注文するかどうかすげーー悩んだ。
花札そのものは絵柄がスヌなんだから絶対かわいいんだけど、ふろく(?)にピンクのパンツがついている。

なぜ、パンツ?(滝汗)

うなり続けて2週間。やっぱり予約(笑)。←だったら悩むな

次にこれまた死ぬほどうなったのが、新宿伊勢丹でやっていた世界中で展開されるらしいブランドグッズ販売。

行ったら、ぜってぇ欲しくなるよなぁぁ、でもブツを見たいしなぁぁ。

悩みまくり、昨日会社の帰りに行った。←結局、行くし

コンバースのスニーカーが2万円近いし(←こんな高いコンバース初めて見た)、HARUKIは知らんが有名ブランドのただの布製バッグ3万円とか、カシミヤのセーター39万円とか、謎の携帯ストラップ1万円とか、ラコステだかどっかの白いポロシャツ2万円とか、ぶっ倒れそうになるものばかり。
※値段はすべて大雑把なHARUKIの記憶なので正しくありません、のであしからず

こりゃ、ダメだ。

と一瞬思ったが(笑)、結局4℃のネックレス(←そこそこの値段だけどしょうがない)と1500円のイベントオリジナル布製バッグとなんだかちっこいフィギュアのようなもの(←でも1500円くらいする)を購入。

敵の思うつぼじゃん!←と言いつつ買ってるし

で、今日。SNOOPY LOVE GINZAなるイベントがあったので、朝も早から銀座へ。

まず、ソニービルでやっていたイベントが今週末で終了なので、最初にそこへ。

ウリは「3Dでスヌーピーを見よう」だったのだが、考えてみたらここはソニーのショップなわけで。

結局3Dテレビの宣伝だった(涙)。

次に、オリジナル携帯待ち受けをあっちこっちの店で受け取るというイベントもやっていたので、ファミリア、山野楽器へテコテコ行く。←他にも店はあったが、面倒くさいので割愛←ポケモンスタンプラリーじゃないんだからさぁ

クマ「全部、回らないの?」
HARUKI「えぇぇ、博品館まで行ったら、あそこ新橋だよ」
クマ「うん」
HARUKI「携帯は、きせかえスヌーピーを毎月、金払って取ってるから、これ以上いらねぇ」
クマ「そうかぁ」←残念らしい

さらに、例年だと夏に三越で催されるSNOOPY in Ginzaが、やっと始まったので三越デパートへ。

HARUKIは全く知らなかったのだが、銀座三越は新館(?)が出来たらしく、その新しいビルの催し物場で大グッズ販売大会が行われていた。

混んでいる、めちゃ、混んでいる。

特に数量限定スイーツの販売があるので、それ目当ての人も多いらしかった。
目新しいものもなかったが、一応限定グッズだけ買おうと思い、買い物袋に商品を入れ、会計へ。

どっしぇぇぇぇぇぇぇ、なんだよ、この行列ぅぅぅぅぅぅ。

レジを待つ人の列が、売り場から階段へ、さらに階段を2フロアー分降りたところまで続いていた。

ダメじゃん!

なにしろ今日は、遠征を断念した山形戦。キックオフは午後3時。それまでに帰宅しないといけない。←スカパー観戦ね

こんなもんに並んでたら、ぜってぇ間に合わねぇぇぇぇぇぇ。←銀座は遠い

HARUKI「いいや」
クマ「え?」
HARUKI「エスパルスの試合の方が大事」

HARUKIは「この列に並ぶ時間はありません」と言い、買い物袋ごと店員さんに返して、売り場を後にした。

まったくなぁぁぁ。
ま、無駄なもん買わなくて良かった、と思って我慢しよう。

帰宅後。
朝からの銀ブラ(←死語だな)で、めっちゃ疲れていたHARUKIだったが、エスパルスがすげーーー久しぶりに勝ったので、ちと元気になった。

しかしなぁ、この60周年関連のお商売。
こんな大掛かりにやって、儲かるのかなぁ。←でも、踊らされてるし

ちょっち懐疑的になった今日のHARUKIであった(笑)。


2010年10月22日(金) ホームページアドレス変更のお知らせ

HARUKIがホームページなるものを始めたのは、某企業の無料ホームページ作成サービスがまだ世間では珍しい頃だった。
あれから、時がたち、いまや人々はホームページというより、ブログをやるようになった。

