少々過剰気味になってきた、私の体内蓄積エネルギー、
その消費が主な目的で、ボランティアを思い立った私。
先月、町内のお年寄り宅への、配食ボランティアの登録をした。
そして今日が初めての、私の活動日。
登録日から今日までの約一ヶ月間、
ボランティア登録をしたことを、徐々に後悔し始めていた。
シニアの人と組んで、二人一組で作業をするということを、
説明された時から、迷いが生じ始めた。
シニアの人って誰?
気難しい無愛想なおじいさんだったらイヤだなあ。
(恐いオバサンだったらイヤだなあーと思われていたかも)
こう言っては何だけど、身内以外の男性と二人きりで、
車に乗ったことなんて、今まであったかな?
タクシーは別として・・(なんという人生経験の貧しさよ)
きっと、シニアの人に気を使うのだろうなあ。
ボランティアなんかしなくても、ジムに行けば、
じゅうぶんエネルギーを発散できるのに。
なんで、ボランティアなんかに挑戦する気になったのか。
決心してから実行日までの期間が長いというのは、問題だ。
意志の強くない人間は、途中で気持ちが揺らぐ。
でも、一度も実行せずに辞めるのは、あまりにも無責任、
二月、三月の予定表に、私の名前は既に組み込まれている。
ということで、今日、おっかなこわごわ状態で家を出た。
幸いにも、心配したシニアの方は、とても優しい方。
配達先のお宅でのお弁当の渡し方、返却されたお弁当箱の処理方法、
など、いろいろ教えてもらいながらの配食作業。
そして、なんの因果だろうか。
私達夫婦と主人の親達との間で、先日から繰り返されていた議論、
子供を親の元に縛り付けるのはいけない、とか
就職のために、家族が離ればなれになるのは仕方がない、とか、
その結果を、今日、目の当たりに見たように思う。
シニアの方が、一軒一軒、説明して下さる各ご家庭の事情。
老夫婦の二人暮しだけれど、奥様が寝たきりのお宅とか、
息子夫婦が遠くに住んでいる独り暮らしのお宅とか。
「お弁当を持ってきました」と声をかけると、
奥の方から腰を曲げてゆっくり出てくる方、
歩くのも不自由な方、以外にシャンシャンとお元気な方、
私達がまわったのは24軒、時間にして約2時間。
その中で、私が一番、困ったこと(あわててしまったこと)は、
我が家のすぐ目と鼻の先の御近所への配達があったこと。
主人にも近所の人達にも、何もまだ言ってないのに。
続くかどうか、全く自信が無いから、ナイショ事なのだ。
なのに、見知らぬ男性と二人で車に乗ってウロウロしている所を、
よりによって、近所の友達の旦那様に目撃された。
ま、変な噂が飛び交うような年齢ではないけれど。
公用車だということにも、気付いてくれたと思うが・・・
昨日はバレンタインデーでした。
私の中で、このバレンタインデーは、全く根付いていない行事のひとつ、
当然、何事も無く、チョコもケーキもなく、バレンタインの「バ」の字さえ、
発せられることもなかったのでは? という昨日でした。
その前日、たまたま和歌山は岩出町の、とあるショップにて、
紳士物の冬物セーターが半額なのを見つけて、
胸元にGolden Bearの刺繍なども付いていたので買いました。
強いて言うならば、それが主人へのチョコレートの代用になるかも、
いや、そういうことにしよう、と、今、強く思っているところです。
(今晩、主人が帰宅したら、さっそくホワイトデーの話をしよう)
息子が小学校4年生の頃、もう十四年ほど前になりますが、
バレンタインデーの前日、ニコニコと嬉しそうに言いました。
「ボク、あした、○○君とね、チョコレート交換するねん」
「えっ? 男どうしで?・・・」
「うん、これから買ってくるから、百円ちょうだい」
それは、嬉しそうに買いに行きました。
あれは、今で言う、友チョコのハシリでしょうか。
中一の時は、ちゃんと女の子から、本命チョコをいただいたようです。
やっぱり少し嬉しそうでした。
やっと、バレンタインデーの意味が理解できるまでに成長したのだなあ、
と、ちょっぴり安心したものでした。
ホワイトデーには、クラブ活動を終えた夕方遅くに、
母親が準備したプレゼントを持って、お宅に届けに行きました。
「ピンポーン」と鳴らすと、彼女だけでなく、
お母さん、お父さん、兄弟まで、全員外に出てきて下さったそうで、
お返しのプレゼントを手渡すなり、すっ飛んで帰ってきたようです。
息子の可愛い思い出です。
しかし、それ以来、バレンタインチョコには縁の無いまま、長い時間が過ぎました。
おわり(つづきを書けなくて残念・・・)
毎週土曜日は、「嫁の日」。
正確には「嫁を演じる日」と言った方がピッタリでしょうか。
土曜日は、主人の両親が、我が家に来る日です。
雨が降ろうと、槍が降ろうと、誰かが風邪などひいていても、なんのその、
という感じで、土曜日はやってきます。 一週間は早い!
