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■ 教育者とは何なんだろう?
岐阜県瑞浪市の市立中学2年の女子生徒(14)が自殺した問題で、 校長は31日、「これまで発言が二転、三転してきたが、女子生徒の 立場に立つと、言葉によるいじめがあったと認めざるを得ない」と述 べ、「いじめが自殺につながった可能性が大きい」との統一見解を示 した。(自治通信10/31)
いったい学校長はどこを向いて「教育」という場にいるのか、 教育委員会・文部科学省か・・・ 学校の長としての言葉の重みや行動の重みをどう捉えているのか、 今回の件に限らず、昨今の学校や子どもたちを巻き込んだ出来事が報 道され、学校長の会見などが報道されるのを見て、本質的な事を捉え ていないと感じるのは私だけなのだろうか?
教育とは「人づくり」であり、日本のみならず国際社会の一員とし ての素養を身につける事であり、それらを達成するために想像力・理 解力・記憶力・集中力など思考する能力、すなわち自ら考え行動する ことができるようにする事と私は考えている。 そのためには様々な失敗や成功に基く経験知の積み重ねや、それら に取り組む子どもたちの置かれている様々な学習環境といった事は重 要な要素になってくる。 しかし、その重要な位置を占める学校教育の現場における学校の長 は果して子どもたちへの教育環境を整えていると言えるのだろうか?
そもそも、子どもは大人の言動を模倣する事からはじまり、様々な 教育を段階的に受け学び、自ら思考し行動するようになるのであり、 その中でも重要な基礎的段階における幼児・小中学校における教育は 重要であるはずだ。 その長が、舌の乾かぬうちに言っていることが二転、三転 する事がどれほど関係する人や子どもたちに対して悪影響を及ぼすか 良く考えるべきである。 平気で「嘘をつく」者に教育を受ければ、平気で「嘘をつく」人間 に育ってしまう! 何のために教育に携わり学校の経営をしているのか? 保身のために詭弁を説く教育者の元で、次世代を担う子どもが心身学 力ともに成長できるのであろうか?私はならないと断言する。
子どもたちは大人の言動を良く見ている、子どもたちにとって本当に 必要な事は学校教育の環境を整え考えていかなければならないという 事であり、第一人者は「校長」なのではないか。 理念なき教育・学校では、子どもたちの才能を引き出すことはできない! その事を肝に銘じてほしい「教育者」として。
2006年11月01日(水)
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