ユミコのメモ箱
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2006年05月29日(月) あおぞらDEアートin Oギャラリー

そう言えばちょっと忘れていたんだけど(いや、忘れてはいないが)、

本日より開催のOギャラリーでのグル−プ展『あおぞらDEアートin Oギャラリー』に、先日の二人展の出品作品の中から小品数点を、出品中。

二人展を「見逃してしまった!」とか「あの作品、やっぱり買いたいわ」なんて心残りのある方は是非、銀座八丁目にGO!

出品作家は30名程ということで、にぎやかな展示になっていることでしょう。


ちなみに・・
『あおぞらDEアート』は、昨年よりGW明けの日曜日に銀座泰明小学校のグラウンドで開催している野外展です。昨年、私も出展しました。
「画廊は敷居が高い」と感じている人たちにもアートを身近に感じてもらいたいという主旨のこのイベント、その『in Oギャラリー』版として今回開催中です。


6月4日まで。12時〜20時。最終日は16時まで。


2006年05月28日(日) 砂漠が美しい訳

足利市立美術館にて開催中の『THE LIBRARY』展の出品作家として、今日一日会場にて展示案内を務めた。開催期間の週末毎に、作家が順番で来場者に作品解説等をする、という企画。今日が私の当番の日。

私は『十葉扁舟(じゅうようへんしゅう)』を出品しているのだが、とりわけこの作品は解説をすると喜ばれる(つまりわかりにくい?)感じになっている。多くの方々に、同じ説明を何度も何度もしてきた。

以前にもこの作品をご覧になり、気に入ってくださり、その後一度お会いしている、地元の文化人類学の先生がわざわざ会いに来てくださり、いろいろとお話した。気に入って下さっていると言うことなので、てっきり作品のことは隅々まで知っていただけているのかと思いきや、他の来場者の方に解説するのを横から聞いて「えっ、そうなってたの?」「そんなに深い意味があったの」とびっくりされていて、笑った。

「解説をしないとわかってもらえないのって、どうなんだろ・・」と、今日一日を振り返っていた矢先の出来事だったので、ちょっと自信が持てた。


自分の作品を生み出す過程で、その隅々いたるところに多くの意味を持たせることが多い。その結果、立体(本)の作品では説明しないと気付かれないような仕掛けがあったり、意味があったりする。
でもそれを、作品を観てくれる人たちすべてに説明したいという欲求は、わりと少ない。作りながら(もしくは今日のように鑑賞する人を影でこっそり盗み見しながら)「これは気付かないでしょ〜」とか「これを正しく読み取る人は、かなりの佐藤由美子マニア!」などと、逆に気付かれなかったりわかってもらえないことを楽しんでしまうこともあるくらい。「鑑賞者を試している」なんて言ったら、随分偉そうだけれど。

でももちろん、「正しく読み取る」の『正しい』とは、私の観点から見ただけのことであって、私が意図しないような読み取り方をしてくれると、「おお、なるほど!」とか「おもしろいじゃん、いいじゃん、この作品!」なんて、それはまたそれで私自身を客観的に楽しめてしまう。そういう器の大きい、引き出しの多い作品は、私は良い作品だと思っている。

それとは別に、例えば今回の『十葉扁舟』だったら、手に触れなくて(もちろん細かい仕掛けの存在すら知らなくて)もオブジェとして「きれい」とか「欲しい」とかいう感想もあって、そういう部分も大事に制作している。
作品のそういう良さは、その内側(物質的にも哲学的にも)にいろいろな要素を秘めているからこそ、出てくるものだと信じている。絵画的な一面だ。

サン=テグジュペリはそれを、砂漠の美しさと井戸の関係で、表現している。


・・・とまあこんなふうに、自分の仕事の成り立ちを時々確認しつつ、「これでいいのだっ!」と自信を持って、新たに一歩踏み出してゆくのだ。


本日私の解説を最後まで聞いておつき合いくださった方々、ありがとうございました。

『THE LIBRARY』展、6月4日まで。
その後、6月10日〜7月2日 多摩美術大学大学美術館に巡回。


2006年05月27日(土) 人間が好き

東京藝術大学大学美術館の『エルンスト・バルラハ』展を観に行く。
2人展初日にセンセイに「彫刻家だけどドローイングや版画がいいから、観にいきなさい」と言われ、その2日後に友人に「これ観る?」とタダ券をもらったという、観るべくして観た展覧会。

これがとんでもなく、よかった。
ドローイングや版画(リトや木版)は特によかった。
でも全く興味のなかった彫刻も、とてもよかった。
『人間』をこよなく愛しているのがドーンと伝わる感じ。

