Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2010年01月29日(金)  Nine Stories

「一番好きな作家は?」と訊かれることが多く、この私がどれだけ本を読んでいると思ってるんだ、簡単に一番を訊くなよと思いながらも、こう答える。「J・D・サリンジャーです」と。
昨夜もこの会話をしたばかりだ。そしたら、"Oh, you like classic novels."と言われて面食らった。私にとってサリンジャーは、まさしく現代――というか「現在」であり、今後の私の人生がどこに行くかにも影響するであろうことを考えると未来ですらある。
サリンジャーが好きだと答えた後、私はたいがいこう続ける。「サリンジャーは1919年1月1日生まれで、ということは今91歳なんですよ」と。私は彼の生年月日を覚えているのだ。
サリンジャーが高齢であるということが、私にとって常に微かな不安だった。カート・ヴォネガットの死に大泣きして以来、私が恐れてきたのは、ブラッドベリ(現在89歳)とサリンジャーの死であった。

出版された本はわずか5冊。最後の作品である「ハプワース16, 1924」(英語では雑誌掲載のみ)は1965年。
それでも彼は、初めて"Nine Stories"を読んだ16歳の時からずっと、私の最も愛する作家だ。これまでに3,000冊近い本を読んだが、"Nine Stories"以上に愛する本はない。
"Nine Stories"は、もう自分が書いたとしか思えなかった。自分の迷いや願い、恥と葛藤と希望が全て書かれていることに唖然とした。9つの短編のひとつひとつの結末が、ただ人間の感情という一点において衝撃的であり、今でも9つのどのタイトルを聞いても涙ぐみそうになる。
まず日本語で読んだ。それから無理やり英語で読んだ。もっと英語力をつけてまた読んだ。もっともっと英語力をつけてまた読んだ。もっともっともっと英語力をつけてまた読んだ。いずれもっともっともっともっと英語力をつけてまた読む。
英語を愛するきっかけになったのは洋楽だが、英語力を高めたいと思わせたのは、サリンジャーであると言っても過言ではない。

"Franny and Zooey"のラストでは、ゾーイーの一言にミステリーのどんでん返しを読んだ時以上に驚き、不意をつかれて泣いた。
実家が教会の隣で、教会の幼稚園に通ったにも関わらず無神論者である私は、子供の頃に聴いたサイモン&ガーファンクルの"The Sound Of Silence"のラストの歌詞を読んで、ぼんやりと「神さま」というイメージを宗教とは違ったところに抱くようになったが。「フラニーとゾーイー」の、神についてのゾーイーの一言は、悩んでいたフラニーを救い、同時に私をも救った。

サリンジャーに一度会ってみたいと思っていた。彼は普通の家で普通に暮らしていたんだから、会いに行くのは簡単だったろう。だが、同じように考えている人間が大勢いただろうし、彼自身はそういうことを嫌う隠遁者だった。
それにどうせ会ったところで私は、何も言えなかっただろう。せいぜい「私はあなたの作品を泣くほど愛しています」と言うだけだ。結局それ以外何も言いたいことなどないし。

カート・ヴォネガットが死んだ時、私は当時はまだあった自分のbbsにでかい字で「世界中の皆さん、カート・ヴォネガットが死んでしまいました」と書いた。
でも今日は、「世界中の皆さん」はどうでもいい。サリンジャーは、すでに私の「プライベート」だから。

―――これ以上何を書けばいいんだ。
4時間泣いて、手足が氷みたいだし、頭がぼうっとするんで、今計ってみたらやっぱり熱が出てるよ。
サリンジャーが、死んでしまったんだなあ。
作家としては半世紀も前に死んだも同然の人だったが、この世のどこかにサリンジャーが生きているということは、ずっと私の意識下にあった。
このふたつ前の段落の文章を全部現在形で書いてしまって、全部過去形に書き直したよ。まだ、よくわかってないらしい。

ジェローム・ディヴィッド・サリンジャー。
私は今、あなたの訃報に接して泣いていますが。でも、初めて「ナイン・ストーリーズ」を読んだ時、そして「フラニーとゾーイー」を読んだ時ほどではありません。
私はあなたの作品を愛してます。―――これは現在形でいいんだな。
これからも読み返します。あなたは死んでしまいましたが、私の未来はあなたと共にあります。

Nine Stories (私がこの世で最も愛する本)  *Jarome David Salingerの著書 (1953)



2010年01月25日(月)  I can play A

コートニー・ラヴがTwitterに一行だけ、こう書いていた。
I can play A
ごくシンプルな文である。句読点こそ使っていないが、姐さんにしちゃ珍しく文法的にも問題ない。が、ふと思う。
ひょっとしてこの文の意味がわからない人間もいたりして?