だから、週一だけネコを被って「にわか嫁」に化けている私は、
ずっと毎日、旦那様の御両親と同居されているお嫁さんを、
心から尊敬しているのです。
でも、そんな週一嫁にとっても、先日の土曜日は、良い日でした。
かねてから、親達のグチの原因となっていることについて、
私達夫婦と両親と、いろいろ話し合いをしました。
この日の義父母はとても心穏やかで、明るくて、子供や孫のことを、
心から思ってくれている優しい親でした。
むしろ、私が一番、感情的だったかもしれません。(お恥ずかしい・・・)
子供達が就職や進学などで、親元から離れてしまうことを、自分達は決して止めない、
ということを主人は上手に説明したと思います。
大昔、稲作の技術が入ってくるまで、人間は狩猟民族だったこと、
稲作が定着し、人間が農耕民族となり、土地に定着するようになり・・・
と、そんな話から説明した主人でしたが、聞いていて面白かったのです。
代々サラリーマン家系の我が家は、狩猟民族ということなのですね。
生活のために獲物を求めて、移動することも必要なのでしょう。
特に、今の就職難の時代に大阪で就職しなければダメだ、などの制限をかければ、
ますます就職が難しくなってしまいます。
主人の説明を、快く理解してくれた両親でした。
そんなものかも知れません。
わかっていても、何かのひょうしに、出てしまうのがグチというもの。
体調や機嫌のよい時は、理解力溢れる優しい人なんです。お互いにね。
年寄りに自分達の気持ちを理解してもらおうと、穏やかに、筋道をたてて話した主人も、
それなりに歳をとったんだなあ、と感じました。
若い頃は、気短かな一面もあったのに。
いろいろな日々を繰り返しながら、私達も歳をとっていくのですね。
でも、心配なんです。
いつまで、週一だけのネコ被り嫁でいられるのでしょう。
同居して、毎日ずっと顔を合わす生活になったら、もう「素」で勝負するしかないのね。
毎日嫁になるなんて、私には無理なようなー
とても不安です。
でも、私以上に、他の人達はもっと不安でしょうね。
それにしても、土曜日以外の私って、嫁でなければ何なんでしょう。
妻? 母? ただのオバサン?