いや〜、時代の流れは早いなぁぁぁぁ(遠い目)。

ま、こういうご時世なので、ホームページサービスを使うのは、お仕事で使う人や企業がメインになったのだろう。
HARUKIが使っていたinfoseekのサービスもちょっと内容が変わった。

↓ここから本題

HARUKI's web siteのトップページから、この日記に入ってくださっている方は、トップページのアドレスが変わっておりますので、お手数ですが、お気に入りの再登録をお願いします。
今のところ、自動的に新しいサイトへ飛んでおりますが、多分時間がたつと飛ばなくなると思います。
面倒くさくて申し訳ありませんが、なにとぞよろしくお願い致します。

最近、ちょっと多忙極み!(泣)ですので、日記の更新頻度も下がっておりますが、時間があるときはなるべく書いていきます。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。  HARUKI拝


2010年10月18日(月) 清水エスパルスVS京都サンガF.C. (アウトソーシングスタジアム日本平)

10月16日(土)のお話。

いよいよ森岡様が日本平に遠征してくる京都戦である。
この日のために、クマにズーム強力なデジカメを買わせ(笑)、昼過ぎに、満を持してHARUKIとクマはアウスタへ向かった。

東名の渋滞も土曜日の午後は大したこともなく、途中めっちゃ休憩をしたけれど、スタジアムに着いたのは開門前の4時ちょっと過ぎだった。

HARUKI「デジカメ持ってきたよね?」
クマ「うん」
HARUKI「あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
クマ「どうしたの?」
HARUKI「強力な双眼鏡、忘れたぁぁ」←ダメじゃん!
クマ「簡易なのでよければ、持ってるよ」
HARUKI「うううううううう、すいません、お借りしますぅ」

4時半開門。
いつものメインスタンドに陣取り、サンガサポの西京極さんに会いに、アウェイゴール裏方面へ向かう。

→右写真 西京極さんはどこにいるでしょう?(笑)

この時点でサンガは、最下位である。シーズン途中で監督が交代して、秋田監督になったが、いまひとつ成績もよくならず、かなり苦戦している状態。

そして、実は西京極さんのお父様も9月に亡くなっており、HARUKIにとってはなんだか他人事とは思えない感じ。

kammyさんと西京極さんと3人で、お話することに。
HARUKI「このたびは本当にご愁傷様です」
西京極さん「HARUKIさんの方も」
二人でまずペコペコし、しばし、父親の死について回想。

いよいよサッカー談義である。なぜかサンガと当たるときは、“いかに自分とこがひどいか自慢”になるのが、常(笑)。

HARUKI「ケガ人続出で、ひどい状態です」
西京極さん「誰もケガしてませんが、ひどい状態です」

以前、ジェフがJ2に降格するときにジェフサポにーちゃんが「選手にやる気が感じられん!」と嘆いてたが、西京極さんも同じような思いをチームに抱いているらしかった。

HARUKIは、そんな状態になったサンガをまだ見ていないので、なんとも言えないなぁと思いつつ、来年もJ1で戦いましょう!と誓いあって西京極さんとの会談(笑)は終了した。

席に戻り、弁当を食べて、HARUKIは言った。
HARUKI「アウェイ側行くぞ!」
クマ「へーい」
HARUKI「あいてる席あるから」
クマ「へーい」
HARUKI「サンガの練習が終わったら、こっち戻ってくるから」
クマ「へーい」

パルちゃんショーそっちのけで、HARUKIはクマを引っ張り、アウェイ側の前から7列目くらいの席に移動。
すると最前列には、「11MORIOKA」のオレンジレプリカを着たおばさんが、巨大レンズのついたカメラを構えて、必死でピッチをのぞいていた。←メインスタンド側は、席の下にベンチやロッカーへの通路がある