日本語の文章を読んでいて、「SE」という言葉が説明抜きで無造作に出てくると、私は反射的に「効果音」(Sound Effect)と受け取る。音楽の世界ではそれが普通である。が、どうもその意味でないことが多い。
「システム・エンジニア」なんて言葉は、「効果音」の意味のSEより後から出来たのだ。SEと書けば万人がそう読む筈だと決めないで欲しい。英英辞書をいくつか引いたところ、「SE」の意味のトップは"south-east"で、次が"selenium"(元素のセレニウム)だ。Wikipediaには、実に37項目の「SE」がある。
同じ言葉を使っているつもりでも、大きな隔たりがあるかもしれない。自分の常識が世間の常識だと思わないほうがいい。

I can play A
ネイティヴでも意味がわからない人が、もしかしたらいるのかもしれない。
ところが、殆ど英語が出来なくても、この文の意味を即座に解する日本人は多い筈だ。少なくとも私の周りではそれが「常識」である。
そして私は、これを当り前にわかる人間が好きなんだ。



2010年01月23日(土)  I love him so much it just turns to hate

何故私が今夜、家で一人で「ゴジラ」(1954年)のDVDを見ていたかの詳細は省く。問題はそこではないのだ。(どうしても知りたい方はここを参照。送ってくれて有難う武田くん)
要は、この日本が誇る「ゴジラ」が、実は"The Beast from 20,000 Fathoms"(1953年)というアメリカ映画のパクリだというのだ。YouTubeで見てみたところ(何でも即座に見られるYouTubeって素晴らしい)、あら本当だ、そっくり。
この映画の中で、恐竜は海から上がってきて灯台に前足をかけて破壊する。まさしくゴジラが放送塔を倒すシーンそのもの。・・・って。待って。
海から来た恐竜が灯台を壊す?
そのイメージは、よく知ってるわ。

なんと。Wikipediaによれば、この"The Beast from 20,000 Fathoms"自体が小説を下敷きにしており、その小説とは、私の愛するレイ・ブラッドベリの、"The Fog Horn"―――「霧笛」であるというのだ。
つまりゴジラの大元は、ブラッドベリということになる。

「霧笛」は短編だ。私は15歳以降に読んだ約2,500冊の本の記録を取っているが、その中に「霧笛」が収録されている短編集「ウは宇宙船のウ」(原題"R Is For Rocket")はない。だが、読んだのは14歳で間違いないと思う。
ブラッドベリで最初に読んだのは「10月はたそがれの国」(原題"October Country")で、これを学校の休み時間に教室で読んでいた記憶が今でもはっきりとある。私は感動していた。あまりに感動して、周りの生徒達を見渡して思った。彼らはこれを知らない。私は知っている。私と彼らの世界は違う。私は明らかに彼らより幸福である、と。そんな特権意識にも等しいほどの満足を、その本は与えてくれえた。
その次に読んだのが「ウは宇宙船のウ」(何とかならんのかなこの邦題)で、「霧笛」は、ベッドに入ってスタンドの明かりで読んでいたのを覚えている。
恐竜が、海から来て、灯台を壊す。
―――だからね、あまり何かを愛しすぎないほうがいい。
茫然とするほどうつくしく哀しい話で、多感な14歳だった私はぼろぼろ泣いて―――いや、今だって思い出すだけで涙ぐむ始末だ。
そして今でもやっぱり14歳の頃のように、こう思う。世の中には、これを知らずに生きている人がたくさんいるんだなあ、と。

好きな作家はいくらもいるが。14歳の時点で私の中に壮絶なセンチメンタリズムを培ったのがブラッドベリであり、うつくしいものしか読みたくない―――ひいてはうつくしくないものは嫌いだという観念が育ってしまったおかげで、今でも何かと人生が難しい。

しかし何をうつくしいと思うかは色々である。
まさかゴジラがブラッドベリと結びつくとは思わなかったが。ゴジラはゴジラで、しっかりと美学を内包していると思う。

I love him so much it just turns to hate (あまりに愛しすぎると、憎しみに変わる)  *Doll Parts / Hole (1994) の歌詞。



2010年01月21日(木)  Do you read me?

昨日の日記に「なんて下品な"fuck"だろう」と書いた。じゃあ下品じゃない"fuck"があるのかというと。
ソニック・ユースの"I dreamed I dream"でキムが言う"Fucking youth."という一言は、まさに清潔だと思う。これを初めて聴いた時、「・・・きれいな"fuck"だなあ」とうっとりした。
キム・ゴードンという存在は、私から見ると無垢の権化だ。こういう女に愛されているサーストン・ムーアが羨ましい。私が男だったらキムを嫁に欲しい。

今日もiPodでソニック・ユースを聴きながら街を歩く。元ダンナ(b)に「ソニック・ユースを焼いて」と頼んだら、50枚+メンバーのソロ32枚=82枚ぶんの音源が送られてきたのが2008年10月。勿論未だに全然聴き終えていない。なので、iPodをシャッフルにしておくと、しょっちゅうソニック・ユースの聴いたことのない曲がかかる。けれどいつも即座にソニック・ユースだとわかるし、例外なくかっこいい。