ちょっと昔の話ですが、
今でも、時々思い出して笑ってしまう、私と義母との会話です。
某宅配便の事務所でアルバイトをしていた頃のこと。
定年後、会社から依頼された義父が、管理していた職場でした。
朝、義父から、「ハイ、おばあちゃんから」と言って、キュウリを渡されました。
畑で採れたばかりのデカキュウリが、五、六本、入った袋です。
せっかくの義母から貰った採れたて新鮮野菜、
なのに私は事務所の机に置いたまま、忘れて帰ってきてしまったのです。
車で三十分か四十分の事務所、わざわざ取りに戻るのもちょっと面倒でした。
まあ、いいや、明日も行くのだから、と思っていた矢先に、
義母から電話がかかってきました。
「あんた、まだキュウリ、もらってないんやろ」 なんだか深刻な口調。
(大げさやなあー キュウリごときで・・・)
「あっ、今朝、貰ったんやけど、私、忘れてきてしまったんやわ」努めて、明るく。
「えっ? どこへ?」と、びっくりする姑。
(もう、たいそうやなー、キュウリごときで・・・)
「机の上に置いてきたんよ」明るく、明るく。
「ええっ! なんで、机の上に置いたん。すぐにカバンの中に入れんとアカンで!」
ちょっと、怒ったような感じ。
(もぉ〜、大げさなんだから・・・ キュウリごときでぇー)
「でも、私のカバン、入れへんし・・・」
「えっ、そんな、小さなカバンか!?」
(財布とハンカチとティッシュだけ入れてる、バッグなんやけどなあ)
「カバンに入れへんのやったら、机の引き出しにでも入れなアカンやんか!」
ちょっと、声が高くなる義母。
(引き出しに、キュウリを入れるのもなあ・・なんだかなあ・・)
と、そこまできて、やっと、やっと、私は気付いたのです。(鈍感かも・・・)
私はキュウリのことを言い、義母はキュウリョウ(給料)のことを言っていると。
たしかに身内の気安さからか、義父は私のアルバイト代を時々忘れてしまい、
その時も、何日か過ぎていました。
それを知った義母が、私がお給料を受け取ったかどうかを気にして、電話をくれたのでした。
私は、自分の忘れてきたキュウリのことばかり思い、
義母は支払い忘れている、お給料のことばかり思い、
しばらく、平行線の会話が、トンチンカンに続いたのでした。
バッグに入りきれないほどのお給料、欲しかったなぁ
昨日、義母のグチが増えて、ちょっと精神的にまいってしまっている、
ということを書いた。
義母のグチは、決して意地悪から発祥したものではないが、
孫達が近くにいないことが、不満でどうしようもない気持ちが、
日々高まってきて、抑えようがないように思える。
「誰が家を継ぐんだ」と義父も怒るが、代々サラリーマン家庭なのだ。
継ぐべき仕事も無く、ごく普通の家があるだけだ。
田舎だけれど、田畑や山林など、我が家には何もない。
なぜ、孫まで、この家に縛ろうとするのか。
好んで家を離れる必要はなくても、進学や仕事の都合で遠くに行くことを、
ただただ、自分達が寂しいからという理由だけで、抑えつけるべきでないと思う。
私達は自分の子供達に対して、そう思っている。
でも、義父母はちがう。年代の差もあるのだろう。
だから、私達は親が寂しくない場所に、この土地と家を買った。
高いローンと毎日の遠い通勤、楽な方ではないと思う。
(ローンは、最近、やっと終了したが。)
職場の近くに住んでいて、滅多に親と顔を合わすことの無い次男夫婦が
羨ましくてしかたがないよ。
離れていると、お互い、良い面しか見ずにすむから。
と、もうこの辺で、私のグチは終わります。
なんだかんだ言っても、主人は、とても優しい人。
一人暮らしの私の母にまで、私以上にアレコレと気を配ってくれる。
娘や息子も、それぞれの場所で、元気に毎日を送っている。
ほんとうに感謝!
私はといえば、エアロに通い、パソコンで遊び、たまに友達とランチやケーキ、という生活、
なんで、親のグチのグチなんか書くのだろう。
それくらいのこと、考えてみれば、何でもないのに。
これも、更年期だから?
最近、このセリフに、はまってる。いい逃げ場所かな。
仮病なんだけど、今、言わないとソンな気がするのは何故だろう・・・
ひょっとして、私、もうすぐ老年期?!?!?