HARUKI「森岡、きっと今この真下にいるんだね」
クマ「だろうなぁ」

パルちゃんショーが終わり、サンガの選手が出てきた。
HARUKIは双眼鏡でスタンバった。

森岡様登場!!
きゃぁぁぁぁ、久しぶり〜、森岡様ぁぁぁぁぁ!!!!
いつも不思議に思うのだが、他の選手にこんなに感情移入することはないのに、なんで森岡様にだけ入れ込んでしまったんだろう。
ま、惚れ込むというのは病みたいなものだから、深く考えないことにしようっと(笑)。

さて、なぜか森岡様は、いつもピッチ上ではキャップを目深にかぶっている。

HARUKI「顔、見えないしぃ」
クマ「あれじゃ、写真撮ってもダメだぞ」
HARUKI「えぇぇぇぇぇぇ」

一瞬、審判と田坂コーチにあいさつした時だけ、帽子を取ったが、あとは顔見えず(号泣)。

この後、クマには先に席に戻らせ、HARUKIは一心不乱に森岡様観察に励んだのだった。

満足〜。←HARUKI的には、ここで終わってるし(笑)

午後7時キックオフ。
サンガは、柳沢を中心にかなりアグレッシブだった。西京極さんの心配はどこへやら。

一方エスパルス。

あーーーん、今日もダメじゃん!(悲)

と思っていたら、久しぶりの先発の原がいきなり一人で得点。
へーーーーーーーーーーーーー。

前半は1−0で終了。
ほっ。

後半も、一進一退の攻防が続き、1−0のまま勝ち逃げ出来るのかなぁと思っていたら、原を引っ込めて永井が投入された。

えぇぇぇぇぇぇぇ、なんで永井ぃぃぃぃぃ?

と思っていたら、周囲のほぼ200%の人が同じ思いだったようで、盛大な溜息と野次。

っていうか、永井が出るとその途端にエスパルスは10人でやっているのと同じ状態になるのだ(涙)。

ついに、あと10分で終了というときに、サンガに1点入れられて1−1に。
だぁ。

結局1−1の引き分けで試合終了。

選手があいさつに回ったときにスタジアム中に響き渡ったブーイングは、それはそれはすごかった。

帰り道、駐車場までの道を歩きながらの会話。
HARUKI「きっと、シーズン終了までもう1勝もできないかもね」
クマ「同感」

二人でどよ〜んとしていると「なんで永井出すかなぁ」という声があちらこちらから聞こえてくる(汗)。
しょうがないよねぇ、監督が評価してるんだから、永井のこと(笑)。

東名はかなりすいており、さすがに疲労がたまっていたHARUKIは、そのまま爆睡。
目が覚めたら、すぐ東京インターだった。

はてさて、せっかく森岡様も見られたし、大満足のHARUKIであったが、エスパルスの真実にすげーーー気が重くなったのはシミツ。


2010年10月10日(日) ヤマザキナビスコカップ準決勝 清水エスパルスVS サンフレッチェ広島 (アウトソーシングスタジアム日本平)

HARUKI的には、一ヵ月ぶりのサッカー観戦である。この一ヵ月、本当にいろいろあった。
まだHARUKI母の体調が良くないのは心配だが、でもここで気分転換をしないときっともたねぇと思ったHARUKIは、日本平へ行くことに。
ちなみにクマは、先週半ば、近い親戚が亡くなり、土、日で通夜、葬儀という先週と全く同じパターンとなり、不参加。←お疲れ様です

というわけで一人で久しぶりに新幹線で清水へ。
なにしろ静岡に止まるひかりは、1時間に1本。毎時3分の東京発を乗り逃すとこだまで1時間半かけて行かないといけない(滝汗)。