元ダンナといえば、つまんねえ嘘つきやがったので一旦絶縁したことは、去年の6月の日記に書いたが。12月にふとメールを送って、とりあえず許した。タイトルが「おい」で、本文が「謝れ」だけという、やさしさに満ち溢れたメールである。
半年ぶりの連絡だ。元ダンナは今でも私マニアである筈だから、半年間辛かっただろう。反省しやがれ。
連絡をもらった元ダンナがクリスマスにお金を振込んでくれたので、そのお金で、一人用ブッシュ・ド・ノエルという非常に寂しさを盛り上げるケーキを買って食べた。去年のクリスマスは、結局あえて何一つ予定を入れず、一人で過ごしていたのだ。
この時の、わざわざ選んだ寂しさの中に勝手にしみじみ感じていた清々しさは、それこそ私が抱いている"I Dreamed I Dream"の厳粛なイメージに重なるなと思う。

Do you read me? (このメールのやさしさがわかる?)  *I Dreamed I Dream / Sonic Youth (1982) の歌詞。



2010年01月20日(水)  You're gonna let me hear the lost cord toninght, yeah

音楽情報が殆どないので、先月LEO(g)に言われてはじめて、コートニー・ラヴが1月に新譜を出す予定でいることを知った。タイトルが"Nobody's Daughter"だというので、娘の親権を失った直後に出すにしちゃまたなんというタイトル・・・と思いつつ、YouTubeで検索してみたら、2007年のライヴ映像が出てきた。そういえばもうこの頃から新譜に着手してたんだっけな。いつまでも出ないから、頓挫したかと思い込んでたわ。

前作(初ソロ)は2004年。1曲めの"Mono"は最高だった。信じ難いほど直球勝負のけたたましいバイオレント・ポップで、ホール時代の倦怠も色気も吹っ飛ばしたのが逆に新境地という感じだ。だが2曲めの"But Julian, I'm a Little Bit Older Than You"は、言っちゃ悪いがよくもここまでひどい曲が作れたもんだと思ったし(ストロークスのジュリアンのことを歌っているってのがまた気に入らない)、残りは全部中途半端でどうでもよかった。

なのでこの映像も全く期待せずに見た。
最初のおそろしく安っぽいキーボードに一瞬ひるんだが。聴いていくとこれが思いのほかいい。作曲は他人だろうな。これまでに比べたらスタンダードに近い。声がいい感じに枯れて、おそらく衰えている。それが色っぽい。ちょうど激痩せした頃で、尖った肩の骨をくいっと上げて歌う。
リズム隊は無個性だし、美人で性格も良さそうなキーボードは演奏もコーラスもお嬢さん芸で耳障りだし、終盤のテンポアップは陳腐だが。それらを無視しようと思わせるくらい、コートニーに雰囲気がある。
"This is the day that I fuck up."と歌った時は痺れた。なんて下品な"fuck"だ。おかげで、次に同じメロで"This is the day that I give up."と歌う時は、力の抜き加減がぐっとくる。

しかし。同じ曲のスタジオデモ音源を聴くと、装飾過剰で退屈でひたすらただ安っぽい。最終仕上がりはどうなることか。
というか一月ももう下旬だが。本当に新譜は出るのか?

You're gonna let me hear the lost cord tonight, yeah (頓挫したかと思っていた新譜を今こそ聴かせて)  *Mono / Coutney Love (2004) の歌詞。



2010年01月19日(火)  But for seven years

数日前にふと髪を切ろうかなと思った。子供の頃からロングとショートを繰り返してきたので、髪が立つほどのベリーショートにしたことも何度かある。
で、ネットのヘアカタログで画像を山のように見ていたら、自分そっくりの、前髪をぱつんと切った赤いストレートロングの画像があった。結局これが一番目を引いたので、とりあえず今は切らないことに。

しかし。既に現在、腰骨に届く長さである。そろそろ洋式トイレすら危険に感じ始めた。
とにかくこのくらい長いと、全ての動作に気を配る必要がある。何かを拾う時も、普通に前に屈むと髪がばさっと落ちてきて地面につくので、上半身はそのままで膝だけ曲げて横から拾う。結果的になにやらエレガントだ。
3年前に、同じくらいの髪の長さの子(b)に出会って、髪の話で盛り上がったことがある。ひととおり話し合った後に私が訊いた。「ねえ、してる時って髪が邪魔なことない?」
そしたら彼女が、「ああ、あたしいつもお団子にしちゃう」と答え、その場で器用にくるくるっと頭上に結わえ上げた。そこまでてきぱき対処しちゃうと風俗嬢みたいだと思ったが、口には出さなかった。彼女は、本物の風俗嬢だったので。