このところ、少し精神状態が良くない。
エアロビクスで気持ちのいい汗を流し、パソコンに向かう日々、
日、一日と、確実に成長している庭の植物を見て、春を感じる日々、
ひとり静かに、好きな本を読み、ウトウト居眠る日々、
贅沢で気ままな時間を過ごしている私が、
どうして、こんなに、ささくれだった気持ちに陥るのだろう。
80歳になる姑の愚痴が、最近ますます活発になってきたように思う。
歳をとり、愚痴っぽくなるのは、仕方がないにしても、
会う度に、愚痴を連発されるのは、やはり辛い。
愚痴なんて、お年寄りの特権みたいなものかもしれないが。
娘は東京、息子は名古屋、私達は大阪、
みんな離ればれなのが、年寄り達は気に入らない。
子供達は、それぞれの場所でちゃんと生活しているのに。
私がこの状況に平気なのが、姑にはますます気に入らない。
ことあるごとに、私にごねるようになってきた。
最近、特にひどい。歳のせいなのだろうか。
母親がシッカリしていないから、娘は東京勤務になり、
息子は名古屋大学に行ってしまった、ということらしい。
知人の娘さんが薬剤師になったと聞けば、
なぜ、うちの娘を薬剤師にしなかったのか、
「そこのお宅は、小さい時から、そういうふうに
母親がちゃんと教育してたからやろなあ。」と、くる。
(ちなみに娘は文学部卒、いちおう、業界のトップ企業に就職)
知人の公務員の息子さんの話を聞けば、こう言う。
「小さい時から、親がちゃんと仕込んでるから、公務員になって、えらいなあ。」
心から、それを羨ましく思っているようだ。
要は、自宅から離れない子供達が理想というわけだ。
会う度に、同じことばかり、私を相手にグチる。
「なんで東京なんかに行かしたのか」
(大阪で就職試験を受けたが、東京勤務になった)
息子は絶対に大阪で就職させろって、
(そんな我が儘を言う余裕ないよ、この就職難の時代に)
こちらは、ほんとうに病気になりそうだ。
近くだけれど、同居でなくて、よかったよ。
年寄りのグチは、聞き流しておけ。いちいちメクジラを立てることはない。
と、主人は言うが・・・
三十年間、そうやってきましたよ。
でもね、私だってね、実は今、更年期障害なのよ!
(と、一度、言ってみかったんだ。 更年期が終わらないうちに)
三十年の間に、二回、両親を相手に大爆発を起こした。
また、爆発しそう?
いいえ、なんだかんだ言っても、姑のグチは「意地悪」から出たものではない。
私達を心配しているのだ。
自分達がいなくなった後で、私達夫婦が年老いて二人きりになった時のことを。
グチの根源は、たどって行けば最終的に「やさしさ(?)」に到達するのだ。
それは、わかっているのだが・・・
この週末、結婚式場との打ち合わせのため、娘が帰省、
東京に暮らしている二人が大阪で挙式するとなると、ほんとうに大変だなあ、
と、他人事のように呟く気楽な母親になっている私。
義母から、厭味をチクリと言われたりもする。
「昔はね、
親が結婚式場へ行ったで!」なんて。
そうかしら・・・
私達だって、自分で式場を決めて予約し、引き出物、料理も自分で決めましたよ。
ただ、あの頃は、打ち合わせも簡単だった。
公立の安い式場だったからか、オプションなんて何もなかったもの。
ウェディングドレスもすぐに(二着目で)決定したし、お色直しの衣装は親戚から借りた。
東京にいる娘の替りに、母親の私が結婚式場に行って、ドレスや髪型はともかく、
テーブルのセッティング、ウェディングケーキ、引き出物、その他いろいろなオプションなどを、
母親の私の好みで決めたら、いったいどうなることでしょう。
自他ともに認める、超ダサい趣味の人なのに!
それに、できる限り、無駄遣いを慎むタイプだ。
きっと、愛想も素っ気もない結婚式となってしまいそう。
二人で頑張って貯金して、結婚式を挙げるんだから、
私達が、昔の感覚で、要らない口を挟まない方がいいと思う。
けっこう楽しんで、大阪と東京を行ったり来たりしてるのに、
どうも年寄りから見ると、「かわいそう、大変だ、」になるようだ。
そう言いながらも、今回、ちょっと強く口を挟んだことがあった。
娘の友人が、六ヶ月の赤ちゃんを式に連れてくるという。
話の感じから、「やむをえず」ではなく、連れてきたいらしい。
ついつい言ってしまった。
「私達の年代の人間からいうと(あまり言いたくないフレーズだ)、
6ヶ月の赤ちゃんを友人の結婚式に連れてくるなんて、非常識!」って。
身内や親戚の場合はその限りではないが。
誰も預かってくれる人がいない場合ならともかく、彼女のご実家、婚家は同じ町内だ。
ちょくちょく、赤ちゃんを連れて実家に帰って来ているし、御主人もいらっしゃることだし・・・
第一、赤ちゃんもかわいそうなのでは? なんて考えは、要らぬおせっかいか。
式場だって、そんなに近くというわけではない。
結婚式、披露宴、二次会、その間、ほんとうに大丈夫なの?