さすが秋の観光シーズン、HARUKIが乗った11時3分発のひかり自由席は結構な混雑だった。

東京を出るときは肌寒かったが、静岡はやはり温かい。着ていたジャケット類がすべて荷物(悲)。

1時ちょっと前にスタジアム到着。
ナビスコの決勝リーグは、シーズンチケットにも入ってないし、おそらくタダ券も配れないのだろう。ちょうどいい混みようだった(笑)。←1万2千人くらいね

いつものメインスタンドに席を取ってから、マッチデープログラムを買おうと売店へ。
するとバッグにつける小さいエスパルス仕様テディベアと携帯カバーがあったので、それを購入。

おねーさん「クジを引いてください」←グッズを1000円以上買うと選手サイン会に参加出来るクジが引ける
HARUKI「はーい」
おねーさん「当たりです!」
へ?
うっそー!(笑)←これだけ何年も通ってて、3回目

ちなみに今日の選手は、GKの海人(山本)と新入団のFW鍋田。←HARUKI的にはビミョーな面子(笑)

うーーん、今日はエダシャツ着てるし、困ったなぁ。

おねーさん「バックスタンドの売店で色紙売ってますから」

実はHARUKIは、あまり選手のサインなどに興味がない。←好きな選手は別ね
だから、色紙なんかにサインをもらったらゴミになる(笑)。

せっかく海人だしなぁ、この当たり券を誰かにあげるのもちともったいないしなぁ。

結構悩んだ末、着られるTシャツを買ってそれに二人のサインをもらうことに。←エスパルス商法の思う壺(笑)

バックスタンドまで行き、Tシャツを買うと「くじ引いてください」とまた言われるし。
もういらないから〜(笑)。

通路でうろうろしているといつもアウェイ戦で席を取ってくれる東京の応援団長のHさんに会ったので、たまにはいっか、とHARUKIはゴール裏へ移動することにした。

で、試合。
ナビスコの準決勝は、ホーム&アウェイ方式で行われる。
先々週あった、広島ホームの試合は1−2で負け。ただしアウェイゴール方式が取られるので、今日は1−0でいいから、勝てば決勝進出。
代表に持っていかれている岡崎と本拓(本田ね)の穴はちと大きいが、広島もGKとDFがいないので、戦力的には、おっつこっつというところ。

「タイトルを!」という強い思いで始まった今シーズン。リーグ戦の方はもう無理なので、このナビスコにエスパルスはかけていた。

午後3時キックオフ。
どん引きで守っている広島を相手に、かなり攻撃のいい形が出来ていた。
何本もおしいシュートがあったが、なぜかポールに当たり入らない(涙)という、非常に悔しい思いをしながら0−0で前半終了。

後半20分ごろ。
広島お得意のあっというまのカウンターをくらい、1点入れられる。

なにしろゴール裏にいるのである。
もう野次というか叫び声の嵐(滝汗)。

「まだあきらめるなっ!!!」
という声のもと応援もヒートアップ。

あと3分で終了、というときに小野がゴール。←さすがだ!

1−1で90分を迎えた。
するとロスタイム4分という表示。

あと1点取って勝てば、延長戦だ!

最後は応援歌をうたっているというより、叫び声のみ。

試合終了。
一瞬シーンとなるゴール裏。

あぁ、ダメだったかぁぁぁぁぁ。

エスパルスの必死の攻撃もむなしく1−1の引き分け。

選手があいさつに来た時のブーイングは、それはそれはすごかった(滝汗)。

ちなみに、もう一つのブロックは、ジュビロとフロンターレが戦い、ケンゴを代表に取られているフロンターレが負けて、決勝はジュビロVS広島というカードになった。←これまたビミョーな組み合わせだし(笑)

しかし、代表がやる豪華練習試合。確かに日本代表の強化試合ではあるが、Jリーグメインで応援しているサポーターにとっては、実につらい。選手が代表に選ばれるのはうれしいけれど、自分ちの大事な試合が二の次になる。もっと言うと、大事な試合はチームのフルメンバーで闘わせて欲しいと思うんだけど。

やっぱり、ケンタエスパルスにはタイトルは無理なんだろうか?
ちと思ったHARUKI。
でも、まだ天皇杯がある!←すげー不安だけど←おいっ!