ところでこの冬、髪の静電気がすごい。
一ヶ月前に、珍しく恵比寿なんていうお洒落な場所でパーティーに参加したのだが。その日が私の「静電気デビュー」だった。髪が、ふわふわとまとわりついてくるので、おかげで一日ずっとロングコートが脱げなかった。脱いだ瞬間にばりばりきそうだったのだ。
その後トリートメントをディープなものに変え、更に洗い流さないトリートメントと静電気除去ブラシを購入して、今は何とかおさまっている。
2002年からずっと毎日ヘアアイロンを使っていたので、傷みきっているんだろう。2009年夏にアイロンをやめ、以来ヘアケアを心がけてはいるが。
何しろ7年間の蹂躙の後なので。今さら慌ててちょっとケアしても、殴る蹴るして足腰たたなくしておいてから「大丈夫?」といってバンドエイドを貼ってるようなもんだろうなあ。

But for seven years (だって7年間も痛めつけたから)  *Seven Years / Natalie Merchant (1995) の歌詞。



2010年01月17日(日)  Don't want to die uneasy, just let me go naturally

昨日、3週間ぶりにスタジオに入って、そのまま飲みに行き。帰ってベッドに入ったら、酔ってるせいでふと涙が止まらなくなって困った。
その日の朝にABCのニュースでハイチ震災の特集を見たのだ。夥しい人数がいまだに瓦礫の下敷きになっているのに、救助が遅れているせいで助け出せずにいると。

目が覚めて、イーバンクのハイチ地震義援金に1,000円寄付する。イーバンクは大震災などがあるとたいてい寄付を募るから、口座を持っていると簡単に寄付出来ていい。
昨夜めそめそしていた時は、よし2,000円寄付しようと思っていたのに。起きてみたら、「・・・最近カネないし」と尻込みして1,000円になった。でも私の稼ぎを考えたら多いだろ。
募金は盲導犬と大地震だけと決めている。私のメイン募金である盲導犬募金は、その時々の募金に加え、去年から「子犬賛助会員」というのになった。毎年3,000円の募金が引き落とされる。「親犬賛助会員」だと毎年10,000円なので、これはもう私には無理である。
あとはたまに駅前でホームレス救済雑誌である"Big Issue"を買うくらいで、それ以外の募金は基本的に無視だ。今日も新宿駅前で、「ガーナの貧しい子供たちに愛の手を!」と声を張り上げる子供たちの横を素通りした。
そんなに何もかも救えませんというのもあるが。要は私は、自分が一番耐えられないことだけにお金を払っているのだ。「失明」と「生き埋め」に。

この数年でどんどん、誰かが苦痛を覚えるということが耐えられなくなってきた。私はミステリーが好きだが、残酷な描写は(もともと好きではないが)もう一切読みたくない。
私の母親が極度の閉所恐怖症であると知ったのは、一年ちょっと前である。私のそれも、母の遺伝だったんだ。それを知って以来、母が何かで苦しむと思うとぞっとするようになった。ずっと母に対して批判的で冷たい娘であったが、なのに、母が例えば何かの苦しさに耐えると考えるだけで我慢出来ないのだ。
いやもう、誰であっても、なんであっても生き物が苦しむのはいやだ。
そして今自分の最大の願いは、ラクに死にたいということだ。死ぬのは怖くない。だけど苦しみたくない。

神さま、あたし今日震災募金に1,000円払いました。だからあたしを助けてください。地震にだけはあわないで済むように。いや、あってもいいですから、せめて生き埋めにだけはならないように。あたし閉所恐怖症なんです。シャワーのたびにパニック起こしてます。ゾラの「ジェルミナール」で炭鉱落盤事故のことを読んでトラウマになりました。痛いのなんかいくらでも我慢します。一年前に腹を20cm切られて臓器を3つ4つ取られた時もちゃんと我慢しました。だけど生き埋めだけは勘弁して下さい。
そして何よりも、失明だけは勘弁してください。眼が見えないのは究極の閉所です。眼が見えなくなったらあたし確実に気が狂います。

―――神さまなんていない。神が存在するなら、この世は、不条理を超えて、理不尽だ。宗教は嫌いだし、来世での救いなんてなんの役にも立たない。
けれど。私は暗い宇宙の中に、なんか―――何かの意思がうごめいているのを想像して、ソレに呼びかける。
神さま、あたしとあたしの母親を救ってください。
それから出来ればもう誰も生き埋めにしないでください。

Don't want to die uneasy, just let me go naturally (恐怖症で苦しんで死にたくないんだ。ただ普通に死なせて下さい)  *And When I Die / Laura Nro (1967) の歌詞。



2010年01月13日(水)  It's alright. There comes a time. Got no patience to search for peace of mind

10日の日記を読んだマチちゃんからメールが来た。そうだ、ジョン・フルシャンテの"Will To Death"はマチちゃんが送ってくれたんだった。
マチちゃんにはジョンを何枚も焼いてもらったな。2007年には「まさかのATAXIAの2nd」も送ってもらった。お礼にアリス・イン・チェインズの"Unplugged"のDVDを焼いて送ったっけ。私がそのDVDのことを日記に書いたのを見て、マチちゃんも見たがったから。