銀座Oギャラリーで用事を済ませ、個展を2つ観た。
どちらも版画の作家さんで、up.sのリトの作家さんと少し話した。

近くの兜屋画廊の『三人の画家』展を観る。
三人とも、G大油画科の同級生。女性二人と会うのは、修了以来。

A女史の絵は、在学中から気になっていた。というか、好きだった。
すごく素直に女性的なところが、うらやましいと思っていた。
9年ぶりに観たA女史の絵は、そんな好きなところに、磨きがかかっていたように感じられた。在学中はあまり話をしたことがなかったけれど、いろいろお話できて、彼女の絵が好きな理由がわかった気がした。

K女史は、大学を出た後、日本画やステンドグラスなどで表現していて、新鮮だった。でもそんなことよりも、K女史の絵にはある種のインパクトがある。ちょっとびっくり赤面なインパクト。展覧会に寄せたコメントを読むと、なるほど納得。作品も本人も、カッコイイところは今も昔も変わりませんね。

黒一点、K氏の作品は個展でここ数年観ている。
楽しみにしていた新作、特にシンデレラと眠れる森の美女(←勝手に命名)の作品がとてもよかった。絵の物語性も、絵画としての美しさも、そしてK氏の絵になくてはならないユーモアも、完璧に決まってる感じ。絵に込められた優しさを感じた。薔薇のオーラの美少年(←勝手に命名)もステキ。

三人とも、『人間』をこよなく愛しているのだと思う。6月4日まで。

とても刺激的な一日だった。


2006年05月23日(火) 独り言

いいことばかり言っていただいた今回の展覧会、ではなかった。
ちょっと落ち込むようなことも、正直指摘されたりもした。
半ば痛いところを突かれているから落ち込むのであって、そういう部分を、気がついたけれど言わないでいてくれた人も多くいたのだろうな・・などと思い返して、さらに落ち込んだのだ。

けれど、終わって2日経ち、会期中少し休んだ仕事もいつものように始まって冷静になり、作品について言ってもらったことすべてを今後の糧にしよう、と、(これまでも頭ではわかっていたけれど)本気で思えるようになった。

自分の信じた前向きな変化を、恐れてはいけない。
それには時に、マイナスが生じることもあるだろう。
でもそれは、大きなプラスのための助走であると、胸を張って次に向おう。


2006年05月21日(日) 最終日




2人展、最終日。
経験からすると、最終日の日曜はお客さんの入りが少ないのだけれど、今日は久しぶりに会う友人も多く来てくれて、楽しい一日だった。

この一週間、作品について様々な御感想、御意見、御指導を受けた。
特にタブローの仕事はまだまだ課題も多いけれど、なにしろ楽しみつついいスタートをきれたと思うので、リトや立体の仕事と隔てなく、続けてゆこうと思う。


でもまあひとまず、「終わったア〜〜〜」とホッとしているところに、大阪のOギャラリーeyesから「7月の3人展のDMできました」との連絡あり・・・そういえば、会期まで2ヶ月切っている。また次が始まるのね・・・・


2006年05月20日(土) 6日目




今日は蒸し暑かったり大雨だったり・・。
今週はお天気には恵まれなかったけれど、足を運んで下さった方々、ありがとうございました。

残り一日。最終日は午後4時まで開廊です。
眠い目をむりやり開けて、お待ちしております。


2006年05月19日(金) 5日目



今日は忘れずに写真を撮った。
資料用に、バチバチ撮った。

搬入中、見知らぬ女性が私の作品を見て何気なく言った独り言「かわいい〜」が、なんだかとても嬉しく感じたのは、私の作品に向かう意識改革の分かりやすい表れだなあと、自分でびっくり。

昔は「かっこいい」とか「おしゃれ」とか言われることが(無意識に目指しているくせに)嫌で仕方なかったのだ。ましてや、「かわいい」だなんて。(「かわいい」は目指してさえもいなかったので。)どれも褒め言葉ではなく、軽薄さを指摘されているような気がしていた。実際、そうだったかもしれないけれど。

かわいいものが好きな自分を素直に認めたら、絵を描くのが楽しくなったのだ。要するに、日頃私が子供達に言っているようなことを、自分自身にも言ってみたわけだ。


「今ならもうかわいいものを目指しても、ただの『かわいい』にはならないから自信をもって」と言ってもらった時、昔髪を明るく染め過ぎて落ち込んだ時に「金髪にしてもヤンキーにはみえないから大丈夫」と言われたことを、チラと思い出した。