帰り道。
清水駅までのシャトルバスに乗るのがこれまた大変で、さらに、駅までの道が大渋滞で、清水駅に着いたのはスタジアムを出てから1時間半以上たっていた(涙)。←ずっと立ちっぱね

清水駅からたくさんの紫の人たち(広島サポね)と一緒に東海道線に乗り、静岡へ。
静岡発東京行きのひかりは、毎時31分なので静岡で1時間近く待つよりは、とHARUKIはこだまに乗ったのだった(悲)。

こうして、HARUKIのサッカー遠征復帰第一戦目(笑)は、かなり悲惨な状態で終わった。

スカパーのスポットCMでオシムが言っている。

“自分の応援するチームが、何年かに一度でいいからいい試合をすれば、それでいいじゃないか”←本当はちょっと言い方が違うけどこんな感じね

ま、サポーターってそーいうもんだよね。
タイトルを取ることはもちろん夢見るけれど。

がんばれ!エスパルス!!


2010年10月08日(金) 続々 葬式は体力だ!(滝汗)の巻

実は、お父様を亡くした友人から聞いていたので、多少は覚悟をしていた。

「セールス電話と通販カタログがすごいわよ」

しかし、これほどとは、HARUKIも思わなかった。

実家にこの手の電話が、最初にかかったのが、葬儀の翌日の午前中。

「もうお墓はご準備されてますか?」
あります。←一応普通にこたえる

「○○と申しませす。おかえし物のご準備は…」
結構です!!←ぞんざいになってくる

「もし、間違ってたらごめんなさい。昨日ご葬儀された○○様のお宅ですか?」
違いますっ!!!(怒)←大ウソ

「もしもし」
結構ですっ!!!!!!!!(激怒)←相手の言うことも聞かない

ひっきりなしとはこのことだ。
HARUKIが実家にいるときはいいが、HARUKI母だけのときはかなり大変。

それにしても、どっから漏れてるんだろう?個人情報?
まぁなぁ、あれだけでかでかと葬祭場の前に、名前出してりゃなぁ。
それにしてもなぁ。

葬儀費用を集金に来た葬儀社のねーちゃんにHARUKIは、言った。
HARUKI「すごいのよ、電話」

するとねーちゃんは言った。
ねーちゃん「宅急便で送られてくるカタログは受け取り拒否をしてください。そのうち、訪ねてきます。デパートをかたって」
HARUKI「へーーー」
ねーちゃん「他にですね、電話で、○○でお世話になった○○ですが、お焼香に伺いたいので住所教えてください、ってのもきます」
母「あ!そーいうのあった。横浜の○○さんって言ってた」
HARUKI「うぞ!」
母「謡の関係の方ですか?って聞いたら“違う”って言うから、断ったけど」

ひえぇぇぇぇぇぇぇぇ。

ねーちゃんは、「詐欺にご注意」と書かれた文書を出した。
それを見ると最後には、消費者センターの電話番号も書かれており、「しつこかったら電話してね」という旨の注意書きが。

HARUKI「業者はどこから情報を得ているんですかね?」
ねーちゃん「葬祭場や火葬場の前に出ている看板らしいです」
HARUKI「へーーー、チェックしてる人がいるんだぁ」
ねーちゃん「聞いた話では、1軒いくらで情報が売買されてるらしいです」

どっしぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。

もちろん、ちゃんとお商売をしているところもあるだろうけれど、それでもやり方を考えて欲しい。

その後、実家にはまさに「○○デパートです」も来たのだそうだ。

結局、HARUKI母は、電話を常時留守電にしてしまった。

ちなみに、HARUKIは実家の玄関前に置かれていたカタログをちらっと見たのだが、本当に至れりつくせりで「生花の礼状」「弔電の礼状」の見本、ついには、喪中ハガキの見本まで入っているものまであった。