私自身のDVDはベイビー(g)にもらった。彼が買って届けてくれたので、うちで一緒に見たのだが。
"Sludge Factory"の出だしでボーカルのレイン・ステイリーが歌詞を間違い、"Fuck!"と叫んで演奏を止めた後に、少し間をおいてひとこと言う。ベイビーに「これ、なんて言ってるの?」と訊かれたが、私はわからなかった。
いや、"What's my motivation here?"(俺がここにいるのは何の為だ?)という言葉は聞き取れた。だが問題は、彼がそれを言った瞬間に観客が笑ったのだ。この笑いの意味がわからない。何か私の知らない背景でもあるのか。ちょっとネット検索もかけてみたが、何も出てこなかったので、そのままになった。

で、去年の秋によそのサイトでアリス・イン・チェインズのライヴ映像を見ていたら、ふとこのことを思い出し、もう一度調べてみた。今度はYouTubeで"Unplugged"の"Sludge Factory"の映像を出し、1,000件あまりのコメントをざっと読んでみた。例のセリフ自体はしょっちゅう引用されているが、どうもネイティヴもわかっていないようで、実際これがどういう意味なのかと問うコメントもあった。「これは俳優が台詞を忘れた時の決まり文句だ」というレスがあったが。確認する為にあらたにネット検索しても全くそういう「決まり文句」など出てこないので、かなり疑わしい。
レインのセリフの前に観客が何か叫んでいるのが鍵なのではと思ったが、声が小さいし他の喋りとかぶっていて全く聞き取れない。
だがついにそれに言及しているコメントを発見。観客が"Quit fucking us!"と言っているというのだ。・・・ああ、言われてみれば確かにそう聞こえ・・・ない、声が小さくて。だがそれならようやく意味が通る。「俺らをコケにすんじゃねえ!」と言った観客に対して、「じゃ、俺は何しにここに来たんだ?」となる。
・・・ようやくすっきり。嬉しくて、授業に来た生徒にまでYouTubeを見せて説明する始末w

しかし。同時期にPodcastで見たこの1コマ漫画(のアニメ版)はさっぱりわからない。セリフすらないのに理解出来ない。やはりこれもYouTubdeで探してコメントを見るが。こちらも「意味がわからない・・・」と言っているネイティヴがいる。
"Not every state uses punch cards like Florida. Hell, if I hadn't happened to watch that movie about the 2000 election, I wouldn't have gotten it either."(全部の州がフロリダみたいにパンチカードを使ってるわけじゃないんだ。俺だってたまたま2000年の選挙の映画を観てなかったら意味がわかんねえよ)というコメントがあったので、それを頼りに検索を続け、2000年の米大統領選挙でフロリダのパンチ式投票用紙に不備があった件をベースにしているんだということはわかった。タイトルの"Hanging chad"は、パンチ穴のくずが、はしがつながって落ちずにいるのを言うらしい。
―――で? だから??
"hanging 〜"は「吊るし首の」という意味になるので、パンチ穴を間違って打つと、自分自身が"hanging"になってしまうということかとも思うが、だったら面白くない。係員が全く動じずに次の投票者にどうぞと指し示すのが何より解せない。 
これがノンネイティヴの辛いところで。笑えない理由が、ジョーク自体の問題なのか、自分の英語力の欠如なのかが判らないのだ。ネイティヴであればどんな馬鹿でも、自分で自信を持って「つまんねえ」と判断を下してしまえるのに。――例え間違っていてもね。

*この文章を書いた後でふと、1コマ漫画を動画にしているのがまずかったのではと思い、元の漫画を見てみたところ、あっさり解決。一番腑に落ちなかった係員の対応が漫画では描かれておらず、単なる"hanging"の駄洒落だと判る。であれば、まあ大笑いもしないけど、疑問もない。瞬時に判れば面白かったのかもしれないが。

It's alright. There comes a time. Got no patience to search for peace of mind (まあいいさ。いつかそのうちわかるようになるよ。今は、すっきりした回答を得る為のグーグル検索が面倒だけどね)  *No Excuses / Alice In Chains (1994) の歌詞。



2010年01月11日(月)  You know it breaks my heart. Can't see you going out like that. Stay alive my Love

そして半年の間に、姐さんがえらいことになっている。

かつては夫の遺品を売り払って非難されたコートニー・ラヴだが。昨年夏には夫の「イメージ」をビデオゲームに売り渡した。それを「アンロック」してボン・ジョビを歌わせた映像がYouTubeに流れるやニルヴァーナのファンが激怒し、姐さんがまたも叩かれた。この件にたいして私がどう思うかはすでにessayに書いた。
実は私は、音楽的にはニルヴァーナの方をホールより評価している。が、死んだ人間を神聖化したり、外野から眺めて他人を貶めようとする「世間」に虫唾が走るだけだ。