2006年05月18日(木) 4日目

今日も写真を撮り忘れました。
カメラは持ち歩いているのに・・

代わりに、今回の作品のコンセプトのようなものを記そうかと思います。

−−−−−

昨年の個展まで、『目には見えないけれど、近くに存在するなにか』を絵にすることを考えていた。

それにはひとつ、重要な問題があった。
『目には見えない』実体のないものを絵にすることは、ほとんど不可能である、ということだった。それらを想像するには限界があり、とうとう手が動かなくなった。

でも、そういう存在を信じていたし、私にとって大切なテーマであることには変わりなかった。

だから、『目に見えないもの』を納める『いれもの』を描いてみよう、と考えてみた。カタチあるものを描きたくなった。これはまさに、私が絵を描くことと同時進行で制作してきた『本』であり『箱』なのだと気付いた。

絵を描くことと本や箱を作り出すこと。それら2つの制作行為をひとつに繋げることを、しばらくやめていた。別々のものと考える方が、それぞれを楽に進めることが出来たのだ。

絵を描けなくなったその時、本や箱を作るように絵を描けないものかと考えた。その辺りのことを、うまく言葉には言い表せないのだけれど。

すると、描けた。今回出品しているタブローやリトグラフが、それだ。
いろいろなカタチの『いれもの』を描き、その中に『目には見えない』なにかをひとつひとつ納めていった。そういう作業だった。


 『箱』とはもともと『本』のことであった。
 表紙を開いて文章を読むことと同じようにして、箱の中になにかを納めて蓋を閉じ、しかしその蓋を開くまでもなく、それは中に納められた『見えないなにか』の存在を証明するものとなった。
 幼い頃から繰り返し読んだ『星の王子さま』(サン=テグジュペリ著、内藤濯訳/岩波書店)の中で「かんじんなことは、目に見えない」と教わった。生きていく中で、大切なことは目に見える事象ではなく、心で感じとるものなのだと、いつのまにか信じていたように思える。
 目に見えない『かんじんなこと』を絵やカタチに表すことは今の私にはできないけれど、それらを納めるための箱なら作ることができるのだ。箱を作ることで、私は『かんじんなこと』を知った気になって安心している。
 『見えないなにか』は、何でもよかったのかもしれない。でも、生きていくことって、そんなものだと思う。

(Oギャラリーeyes 2006年7月予定『見えない先の果てにさえも』展に寄せたコメント文)




絵が描けないと立ち止まった時、振り返ったのは制作してきた自分だけでなく、もっともっと以前の自分、自分の原点とはなにか、ということだった。原点、好きなもの、やりたいこと。そういうことを、ねじ曲げずにそのまま制作に生かしたいとようやく思えた。

あたりまえのことなのに、随分遠回りしたものだ、と思う。
これからは大好きな絵を、もっともっと描こうと思う。


2006年05月17日(水) 3日目

今日は写真を撮り忘れました。
代わりに、

OギャラリーのHP→新着情報→佐藤由美子のファイル

を開くと、現在の展示の模様が見られますので、そちらもどうぞ。


友人と焼酎のおいしいムーディーなお店で、かなりいい気分になって帰りました。


2006年05月16日(火) 2日目(在廊ナシ)



昨日撮った写真。

左から;
『中庭』リトグラフ
『3つの家』リトグラフ
『家の居場所』キャンバスにアクリル
『仲間はずれのいれもの』キャンバスにアクリル


2006年05月15日(月) PRISM 展 初日

本日よりオープン。
開廊直後にキハチセンセイが来て下さって、リトインクの話等伺って、「この路線でいいから、(版画だけでは無く)絵をどんどんたくさん描きなさい」と言われた。箱を3つ買ってくれて、嬉しかった。センセイが買ってくれることをいつしか目標にしていたので。

初日とあって、入れ替わり立ち代わりお客さん。

今回御一緒した作家の坂井さんは大坂芸大でリトの非常勤講師をされていて、リトで使うクレヨンのことや、石版のこと、紙の話、などなど、いろいろ教えていただいた。リト、タブロー、立体を並行して作る上での話等、話をしたり聞いたりするなかでクリアに見えてくる部分も多かった。さすがセンセイ。ありがとうございました。

アトリエでは努めて客観的に見ようとしていたアクリル画。
こうして画廊の壁面に掛けてみても、まだまだ客観視しきれない。
明日は仕事で在廊しないので、一日置いてあらためて見た時、どう見えるかが楽しみかも。


2006年05月14日(日) 搬入




明日からいよいよ2人展。
本日、夕方から搬入展示作業だった。上の写真の左2点が、私のアクリル作品。この左の壁にリトグラフの大きめのが2点。向側の壁に立体箱作品や、アクリル、リトの小品が並んでいる。