すげーーわ、この商魂。

人が生きていく上での大きなイベントといえば、結婚式とお葬式。←普通はね
その時には、普段の暮らしからは考えられないようなお金が動くのも確か。だからそれを狙って商売をしようと考える人がいるのもわかる。

でもね、そーいうときはみんな疲れてるんだよ。
疲れてるときに、うっとーしいことは、しないでほしい。

つくづく思ったHARUKIであった。


2010年10月05日(火) 続 葬式は体力だ!(滝汗)の巻

とりあえず慶弔休暇は7日間取れるHARUKIであったが、めちゃ忙しい状態で、すべて放置プレイで休みに入っていたので、5日までの土日を除く4日間の休暇を申請した。

問題は、この数日間でいかにたくさん父親名義のものを母親名義に変えられるか?ということだった。

1日は平日だったので、預金口座のある銀行と郵便局、さらには年金事務所へ足を運んだ。
どこで話をしても、戸籍謄本が必要と言われる。よーするに父親の除籍が済まないと話にならないのだ。

死亡届と埋葬許可証の申請は、葬儀社がやってくれるということになっていた。

HARUKIは、葬儀社に電話。
HARUKI「死亡届、もう出しましたか?」
葬儀社「え?まだですが」
HARUKI「なんでまだ出さないのですか?」←普通はこーいうことは聞かない(らしい)
葬儀社「通常ですと、お通夜の晩に届け出します」
HARUKI「なんでですか?」←普通はこーいうことは聞かない(らしい)
葬儀社「え…?」
HARUKI「申し訳ないのですが、除籍の謄本が早く欲しいのでなるべく早く届け出を出してほしいのですが」
葬儀社「はぁ」
HARUKI「で、ですね、戸籍がいつ頃出来るか確認して欲しいのですが」
葬儀社「はぁ」
HARUKI「お忙しいようでしたら、私、自分で行きますが」←普通はこーいうことは言わない(らしい)
葬儀社「いえ、こちらで行きますので」

その後、にーちゃんはダッシュで区役所に向かったらしく、「これから行きます」「今、届け出、出しました」「受理までに1時間かかるそうです」「謄本が出来るまで2週間はかかるそうです」とかわいそうに時時刻刻報告を入れてくれた(笑)。

電気、ガス、水道、電話、ケーブルテレビなどすべて連絡をいれてこれらの手続きはあっという間に終了。

HARUKI「済みました〜」
HARUKI母「手際いいわね」
HARUKI「名義変更何度もやったから」←さすが2バツ
母「なるほどねぇ」
HARUKI「生命保険関係は姉貴に頼むから」
母「そうねぇ、慣れてるもんねぇ」←姉貴はちと大病したので生命保険の申請は得意

2日(土)午後4時半。
HARUKI家は、浄土宗である。←浄土真宗ではない
浄土宗では、遺体のそばに一膳飯(で、いいのか?)のほかに、6コの団子を盛った枕団子(で、いいのか?)をお供えしないといけない。
ご飯はHARUKI母が炊いたもの、団子はクマが朝から上新粉を蒸して作ってくれたものを持参することに。

通夜の1時間前に集合となっていたので、HARUKIとクマは、それらのお供え物のほかに、お棺に入れる謡のお稽古本や扇を持参して葬祭場に早めに着いた。

葬儀社の人がお棺のフタをあけて、それらを入れるのを手伝ってくれた。
おじさん「本は、すべて開いてください」
HARUKI「なんでですか?」←いちいち聞くヤツ
おじさん「閉じたまま入れるとのり付けされてる部分が焼け残るらしいんですよ」
HARUKI「そーなんですかぁ」
おじさん「金属類はないですよね?」
HARUKI「は、はい」
実は、実家のカギが1セット行方不明になっていた。HARUKI母は、「(オヤジの)ズボンのポケットに入っているのではないか?」と言うのだが、入院したときの服装でお棺に入ってもらったので、いまさらそれをさぐることもできず、ちょっち困っていた。

おじさん「金属類は、焼け残りますので」
HARUKI「はぁ」
まぁ、万が一ポケットに入ってれば後でわかるからいいや、とHARUKIはこの時思った、のはヒミツ。←おーい!

