にゃも日記
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2006年05月24日(水)

この間、お葬式でした。
小康状態だったんで、こっちに戻ってきてたんですけど、
妹の旦那の問題に振り回されているうちに、逝ってしまった。
早朝、亡くなって4時間も経ってから、地元から電話がありました。
これは心残り。
退院して、家でと、思ってたしね……。
この日はバスで駆けつけて、じーさんの顔を見ました。
眠っているようでした。
苦しまずに逝ったんだなぁ、やっと家に帰れたね、とか、うっすらと思っていた。
思いながら、言葉が出ず、涙だけ出た。

めったに会わないおじさんに、「あんたはよく可愛がってもらっとったな」
と言われて、もう、たまりませんでした。
本当にそうでした。

忙しいから、亡くなってすぐは意外と平気なんだとか聞きますが、まさにそのとおりです。
帰った当日にお通夜、翌日告別式でした。

今でも、日が浅いせいか、もうじーさんは居ないというのが、実感できません。
写真に向かって話しかけたりしている、怪しい人になっていますが、
このときぐらいは、許してくださいね。


うちでは、焼き場へお骨を拾いに行くのは男性だけみたいです。
何でか知らんのですが、その間女性陣は、葬儀場の別室で待機です。
男性陣が出て行った後、骨壷忘れてた!と、葬儀会社の人が戻ってきました。
じーさん、怒るで。

一通り終わって、みんなで食事をして解散の段になりました。
ここで、目が点になったことがありました。
ちょいと聞いてもらえますかね。

マイクロバスで店に向かおうとしたところ、
実の父親がなくなったというのに、(ウチの父たちは三兄弟なのですが)
一番下のオッサンが、伯父と父に、
「まだ行くんか?もうええやんか。俺さっきパン食って腹すいてへんからええわ。
もうしんどいわ〜、昨日寝てへんし眠い。帰りたい!」
と、駄々をこねているんです。
何とか宥めて、マイクロバスに詰め込みました。
私もバスに乗ったんですけど、ずーっとこのオッサンは怒ってた。

店に着きました。
このオッサンは、出てきた料理を全て平らげていました。
誰に聞かれたわけでもないのに、「無理やり詰め込んだ」と言ってました。
まー、読める展開ですよね。ここまでは。

みんなが、車を置いている葬儀場まで(そこで解散)マイクロバスで帰ろうとしたとき。
このオッサンが、マイクロバスの運転手さんに、
「なんでまた葬儀場に戻るんだ、もう用は済んだはずだろ!!!」と絡むのよ。
で、バスが動かないんだわ。
酔っ払ってるんか?と観察してたんですが、ほかのおじさんたちも、
引くか酔っ払ってるかでしてね。
というか、まさかそんなことを言い出すとは思わず、
言ってる意味が分らなかったというのもあって、止める人は居ませんでした。
運転手さん、受難でした。
ずーっと、家に向かえとか、何故葬儀場なんだ!とか、絡んでんの。
異変を察知した父が止めに入ったら「何で兄貴だけ自家用車で来ているんだ!」
とか、わけの分らないことで怒っていたんです。
しらふです。
自家用車といっても、式後の荷物などを積むためで、家にまっすぐ帰るためじゃありません。

切れた父と伯父が、「ではお前だけ歩いて帰れ。」と、バスを発車させました。
みんなの気持ちを台無しにした自覚が、このオッサンには、あるんだろうか。

食事代も、葬儀代も出さず、数珠を忘れネクタイを忘れ、
「一応とっといてや」「いやいや貰わんことにしてるんで気持ちだけ」
という、おじさん同士の香典合戦を「貰っとけばいいやんか」
「待合室での飲食代に充てようや」と違う方向に取り……。
(この後違う方から香典をゲットしたオッサンは、本当に喪服を着たまま
買出し先のレジで香典袋を開けようとした。ほんまにびっくりした)

よくわからんねぇ……。
じーさんも、困るよねぇ。
もう、ばーちゃんに会えたかなぁ?と、ふと思う。
入院してしんどかっただろうから、楽になっているといいなぁ。


2006年05月19日(金)

ハロワに行ってきました。
意外と駅から近くてよかった。綺麗なとこでした。
手続きは、まずアンケートみたいなのと、求職票を書いて、おじさんと面談。
派遣とパートは不可にしとくで〜と、さくさく丸をつけられた。
何で辞めたの?とか聞かれると思ったんだけど、意外と平気だった。
”これこれで通院中”と、書いたからかな?
私は、退職理由は”自己都合(” ←中途半端に書きかけてやめた(笑)
でも、特に突っ込みはナシ。何年働いたのかは、聞かれたけど。
結構マッタリした人で、初めての面接@人事の人と みたいなのを思い出しました。

