ふつうのおんな

2013年10月28日(月) まる

父の手を握りながら話していたら急ににこにこし始め
「悦子が笑ってる」
と天井の丸い電気をみて言いました。

ああ、私は赤ちゃんのときから丸顔で母がよくそれを指摘しては
うれしそうにしてたっけ
と思いだし、今手を握っている私ではなく電気を見て
丸い光

丸といえば丸顔

丸顔といえば悦子
と父の中ではつじつまが合っているのか

と思った瞬間涙が止まらなくなり、涙がこぼれるだけなら目がよく見えていない父には
ばれないからがまんしなくちゃと思ったけれど嗚咽が漏れてしまいました。

「おとうさん、おとうさんが死んじゃったら私もう親がいなくなっちゃうよ。
ちょっとずつでいいから良くなって、まだ死なないでね。
透析のあと嘔吐したって聞いて本当に本当に心配したよ。」
としゃくりあげながら言うと父は私の手を握ったまま
「良くなってきとるけん(心配するな)」
と二度言いました。

そのあとの会話はやはり支離滅裂で、でも急に
「家に帰ろうかー」
と言ってきてまた涙が止まらなくなり「透析してるし点滴(だけで生きてる)外せないからせめて肺炎が治ったら一日二日、いったん帰れるねえ」とうそをつきました。

娘が泣いた瞬間だけ父親に戻ってくれたんだなと病院の帰り道、また泣けて来て困りました。

母がなくなったのは30になった年でした。
私は今38で1月に39です。
30代で親を両方亡くすことにはなりたくないなと強く思います。

chick me

2013年10月21日(月) ひっそりと更新

夏から入院している父が、小さくなりました。

母がなくなったのは8年前。

母は58になって一週間のとき
父は57でした。
父が元気に普通の生活を営めたのはそれからたった2年。
2年で父は自分の糖尿を悪化させ60のときから幾度か脳梗塞に見舞われ
さっさと仕事を引退し そこからは1年くらいはバイト医者。

しかし糖尿からくる眼底出血の後遺症もあり視力もだんだん失われ
杖とサングラスなしでは歩けなくなり

ここ2年くらいはほぼ寝たきり。

今年のお正月はもう普通の食事をすることはできなくなっており、大好きだったお酒も飲めなくなり。

胸が苦しいと言って週に2回夜中に救急車を呼ぶまでになった今年の夏、妹は3人の子供を育てながらの父の介護に限界を感じ施設を探してました。

野田のほうにできたばかりで入居金がいらないフェアをやっている施設を見つけ、妹は父を透析でお世話になっている病院に一時入院で託し見学に行きました。
「おねえちゃん、すごくきれいなお風呂なんだよ。広いんだよ。あれならお父さんも手足を伸ばしてお風呂に入れるよ!しかも透析の病院まで送迎があるんだよ。」
と嬉しそうに電話で報告してきました。

施設に入れるという後ろめたさよりも、妹は自分ではやってあげられないケアを受けさせることができることへの安堵で嬉しそうでした。
お金も労力もほとんど貢献できていない私としては、介護の苦しさを実感していない以上、数年毎日世話をしてきた妹の言うことであればなんでも受け入れるつもりでした。

野田なら妹はあまりいけなくなるけどうちからなら1時間せず行ける場所だし、最後は私なのかなと母のときのことを思い出し それはそれで受け入れる気持ちになっていました。

それが、いざ退院させようとしたら病院からストップが。

嚥下性肺炎にかかっている、と。

医者である父の兄弟たちに連絡したところ長崎から飛んできました。
その状態で嚥下性肺炎にかかれば最悪1か月も持たないからと。

それが8月の終わりのこと。

あれから父は何とか肺炎を治したのですが、いまもたまに高熱を出し、退院は一時的にすらも難しい状態になっています。

そして今日。

病室に入ってきた私を見てこう言いました。

「なんでお父さんがここにいるってわかったと?」

ああ きたか

「だってお父さんはずっと病院にいるんだよ、知ってるよ。」

ふと父の右腕を見るとキズだらけ。
ナースが切ってくれたのでしょうが左手の爪がぎざぎざ。
脳梗塞のマヒがあるため、左手があまり動かないのですが指を伸ばそうとすると痛がるのできっとちゃんと切れなかったのでしょう。
ここ1年以上、実家に行くイコール父の手足の爪を切ってやすりで研ぐ、ということをしていたので私はやすりを持ち歩いてました。
痛くないようゆっくりと爪をけずっていると
「僕はなんば買ってくればよかと?(何を買ってくればいいの?)」
と言いだす。
「お父さんは何も買ってこなくていいよ、全部あるよ。」
と答えながらぎゅっと唇を噛んで爪を削る。

あまり見えていない目でもシルエットと声で私と妹を判別していたのでしょうが、もともと私の声と妹の声は似ていて。

「郁子かね?」

ちがうよ さっきまで私ってわかってたじゃない。

「悦子だよ。お父さん、私ってわかる?」
「わかるよ」
「郁子は昨日来たんだよ。お父さん寝てばかりだったって。」
「そうね」

廊下で話してる人の声を全部自分への話だと思って返事をしようとしたりしてました。

病院に着いたのが遅かったのですぐに面会時間の終了が来てしまったため、痛くないよう手を握りながら
「お父さん、今日は来るのが遅くなったからもう時間になっちゃった。
帰るけどまた来るからね。」
というと
見えない目でじっとわたしを見て
「それまで僕は何をしてたらよかとかね。」
と。

叫びだしたかった
そばにいなくてごめん
毎日来なくてごめん
お父さんがゆっくり壊れていくのを止められなくてごめん

「看護婦さんが来て、テレビと電気を消してくれるからこのあとは眠ってね。
またすぐ来るからね。」

というと、うなずく。
病室を出ようとすると 一人では歩けないのにベッドから降りるそぶりをするので慌てて戻って「歩いたらだめだよ。」と止める。

病院を出て妹に電話して。

とうとう来たよ と今日のやり取りを伝えると少し黙った後、覚悟はしていた ずっと覚悟はしてた。
これまでのことに後悔はない。
ないけれど
と震えを我慢する声で話した。

来月父は66になる。

妹と、お正月は1日だけでいいから家に戻してあげてひとくちでいいから好きなものを食べさせてあげたいと話していたのは先週のことだ。
どうやって家に連れていくかということばかり考えていたが、そもそもそういう状態で年を越せるのかということのほうが問題になってきた。

お父さん
お誕生日おめでとう と
あけましておめでとう
ちゃんと言わせてくれ

chick me
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etsu

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