午後5時過ぎ。
菩提寺の住職が早めに着き、HARUKI母や姉がつもる話をしている間に、HARUKIは葬祭場の人と最後の打ち合わせ。

そうこうしているうちに、参列してくださる方々到着。

午後6時通夜式スタート。
お経の前に、HARUKI父が最後に謡を習っていた先生に、謡っていただく。←このあたりHARUKIが司会

それから、住職のお経が始まった。
浄土宗という宗派は、簡単に言うと阿弥陀宗の中でもちょっと古い宗派。お経も長く、あいまに言葉も入り、かなり時間がかかる。
終わった後は、住職のこれまた長いお話があり、さすがにHARUKIも疲れてきた。体力も落ちていて体調不良のHARUKI母は、気分が悪そうな様子。

それに気づいた住職がやっと話を終え、通夜式終了。

それから、お清めである。

御客様が帰った後、翌日の集合時間を打ち合わせて、そのまま解散。

だぁ、づがれだぁぁぁぁぁぁ。

帰宅後、ベッドに入るが、葬儀の後のあいさつの言葉など考えているとなぜか眠れず、結局睡眠3時間で葬儀の朝を迎えた。

3日(日)朝8時。
葬祭場到着。
HARUKIは母に「疲れてるなら来なくていいよぉ」とメール。
去年、義理兄の父親(やはり高齢)が亡くなったのだが、葬儀の最中に義理兄の母親が倒れ、救急車で運ばれたという話を聞いていたので、無理して何かあったら大変という思いがHARUKIの頭を駆け巡っていたのだ。

式が始まる9時ぎりぎりにHARUKI母到着。
今日は、若い副住職が来てくださって、初七日の法要は火葬場から戻ってからあげてくださることになった。HARUKI母には、葬儀後、火葬場には行かず、戻ってきて初七日の法要をするときにまた参加してもらうことにした。

葬儀は滞りなく終了し、火葬場へ。
今年の夏の暑さは、やはりみなさんこたえたのだろう。結構な混雑だった(滝汗)。

で、懸案のカギ(笑)。
御骨の中の金属片はすべて取り除かれて骨壷に入れるのだが、それらしきものは見当たらず。←良かったんだか、悪かったんだか
うーーむ。

初七日の法要のあと副住職と四十九日の法要の打ち合わせをし、お清め。

その後、御骨や位牌等を実家へ運び、HARUKIの長い長い夏は終了した。

正直に言います。

いやぁ、すげーーー大変だった。

葬式を出すのは初めての経験だったので、いろいろ勉強にはなったが、体調の悪い母を気遣いながら、種々準備と打ち合わせをしながら、お客様のフォローをしながら過ごす数日間に、さすがのHARUKIもバテた。

まさに、葬式は体力勝負!

今回のHARUKIの結論である。←悲しんでるヒマないし

しかし、これですべて終わったと思ったHARUKIの考えが実に甘かった、ということをこの時点で、HARUKIはまだ知らない(笑)。

〜続く〜


2010年10月04日(月) 葬式は体力だ!(滝汗)の巻

さて、ここのところご無沙汰していた理由をいよいよ日記に書く日が来た。

高齢のHARUKI父が、9月30日に他界した。
肺がガンにおかされているのではないか?とわかったのが7月半ば頃。
8月に入り、紹介された大学病院で検査を受けた結果、左の肺ガンとガンが脳へ転移していることが判明。
それまでピンピンしていたので、今年の夏の異常な暑さで体力が落ち、おそらく急に病気が進行したのではないかと思う。

8月23日に入院。
齢86歳だったので、肺の手術はせず、脳への放射線治療のみ行った。

9月上旬に、医師に呼ばれ「ガンが左側にあるため、心臓を圧迫しており、どうなるか全くわからない。万が一のときに延命治療をするかどうか決めて欲しい」と言われ、HARUKI母と相談して、延命処置をお断りした。