12月には姐さんは娘の親権を――当の娘自身の意思で――失い、裁判所から接近禁止命令を出された。
姐さんがどんな羽目に陥っても、一人娘がいれば大丈夫かと思っていたのに。見捨てないでほしかったなあと思うが、理由が暴力らしいので無理もない。
娘であるフランシス・ビーンは、今日に至るまで世間の注目を浴びてきたようだが。世のニルヴァーナファン達が彼女を「カートのエンジェル」などと言うのを聞くと反吐が出る。ましてコートニーを"bad mom"と非難するなど。
女が自分の腹から産んだ子供のことで、他人から非難を受けるなんて、これ以上に腹立たしいことはないだろう。無論、自分の子だからどう扱ってもいいわけはないが、そこに文句をつけることは、きちんと内情を知る近しい関係者にしか許されない筈だ。

年明けと同時に、今度は姐さんがアメックスを逆訴訟したというニュースが飛び込んできた。姐さんの申し立て――「35万ドルあまりの不払いは誰かの不正利用。アメックスは自分の知らない間にコートニー・ラヴ名義のカードを104枚発行した」はメチャクチャ過ぎる。本当ならばアメックスがメチャクチャだ。

もしもコートニーと友だちになったら、色々とムカつく点があるかもしれない。待合せは平気ですっぽかしそうだし、来れば来たで財布を忘れていそうだ。―――いや、想像だけど。
でも、姐さんには幸せでいてほしい。昨日の日記でジョン・フルシャンテのことをああ書いたばかりだけど。コートニー・ラヴとシャーリー・マンソンガービッジ)にだけは、心安らかであってほしいと勝手に願ってしまう。私があまりにこの二人の音楽に感情移入しているからだ。
シャーリーにはもう自分の体を切り刻んでほしくないし、コートニーにもムチャをしてほしくない。――いや、してもいいんだけど。するとまた世間が姐さんを非難しやがるから。

私はコートニー・ラヴの人生を見届けると決めている。だから、姐さんが途中で折れてしまうようなことがあると、困るんだ。


You know it breaks my heart. Can't see you going out like that. Stay alive my Love (姐さんが今みたいにやれなくなったらとても辛い。頑張ってねコートニー・ラヴ)  *Right Between The Eyes / Garbage (2005) の歌詞。



2010年01月10日(日)  Standing in line to see the show tonight, and there's a light on. Heavy glow

前の日記では簡単に書いてみたジョン・フルシャンテレッチリ脱退であるが。
―――簡単なわけねえだろ。
ジョンだぞ? くそっ。
昔からのファンは、1992年に、なんとレッチリ日本ツアー中にジョンが脱退するという仕打ちを受けている。そのショックには遥かに及ばないだろうが。
泣いたよ。

「レッチリのギターがやめちゃった」とあるアメリカ人に言ったら、「本当のファンなら、彼自身の幸福を望むべきだ」と返された。・・・ったくアメリカ人って薄っぺらな悟りが好きだよなあ、と一瞬人種差別的にイラっとする。
私はジョンの「ファン」なんかじゃない。彼自身が、私と関係ないところで幸福かどうかは考えたりしない。私が泣くほど好きなのは彼の音楽であり、何も男として惚れてるわけじゃないんだ。
勿論ジョンが不幸でいるよりは幸福でいるほうがいいが。―――いや、待てよ。本当にそうか?
不幸は時々、すぐれた作品を生む。もしもジョンが、苦しみから芸術をつくりあげるとしたら、私はぞくぞくしながらそれを享受するかもしれない。

思えば私は、自分自身の苦しみさえも、音楽に浸る為の小道具にしているじゃないか。2004年にジョンのソロアルバム"Will To Death"に入っている"Loss"という曲に出会った時、私は無職で、貯金が底をつきかけていて、彼氏(g)と別れたばかりだった。彼は私と結婚したいと言ってくれたのに、なんで私は別れたんだっけ? 思い出せず、当時の日記を読み始めたが、面倒になってやめる。結局は好きじゃなかったってことだろう。
だけど。強烈なまでに"Loss"を好きだった。そして、「全く先が見えない」という足場のない不安に"Loss"をからめ、壮絶に酔っていた。―――だって人間って、"rolling stone"には魅力を感じるものでしょう? だからロックなんか聴くんでしょう?
2004年の夏は、"Loss"しか覚えていない。全てが、"Loss"に聴き入るための「背景」だった。

ジョンがレッチリを抜けた時、ショックを抱えて電車に乗った。iPodで、爆音で"By The Way"のアルバムを聴きながら。中央線のドア際に立って外を見ていた。夜だったので見るものもなく、時々総武線がすれ違うと、電車が暗い中に輝いていた。ただの闇とただの電車が、"By The Way"の音楽をまとって、鮮烈だった。