赤ちゃんを連れていることで、周囲の人達に、何も気を使わせないって自信はある?
と、こう書くと、いかにも私ってキツイ人間だなあ、と思ったりもする。
でも、決して赤ちゃんは嫌いではないよ。
これもまた、私が古い人間だからだろうか。
2005年02月04日(金) |
The Letter |
昨日の日記の続きです。
実は、まだ続きがあったんです。
それを書こうかどうか、とても迷いました。
私にとっては、そっちの方が意味が深いのです。
でも、読まれた方は、おそらく、しらけてしまうかも。
あの幸運の二通の手紙の他に、まだもう一通、手紙を受け取っていた私。
それは、ほんとうにその何日か前に届きました。
実は、この12月にも例年通り届いたのですが、それは破棄されました。
そう、UNICEFからのレターです。
今回は、「緊急」と赤文字で書かれ、
「スマトラ沖地震、津波緊急募金」ということでした。
「津波が襲い、伝染病が襲う。もうこれ以上、大切な命を失うことはできない!」と。
それでも、とても迷いました。
12月に「国境無き医師団」の方に、自分としては頑張って募金したつもりでした。
でも、あの時は、まだスマトラ沖地震は起こってなかったのです。
いろいろ迷っているところに、ちょうど買う予定だったETC車載器が当選したという知らせ。
これを「早く募金に行きなさいという合図だ」と思ってしまう性格が古い。
それでも、その日に郵便局に行かなかったのは、とても寒かったから。
車で行かないのは、メチャクチャ使い勝手の悪い駐車場だから。
カードによる募金も可能だけれど、出来る限りカードNOを出したくない。
そして、何より、まだ迷い心もあったという往生際の悪さ。
そして、翌日、予想通り決心が薄れかかったところに、
またまた手紙が・・・という状況だったんです。
4年前の入院費の計算間違いによる差額返還、(そんなことって、ある?)
それも郵便局での受け取りなんて。
ほんとうに「郵便局に行けぇ〜〜!!」と背中を押された気分になってしまいました。
私って、昔な人間なんですね。
さすがに、その日は、すぐに行きました。
もちろん、募金もしてきました。
ヤレヤレです。
しかし、そこまでお膳立てしてもらわないと、振込みにいけないなんて・・・
2005年02月03日(木) |
こんなことって、ある? |
最近、郵便物絡みで、ちょっと珍しいことが続いた。
「印鑑をお願いします!」という声とともに届いた白い封筒、
差出人は「日本自動車連盟」いわゆるJAF。
しかし、なんで印鑑が必要なんだろう?
商品券でも同封されてるのかも♪ なんて期待してしまうではないですか。
JAFから届く物といえば、定期的に送られてくる会員証、及び
JAFの雑誌以外に思い当たらないけどね。
封を開けると、あら、まぁ!「ご当選案内」という文字が飛び込んできた。
えっ? 何が当たったの? 何も応募したこともないのに。
どうやら、永年継続している会員の中から、抽選で選ばれたということ。
そりゃあね! だって、三十年間も年会費を払っていて、
まだ一度もお世話になったことないんだもの。
景品は、なんと、近々購入する予定の品物だったよ。
日本橋や、カー用品ショップ、ネットなどで
ちょうど、値段や性能を調べている最中だった。
それはETC車載器。
毎日、阪神高速を利用して通勤している主人にとって、
高速道路の回数券が無くなってしまうのは、ちょっと辛い話。
百枚単位で購入すれば、かなりの割安となっていたらしい。
日によっては、湾岸線も利用していたし、
とにかく、ETCに切り替える準備に入っていたところだった。
帰宅した主人は、景品の写真を見て「なんや、型が古いやんか」
などと文句をチラッとたれていたけれど、
いえいえ、タダで頂けるのですぞ! 贅沢を言ってはいけません。
(でもね、今まで払い込んだ会費を考えると・・・ハハ・・私も欲が深い)そして翌日、また白い封筒が届いたのだ!