この時点で、HARUKI一族は覚悟をした。

夫婦仲が良かったとは言えないHARUKI両親であるが、さすがにこの現実にHARUKI母も耐えられなかったのだろう。
母は、ほとんど物が食べられなくなった。どこか悪いのではないか、と病院で検査をしたが、幸運なことに特別に悪い病気もみつからず、「ストレスです」という診断を受けた。

9月半ばからは、常時携帯を持ち歩き、「病院からいつ知らせが来るのだろう」と緊張しながらベッドに入る日々が続いていた。

9月30日朝9時半過ぎ。
HARUKI姉から「病院から連絡が入ったから」と電話があり、ダッシュで病院へ。←30分もかからない

姉とHARUKIが病院に着いた時には、すでに父の息はなく、医師がやってきて死亡の確認をし、その時間が死亡時刻となった。

この大学病院、紹介で入院したとはいえ、いろいろ疑問点も多い病院で、「次、誰かが具合が悪くなっても絶対ここはやめよう」と家族で話していたほど。

父が息を引き取ったのが何時頃だったかは、おそらく誰もわかっていないのではないかと思う。

たまたま前夜、面会時間中にHARUKI姉が見舞ったとき、ほんの少しだが、意識があったという話なので、それだけが唯一の救い。

HARUKIは最近の病院事情もよく知らないし、延命処置はしない、とサインをしたのだから、しょうがないのかなぁという気もしないではないが、それにしても死に目には会えるものだと思っていたので、ちょっと驚いたのは事実。

さて、父の具合がかなり悪くなった9月半ばに、HARUKI母が、「実家の近くの葬祭場で式をやりたい」というので、いざというときにあわてないためにそこへ連絡をし、打ち合わせはほとんど済ませてあった。さらに、HARUKI母の「身内と友人だけで」という強い希望もあったので、式は、一番小規模な“家族葬”という形式を取ることにした。

病室から霊安室へ移すまでの過程もなんだかなぁだったが、この大学病院は出入りの葬儀社があり、こちらがお願いした葬儀社さんはまったく中へ入れないので、「霊安室へ何時にお迎えに行けばいいかをお知らせください」と言われていたのも、かなり疑問であった。

で、ここからいよいよお別れの儀式へ向けて怒涛の日々が始まる。

葬儀社さんの素早い対応で(←火葬場の予約が大変らしい)、通夜は1日置いた10月2日の土曜日、告別式は3日の日曜日ということで決定。

HARUKIもHARUKI姉も会社に連絡はいれたが、お花も含めすべての供物は辞退、参列も辞退ということを伝えるのに必死(笑)。

HARUKI「というわけなんで、よろしくです」
テレビくん「ボク達のお香典もダメですかぁ?」
HARUKI「ごめん。お気持ちだけいただきます。あ、会社からの香典だけはもらうから」
テレビくん「は〜い。掲示はどうしますかぁ?」
HARUKI「私が数日休んだ理由を後で説明して歩くのもちと大変なので、掲示はしてください」
テレビくん「了解しましたぁ」

とは言ったものの、やはり以前の職場のコから「お手伝いに伺いたいのですが」というありがたいご連絡もあり、これまた御断りするのがちと心苦しかった(汗)。

10月1日。
HARUKI母が、あいかわらず体調不良で横になったきりだったので、葬儀社と最後のつめの打ち合わせをしたり、参列してもらう親戚に連絡したり、菩提寺に連絡したり、「お骨を置く場所を作らないといかん」「母親を斎場まで連れて行くのはどうするか」「喪服はどうするよぉ」(←いまさら)などHARUKIと姉は、バタバタと過ごした。

HARUKI母は言った。
母「葬儀委員長よろしくね」
HARUKI「司会もお礼の言葉もすべて私?」
母「そうよ」
うわぁ。

もちろん喪主は、HARUKI母である。

〜続く〜


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