別の窓口で、はんこを押したりして、書類と写真を出して、祖父のことを簡単に話す。
何かあれば即一時帰省・求職に支障なしと備考欄に書いてくれました。
隣の人は、何を言ったのか知らないけど、係の人にガミガミ言われてた。
「それはこっちが決めることです!!」とか、ビシビシと。
あの人に当たらなくてよかった……と、思いながら少し待つ。
失業給付とでっかく書いてある、手引きの冊子を渡されて、あっけなく終了。

来週あたりから、本格的にセミナーに参加したりするっぽいです。
次に行く日と、初回の認定日が、もう決まっていました。
これってスーツ着ていくの?私服でいいの?そんな事が気になってしまいます。
……ソコソコ普通な私服で行くことにします。
ひとつきの間、ハロワから(?)の就職紹介のみ受ける、みたいなこと書いてある。
2ヶ月目からは、一般のところで就職活動してもいいみたい。
なんか色々制限があるねぇ。まだよーわからんけど。

帰りに病院へ行き、吸入を貰いました。
ここの先生が、ほんとにいい人なんだ。
予約電話のときに、花粉が良く飛んでますから気をつけてとか、
お正月はいかがでしたかとか、必ず一言添えてくれるんです。
最近だと、黄砂が増えてきましたが咳は出てませんか、とか。
季節の移り変わりに気をつけるようになったところもあります。
これで仕事の疲れが軽くなったのは、一度や二度じゃなかったよ。

歯医者も行きました。親知らずを抜きませんかと言われました。
怖いんですけど。


2006年05月18日(木)

じーさんが小康状態なので、手続きなどしてきました。
日によって、体調はまちまち。
生きていてほしいとも思うんす。私の勝手なんだろうけど。
出来ることを今のうちにやっておく、やるべきはこれかなぁとか。


・健康保険
今かかっている病院があるので、継続医療の手続きをしました。
会社から、継続医療へ切り替えの書類をもらい、保険組合に返送。
今までの保険証を会社に返し、新しい保険証を組合にもらいに行く。
保険料は月に約2万3千円。毎月10日までに銀行窓口振込みです。
5月分は貰いに行った時点で現金をきっちりと渡します。
そして、払い込み票を、1年分、どっさり渡されます。
残りの納付書1年分は、来年納期が近づいたときに、送ってくれるとか。
1日でも遅れたら、その時点で国民健康保険に強制切り替え。
無駄に厳しいと思いませんか?こんなもんか?


・年金
離職票があれば、2年間免除が受けられるみたいです。
審査結果は後日郵送されます。(離職票があるから多分通る:窓口のおじさん談)
免除になると、その期間の年金は、3分の1の期間納めたという扱いになります。
半分収めると、その期間は3分の2の年金を払った扱いになり、お得です、とか。
7月ぐらいからは、4分の3を納めるなどといった
いいんだか悪いんだか良く分らない、分納も出来るようになるみたいです。
後で遡って納めることも出来ます。(だが断る。)
私は、落ち着くまでは免除ということにしてもらいました。
同じなのか分らないけど、うちの区では、毎年6月末が免除申請期間の区切りらしく、
7月に入ってから、再度免除申請に行かなければいけません。

初めて会社を辞めたとき、こんな制度があるのを知らなくて、
必死に分納した思い出があります。住民税と年金と保険の請求が一気に来てさ。
「払えませんどうしましょうか!!!」って電話したら、
「大丈夫ですよ〜いい方法がありますよ!分・納・できます☆」って。
本当にこう言われて、頭が真っ白になったことを昨日のように思い出します。
再就職してからも納めてたんすよ。……。

……ていうかね、びっくりしたのは、職員さんたちの、雰囲気とかです。
終業の合図とともに、一斉に駅へ向かうわけ。ぞろぞろと。
10分前から帰宅の用意、してただろ?してたよな?っていう素早さなのよ。
まだ時間内なのにさ、「もうしまおか〜」とか言ってんのよ。
ここにおるわ!早いわ!帰るなボケ!と、心の中で毒づいた。ごめん。
何ででしょうかねぇ、やたらカチカチきてしまって。
お門違いでしょうか?免除してもらっといてアレなんですけど!!
公務員いいなぁチックショー!!!って少し思いました。


・住民税
ハローワークで写真つきの離職票?をもらい、区の窓口に出すと、
住民税が減免されるようです。
まだ手続きは行ってませんが、どーなるかなぁ。

離職票があると、ハロワに失業給付申請するときの
住民票記載事項証明書を無料で発行してもらえます。
(印鑑証明と、住民票もいるので、助かります。)
何かと小銭が入用ですけど、まだまだ始まったばかりの無職求職生活。

次はハロワに行く!
初ハロワ。場所はネットで調べました。googleから地図へ。
時刻表とかも一発じゃないっすか。便利になったね。


前の会社から、まだ仕事のことで電話があったり、
メールで指示出したりして、辞めた気がしない部分もあったりです。
忙しいが平和だったな。


2006年05月17日(水)

妹から電話がありました。
元気かというのもソコソコに、また揉めたと聞く。
で、ですね。言わせていただきたい。
情けなくて口ではうまく言えませんねん!!!!!

