パパのホームページ奮闘日記
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「うがぁぁんっぐぅぅはあぁぁぁ・・・・」「だいじょうぶですか〜〜?」 「ふぁいびょうぶです」「いたくないですか?」「・・・・・・・」 絶対に子供には見せたくない表情で毎年2回、採血の時と献血の時に同じような状況を繰り返しています。 平成8年からだから今年で8年目。 うちの父が大津びわこライオンズクラブに入っている関係から毎年5月と11月になると父から「オオー明後日献血やから行ってこいよ」とほとんど強制みたいに言われる。 で昨日献血へ行ってきたわけだが、 この成分献血・・・・普通の献血と違い血液中の血小板だけを取り除く献血で(血液を抜いて成分を分離し残った血液をまた1度こっちに戻し)×3回繰り返して約500mlの血小板を採血する方法で、最初の問診からはじまって適した血液か調べるための採血をしそれから成分献血をしなければならず約1時間かかってしまう。 この1時間の間にできる人数は献血バスのスペースからたった4人だけ。なので行くときは必ず前もって何時から行きますと伝えておかなければならず毎年おもいっきり緊張してしまう。 この8年間たいがいいいかげんな生活(暴飲、暴飲)をしているが1度も適した血液からはずれたことがない。以前1度4人中3人が不適合と診断されて心細い中1人で成分献血をしたこともあり、看護婦さんに何があかんの?と訪ねると血液中のγ−GTPの値が大きすぎるとのこと。要は肝臓の状態があまりよくないらしい????「ん〜〜〜肝臓??この暴飲・暴飲でまだ大丈夫なんや〜〜〜」とこれも毎年おもいっきり緊張する場面でもあるが・・ この採取した血小板がどのように使われているかというとあまりくわしく解らないが何かの薬になるらしい。次回行ったときもう1度聞いておきます。 年2回わずかな量の血小板ですが、どこかで役に立ってくれているだろう、誰かが助かってくれればいいなぁぁと思うと、緊張はするがイヤだとは思わない。これからも適した血液であるまでは続けていこうと思います。
今日は長男祥之助君の七五三詣でに滋賀県では結構有名な近江神宮に行きました。 もっと近場の氏神さんへ行っても良かったのですが、あまりにも天気が良くてなによりも自分も七五三詣ではこの近江神宮でしてもらっているし結婚の神前式も近江神宮だった関係から我が子もここでしてあげたかった。
今では神社自体が七五三パック(着付け、衣装、写真、ご祈祷込み)で約3万円とかあるみたいだし、それでもいいかなぁと思っていたが、母が自分の袴を大事に保管していてくれたこともあり、なにからなにまで自分たちでやってみようと。
近所の美容院でうちの奥さんの着物の着付け、祥之助の紋付き羽織と袴の着付けをしてもらい、両親の元へお披露目に出かけ、*スタジオで撮影(これが昔と違うところかな? 自分の子供の頃の七五三詣で残っているのは唯一神社で撮影した当時ではめずらしい大きめの写真が1枚あるだけだったが、今ではちゃんとしたアルバムにするらしい)してもらい、そして神社へお参りしてご祈祷して頂いて、お祝い膳を食べてと・・・・
パックでするよりは高くついたように思えるが、近所の美容院でしてもらうことでみんなが祝福してくれるし、祥之助をかわいがってもらえる付き合いの方がとても宝物になったように思えます。
祥之助自身も今日は特別な日と感じていたのかいつものようにお母さんに甘えることなく、グズグズ泣きもせずにしっかりとした顔で写真撮影にご祈祷に頑張っている姿を見れてパパは!パパ自身宝物になりました。
2000年12月17日から、クリスマスと冬休み旅行を兼ねて、伊勢と、志摩スペイン村へ、お母さんと、祥ちゃんと3人で行くことに。 17日は、伊勢のおかげ横町へ、天気が、雨がいつ降ってきてもおかしくない空模様で、あまり外を出歩くのは無理と思い、鳥羽の遊覧船を乗ることに。船の中では、祥ちゃんは絶好調で、「ア−ア−」を連発していた。 16:00頃相差町の旅館「別館すずき」に到着し、夕食を食べて、貸し切り露天風呂に入る。家から浮輪を持っていって家族3人で入れたのはよかったが、お父ちゃんとお母さんは、寒くて寒くて、祥ちゃんは、大きなお風呂の中を楽しそうに浮輪で行ったり来たり。 18日は、昨日の天候が嘘のように快晴で、ゆっくり旅館を出ようと思っていたけど、急きょ開園時間9:30に間に合うようにパルケエスパーニアへ。 これが正解で、オープニングセレモニーでキャラクターさんたちが、かわるがわる祥ちゃんをかわいがってくれたのが、とっても良かった。 お父ちゃんは、ビデオを撮って、写真は映さなあかんしで、大変。けど、本当に楽しかったし、充実した旅行だったとお父ちゃんはとっても満足。 祥ちゃんは、間違いなく記憶にないでしょう。大きくなって、ビデオを見てくれたらとってもおもしろいと思うよ。