一年ちょっと前、卵巣腫瘍で開腹手術だと言われた時も、やはり電車に乗りながらスマッシング・パンプキンズの"1979"のアンプラグドを聴いたら、ドラムの音があまりに誠実で清潔で、しみじみと幸福感が湧き上がってきた。あのアンプラグドはその後何度も聴いているが、あれほどの感動をもって聴くことはない。

Standing in line to see the show tonight, and there's a light on. Heavy glow (今夜この感動に出会うのを待っていたんだ。ほら、そこに光り輝いているのが見える)  *By The Way / Red Hot Chili Peppers (2002) の歌詞。



2010年01月08日(金)  Livin' on the edge, you can't stop yourself from fallin'

この復活日記は、半年前のものとは大分違う。以前はその「日付」の日にあったことや考えたことを、後から記憶で書いていた。だがもう基本的に行動の記録はしない。
Screaming Bunnyが動くとそれが文章になる、というのは潜在的に周りが予期するところであり、私はかなりそれにからめとられてきたのだ。
―――まあどっちにしろ、書けないことだらけなんだけどね。(色々とうまいことごまかしてるんよ)

日記を止めていた半年の間に、3つのバンドにトラブルがあった。オアシスエアロスミスレッド・ホット・チリ・ペッパーズ
ノエルはフェスの直前に楽屋でリアムと喧嘩した勢いでバンドを抜けた。オアシスが出てくるのを待っていた観客は、突然スクリーンに映し出された言葉に愕然とする。"As a result of an altercation within the band, the Oasis gig has been cancelled."(バンドに内輪もめがあった為、オアシスのギグは中止になりました)
レッチリのジョン・フルシャンテも、1992年の日本ツアーの最中に脱退した前科があるが。二度目の今回はなんと、ロックサイトに脱退をすっぱ抜かれ、3日後に本人が出したコメントが、「実は一年以上前にやめてました」って。―――力が抜けて何も言えない。

エアロだけは、大事に至らず踏みとどまった。スティーヴン・タイラーは、薬のせいかステージから落ちたりして他のメンバーを苛々させ、脱退したとまで言わせておいて、ジョー・ペリーのソロライヴに予告なしで乱入して脱退を否定し、今はヤク中を矯正する施設にいる。ジョーのステージで、"Joe Perry, you are a man of many colors. But I, motherfucker, am the rainbow!"(ジョー・ペリー、お前は多彩な男かもしれないが、俺は虹だ!)と叫んだ時もラリってたんだか知らないが。いずれにしても全てが物凄い力技っぷりで、批判する気も起きない。さすが。*"man of many colors"は本来は良い意味ではない。どちらにせよ何を言いたいのか意味不明。

関係ないがこの「スティーヴンが勝手に現れた事件」で、ジョー・ペリーが苦々しそうにしている姿の渋いこと。59歳でこの色気。いやそれを言ったら、61歳のスティーヴンも、20代の頃より遥かにかっこいい。
数年前から、「本当の男は40歳過ぎてから」と言っている私だが。(まあ要するに周りの30代がお子ちゃまだらけというだけかもしれないが) しかしこの二人は別格だな。

私が「男は40歳から」と言うと、それを聞いた40代の男性が嬉しそうにすることが多いが。そこで喜ぶのは早計じゃないか。男の真価が40代から問われるってことは、40過ぎて輝きが鈍るようでは駄目だってことになるんだぞ? 最近私の周りで、以前は細くてかっこよかった男性が、40歳過ぎて腹周りがだぶつくという事態が頻発しているし。
とうとうイギー・ポップのハラもたるんでしまい、「ロックの殿堂」がデ○の集会になりつつある今日この頃、エアロとストーンズだけは頑張って頂きたい。

Livin' on the edge, you can't stop yourself from fallin' (危ないことばかりしてるから、ステージから落ちちゃうんだよ)  *Livin' On The Edge / Aerosmith (1993) の歌詞。



2010年01月04日(月)  All the dreams I waited so long for fly tonight, so long so long

Hi hello wake from thy sleep
ほら。戻ってきたわよ。起きて。

そこの英語学習者、スペルミスじゃないわよ、"thy"は古語の二人称"thou"の所有格だからね。シェイクスピアの頃にはまだあった言葉。
なんでそれをパティ・スミスが使うのかは知らないけど。
まあ、そんなことはどうでもいいか。

半年振りに戻ってきた私。半年間の動向をまとめてお伝えすると。
7月はものすごくウザイのを二人同時に着拒した。8月は人様のご招待でサマソニに行き、ソニック・ユースをオールスタンディング前から2、3番目で観た。9月はマイナーなウィルスに感染した。10月はヨソのサイトで英語講座を始めた。(まだ2回しか書いてないけど) 11月は一番好きだった知り合いのギターボーカルが急逝して愕然。12月はTOEICのリスニングが490点に。(引き換えにリーディングががた落ちなのは不問に付すとしよう。うん)
相変わらず書けないことが満載で。近況は、友だちとの会話ではかなりウケた。「これ全部日記に書ければ面白いんですけどね」と言ったら、「自殺者が出るからやめて」と言ったのはCHIKAKOシスター。そういえば(日記とは関係ないけど)自殺予告めいた脅しをよこしたのもいましたが。多分今も元気だと思います。