ライティングやキャプションは、この後画廊の方におまかせ。
展示も私はボーーッと突っ立っていただけで、いつの間に!というほどに素早く画廊の方達がほぼすべてやってくださった。ありがとうございましたああーーー。

会場の様子は、出し惜しみをしながらすこしずつ載せてみよう。



在廊予定;
15日終日、17日18時〜、18日15時〜、19・20・21日は終日。


2006年05月12日(金) 一緒に

今日は2人展の作品発送。
梱包して、集荷に来てくれて、昼食をとってから箱制作。

3時を過ぎて、あとりえの子供達がひとりふたり・・とやってくるが、(いつもの私なら子供の目にとまる前に隠すように片付けるのに)筆を置く気がしない。もっともっと描いていたくて、本日はこどもたちと一緒に制作することにしてみた。

「これなに?」「箱だよ」「なにに使うの?」「せんせいの展覧会に飾るの」「開くの?」「開かない箱なの」「なにでできてるの?」「紙だよ。固い紙」「この絵の具、なに?」「アクリル絵の具っていって、水で描けるけど、乾くと溶けなくなるの。だから洋服につかないようにね」「このコショウみたいなの、なあに?」「砂だよ」「なにに使うの?」「絵の具にまぜるの」「どうなるの?」「こうなるの(と、見せる)」「どこから採ってきたの?」「買ってきたの」

・・・・などという質問攻め。

ある女の子は、箱をひとつ手にしながら「これは何が描いてあるんだろう・・・なんだかわからないけど、なんかフワッとしてていいねえ。」とか言ってくれた。ちょっと嬉しかった。

他にも、「これは街みたい」「アパートかな」などと、かなりいい線ついている反応もあり。


2006年05月08日(月) 箱だらけ


ちょっと汚いけれど、本日の制作現場。

箱は大中合わせて25個(内19個は完成)。さらに小さい箱を10個ほど追加予定。リトコラージュバージョンも、大中小10個ほど制作予定。

この後、アクリルM30号の最終仕上げ(手を入れるか入れまいか、ずっと迷っていたのだが)をした。後はサインを入れて完成としよう。


GWはこのようにして、ヘッドホンで音楽を流して世間の雑踏を消し去り、すっかり箱に没頭し絵の具まみれに終わったのだった・・・・。


2006年05月07日(日) 一版勝負

本日、リト刷り完了。

プレス機いっぱい、大きめの作品を2点。
1点はジンク版にて、描画して刷り、加筆修正して、重ねて刷り・・という荒技を3回繰り返した。

その後、キャンバスの作品に取りかかる中で、最近の自分の『どうもリトがしっくりこない』ことについて考えた。

いつも手こずるのは、色。
2〜3版を重ねる時、ものすごく迷ってしまう。
いざ重ねてみて、「なんかしっくりこない」ことが多い。

そこで考えた。

版画・・とくにリトは、重ねてなんぼだと思い込んでいた。
(たしかにそこは、版画の特徴ではあるのだが。)
よし、ここはひとつ、1版のみで勝負しよう、と。
・・結局ここに、辿り着いたのだ。
なんか、それって、学生の時にさんざん言われていたような。。。

てなわけで、キャンバス作品を完成させた後、とりかかった最新リトは、ジンク版1版で勝負。ジンク版は一度描画して製版した後、加筆・修正がし易いので、タブローの仕事に一歩近づいた感じで絵作りができるところがいい。

で、本日刷った。
ふむ。
いいんじゃないの?
しばらくこんな調子でリトをやっていこうと思う。

(リトを知らない方には、なんだかわけのわからない話でしょうけれど・・)


2006年05月05日(金) ようやく復旧

サーバがダウンしていたため、3週間近く更新ができませんでした。

・・・というのは言い訳で、実はこのブログはHPとはリンクされているだけで別サーバに存在しているので、皆さんにみていただけなくても、私は更新できる情況でした。が、これを機にすっかりサボっていたというのが本当です。



そして、いつの間にか2人展作品搬送まで1週間、というところまできてしまった。

更新はサボッていたけれど、制作は比較的順調に(多分、)すすめてきた。

ひとまずキャンバスにアクリル画はS15号とM30号をほぼ完成させた。

リトグラフは大物を2点、1点は途中まで刷ってあったものに1版プラスし、もう1点はまったくの新作を1版のみで、本日製版+加筆完了。

小品リトは、入れ子&絵本型しりとり立方体に使った絵をシートに刷ったもの5点と、おやゆびひめリト、新作のうらしまたろうリトも2日で完成させて、計7点を現在額装発注中。


残すところは立体作品。
5cmと6cmの立方体をたくさん作って、本日、絵を描きはじめたところ。
時間の許す限り、ひとつでも多く作る予定。


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