あの(妹の)旦那だったらそうでしょうともーっていう感じの人だから、
揉めたというのは特に驚きもしない。
初対面で、「●●(妹)と俺が喧嘩した時は(にゃもに)泣き付いていくと思いますので!
●●をよろしくおねがいしますね〜」とか
超絶バカなことを涼しい顔で爽やかに言ってのけたんだす。
どーみても、「よろしく」って内容じゃあないですよね。
普通はさ、幸せにしますので今後とも……とか言わないかね。
潮がサーッと引くように、ああ、こいつはだめだと思ったんですよ。
当時、言ったんだよ、奴と同じ匂いがするからやめとけと。
子は産めばいいさ、でも入籍はやめてと。
絶対パチンコはやめないし、言い訳ばっかりして働かないし
その場限りのうそをついて適当に逃げるからって言ったんだよね。
絶対口だけのハリボテなのだ!!とか、散々言った(笑)
姉ひでー!とか思ってたんだろうね。
確かに言いすぎだったけど、初対面から嫌いだったし
やっぱり。当たっただろ。 と、冷めた感じで納得した。
子供の教育上、良くないこともたくさん起こしているらしい。

でも聞かなかったのは妹だったからねぇ。
だめだと思ったら、今からでも別れればいいとおもうよ。
このままじゃ自転車から大車輪の末、間違いなく路頭に迷うんだし、
自分でこさえた借金は返済させりゃいいし、自己破産でも何でもやらせればいいよ。

なんて言ってたら、うちの父が旦那にお金をまた貸したっていうわけ。
まあ、自分の懐から出すんだったら、いいけども、
私の貯金に また手をつけた。というのを妹から聞いた。
つまりもう、ほんとに私が預けていた分は、すっからかんのゼロ円になった。
じーさんの事で、伯父と父が一層こじれて、何の相談もなく進めてしまって。
当たり前だけど借用書なんてない。男同士の約束だけ。(アホやね)
なんというかもう……。本当にもう、終わったと思った。

こいつは絶対またやるだろ。

と、思いませんか?
自分で稼ぐという頭がない、借りれば自分のものと勘違いする、
なければ借りればいい、そういう思考回路だと思うんですよ。

それこそ出す金がなくなるまでたかり続けると思う。
まあね、一人暮らしで、自分だけに跳ね返るなら勝手にすればいいけど、
家賃払ってない、携帯代先月から払ってないって今更何をいってんだろ。
なんでアカの他人がパチンコに使った金を私が出すんだよ?
返せてないのに何でまた貸すんだよバカかお前ら?
父親の自覚なさすぎとかいって、アメリカパンチでもお見舞いしてやりゃ良かったんだ。
いや、私がお見舞いしてやりたいのよ。でも顔も見たくないからやめとく。
殴ってでも妹を止めてれば良かった。

じーさんが、いつどうなるか分らないときに、こんな下らない事で
親が二人揃ってはるばる出てきて、間抜けだよな。
てかもうほんとにこの男、一度臓器売買でもしてしまえばいいのに。
なんぼか大事な命も助かるだろうに。
DQNの繁殖力だけはよーくわかりました。もういいですごちそうさまでした。

と、いうのが、本音です。すんません。
誰にも言えませんでした。お疲れ様でした。


2006年05月09日(火)

先月、長いことお世話になった会社を退職。
今、無職、か…。
イザなってみると、ヒマやね。
ヒマやけど、次の職探しや手続きとか、忙しいね。

連休から地元へ帰ってます。(連休というか、ずっと休みなんだけどさ)
じーちゃんが、かなり悪く、もう食事もとれなくなってた。
点滴だけ。
病院の方針で、最期は自宅で看とるようで、退院=安心、ではないです。
父は、見るに堪えないようで…。見舞いには余り行こうとしません。
多分間もなく来るであろう、その時は
悲しいけど、必ず来るものと分かってるから、覚悟はしないといけない。
でも諦められない。悔しい。
もっと元気なときに、沢山会いに行けば良かった。

なんかこう、たまたま通販のカタログが来て、いつもなら目に入らない黒のスーツが目に止まり、
仕事を辞めていつでも駆け付けられる状態になり、
髪も整え、普段はフィッティングがかったるい靴も直ぐに何足か買ったりしました。
全体的に、何か見えない力で、見送りの準備へと流されてるみたい。
それが一層、
避けられないんだなあという虚しさみたいのと、心の準備をという覚悟を強めてます。


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