戻ってきた私は、非常にクリーン。捨て魔の片づけ魔だから、部屋は常にホテル並にきれいだけど。そういうことじゃなくて。
なんとなくふっと先月、「おクスリ」を全部捨てちゃったんだ。

うちのバリ製の本棚の上にずっと飾ってあった、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの"By The Way"の4点セット。LP、CD、ステッカーにバッジ。だって"By The Way"は私の聖典だからね。
そこに降ってわいたジョン・フルシャンテのレッチリ脱退。
それでふう〜っと力が抜けて、4点セットを引っ込めたのだが。ステッカーの支えにしていた兎のかたちのガラスボトルが、実は私の「おクスリ」入れだった。で、何となくその時に、ボトルの中身を全部捨てちまったのだ。
まあ、なんとなくである。
去年はさすがに癌上がりだったので、その手のものは全くやっていない。だからどうせもう、質の悪い葉っぱと、合法ドラッグがあっただけだ。あと葉っぱ用のパイプと巻紙。
・・・と思ったら、かなり存在感のあるケミカルのカプセルがひとつあった。結構な量の粉末が入っている。たしかこれをくれた人物が、数十回ぶんの量だと言っていたような。勿体無いなあと思ったが。消費期限を過ぎてる気がして怖いのでやはり捨てた。

葉っぱだのは、ケミカルと比べてしまうと、あまりにやさしく品がいい。ケミカルはワビもサビも品もなく効く。しかも法律が後手に回っているせいで合法だったりする。
いつかLSDをやってみたいなあとは思っていた。動物に麻薬を覚えさせるとたいていのものには中毒になるが、何故か絶対にLSDだけは手を出さないんだという事実に魅力を感じていたということもあるが。やはりそれよりも、ビートルズの"Lucy in The Sky with Diamonds"を、LSDをやりながら聴いてみたいと思っていた。ただでさえLSDをやると音楽の音がひとつひとつ立ち上がってくると言うではないか。ならばあのサイケデリックな曲が、どんな色彩を帯びるのか。マーマレードの空、カレイドスコープの眼。
そしたら昨年9月のニュースが言うことには、"Lucy in The Sky with Diamonds"のモデルになったルーシーさんが亡くなりましたって。実はあれはジョン・レノンが、息子(ジュリアン)が小さい頃に友だち(ルーシー)を描いた絵を見て作った曲で、LSDには関係ないんだと。
・・・ああ、長年の夢が壊れてがっかり。

ただ「ラリる」だけならお酒が一番確実で早い。そして安い。オーバードーズの苦しみも酒が一番ひどい。クスリで色々大変な目にあったといっても、「神さま、二度としませんから勘弁してください」と本当に口に出してまで言ったのはお酒だけだ。
・・・という認識もつまらないといえばそうだけどね。

ところでひとつお気づきになっただろうか? 「おクスリ」が入っていたのは、兎のかたちをした「ガラスの」入れ物。―――そう、透明なんである。
一昨年うちに泥棒が入った時――あまりに片付いた部屋を見て泥棒が気後れしたおかげで何も盗られてはいないが――警察が何度もうちに来た。特に二度目なんて、5〜6人が部屋のあちこちを見て回り、引き出しまで開けていた。その時も、ガラスの兎は堂々と本棚の上にあったのだ。(そのことに、警察が帰ってから気づいた)

しかし今やすっかりクリーンな私であるからw

ところで"clean"には、上質なコカインという意味がある。あらゆる英単語について回るのが性と麻薬だけど。こんな単語("clean"=麻薬をやっていない)にまでねえ。

All the dreams I waited so long for fly tonight, so long so long (「飛ぶ」為に長年見ていた夢にさよならだわ)  *Frederick / Patti Smith (1979) の歌詞。
*一応言うと私の訳は、日記の内容に合うように訳しているので。歌の中ではそういう意味ではない。
*"so long"には「こんなに長い間」の意味と、「さよなら」の意味がある。
*この日記の一行目も、"Frederick"の歌詞の一行目。



2010年01月03日(日)  Intermission

We'll be right
We'll be right
We'll be right
We'll be right back
After we go to the bathroom



訳:(お手洗いに行ったら、すぐに戻ります)

これは、アルバムA面ラストの、たった20秒くらいの曲。A面が終わり、B面へ行く前の"Intermission"だ。
昔はレコードが、「間」というものを含んでいた。かける前の儀式と、聴いた後の静寂も。

カレンはもう戻ってこないけど。
私はしゃあしゃあと戻ってきて、今しばらく書こうと思う。

Intermission (休憩)  *Carpenters の曲。(1972)



2010年01月02日(土)

(約半年経過)


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