今度の差出人も、私にとっては「えっ?」という感じだった。
市民病院には、先日も行ったばかりだけれど、
いったい、病院から私宛に何を郵送してきたのだろう?
一枚の郵便振替支払い通知書と手紙が同封されていた。
手紙の内容は、なんと、ちょうど4年前の私の入院費用の
算定方法が間違っていたので、差額分をお返しします、ということ。
返して頂ける物は、頂いておかなくては。たとえ824円でもね!
(四年分の利子を付けてよ!なんて、そんな厚かましいこと、絶対に言いません)二日続いて、期待も何もしていなかった、突然の贈り物(?)が
郵便で届いたものだから・・・
郵便屋さんのバイクの音がする度に、また淡い期待を抱いてしまうのです。
沖縄二日目の午後、それまで何とか持ち堪えていた天気、
残念ながら、本格的な雨となりそうな気配になった。
それでも、私が「行く!」と言って譲らなかった観光スポット、
亜熱帯の自然、ランの花々などをテーマとした「ビオスの丘」。
「ええやん! 傘をさしながら花を見れば」と悪条件にもヘコタレナイ私。
しかし入園した頃には、ほんとうにザザ降りの雨になってきた。
小道の両脇で無残にも雨に打たれる、たくさんのランの花達、
太陽の光を浴びて、もっと美しく、楚々と咲きたかっただろうに。
観光客の少ないこの時期、しかも平日で雨降り、
こんな日に、広い自然植物園を、高い料金を払って、
雨に濡れながら歩きまわる物好きは、私達だけ?
と思いきや、ジャングルクルーズに三組の客が乗船した。
若いカップルと子供づれファミリー、そして私達。
ビニールの屋根付きの船だから、雨には濡れないだろう。
いよいよ出航という時になって、船頭兼ガイドのお兄さんの
「あなた、芸能人ですね!」という声が耳に入ってきた。
その言葉にハッとなって、ガイドの視線をたどる私。
しかし、通路の反対側に座ってるその人、私の位置からはハッキリ見えない。
かろうじて、首の細い綺麗な横顔がチラリ。
ジーンズに白いブラウス、自然な感じの化粧。
「誰?」と主人に尋ねるが、芸能人に全く無知な二人はわからない。
連れの男性も、帽子を深く被り、眼鏡をかけて俯いている。
さて、楽しい船頭のガイドで、湖畔の植物やランの花、
水鳥などを観察しながら、船は湖の中をゆっくり進んだ。
ガイドのお兄さんは、園内の動植物の説明をしながら、
客の私達にいろいろな問題を出して、回答を迫る。
芸能人のその人、自然な感じで周りの雰囲気に溶け込んで、
とてもいい印象だった。
三択問題の時も、きっちりと手を上げているし、
ガイド先生の質問にも、みんなに混じって、気さくに答える。
船内は、和やかで楽しい雰囲気だった。
ガイドが教えてくれなかったら、私はその美しい人を
芸能人だとは、決して思わなかっただろう。
下船して、家族連れの人が「いっしょに写真を」とお願いすると、
「あっ、ありがとうございます。」とニコやかに並んで立った人。
(私、ファンになりそう)
船着場の売店でこっそり尋ねた。
「モデルの○○○さんですよ。」
「ふ〜ん・・・どんな漢字?」
「???? さぁ・・・ドラマやCMに出演されてますよ」
トンチンカンな質問だったようだ。
帰宅してからネットで調べた。
ひらがな、アルファベット、両方で名前が出ていた。
お隣の男性は旦那様だったのね。
でも、ネット上で見る彼女は、いかにも美人のモデル。
田舎者のオバサンには、近寄りがたい雰囲気の人。
雨の日の植物園、思い出にほんのり色を添えてくれた人。
これから、テレビをもっと注意深く見なくては!