この頃は修造がいなかったんだ〜〜
昨日日曜日久しぶりに家族で魚釣りに行ってきました。 福井小浜の阿納漁港へ。
最初、西小川の漁港(エンゼルライン料金所手前右側)へ行くつもりだったが、なんと手前で道路が約30mほど陥没していて通行止めになって行くことが出来なかった。たぶん台風23号の被害だろう。陥没した道路の先にはこの西小川と宇久の漁港があるが生活道路を断たれた今どのように生活しているのか?漁港なので船でカバー出来ていると思うが・・・新潟小千谷市もこのような陥没が至るところであるんだろうと・・・実際陥没をこの目で見たときは映像で見る場合と全然スケールが違うことがわかった。
それで阿納漁港でのサビキ釣りになったわけだが 釣れる魚は「アイゴ」に「ふぐ」に「コッパグレ」ばかり、本命の豆あじはたま〜に釣れるぐらいでしたが子供にしてみれば釣れればお魚さんならなんでもいいみたいですっごく楽しんでくれました。
祥ちゃんは、釣れたフグをバッカンに入れようとしてフグに指をガブリ!! 「痛い〜〜〜!もうフグのバカは〜〜」と怒っていました。 パパはアイゴの背びれにチクリと刺されてしまい「んが〜〜〜い〜った〜」と激痛が・・・お母さんは自分の竿に振り回されているみたいで「キャ〜〜〜」と、修ちゃんはマイペース「車で寝る〜〜」と こんな感じで1日楽しんできました。
外でお湯を沸かして食べるインスタントラーメンはなぜこんなにおいしいんだろう?
昨日11月3日「PotatoKid」デビューの椅子が無事売れました。 それも開始早々瞬く間に売れたというのだから、作っている製作者にすればうれしい限りです。 値段が1000円だから売れたのか?2000円だったら売れなかったのか??その辺は購入してくれた方に聞かないと解りません。ま!どっちにしろ使ってくれる方が喜んでくれたらそれでいいのですが・・・
子供を持つ親にしてみれば、ベビーチェアーを手作りしてしまうお父さんはそうはいないらしく、「私も欲しいわ〜〜」「今度うちのも作ってえな〜〜」「いいな〜〜何でも作れるし」と注文を何軒か聞いてきたみたいです。 そうすると「いくらで売っていいものか、それともあげるべきか悩むなあ〜」 とうちの奥さんは心配していましたが・・・・ 「今度うちのパパにも同じ物を作ってもらおう!」と言うお母さんはさすがにいなかったそうです。
HP見てくれている方々からも「どうなったん?」と気にしていてくれたみたいで、本当に売れて良かったです。
金曜日の夕方。「今日大変なことが起きてんねん」と 友達(友達であり、昔の会社の先輩であり、うちの仲人でもあり、お寺の副住職でもありと訳のわからん)から電話が・・ その友達の家が大津のちょっと山手にあるお寺で、檀家さんに見てもらうためか趣味なのか???約5m四方の立派な池で錦鯉を飼っていて、なんとそこに100kgはあろうかというイノシシが落ちてしまったらしい。
「ほらびっくりすんで〜〜〜池の中にでっかいイノシシ泳いでるんやで〜警察呼んで、役所呼んで、NHK大津呼んで、そら大変やったわ〜〜」とまだ興奮覚めやらぬ状態で・・・ 「そらそやろ誰でもびっくりするわな〜で?どうなったん?イノシシ鍋はいつなん?」と聞くと 「はあ??なんでイノシシ鍋やねん!そら食べよう思ったけど、100kgあんねんで〜なんぼなんでも1人じゃ上がらんやろ!そやから警察呼んで・・・・・みんなで助けたんや!」 「ほなよかったな〜〜」と言うと 「だ〜か〜ら〜NHK来たんやで〜インタビューもされてやなテレビに写るかもしれんやろ!ほやし写ったらビデオ撮っといて!」 と言われてしまった。 案の定夜7時前の近江発の番組でおもいっきり緊張した面持ちでインタビューを受けている友達の姿が映り出されて、我が家でも大笑いさせてもらいました。 これからこの友達はこのネタでいつまでお酒が飲めるのか?たぶん今年いっぱい、来年の春までこのネタで盛り上がるだろう・・・
肝心のイノシシさんは無事山へと帰っていったとさ。チャンチャン。 こんなおもしろいことがあったのに、土曜日はカウプレの話題で盛り上がってしまい、この話をすることが出来なかったのが残念でしょうがない・・・
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